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● 灼恋 |
「ぼくのたいせつなくらーりねっと」
空は青空。風はさらさら。暖かな日差しがいつもの散歩道を包み、織姫は思わず歌を口ずさむ。
お気に入りのロングスカートに、親友の竜貴とお揃いのスニーカー。耳の上にはいつものヘアピン。何も変わらない、穏やかな穏やかな一日。
「パパからもらったくらーりねっと」
このまま川沿いの土手を歩いていけば、竜貴や一護の家へとたどり着く。別にチャイムを押してまで会おうとは思わないが、家の周りをぐるりと回って一人楽しむのも、それはそれで面白いかもしれない。そう考えて、織姫は一人小さく笑った。
「とってもだいじにしてたのにー」
足元にはたんぽぽの綿毛。小さい頃は春の終わりにしかなかったような気がするが、そういえば外来種が色々混ざって四季に関係なく咲くようになったと何かの番組で見たような気がする。ただやはり、夏の終わりかけに黄色い絨毯は見られない。やはりあれは、春の特権なのだろう。
「こわれてせかいもとーまーるー」
「ブハッ!!」
どうでもいいことを、周りの景色につられるまま考えながら歌っていたら、不意に足元から吹き出す声と咳き込む声が聞こえた。全く予想もしていなかったそれに織姫は目をむいて飛び上がり、普段からは想像も出来ない機敏さで声のした方を見た。
「井上……間違えるにもほどがあるぞ、お前」
「く、黒崎くん!」
よほど驚いたのか、まだ咳き込みながら一護が寝転んでいたらしい土手から半身を起こす。その背中には青々とした芝生に混ざった枯れ草がくっついており、織姫は払うために手を伸ばそうかどうか躊躇した。
「どっかから聞いたような声で聞いたことのある歌が聞こえてきたと思ったら」
「あ、あははっ」
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。自慢ではないが、自分は余り歌が上手ではないのだ。さすがに流行りの歌と違って童謡は歌いやすくもあるが、それでもどうぞ聞いてくださいと言えるほどのものではない。
「黒崎くんは、お昼寝?」
「ああ、家だとうるさくて寝てもいられねーからな。井上は? 買い物か?」
「ううん、あたしはただの散歩」
言ってしまってから一護はやや気まずいものを感じる。賑やか過ぎる程の自分の家とは違い、織姫が暮らす家は一人だ。だが、当の織姫は一護の言葉を特段気に留めた様子もなく、いつものようににこにこと笑ってそこにいた。
そういえば、と一護は思う。織姫が笑顔でいない時などあっただろうか。
学校ではいつも笑っている。時に泣きそうな顔をしているが、あれは悲しいのではなくてコミュニケーションの範疇だ。
あの戦いの最中でさえ、敵に向き合う時以外はいつも笑っていたような気がする。こちらがどうだと聞いても、返事はいつも「大丈夫!」で。あの時はルキアの救出が最優先で、あまりその事について深く追求することもできなかったけれど、あの時、本当に彼女はそうだったのだろうか。
「黒崎くん?」
変な顔してるよ?と、織姫が覗き込むように一護を伺う。結構ヒドいこと平気で言うよなコイツ、と思いつつ一護は益々眉間の皺を深くした。
「どっか、痛くしたりしてねえか?」
「へ?」
「あの時、に」
急に振られた話題に織姫がきょとりと返事を返す。それからしばし逡巡し、ぽん、と手を打った。
「ああ! うん、もう全然! 全くもってほら、元気!」
「お、おう……それならいいんだけどよ」
ぐるんぐるんと両腕を振り回す織姫に、何もそこまでしなくてもと一護がどもる。すると又笑う織姫に、今度はつられて一護も口元を上げた。
「井上は、すげえな」
「え?」
「いつもそーやって笑ってられて」
「あはは、あたしそれしか取り得がないから」
「すげーと思うぜ?」
「そ、そうかな」
「泣きたくなる時とか、ねえのか?」
さわり。温い風が芝生を撫でる。
織姫の亜麻色の髪が、その流れにのってたなびき、乱れることなく元の位置に戻るのを、一護はなんとなしに見入る。
「あるよ?」
泣きたくなることなんて。いっぱい、いっぱい。
そう告げた織姫は、だけどやはり笑顔だった。
「だけどあたし弱虫だから、泣いたら負けちゃうんだ。だから、笑うの。こうね、無理やりにでもほっぺたをぐにーって上にあげてると、気持ちまでつられることもあるんだよ?」
「そんなもんか?」
「うん。黒崎くんも、泣きたくなったらやってみて!」
ホントにホントだから、と。又も力説する織姫に今度こそ一護は吹き出した。
「あ、じゃああたし行くね! 黒崎くんも、適度にね?」
「おう、又な」
「うん、バイバイ」
本当は引き止めて欲しかったけれど。
ここ座れよ、なんて、言って欲しかったとか思ったりもするけれど。
(笑って、くれたし)
それだけで十分なのかもしれない。
手を振って歩き出してすぐ、井上、と呼ばれる。心の中を読まれたのかと思って必要以上に驚きながら振り向いたが、一護は別に気にした様子もなく、片手を口の横に当てていつもより大きな声をあげた。
「『壊れてでない音がある』だから!」
「え?」
「さっきの歌」
壊れたくらいで世界が止まってたまるかよ、と、言いながら何かがツボにはまったらしい一護が残りの腕で腹を押さえている。
頭の中でメロディに教えてもらった歌詞を載せれば、当然のことながらぴたりと当てはまって織姫は激しく赤面した。
織姫の背中を暫し見送り、再びごろりと横になれば遠くから又歌声が聞こえる。今後はしっかりと正しい歌詞を載せているが、やや音程が不安定なのが微笑ましい。こんなに平和な時間は一体いつぶりだろうか。一度薄く目を開けて空の青さを確認すると、一護は再び眼差しを閉じる。
『泣きたいことなんて、いっぱいあるよ?』
だけど泣くと負けちゃうから。笑うの。
けれどそれでは、傍にいても気付いてやれない。
本当は泣きたいかもしれないのに、笑っていたら自分はその笑顔で織姫の悲しみを見逃してしまうだろう。
(なんか……どうなんだ? それ)
清々しさで満ち溢れていた時間に、一点の曇りが生じる。辛さを隠すなんて誰でもがやっていることだ。そんなことは人と付き合っていく上で当たり前で、だけどでも。
「あ」
思わず口をついて出た理由は、そういえば織姫が自分に対して一度だけ泣きそうな顔を見せたことを思い出したのだ。
『全然、危なくなんかなくて…ただ……』
どんなに自分が辛い思いをしても顔に出さない彼女が、ただ、一度だけ。
どんなに辛い傷を負っても、痛くないよと笑う彼女が、その、一度だけ。
『 ただ黒崎くんのことが…ずっと心配だっただけで』
「――――――っ!?」
受けた衝撃は声を漏らすだけでは緩和できず、本能的に起き上がることでギリギリそれを殺す。ちょっと待て、と、混乱する頭を整理しようにも、ばくばくと暴れ始めた心臓の音が邪魔をする。
わしわしとオレンジ色の髪を文字通りかきむしり、それは襟足についていた枯れ草までも巻き込んだ。
「待てって……」
いつだって笑って。自分でもそれが取り柄だって言っていた。
泣いたら負けないのだと。意地でも笑っているようにすると言った織姫が、耐え切れずに涙をみせそうになった原因は。
知ってる。
あれは、悲しいんじゃなくて。
我慢して、我慢して。ぎりぎりまで我慢した後にみせる。
「一兄?」
「うおっ!!!!!」
織姫の時とは違うショックを受け、一護は文字通り飛び上がる。変な体勢で驚いたせいで、腰をしこたま土手の斜面にぶつけ、暫し声を失う様を驚かせた張本人である夏梨は冷ややかな眼差しで見ていた。
「そろそろ戻んないと夕食に間に合わなくなるよ?」
「お……お、う」
迎えに来てくれるのは大変ありがたいが、その前に兄を心配する言葉はないものだろうかと、期待もしていないくせにそうなんとなく思いつつよろよろと立ち上がる。
ぱんぱん、と、ジーンズについた汚れを叩いて立ち上がった兄を見た夏梨は目を軽く見開き、それからやや馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「一兄、日焼け止め塗らなかったでしょ」
「あ?」
んなものいるか、と、返事をしようとしたが、それより早く。
「顔、真っ赤だよ」
後で大変だから、冷やしといた方がいーよ?と、言うと同時に背中を向けて歩き出した妹の後を、一護がやや遅れてついていく。
その顔は、先ほど以上に赤い赤い色だった。
Fin
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Comment:
拍手再掲。
一織大好きといいながら、全然それっぽいのが書けなくて
こんにゃろうこんにゃろう言いながら書いたお話。
この二人はべたべたした関係じゃなくて、こんな感じで
自分だけの気持ちにいっぱいいっぱいになってるのが好きです。
20071101up
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