消えてしまいたかった。
力もなくて、勇気もなくて、迷惑ばかりをかける存在なら、いらないと思った。
どんな顔で黒崎君を見たらいいのかわからなくて、終始うつむいたままのあたしの視界には黒崎君の足。
泥だらけで擦り切れた草履みたいなもの。足袋だって泥だらけ。所々血痕で黒ずんだそれは、それでも形としてあるだけで凄い。あんな、信じられないような戦いの後で。
「井上」
いつもの勢いで顔をあげかけて、ぐっと堪える。だって、呼ばれても顔を見ることなんて出来ないよ。
未だにあたしが着ているのは、アランカルと同じもの。例え中身があの頃と変わっていなくても、そこにどんな理由があったって事実は事実で。
あたしが余りに無力で、何も出来なかった事実も同じように変わらない。
「おい……どっか痛ぇのか?」
返事すらないあたしを心配するように声音が変わる。あたしは髪の毛が乱れるのも気にせずに頭を左右にぶんぶん振って、黒崎君の心配を否定した。
黒崎君の纏う空気が困惑しているのが伝わる。ああもう、ばかだあたし。
何も出来ないなら、せめて心配かけさせないようにするとか。ダッシュで逃げてみるとか、他にも方法はいろいろあるはずなのに。
黒崎君とは比べ物にならないけれど、やっぱり汚れてしまった自分の服を握り締める。強くなりたいってあんなにも願ったのに、あたしは結局何も変われていない。ずっとずっと、弱いまま。
「――っ!」
うつむいていたあたしの顔を、ごつごつとしたものが包んで力任せにぐいっと上向かせる。思わず「あいたっ!」とか場にそぐわない声を上げながら、あたしはそれが黒崎君の手のひらだと気付くのに、全然時間なんかかからなかった。
「……ンてツラしてんだよ」
痛そうな顔。
唯でさえ深い眉間の皺がもっと険しいものになって額に刻まれてる。久しぶりに真正面からゆっくりみた大好きな人の顔は、なんだかとても悲しそうだった。
「く、くろさきくん痛いよ」
首がちょっとばかし不自然な角度で、あわあわとそう訴えてみる。なのに黒崎君は全く意に介さない感じで、ただじい、とあたしを見る。それは昔からあたしの知っている黒崎君で、どうしてあの時彼を怖いと思ってしまったのか分からないくらい。
「……めんね」
「何が」
「何がって、だってあたし」
「井上は何も悪くねーだろーが」
「ちがう」
ぶんぶんと首を振って黒崎君の言葉を否定する。
上手く言葉にならなくて、言葉にしかけては飲み込む。そうこうしているうちにほたほたと涙があふれて、あっという間に地面にいくつもの染みを作った。
戦う勇気はなくても、守るためにやれることをやろうと誓って、そしてそれはあたしにしか出来ないことだと思ったからここに来たのに。
崩玉の存在を無にすることも出来ず、有益な情報を得ることも出来ず、ただ、じっといるだけだった。それどころか、あたしが傷を治したヒトたちが黒崎君や皆をたくさん傷つけて。
(あたし、何をしたの――?)
何をしに来たの。
「皆を、くろ……くんをまもりたくて、少しでも、なにっ、か、したくて。だけど、全然できなくて」
「だけどお前は巻き込まれただけだろ」
「ちが……、あたしは、自分で」
黒崎君の傍にいたくて。
(なのに、傷つけてばかり)
勝手にこぼれる涙が悔しくて、せめてもの抵抗とばかりに唇をかみ締めて嗚咽を堪える。
黒崎君の手は、いつの間にかあたしの頬へと移動していて、その隙間に入り込んだ涙がぬるくなっていくのが不思議と分かった。
朽木さんを助けに行った時も、今も、あたしは何も出来なくて、黒崎君や皆に助けられてばかりで。それが嫌で頑張ったのに、余計皆に負担をかけてる。
それなのに。
助けにきてくれて、嬉しい、だなんて。
(あたし、きたない)
思ってる自分がいる。
「鼻ミズ出てんぞ」
「うう〜〜」
ぐしょぐしょになった顔を黒崎君から背け、袖口で顔をぬぐう。俯いたその頭を、再びゲームセンターのクレーンゲームのように、がっしりとした質感で掴まれた。
「あ、う?」
「だから顔、あげろって」
中途半端にぬぐった涙がほっぺたを汚す。ひんやりとした空気に目を細めれば、黒崎君が死覇装の袖でそれをぬぐってくれたけれど、直後になんだか難しい顔をして眉間に皺が寄る。
「わりぃ、余計汚れた」
言いながらぬぐった袖をばしばし叩けば、出てくる砂煙。きっとあたしの顔は、ぬれていたところにそれがついて、大層汚いことになっているだろう。
「えへへ、もとから汚れてるから大丈夫」
なんだかおかしくなって、笑う。すると、黒崎くんの眉間の皺がゆるんで、同じように笑った。
それを見てあたしは又笑う。なんだか泣きたいような気持ちも湧き上がってきたけれど、これ以上泣いたら余計な心配をかけちゃうから、頑張って笑う。
「井上はさ、そーやって笑っててくれよ」
大丈夫、って言ったのに、今度は手が赤くなりそうなほどに叩いて払った手の平で、あたしの頬の汚れをこすってくれる。
「お前が笑ってんの見てっと、なんかまだまだやれるって思うからさ」
「黒崎く……」
「もう泣かせねえから」
最後の言葉は、酷く真剣で。
だめ、だよ。
そんなこと言われたら。
「井上?」
泣きそう。泣いちゃいそう。
(泣いちゃダメ)
黒崎くんが、あたしは笑ってたほうがいいって言ってくれたんだから。
ほら、笑わないと。
「へ……へへ」
無理やり持ち上げたほっぺたは、ぶるぶる震えてきっと凄く不細工だ。だけど必死で堪えてる涙はまだこぼれてない。
「おまえ……すっげえ顔になってるぞ」
リアルに慄く黒崎くんに若干傷つきながら、それでもいいやと今度はほんとに笑う。
「俺の名前……一護ってさ、『これだって決めた一つのものを護れるように』って意味でつけて貰ったんだ」
「? うん」
急な展開についていけず、とりあえず頷く。ずーっと昔に竜貴ちゃんから聞いたことのある、黒崎君の名前の由来。つけてくれた人の、話。
えーとだから、と、明後日の方を見て口ごもる黒崎君に、益々ついていけない。右から覗き込んだり、左から覗き込んだりしてみても、答えなんか見つかるはずもなく。
「……護りたい、って思うものは沢山あるんだ。俺、すげえ欲張りだから」
(知ってるよ)
だから、死神代行なんてやってるんだよね。
本当は全部を救いたいって思ってるけど、そんなこと出来る訳なくて、だからせめて目に届く、手が届く範囲だけでも救いたいって。
生きている人も。死んでしまった人も。
モノも、街も。
黒崎君にとって、沢山の大切なものを護れるようにって。
きっと、その全部が黒崎君にとっての「一」なんだって、知ってるよ。
「最初は、家族とかダチとかを護りたいって思っててさ。そのうち、自分に見える霊(ヤツ)らも何とかしてやりたいって思って」
「うん」
「そうこうしてるうちに、なんか尸魂界の連中ともつながりが出来ちまったから、見て見ぬフリも出来ねえし」
「うん」
「と、思ったら今度はこーなってるわけで……だーっ!! なんだ俺の人生!!!」
ホント身体足んねえ、なんて、本気で困った顔して大声を上げるから苦笑するしかない。仕方ないよ黒崎君。だって、黒崎君がそういう人なんだもん。
本当はね。全部関係なく、平和でただ、笑って過ごしていて欲しいなって思うんだけど。
「まあ……例えばそういうのが全部、いっぺんにヤバくなったら困るんだけどよ」
「でも、全部何とかしようって頑張っちゃうんでしょ?」
知ってるもん。
あたしの台詞に黒崎君が固まる。うーとか、あーとか言った後で、頭をがりがりかきむしりながらがっくりとうな垂れた。あ、自覚した。
「あたしも手伝うからね……って、えーと、今回はっていうか、今回も役に立たなかったんだけど、次こそは頑張るからっ」
慌ててフォローのようにそう主張してみるものの、なんとも説得力に欠けるので今度はあたしがうな垂れる番だった。ちらりとこっちを見た黒崎君の視線に、なんとか情けない笑みながらも主張をしてみれば、伸ばされた指先で額を押され、よろけた身体は再び後頭部を掴まれることで後ろに倒れずに済む。
そして。
「うええっ!?」
あたしの身体は、逆に前へと引き寄せられた。――黒崎君の、腕の中に。
「そんなことにならねえように、もっと強くなる」
「く、くろ、黒崎くっ」
「お前が出てくる必要なんかねえくらい、あっという間に何とかできるように、強くなる」
強くなる、の言葉は決意に満ちて。
「駄目だよ、これ以上強くなっちゃ」
ばくばくする心臓を押さえて、伝える。
「駄目だよ、黒崎君」
黒崎君の強さは、痛さと引き換えだから駄目だよ。
押さえつけられたせいで、黒崎君の顔は見えない。あたしが見えるのは、真っ黒な死覇装だけだ。
行き場のなかった両手を持ち上げて、気持ちを伝えるように黒崎君の死覇装を掴む。お願いだから、もう強くならないで。
あたしが代わりに、もっと強くなるから。
声に出来なかった言葉は、それでも黒崎君に伝わっていたのかもしれない。引き寄せられる力が強くなって、かすかに砂と血の匂いがした。
「さっきの続きだけど」
「え?」
上げかけた頭はがしりと掴まれて許されない。黒崎君の顔が見たいのに、見えない。
「全部いっぺんにどーにかなったら困るって」
「……うん」
「でも……もしその時に井上が泣いてたら、そっち最優先な」
「へ?」
「俺の、一の一な」
おまえが嫌だっつっても俺にとってそーなんだから諦めろ、とか、その前にまあ泣かせねえようにするとか、なんだか一杯言葉を続けてたけど、どれもこれも右から左の耳に素通りしていた。
(ええと、ええと)
もしかしても、もしかしなくても、だからえっと。
頭を押さえつけられてるせいじゃなくて、身体中の血の流れがおかしい。あっちこっちじりじりして、じんじんして、痛かったり熱かったりして。
「黒崎君」
「あ?」
「死んじゃう」
「ああっ!?」
慌てた黒崎君が手を離したけれど、あれほど上げたかった頭は上がらない。代わりに、黒崎君が高い背を折るようにしてあたしの視界に入ってきた。
黒崎君の顔に、ぽとんぽとんと雫が落ちる。片方だけ寄せられた眉根が、何かを言いたそうに見えた。
「……笑えって」
「へ、へへ……」
「笑ってねえじゃん」
「ご、ごめん」
黒崎君が身体を起こし、大きく息を吐いた。
「お前が泣いてたら、俺どこにも行けねーだろーがよ」
「あの、じゃあ」
一緒に行く。
そう行ったら、視界の先にあった足でさえ固まったのがわかった。
「いや、だから、そーゆー意味じゃなくて」
あたしもそういう意味じゃないんだけどって思いながら、なんて説明したらいいのか分からなくて同じように固まる。
意を決して、ゆるゆると上げた顔の先には、ほんっとに困ったって顔があった。
黒崎君て、そんな顔もするんだね。あたし、初めて知ったよ。
「俺が行った一っつーのは、だから」
「うん」
「ホントにわかってんのか?」
「わかってるよう! そこまで鈍くないもんっ!」
どーだか、って、うわあ、すごい疑いの目だああ。
「え、それともあたしが思ってるのが間違いなのかな?」
「うお、ちょっと待て! そー言われると合ってる気がするぞっ!?」
「ど、どっち!?」
「分かれよあれで!」
だって分かってる気がするのにそうじゃないって言うから!
二人して悶々とする。きっと、傍からみたらすごい間抜けだろう。
立ち直ったのは黒崎君が先で。うん、まあ、なんて別の方向見ながら呟いたあと、あたしに向かって手を差し出した。
「行くか、織姫」
ほら、当たってた。
返事は、繋ぎ返した手と。
「う、えええええん」
「だーかーらああああ!」
みっともない、泣き声だった。
Fin
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Comment:
書いちゃったよー書いちゃったよー一護の一を書いちゃったよーとうろたえながらも
書きました。
時間軸が不明ですが、こんなやりとりの上でもいいなあと思ってしまったのです。
きっと一護の一は、彼を取り巻く色んなもの全部なんだろうなあと思うのですが、
その中でも、違う立ち位置で織姫ちゃんが在ったらいいなあとも思うのです。
20080609up
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