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● ただ一度の愛の言葉を |
自分はとても幸せなのだと、思う。
「寿?」
ドアがノックされ、聞きなれた声が自分の名を呼ぶ。返事を返すことで応の意を伝えると、深夜である今に応じた音でドアが内側に開かれた。
「どしたの、抄華」
「いや、あんたが眠れないんじゃないかと思ってね」
普段は高く結い上げている長い髪を、右耳の下で一つにゆるく結んでいる彼女は、昼間の色気とは又違うそれを醸し出す。
違いすぎる差は妬みや僻みを生まない代わりに、どうにもならない憧れだけを十分に寿の胸中に溢れさせる。じい、と向けられた視線に抄華は首をかしげながら、ベッドに座っていた寿の隣に腰を下ろす。同時にそのベッドの主から吐き出されたため息に眉根を寄せると、当人である寿は大きすぎる瞳に陰りを落としながら、ぼそりと呟いた。
「抄華はいいな」
「何がだい」
「その……色気があって」
言いながら寿は耳まで赤く染めてしょぼしょぼと肩を小さくさせていく。
全く、この娘は今更何を言っているのだろうと心底呆れ、後ろ手に体重を預けるともう片方の手で抄華は髪をかき上げた。
「あたし程の色気と美貌を持つ女なんてそうそういないってのよ。別にあんたがどうこうのレベルじゃないでしょーが」
抄華らしい台詞をきっぱりと吐かれ、寿は相手を間違ったと苦笑いをする。
「大体、あんただって出るトコ出てるんだからやる気の問題じゃないの?」
「だだだだだだって! あたしなんてそんなひらっひらの夜着なんて似合わないし、化粧なんてしようものなら浮きまくりだし!」
「まあそれは認めるけどさ」
「う……っ」
「けど、あたしに可愛らしいリボンとか、ふわふわのレースが似合わないのと同じ問題じゃないの? それ」
言われ、『そんな恰好』をした抄華を想像し、寿が正直に青ざめる。それを見た抄華が、ぎらりと寿を睨みつけて黙殺した。
「なんだい。今更そんなことで悩むなんて、あんたらしくもないね」
「悩むっていうか……幸せだなあって」
「は?」
「だ、だってさ!」
じたばたと寿が両手を動かし、赤面しつつ抄華に向き直る。二人座っていたベッドがぎしりと音を立てた。
「あたし、親に捨てられてさ。それでもアンに拾われて幸せだったし。そりゃあ、あんなことがあって一人になって、盗みをしなきゃ食べていけなくもなって、辛かったけど」
言いながら、膝の上で組んだ指を無意識に動かす。抄華はただ黙って、寿の言葉を聞いていた。
「盗みをしてる中で擂文に会えて。抄華たちにも会えてさ。最初こそムカついたけど、今じゃ皆大切な仲間だし」
擂文との出会いは、腹の立つもの以外の何物でもなかった。
からかわれているとしか思えない軽口。本気を出せばいつだって捕まえられるのだと、態度で表しながらそうしない傲慢さ。
気にしたくなんかないのに、気になって仕方なくて、そんな自分に腹が立って。
抄華だって、折角ありつけたまともな働き口を潰してくれたのだ。
自分の仲間になるようにと一方的に迫り、断ると居場所がないようにと店に嫌がらせをして、寿を店から追い出すよう仕向けた。
お陰でバイト代を貰う間もなく追い出され、又、盗賊をやらなければいけない羽目になって。
けれど気づいたら、いつも一緒だった。
擂文は、その中でも『一番』なのだと気づかされた。囚われた。
その後の旅でアディに出会い、ヤンにも会って。気が付けばフィーアだって仲間になっていたし、助けてくれる人たちが回りに沢山いた。
「『名無し』でさ、盗賊で、すばしっこい以外に特段取りえもないのにさ」
気が付けば、沢山の大切な人たちに囲まれていた。
アンたちに出会えたこと。大切なことを教えてもらえたこと。自分たちが名無しだからではなく、人が人として生きていくのは当たり前の権利なんだと知ることが出来たこと。
冷たくする人たちがいる反面、価値のない金時計を薬と換えてくれる優しい人もいる。このご時勢、正直であるなんて馬鹿だといいながら付き合ってくれる仲間もいる。
そして。
『寿がいればいいんだ』
他の誰でもない自分、を。
愛してくれる人と出会えたこと。
「でえい!」
がごん、と、ものすごい衝撃が後頭部に走る。
痛みに目をむいて自分を殴った人物を見れば、豊満な胸の前で腕を組み、怒ったような顔でこちらを見下ろしていた。
「っ、たあああああ! な、何するんだよ抄華!」
「何するんだじゃないわよ。全く、この期に及んで何を言ってんのアンタ。あのね、いい? 一度しか言わないから耳の穴かっぽじって良く聞きなさいよ?」
力いっぱい殴られた頭を両手でさすりながら、涙目で寿が自分を殴った人物を上目遣いで見つめる。
「あんたのその馬鹿みたいな正直さとかまっすぐさが、このご時勢何よりの財産だと思いなさいよ! カネがあるだとか頭がいいだとか、目に見えるものばっかに囚われてんじゃないわよこのおバカっ!」
じゃなきゃ、あの擂文があんたに惚れるわけないでしょうと、一気に言い放ち肩で息をする。まん丸な目で見つめ返され、抄華は気恥ずかしくなり目尻を少しだけ朱に染めた。
本当に。馬鹿だと思う。
そしてその馬鹿は自分にまで伝染し、結果、前よりも好きだと思える今の自分がいる。
(そういうことを)
寿にわかれというほうが、無理だとはわかっているのだけれど。
「人のモノ、何勝手に殴ってるワケ?」
ぞわり、と、背筋が粟立ったのが先か声が聞こえたのが先か頭に衝撃が来たのが先か。
「擂文!」
寿が擂文の名を呼ぶ頃には抄華の半身は前につんのめり、それどころかベッドから床へと投げ出されていた。彼女が暫しの後に怒りに震えつつ自分のいた場所を見れば、擂文が既に寿しか目に入っていないという様でそこに座っていた。
「らぁ〜いもぉ〜ん……アンタってヤツは」
「式の前日に花嫁の部屋に入っていいのは花婿だけだって、知らないの?」
「そんな常識あるかーー!」
「やだね年増はヒステリックで」
「擂文……」
擂文は抄華の怒りなど意に介せず、寿の半身を抱きしめた状態で形のいい彼女の頭を撫でる。寿はと言えば、もはや馴染みの深くなったこのやりとりにあえて口を挟もうとはせず、一度だけやるせないため息をこぼした。
「出てってくれないかな。邪魔だから」
無表情できぱりと言い放った男に、抄華は絶句する。いや、元からこの男はこういう男だったと知ってはいたが、知っていたからといって納得できるわけでも許せるわけでもない。
脱力からおぼつかない足取りで抄華が扉へと向かう。抄華、と、名を呼んだ少女を一度だけ振り返り、「初夜は明日にしなよ」と悪戯っぽく微笑むと、扉の向こうへと消えていった。
「初夜なんていまさら」
「いいからもうお前は黙れ」
そうすることが当たり前のように膝の上に自分を抱え上げる擂文に、がくりとうな垂れる。寿ちゃんたら冷たい、などとワザとらしく拗ねたフリをするあたり、本当にどうしようもない。
「いいんだよ、寿はそのままで」
「え?」
先ほどの軽口はどこへやら、うな垂れた寿の頭上から柔らかな声が響く。見上げれば、そこにあったのはとても穏やかな眼差しで。
「俺は、今の寿だから寿が好きなんだ。寿が抄華みたいになっちゃったら、死んじゃう」
「ライ……」
「それに、色気なんて俺に分かるだけあれば十分でしょ?」
「き、聞いてたのかっ!?」
聞こえなくても寿ちゃんの考えることなんてお見通しです。
慌てる寿を尻目に、にこにこと言い放つ。が、言われたほうはこれ以上ない位に赤くなり、絶句する。ああもう、ただでさえ『負けてる』のに、これ以上弱みを握られたら一生かかっても勝てやしない。
寿は顔を覆い、うなだれる。かわいい、などと称されたところで、どう考えても小動物に対するそれと違うようには聞こえない。
「何、急に。何かあった?」
「違うんだ……何かあったとか、そういうんじゃなくて」
今が幸せで。幸せで怖くなるなんて、今まで一度だってなかったのに。
上手く伝えたいことを言葉に出来ず、もどかしくてたまらない。
一度手にいれた幸せを失うのが怖くて。一人でいた頃の事なんてもう忘れてしまった。慣れていたと、当たり前だと思っていたそれらは、擂文に会ってただの思い込みだと思い知らされた。
だって自分はこんなにも。
「寿?」
目の前の人がいなければ、生きていけなくなっているから。
「べ、別にな? お前のこと疑ってるとかじゃなくて……その、単純にもっと色気とか、そういうのがあったほうが、お前も喜ぶんじゃないかなって……お、おも……おも」
「寿?」
「っだああああ! こんなんあたしらしくねええ!」
これ以上無いほど赤面し、言葉が徐々にどもっていったかと思うと、力技でそれらを振り切るように大声をあげてベッドからすっくと立ち上がる。擂文はいつものことだとでも言うように、そんな寿を驚きもせずに見やった。
「ごめん! いまのナシ! 忘れてくれ!」
強引な笑顔を作りながら精一杯否定すると、擂文は膝においた腕で頬杖をつきながら、そんな寿を見上げて微笑む。
「やだなあ。こぉぉぉんな可愛い寿ちゃんを俺がデリートする訳ないでショ」
「いいから消せ! 消してくれ!」
「だーめ」
立ち上がった寿の腕を掴み、ぐい、と自らに引き寄せる。バランスを崩した寿は、そのまま再び擂文の膝の上へと身体を預けた。
重みがかかり過ぎないように調整しようと持ち上げた身体を、それ以上の力で引き寄せられる。
「ら、擂文?」
苦しいほどに抱きしめる擂文を不審に思い、呼びかけたが答えはない。見た目以上に柔らかな髪が自分の襟足を撫で、いろんな意味でどうしようかと逡巡したが、寿はそれ以上何かを問うことをやめ、ただ、自分よりずっと広い背中を抱きしめ返す。
二人出会ってからも、出会う前の時間も、それぞれ辛い時期があった。
こうして未来を共にする約束が果たせそうなことも奇跡で、その前に多分、出会えたことすら奇跡で。そう思ってしまうくらい、重いものをそれぞれ抱えていた。それでも、潰されずに歩いてこられたことも奇跡。
たったひとりと思える相手に出会えたこと。その人と思いを通わせることが出来たこと。一緒に、生きていけること。同じ速度で。
抱きしめあい解け始める温度が心地いい。アンや皆と身を寄せ合って寝ていた頃とは同じで違う、この感覚。
「幸せになろうな」
まるで自分に言い聞かせるように寿が言う。
「今までの2倍も3倍も4倍も生きて、楽しいことや嬉しいことでいっぱいにして、生まれてきて良かったって擂文が思えるくらい、あたし頑張るからさ」
そしたら、今までの2倍も3倍も4倍も幸せになるはずだろう? と。
顔を上げた自分の顔を覗き込んで、一部の迷いも無く晴れやかに笑った少女。
擂文は苦笑し、先ほどよりもずっと柔らかく少女を抱きしめる。まるで自分のほうが花嫁の気分だと言えば、寿は訳がわからないと言った顔をする。
「フツーは新郎が幸せにするって言って、花嫁が幸せにしてねって言うんだけどね」
「そんなんフビョードーだ! 幸せっていうのは、お互いそうでなきゃ意味ないじゃんか。擂文はあたしを幸せにしてくれてるから、あたしだってお前のことうんと幸せにしてやるんだからな」
決意も新たに誓う寿に、自分はもう、今までの「不幸」と評される全てを帳消しにしたっておつりが来るほど幸せなのだと、告げても彼女は納得しないだろう。
元々、自分の生い立ちやらなにやらが不幸だなどと認識したことはなかった。他人が勝手にそう評することがあっても、自分はただ「つまらない」と思っていただけ。あとはただ淡々と事実をなぞる様に生きてきたに過ぎない。
「一緒に幸せになろうな」
「うん」
不幸『だった』のだと。教えてくれたのは、幸福や悦びという温かい感情の全てを教えてくれた彼女。
だからもうそれは過去でしかなくて。自分が生まれたのはきっと、寿に出会えたあの瞬間から。
だからこそ、自分が寿にそれを返す。もう彼女が寒さに震えないように。寂しさに泣くことがないように。
「愛してるよ」
たった一度の、愛の言葉を。
Fin
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Comment:
自分的ブーム再来の勢いで書いたものの、やはり途中で躓いて1年以上(略)されて
いたもの。
なんとか仕上がってよかったです。
擂文×寿大好き。文庫本に書き下ろされたらしい話が気になるのですが、
そのためだけに文庫は買えない(ぎぎぎぎぎ)。
しかも絵が変わりすぎてて、表紙の寿が寿ちゃんじゃなーーいーーーー(号泣)!!
20071024up
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