その行為、をすることに、恐怖心がなかった訳ではなかった。
けれど自分よりずっと大人なはずの人が、自分よりずっと緊張しているのを感じて、毬江は笑ってしまったのだ。
聞こえないと言うことは、世界が遮断されることに等しい。聴覚で得られるはずの情報が入らない。それは常に、刺激が視覚か触覚でダイレクトに訪れるということ。
行為の前に、最中に囁いてもらえるはずの言葉が聞こえない。
それは自分を安心させる為のものであったり、或いは自分に対する気持ちを届けるはずのもので、それが聞こえない、というのは結構しんどいものなのだ。
だけど。
大丈夫だから、そんなに緊張しないで。
――聞こえないからと言って、触れることで壊れる訳じゃない。
――それに、あなたが私に酷いことをするわけがないでしょう。
言いたくて、いえなくて。
それでも自分に触れる指があんまりに優しいから、悪いとは思いつつもなんだか勝手に頬が緩んでしまったのだ。
毬江ちゃん? と、補聴器を付けているほうの耳で辛うじて拾えた慣れ親しんだ声は、戸惑いをまとっていた。
大丈夫かな、と思いつつ出した声は、どうやら普通の声量だったらしく毬江を安心させる。
「あのね、大丈夫よ。わかるから、大丈夫」
驚いたように見開かれた双眸を見て、又頬が緩む。実際、小牧がこういった表情をするのは珍しいのだ。
自分に対してはいつも大人で、又、そうあろうとして。そんな彼が、自分のことになると途端に揺らぐ。こんな時ですら、毬江をリードしようとして、安心させようとして、それでも漏れてくる、どうしようもないほどの焦燥。
自分を怖がらせているのではないか、という恐れ。
(そんなの、あるわけない)
「聞こえないけど、わかるから大丈夫よ。ううん、ちゃんと小牧さんの声なら聞こえるから、大丈夫」
だからそんな顔しないで、と言うと、小牧が苦笑する。ああ、やっと笑ってくれた。
「君は強いね」
俺の立場がないなあ、と、小牧が漏らす。無意識のうちに毬江を弱いものだと決めつけてしまうのは自分の悪い癖だと自覚しているのだが、小さい頃からの印象がぬぐえない。
唯でさえ愛した女性は守りたいというのが男の性だ。その上、毬江と自分では年の差がずいぶんとあって、兄と妹だった時期もあって、毬江自身にハンデもある。どうしたって過保護になってしまう。
だけど毬江はいつもそんな自分を笑い飛ばす。叱るでも呆れるでもなく、守られることを嬉しく思いながらも、大丈夫だと笑ってくれるのだ。
シーツに散らばる黒い髪を撫でながら、小牧は笑う。この愛しさを、この少女を壊す事無く伝えるにはどうしたらいいのだろうか。
「抱きしめてくれたら、いいのよ」
自分の胸中を読んだような台詞に、小牧が耐え切れず毬江を抱きしめる。華奢な肩がわずかに軋んだが、毬江の細い腕が小牧の脇を通って背中に回った。
「私、嬉しいの。小牧さんの彼女になれて、凄く幸せ」
「光栄だよ。幻想を抱かれていないか不安になるけど」
冗談を絡めれば、怒ったような声が胸からあがる。それすら愛しくて、愛しくて、小牧は毬江を柔らかく抱きしめなおした後、深い恋人のキスをした。
Fin
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Comment:
初小毬がこんなネタですみません。
でもね、耳が聞こえないのにそういう行為をするって普通よりも緊張するものじゃ
ないかなあと思って考えたお話だったのですが、気付けば小牧が励まされてました。
どこまでへたれが好きなんだ自分。
20080516up
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