「堂上教官ー、やっだお久しぶりじゃないですかぁ!」
猫なで声、というものを具現化するならばまさにそのものだろう。そんな声をあげながら、柴崎が図書特殊部隊に駆け寄ってくる。
手塚の前で、郁がさ、っと堂上の前に立ちはだかり、堂上がその後ろで微妙に身体を固くする。しかし逞しい柴崎は郁の存在などまるで無いようにするりと脇を通りぬけ、覗き込むように堂上を見上げた。
「指令で小田原の方に行ってたのは聞いてましたけど、ずいぶん長かったですね。寂しかったー」
「ちょっと柴崎! 業務部のあんたがなんでこっちうろうろしてんのよ!」
「そんなの教官に会いに来たからに決まってるでしょー? あんたはいいわよね、家で教官独り占めなんだし。ね、教官、こいつに飽きたらいつでも声かけて下さいね、喜んで相手しちゃう」
「しぃばぁさぁきぃ!!」
手塚から見たらじゃれあっているようにしか見えないそれも、当人にしてみれば必死らしい。堂上も堂上で、郁の背後で固まるばかりだ。珍しいことに。
「柴崎、いい加減にしとけ」
「なによ手塚。構ってもらえないからって拗ねないでよ」
「ばっ……、誰が拗ねてるんだ誰が!」
見かねて口を挟めば、相変わらずの余裕っぷりで柴崎が返す。奥で、小牧がくつくつと笑い始めたのが見えた。
「そういう返し、堂上に似てるよね手塚は」
「プチ堂上ですからコイツ」
郁が昔の何かを思い出したのか、憎々しさすら漂う口調で同意する。
「お前のほうの『堂上』じゃないけどな」
「っ、まじでむかつくっ!」
プチ堂上と言われることにはとっくに慣れた。尊敬してやまない先輩に似ている、と言われることは決して嫌ではないが、尊敬している先輩の尊敬している部分、にかけてそう呼ばれているかどうかが微妙なところだ。
業務部へ戻る柴崎の後を、なんとなく手塚が追う。実際、業務部に用事があると言えばあったのだ。その用事が緊急性を伴うものかどうかは別として。
部屋を出た柴崎の纏う雰囲気は、いっそすがすがしいほどに一変する。まあこの雰囲気を直接ぶつけられるだけ、彼女の『内側』なのだと理解すれば、腹は立たない。
「なあ」
それを聞いたのも、ほんの興味から来るものだった。
堂上が好きな彼女。
堂上に、似てると言われる自分。
「お前が俺に構うのって、俺があの人に似てるからか?」
だからまさか、こんなにも感情をぶつけられるとは思っていなかったのだ。
柴崎の歩みが止まる。かつん、と、いっそ小気味良いほどの音を立てて。
きっかり斜め45度に上げられた首。視線。
柴崎のそういう態度に慣れていた筈だったのに、うっかりびくりと反応してしまった程度には、剣呑なものだった。
「何それ」
柴崎からしてみれば、正に何を言ってるんだこの男は、である。
自分は確かに堂上が好きだ。自分には決して靡かないという意味で。
睨み付けた男は、「同期で一番優秀な男」という肩書きがまるで嘘のようにうろたえている。一体、何がそんなに自分の気に障ったのか全く理解していないのだろう。
(馬鹿じゃないのこいつ)
あたしが。あの人に似てるからあんたにいちいちちょっかいをかけていると。
口に出そうとして、違う、と思いとどまる。そう、違う。自分たちは「そんな関係」ではない。
そんな関係につながっている階段に足をかけているかもしれない。けれど、まだ踏み出してはいないのだ。踏み出しているだなんて、認めない。
(だけど、それとこれとは違うのよ)
たとえそんな関係だろうとなかろうと、あたしが今まであんたに対して起こしたアクションを「堂上教官に似ているから」なんて本気で思っていいなんて許可与えない。
き、と更に睨み付ける。なんだよ、と返された声が更に情けなく聞こえて、本気でこの男はわかっていないのだと呆れた。
「自惚れんじゃないわよ。あんたと堂上教官なんて、似ても似つかないわ」
だから、あえて全く違う方向からばっさりと切った。あたしが好きなあの人とあんたなんて、これっぽっちも似てないと。
自分が苛々している理由を自覚したくなくて、柴崎は長い髪を翻し歩き出す。
数秒遅れて、おい、と声が聞こえた。無視しようかと思ったけれど、肩越しに振り返ることを選んだ。
そこに、さっきまでおどおどしていた男はいない。逆に、油断すればこっちが怯みそうな熱を眼差しに宿した男がいて。
「自惚れるぞ」
「は?」
手塚が何を言っているのか理解できず、柴崎が眉をひそめる。手塚はそんな柴崎にかまわず言葉を続けた。
「堂上教官と似てるから、じゃなくても、お前が「俺」に興味を持ってるんだって言うなら、俺は自惚れる」
呆れるほどにきっぱりと言い切った手塚に、柴崎が唖然とする。
なんだその理屈は。
かつん、と、距離が縮まる。やばいと思った。今すぐに緩んでしまった感情を引き締めないと、この男は無粋なまでに自分の心をこじ開けて侵食する。
数歩の距離を残して。だけど確実に、捕まった。
「ただでさえお前、自分からキスしたくなったのは珍しいとか言う台詞を俺に言ってるんだからな」
「ば……っ!」
しまった。今は軽く流すべきだった。
けれど、そう思うよりも先に、頬に熱があがって口から声が漏れた。そんな自分を歯がゆく思いながら、しかし次の瞬間にはしっかりといつものペースを取り戻す。
「前向きなのは結構だけど、無粋な男は嫌いよあたし」
「同じ失敗をしないのが俺の長所だ」
「どうだか」
そして今度こそ踵を返し、柴崎は歩き出す。手塚から顔が見えなくなったからと言って、こんな場所で感情をそのまま顔になど出せる訳がない。自分は、郁とは違うのだ。
角を曲がる。そして誰もいない給湯室に入り、そっと息を吐く。
郁といい手塚といい、自分の予想を裏切って愚直なまでに突進してこられるとどうしていいのかわからない。
あしらうのは簡単だ。けれど、すでに「傷付けたくない」と思ってしまっている。いや――嫌われたくないのだ、自分は。
手塚はきっとわかっている。自分がどんな人間かを。それでも、それを信じられるほど自分は綺麗な道を歩いてきてはいない。
「自惚れんじゃないわよ……馬鹿」
小さく零した言葉は、誰に拾われることなく消える。最後の言葉は、決して手塚に向けられたものではなかった。
Fin
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Commnet:
たまには手塚に攻められる柴崎もいいんじゃないかと。かと。
20080514up
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