過去、自分を好きだといってくれた彼女達の気持ちが、こうも如実に理解できる日がくるとは思わなかった。
手塚と柴崎が付き合うことになった、というニュースはあっという間に広がった。例のストーカー事件時に牽制の意味合いで「お付き合い」を演出していたこともあって、暫くは嘘か真実かという賭けまで行われたようだが、それも長くは続かなかった。
それほどに、傍からみても「わかった」のだ。
だがしかし。
「なによ」
公休日が重なり、めでたく一人部屋となった柴崎の部屋は、かといって男子である手塚が入れる訳もなく、二人はそろって駅を二つほど移動した街へと出かける。
特段買い物がしたいわけでも見たい映画があるわけでもない外出は、目的を見つけるのに苦労する。付き合い始めたばかりで、互いに色々話をしたいだけなら尚更だ。
柴崎は喫茶店で向かい合い、所在無さげに視線をさまよわせる恋人をじっと目線で捕らえる。手を抜いていない化粧はいつもどおりだが、それでもその睫はいつもよりほんのわずか長く、かつ広がりも得ている。
「いや……」
柴崎の視線を居心地悪そうに受け、手塚は間を持たせるためと分かりきった動きでストローに口をつける。
「良く考えたら、こうやって外で会うのって初めてなんじゃないかって思って」
しかも昼間に。
以前、とある代償としてフルコースデザート付きを奢らされた事はあった。それ以外に、二人で飲みに行ったこともある。
だがしかし、こんな昼下がりにまるで恋人同士のように――実際、今はそうなのだが――出かけたことなどなかったのだ。
「なによ。緊張でもしてるっての?」
「お前はそうやって人が言いにくいことをずばっと言うよな」
わかってたけど、と、無意識に手塚の歯がストローを噛んだ。直前の台詞と、その仕草が相まって可愛いなどと言ったらさすがに拗ねるだろう。
「あたしもこんなデートなんて久しぶりだから、何をどうしたらいいのかさっぱりだわ」
「俺も、お前を楽しませたいって気持ちはあるんだが……正直、何をどうしたらそうなるのかがわからないんだ。情け無いけど」
するりと無意識に出た言葉が柴崎の乙女スイッチを不意打ちで掴む。動揺させた当の本人はこれからの予定を考えるのに必死で、柴崎の変化になど気付いていない。
――ああ、大事にされてるなあ
楽しみたいとか、かっこよくみせたいとか、そういうんじゃなくて。
あたしを、楽しませたいって思ってくれてる。
綺麗にラインの取られた唇が緩み、けれどそれを見られても良いと思える程にはまだ素直になれない。
隠すように今度は柴崎が飲み物に口をつけ、喉を通る液体の温度で緩んだ口元を引き締めた。
「昔はどんなデートしてたの?」
「聞くかそれを」
「今更じゃない。別にあたしはあんたがどんな彼女とどんなデートをしてきてても妬かないし? じゃんじゃん言っちゃえばいいじゃなーい」
いや、だからそうじゃなくて。
何とか上手い言葉で誤魔化そうとしたが、目の前の人物を誤魔化せるほど上等な言葉も技術も持ち合わせてはいない。観念したように、手塚はふいと窓の外を向いた。
「だから……考えたこと、なかった」
「え?」
「いつも誘われてしかデートとかには行かなかったし。大抵、相手が行く場所とか決めてたり、リクエストもらったりとかそんな感じだったから」
能動的なデートなどしたことがないと。
こんな形でも自分の恋愛遍歴を曝すことになろうとは、頭が痛い。
「あんたも大概罪作りね……」
「言うな。今心底反省してるんだ」
今よりもずっと歳の幼かった当時の彼女達に、こんな思いをさせていたなんて思わなかった。
とりあえずでもいいから付き合ってほしい、といわれて、言葉通りに受け取った。無論、付き合っている間は彼女達に顔向けできなくなるようなことはしなかったと言いきれる自信はある。だがしかし、それと「彼氏らしいこと」をしてやれたかどうかは全く別の問題だ。
好きな相手と一緒にいられて、少しでも喜んで欲しくて、自分に気持ちを向けて欲しくて。
必死に頑張ってくれていた彼女達に、自分は何をしてやれていたのだろう。
目に見えて落ち込んでいく彼氏を、柴崎はじっと見つめる。本当に生真面目なんだから、と、ため息をつきたくなったがそんなところが愛しいのだから仕方ない。
「そんな訳だから、お前を楽しませる術を俺は持っていない。だけど、これから少しずつ努力していくから、時間をくれないか」
その台詞を聞いた瞬間、柴崎は噴出した。手塚がびっくりしたように目を丸くしていたけれど、どうにも止まらない。
「お前っ、人が真面目に――」
「あ、あはっ、だって、あはははは!」
どうしようどうしよう。
(あたし、馬鹿みたいにあんたのことが好きよ)
笑いすぎて涙が滲む。マスカラは勿論ウォータープルーフだが気をつけるに越したことはない。
必死にこみ上げる笑いを押さえながら目元も押さえる。憮然とした恋人は、最早敵でも見るように腕を組んでこっちを睨んでいた。その耳朶は赤い。
「あんた……その彼女達と今の自分が同じだとでも思ってる訳?」
駄目だおかしい。
周囲の客が見てないふりを装ってこちらを伺っているのがわかるがどうしようもない。
手塚は最早完全にヘソを曲げてふいと横を向いてしまった。ああもう、別に馬鹿にしたわけじゃないんだってば。
からりと氷の音を立てながら、落ち着かせるように喉を潤す。乱れてもいない髪を一撫でして、柴崎はまっすぐ手塚を見た。
「あたし、今すごい楽しいんだけど」
「だろうな」
「だって、こんなに考えてもらったことなかったんだもの」
予想外の言葉に手塚の視線が窓から柴崎へと移動する。そこにあったのは、決して自分をからかう色ではなく、信頼した相手を、愛しさを乗せて見る眼差し。
「あたし、今すごい嬉しいんだけど」
――わかってる?
付き合い始めだけの幸せかもしれない。数ヶ月、数年経てば薄れる甘さかもしれない。
だけど知ってる。甘さは薄れても、その後にじわりと広がる泣きたいような幸せは決して薄れないんだろうなという事が。
ようやく出会えた大事にしたい人は、同じように自分を大事にしたいと思ってくれていて、ちゃんと行動に移そうと頑張ってくれて。そういうのがわかって。
ねえ、だからどれだけあたしが今幸せで、これからもそうなんだろうなって思えてるんだって、あんたは分かってる?
「それで、あたしも手塚を楽しませたいなって思ってるんだけど、どうしたら嬉しい?」
「え?」
「だって、どっちかだけが頑張るなんて不公平じゃない? あたしたち、一応両想いでオツキアイしてるんだもの」
一方的に尽くされる恋愛しかしてこなかった手塚にしてみれば、このような考え自体に行き着かないのであろう。柴崎の言葉に心底驚いたかのように切れ長の目を丸くしている。ぽろりと落ちてきそうな程に。
「まあ自主的な学習にも期待するけど、あんたに小牧教官ほどのスマートさは求めないから安心しておいて」
「結局落とすかお前は」
ころころ笑う柴崎をじとりと睨み、ふ、と息を零す。
目の前に居る彼女が、自分の大切にしたい人。そうして、自分もそう思ってもらえた事実。それが付き合うということ。
恋人であるということ。
「言っとくけど、俺は笠原と違って学習するからな。覚悟しとけ」
「期待しておけ、じゃないんだ」
「お前の期待なんて怖くて求められん」
二人で、笑う。
手塚の手が伸び、伝票を取った。何か言いたそうな柴崎を、視線で制する。
「ここで階級が同じなんだから手取りも同じとか言うなよ」
「あたしそこまで無粋じゃないわよ」
「大体以前は散々奢らせておいたくせに、何で今更」
「だって今後は同じ財布みたいになるわけじゃない? そうそう使わせてばっかりじゃいられないわよ」
赤の他人になら幾らでも奢らせるけど、と、美しい笑みで酷い台詞を口にする。しかし、身内側に入ってしまった自分としては、その言葉よりも直前に出た台詞の方が強烈だった。
心の中で、以前も、そしてこれから奢らされるであろう「外の人」に対して手を合わせつつ、席を立つ。
「お前ってほんと……策士だよな」
「なーんのことかしらー」
わざとだ。こいつは絶対自分の言葉の威力に気付いている。そうして自分を良いように転がしているに違いない。
「で? どこか行きたいところはないのか?」
暫し逡巡する柴崎を見、手塚が笑う。答えの無いまま一足先に店を出た柴崎を追う様に会計を済ませ、合流する。
「ないなら探しに行くか」
「どこへ」
「まあ、適当に」
自然と差し出した手に、細い指が絡まる。存在の大きさに反比例するような小さな手。歩幅に注意しながら、ゆっくりと歩く。
天気は上々だ。どこかでのんびりとするのも良いかもしれない。
「この先に公園あったよな、確か」
「ああ、緑地公園? 何、昼寝でもするの?」
「それもいいけど、今はとにかく話をしたい。色んなこと。ただの仲間じゃ踏み込めなかったこととか……些細な事でもいい。知りたいんだ、お前の――」
――麻子のこと。
こちらを見る事無く、自然の流れを装って装いきれず、間に読点が入った言葉。
伝染する耳朶の赤み。手のひらの熱。
人の波に飲まれないように、するりと肩で道を開いていってくれる優しさ。
「うん……全部話す。全部知って」
「ああ」
「光も全部話して。全部聞くから」
「……ああ」
長時間になりそうだから、どこかコンビニに寄って飲み物を調達しよう。
それから。
繋いだ手の強さを、今のそれよりも少しだけ強くしよう。
fin
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Comment:
柴崎と付き合い始めた手塚は暫くへたれなんじゃないかな、とか。
でもって過去の彼女達と自分を重ね合わせて落ち込むんじゃないかな、とか。
そんな妄想です。
20080811up
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