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● きらり きらり |
龍が口にするそれに意味なんてない。そんなことは分かってる。
だけど、意味がなくても、音として発せられるだけでも胸の奥がもやもやするから嫌だ。
龍は悪くない。悪いのは、それを口にする勇気もないくせに、先を越されるのが悔しい俺の幼稚さ加減で。
「「あ」」
ピンにどーしようもない用事でつかまった放課後。とっくに帰ったと思っていた黒沼と昇降口でばったり会って、お互いに声をあげて目を丸くする。
(ラッキー)
やった、と、内心ガッツポーズしながらも、表面はフツーのクラスメイトを装って笑う。すると、つられたように黒沼の口元が少しだけ緩むから、それだけですげえ嬉しい。
「遅いじゃん。何してたの?」
「あ、花壇の水やりを……」
「まだやってたんだ! てゆーか委員とかじゃないよな、黒沼」
偉いよなあ、と、感心したままに口にすれば、両手を顔の前でばたばたと左右に振って黒沼が否定する。
「別に偉くは! 好きでやってるだけだし」
並んで歩きながら、俺は自分よりも頭一つ分低い位置にある黒沼の顔をのぞく。
「好き?」
その頭が、こくりと縦に揺れて。
「今は咲いてないけど……春になったら綺麗に咲くだろうなあ、とか、葉っぱだけでも綺麗だなあとか、考えているだけで楽しいから」
「へー」
「なんか、和むの」
「はは! 和むんだ!」
黒沼らしい感想に思わず噴き出すと、恥ずかしそうに黒沼の顔が染まる。別に馬鹿にしてるわけじゃなくて、黒沼のこういうまっすぐなところがとてもいいなと思う。
そんなことは決して本人には言えないけど。
「翔太! またなー!」
校門までの途中にある体育館の前を通れば、部活中のクラスメイトが俺を見つけて手を振ってくる。俺がそれに振り返すと、俺の影に隠れていた黒沼に気付いたそいつが、貞子も又な、って更に手を振ってきた。
「ほら、黒沼も」
「えっ、わた、私っ!?」
まさか私になんて、と、半ば挙動不審な人物になりながらも黒沼がそいつらにぶんぶんと手を振る。腕がもげそうなほどに。
いつの間にかクラスになじみ始めた黒沼は、けれどいつまで経ってもその状況に慣れないらしい。まあ、彼女がいままで一方的に押し付けられていたイメージを、黒沼自身が払拭するにはもう少し時間が必要なんだろうけどさ。
「いい人……」
感動したような黒沼の呟きに、微妙な心地になる。けれど純粋に喜ぶ黒沼にそんな感情をぶつけるわけにはかなくて、ごまかすように高い空を見上げた。
黒沼は純粋で。透明すぎるほどで。
だから、どんな小さな親切も、ともすれば当たり前のことだって、ものすごく正面から受け止めて感動する。
俺が普通にしてることも、ちょっとしたシタゴコロもあってしていることだって、こっちが恥ずかしくなるくらい喜んでくれたり。
だけど。
――ずっと『いいひと』って評価のままなんて、ごめんだ。
「――『さわこ』」
「えっ!!??」
「――って、龍が言ってた」
俺の呼びかけに振り返った黒沼が、どんな表情なのかなんて判断してる余裕なんてなくて。
ただ、初めて音にして呼んだその名前が、自分でもびっくりするくらい『トクベツ』すぎて、その動揺を表に出さないようにするのが精一杯だった。
「えっ、あっ、そ、え、さささ真田君がっ?」
「うん。やっと黒沼のフルネーム覚えたみたい。くろぬまさわこ、って」
胸の内側で落ち着きなく暴れる心臓。呼吸も忘れて100メートルダッシュしたときみたいだ。
直接呼ぶ勇気がなくて、あんなに悔しかった龍の言葉に便乗して音に乗せる。
ずるいずるい自分。
だから、黒沼は絶対、本当の俺なんか知らない。本当の俺は、黒沼に尊敬してもらえるようなヤツじゃない。
だけどずるくたっていいから、少しでも黒沼のちかくに行きたいって思うよ、俺。
だって、『そうか、真田くんが』と、もじもじ繰り返す黒沼の隣で、どうしたって普通でなんかいられない。
だってそれは、俺だけが知っていたはずなのに。
(さわこ、って)
最初から知ってた。
あだ名でもなく、名字だけでもなく、黒沼の本当の名前。
「あーやっぱ悔しい!!!」
突如あげた大声に、隣でびくりと肩を跳ね上げる黒沼に気付かないふりをして、俺は前だけを向いてぷんすかと足元の草を蹴り上げた。
「か、風早君???」
「龍なんてさ、黒沼の名字だって知らなかったのにさ」
子どもじみた癇癪に、黒沼が訳が分からないといった表情で慌ててる。
ごめんな黒沼。
「俺が、男子一号になる予定だったのに」
黒沼の、まっすぐな髪が風に揺れてる。
黒い瞳にまつげがその影をおとして、心の奥のほうまで覗かれてるようなほど、深い色に変わってる。
俺たちの周りだけ、時間が止まったような錯覚。
校門を出て、歩き始めた並木道の途中で足を止めた俺たちは、きっと周りからみたら凄い不自然なんだろう。
夕焼けの赤が黒沼の頬を染めて。自分と一緒だからそうなんだって勘違いしそうになる。
俺の頬が熱いのは絶対その通りなんだけど。
「ええと……その、あの」
はっきりしない俺の言葉を一生懸命汲み取ろうとした黒沼は、両手でカバンの取っ手をぎゅうって握ったまま言葉を選ぶ。そんな仕草だって、たまらなく可愛くて。
「さ、真田君が私の名前を覚えてくれて、ち、ちづちゃんたちみたく下の名前を呼んでくれるのも嬉しいけど」
勿論自分は呼べませんが! と、赤くなったり青くなったりを繰り返しながら否定する。うん、それは分かる。
最後に青くなった次、少しだけ間があいて。
気付けば再び赤くそまった黒沼の視線が少しだけうつむき、思わず身構える。こういう時、もっとゆったりと構えられたらかっこいいんだろうなって思うけど、どうしたって無理。
黒沼と一緒にいるだけで、並んで歩いてるだけでこんなにもいっぱいいっぱいで。
「けど……風早君が、黒沼って呼ぶほうがどきどきする」
(――――っ!)
そんなこと言われた日には、もう何を言っていいのかもわからない。
さっきまでうつむいていたはずの黒沼の眼差しが、まっすぐ俺を捕らえていて心臓が暴れだす。俺の、心の奥底にある本当の願いまで見透かしてしまいそうなほどまっすぐな瞳。
だけど逸らしたくなんかない。ずっと見ていたい。見ていて、ほしい。
「そ、そう?」
どうして、とか。なんでだとか。
聞きたいことは山ほどあるのに、どれ一つ聞けない。あーもう、根性なし!
(こんなんだから、アイツらにからかわれるんだ)
多分俺の気持ちに気付いてる矢野とか。便乗してるだけの吉田とか。
「う、うん」
「そ、そっか……俺も、キンチョーする。黒沼の名前呼ぶとき」
どんな顔で振り向いてくれるだろうか、とか。
笑ってくれてたらいいな、とか。
まるで、あたりつきの飴玉を手でさぐっているようなどきどき。
「そ、それはどーいう……? あ、あの、出来るだけ不快感を与えないような表情を心掛けてはいるのですがっ」
やっぱり駄目だったかな、と、やっぱり違う方向で悩みだしてどんよりし始める黒沼の背中を、軽く手のひらで叩く。いいよな、これくらい触ったって。
「笑ってくれればいい」
顔をあげた黒沼に、めいっぱいの笑顔で。
「黒沼が、笑ってくれてれば嬉しい」
クラスメイトだけど、ちょっとだけ違う立場で。
でもまだ全然トクベツなんかじゃないこの距離感で。
「わっ、私もっ」
そうやって風早君が笑ってくれると嬉しい、と。
ちょっと反則じゃない? ってくらいの笑顔で返す黒沼に、いつか届けばいい。
こんなにもこんなにも、俺は君に夢中なんだよって。
(だからいつか)
爽子って、呼べる日がくれば。
そう考えただけで頭のてっぺんまで赤くなった俺を、不思議そうに見る黒沼と並んで帰りながら、二人の間の距離を一歩だけ近づけてみた。
Fin
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Comment:
君に届け第二弾。ふと周りを見渡してみたら、公式ノベライズが出ていてぶったまげました。うおお。
風早視点はごっつ難しかったとです。もうやらない(笑)!
20070912up
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