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● あかし |
美人、というよりは、可愛らしいという部類に入ると思う。
だが、所謂砂糖菓子のような甘さではなく、涼やかな愛らしさ。それが、小牧の毬江に対する評だ。
時間をゆっくり取ってのデートはあまり出来ないが、時間さえあれば毬江は図書館へ顔を出してくれるし、小牧も又、館内業務でなくともタイミングさえ合えばほんの5分でも毬江の顔を見る為にやってくる。
だからかもしれない。それほど、「寂しい」と互いに思わずに済むのは。
それとも、耳で聞く言葉の代わりに携帯の文面が「声」になっている二人にとっては、それが続く限り寂しさも普通のカップルよりは少なくて済んでいるのかもしれない。
夏の暑い日の館内業務は、正直「ラッキー」の部類に入ると思う。
涼しさを求めて来客数が増える夏場はリクエストも増える傾向にあるが、大抵がのんびりと涼を取っていることが多いため、人数に比例した忙しさはない。
毬江から『16時頃行きます』とメールが来たのはお昼過ぎだ。そしてその予告よりも5分ほど早く姿を現した毬江は、目ざとく小牧の姿を見つけると小さく手をあげ、満面の笑みを唇に湛えた。
『業務中はゆっくりできないけど、定時であがるから待っていて下さい』
手早く打ったメールに、毬江からは応、の返事。『読みたい本があるから、ゆっくりで大丈夫』の一言が添えられている辺り、大人になったなあとつい感動してしまうのだが。
毬江の本好きが自分に合わせている訳ではないと知ってはいるが、それに甘えて待たせてしまうことはしたくない。小牧はいつも以上にスマートに仕事をこなし、この調子ならどんなに遅くとも+30分と言ったところか、と目算する。
日誌を書く当番も今週は堂上だ。手塚はともかく郁が当番であれば、+30分どころか1時間は最低見ておかなければならなかったな、と、小牧は想像して小さく笑った。
(……?)
返却された本を棚に戻し、一息ついたところでふ、と視界に入った毬江の側に、見知らぬ男がいた。まさかまた、と、一瞬背筋の凍る思いがしたが、何よりも館内センター位置に近い6人掛けのテーブルで相対している事や、毬江の背後ではなく隣でそれなりの距離を保っていることからその可能性は排除した。
だが、毬江の表情が暗い。明らかに困惑している。
なにやら携帯の画面を見せながらやりとりをしているようだが、毬江の表情に明るさが戻ることがない。
実際、毬江は困っていたのだ。
小牧を待ちながら、ずっと読みたかった本が返却されている事に気付き、手にとって読書タイムに入った。そんな毬江に声をかけた男がいたのだが、毬江の耳のことは当然ながら知らない。最初は小声で話しかけていたのだが、反応がないことを無視されていると思い、毬江の肩に手を置いて意識を自分へ向けた。
図書館と言う場所柄、男の方も口にする音量は小さめだ。口の動きもそれに合わせて小さくなり、毬江は聞き取れないばかりか読み取ることも出来ない。
見知らぬ男性にいきなり肩を掴まれた恐怖もあったが、コミュニケーションをとる為に携帯を開く。開きながら、頬にかかっていた髪を耳にかけた。途端、相手に浮かぶ気まずい顔。
この瞬間が、たまらなく嫌だと、毬江は思う。
自分はもう気にしていないのに、否、気にしないようにしようと決めたのに、世間一般から見た自分はやはり『可哀想』に見えるのだと再認識してしまう。
毬江が携帯を開いたのを見、男の方も携帯を取り出す。そして会話が始まった。
以前から毬江のことが気になっていたこと。今日、思い切って声をかけてみたこと。
自分に見やすいようにと、文字表示の設定をわざわざ大きくしてくれたあたり、悪い人ではないと思った。
このあと時間があれば、という文面を見て、毬江が首を左右に振る。文字にするまでもない。
しかし相手は引かなかった。今日が駄目なら、自分の都合の良い日まで待つといわれてしまっては、適当に誤魔化すわけにもいかなくて。
『好きな人がいるから、付き合えません。ごめんなさい』
いつもよりテンポの速い胸の内側を痛く思いながら、作った文面を男に見せる。こんなところ、小牧に見られたくない。早くこのやりとりを終わらせたい。そう、思うのに。
男の視線が携帯を見る。その表情が、わずかだけ硬くなった。
そしてその視線が、携帯を持たない左手に注がれる。薬指に嵌められた誰かの所有の証。
無意識に、思った。きっと相手は健聴者ではない、と。
それは傲慢であり、障害を持つ者への無意識の見下しだ。だが男は気付かなかった。そして口にする。自分のほうが君を守れる、と。
その、言葉にはならなかった健聴者の傲慢な響きを毬江は敏感に感じ取る。かあ、と、頭の内側が一瞬で熱くなった。
それでも、思いを言葉に乗せることは出来ない。それが出来るくらいなら、『あの時』にあんな思いをすることはなかった。
内側を襲った熱が、吐き出し口を求めて毬江の瞳を潤ませる。けれど、それが零れる前に、毬江の左手に揃いの指輪が嵌められた手が添えられた。
「この子に何か御用ですか?」
図書館の制服に身を包んでいたが、図書館の人間ではなかった。
自分の目の前にいる人物は、自分を敵視する男以外の何者でもない。言葉ではない方法で彼女にとっての立場を主張した姿を見てしまっては、引く以外術はない。
揃いの指輪だけではない。
重ねられた手や、他人では近づけない距離での牽制。何より、毬江自身の表情の変化。
男が図書館を完全に後にしたのを確認し、小牧がそっと毬江から離れる。そして背後から隣へと移動し、安心させるべく柔らかく微笑みかけた。
ゆるりと自分を見上げた瞳に、浮かんでいる涙。
「ごめん、もう少し早く気付くべきだった」
ゆっくりと口をそう動かすと、毬江が激しく首を振って否定する。瞬きをした拍子に零れた涙に気付き、小牧が手を伸ばして毬江の本を閉じた。
「外、出ようか」
業務時間終了までまだ少しあるが、ちらりと背後を見れば今にでも部屋を出て男を追いかけようとする部下1名に、それを押さえるもう一人の部下。そして、入隊以来の相棒は、難しい表情で腕を組んだまま、顎で「さっさと行け」とドアを示す。
小牧はそっと毬江の背を支えながら出口まで歩き、扉が閉まる寸前に肩越しに振り返ると、頼もしい仲間へ片手を挙げて礼をした。
中庭のベンチは幸い空いていた。二人でそっとそこへ座ると、すっかり小さくなってしまった毬江を改めてみて小牧の胸が痛む。
「落ち着いた?」
補聴器をつけている耳にゆっくりと話しかけると、こくりと毬江が頷く。そして携帯をバッグから取り出すと、慣れたスピードで言葉を綴る。
『ありがとう。小牧さんが来てくれて嬉しかった』
出来れば、小牧に頼る事無く、知られることなく事態を終わらせたかったけれど。
単純なナンパの域を出てしまったあの時点で、小牧が来てくれて本当に救われたのだ。自分は自分で、耳が聞こえても難聴でも例え失聴者でも――変わらないと思っていたのに。
小牧は差し出された携帯の文字に、内心眉をひそめる。そして、毬江にも分かるようにゆっくりと口にする。
「ここには誰もいないから、喋っても大丈夫だよ?」
毬江は小さく笑って、声を出さずに「ごめんなさい」と唇だけを動かす。
『まだどきどきしてるから、いつも以上に声の調整が出来ないと思うの』
小牧が携帯の文面を読み終えて顔をあげれば、視線があった毬江が再度すまなそうに眉をひそめた。違う、こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
毬江に気付かれないよう周囲を確認してから、そっと毬江の肩を抱き寄せる。そして引き寄せた細い背中を、あやすように優しく一定のリズムで叩く。泣き出した幼子にするように。
一方の毬江は、小さな子どもじゃないのに、と思いながらも落ち着きを取り戻す自分に気付き、黙って身を任せていた。普段の小牧ならば、まず勤務中にこのようなことは絶対にしない。勤務中でなくとも、毬江がじれったく思う程度には距離を置いた付き合い なのに、今の距離はこんなにも近い。
だから、どれほど小牧が心配してくれているのかが分かる。小牧にしてみれば、心配以外の感情が混ざっていることを否定出来はしないのだが。
「落ち着いた?」
暫しの後に発した問いかけに、腕の中の小さな頭がこくりと縦に揺れる。どうじにふわりと風をはらんだ栗色の髪を愛しげな眼差しで見つめ、けれどその色は毬江に気付かれる前にそっとしまいこんだ。
「ありがとう小牧さん。お仕事中なのに、ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る毬江に苦笑を浮かべつつも、気にしなくていいよ、と否定する。
「傷ついている恋人を放っておけるほど、薄情な彼氏ではないつもりなんだけどな」
「あっ、そういう意味じゃなくて……っ」
「わかってるよ。ごめん、意地悪だったかな」
だけど自分も、可愛い恋人に手を出されて傷ついたのだとふざけて言えば、途端にまばゆいばかりの笑顔が毬江を彩る。これ以上本音を覗かせれば怯えさせてしまうかもしれないと判断した小牧は、冗談に本音を混ぜる程度で押さえる。実際、今度あの男が 図書館に来ようものなら、どうしてやろうかと思う程度には腹立たしさを覚えているのだ。
毬江に手を出したこと以上に、彼女のコンプレックスに触れたこと。しかも無意識だから余計に性質が悪い。
意図的なものならば直しようもあるが、そうでないなら気をつけようもないからだ。
「小牧さんも傷ついたの?」
「そりゃあね。しかも自分の職場で手を出されるとは思ってもなかったし。油断したかな」
「じゃあ、えっと」
そっと伸ばされた手が、背中に回る。そして、先ほど自分がそうしたように、ゆっくりとリズムを刻んで。
流石に年上の男の人の頭を撫でるのは失礼な気がして、毬江は小牧の背中に手を伸ばした。頬どころか耳までもちりちりと痛いくらいだけれど、折角落ち着いた心臓が、又どくどくと暴れだすのだけれど。
「落ち着いた?」
小牧の真似をしてそう言えば、一瞬目を丸くした小牧がすぐに噴き出す。
「うん、ありがとう」
小牧の震える声に、子どもっぽかったかな、と毬江が反省するよりも早く注がれる温かな視線がそれを否定する。
愛されている、大事にされている、という時間。言葉ではなく、それを眼差しで与えてくれるひと。
「もう少しだけ待ってて。すぐ終わらせるから」
家が平気だったらどこかで食事でもしよう、という小牧の誘いに、二つ返事で毬江が頷く。ベンチから立ち上がるさいに伸ばされた手に自分の手を重ねる。
同じ指に嵌められた指輪が、夕暮れの陽を受けて柔らかく光った。
Fin
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Comment:
小毬は臆面も無くベタ甘でいいと思うんです。
20081219up
*Back*
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