** Happy C×2 **
 ●特別

 入学式の時には寒かった陽気も、今ではすっかり暖かくなり窓際の席にいるとうっすらと汗ばむくらいなった6月。
 そんな穏やかな教室のなかで、べったりと机につっぷしているものが1人。



「花〜? アンタなんでそんな暗いのよー」



 奈津実がつっぷしている人物−宮内 花−の前の席の椅子に腰をかけ、くるりと上半身のみをひねって花のほうに顔を向ける。
 声をかけられた花は、よくわからないうめき声をあげながら顔だけを両腕から持ち上げで奈津実を見た。



「だって……3連敗」



 その一言で奈津実は全てを把握して、「アンタも懲りないね〜」と半ば呆れ顔でそうコメントする。



「だから諦めなって。アイツ自分の事特別だって思ってんだからさ」

「……そうかなあ」

「アンタが葉月を気に入ってかばいたいのはわかるけどさ、アタシはパス!」



 少しむくれた花に、奈津実は大きく手でバツを作る。

 3連敗。

 最近帰り際に葉月を誘っての結果である。


 先週は2回誘って1回だけOKをもらった。
 その前も1回。
 だいたい週に何回か声をかけて、最低でも1回はOKをもらえるという記録だったのに、何故か今週に入ってもう3連敗、なのだ。



(あたし何かやらかしたっけ〜?)



 花は再び頭を抱える。奈津実はそんな彼女をみて又ため息を一つつくと、腕を伸ばして花の髪をさらりとなで、「まあ頑張りなよ」と言って行ってしまった。

 視界に零れてきた、自分の髪の毛。
 背が低く、特にこれといった特技もない自分にとって、唯一自信が持てるのがこれで。
 幼い頃からずっと伸ばしてた。いまではもう背中の中ごろまであって、それでもちっとも痛んでなんかない。

 背が小さい自分にはアンバランスかもしれないけど、それでも唯一の自信をそんなことで失うのは悲しかったから、大切に伸ばしてきた。
 それを右の指に絡ませては解く。


 葉月と初めて一緒に帰ったのは、「あの日」から3日後。
 初めて誘って見事に断られ、それでもめげずに次の日にも声をかけて。
 それでも断られたから、1日間をあけて翌々日に声をかけたら……一瞬だけ間をおいて。



『別に……かまわない』



 と、実にそっけなくはあったけどOKしてくれたのだ。

 その日を境に、大体2回に1回、悪くても3回に1回はOKしてくれていたのに。
 なぜか今月に入ってからというもの、葉月は一向に首を縦に振ってくれなくなってしまった。



(何か……しちゃったかなー……)



 考えても思い当たる節はない。
 そもそもそんなつっこんだ話などしていないのだ。本当に他愛ない、学校のこととか天気のこととか。普通の、話。

 本当はもっと彼自身のことを聞いてみたい、と言う欲求はあったのだけれど、「今」それをしてはいけない気がして……聞けずにいた。
 だからこそ。嫌われるような覚えはなくて。


 そんな風に考えていた花の前を、ふいに人影が通り過ぎていった。



「葉月くんっ!」



 ほとんど条件反射のように、花はがたん、と大きく音をたてて椅子から立ち上がった。
 花の声が聞こえているのか聞こえていないのか、葉月は振り返る事無く廊下へ出て行く。
 だから、花はその背中を追いかけるように廊下へ出た。



「葉月くんてば!」



 ドアから身体を半分だけ出して、彼の出て行った方向にむかって声をかける。
 彼の背中が、ぴたりと止まった。

 振り返って、花を見る。
 けれど、その唇からは何の言葉も紡がれることがなかった。
 花はちくりとしたモノを胸の端っこに感じながら、それに気付かないフリをして彼の傍へと歩み寄る。
 そして、少しの距離を保って彼を見上げた。



「ね、今日ヒマ?」

「……バイト」



 そういえば毎週火曜日と木曜日はバイトが入っていると以前聞いたことがあるような気がした。
 花はうっかり木曜日に声をかけてしまったことを悔やみつつ、それでも「じゃあ帰りくらい一緒に」と言うと、何故か葉月は渋面になるから言葉につまる。




「おまえ……俺に、かまうな」




 それだけを言って、花に背を向けて行ってしまった。


 呆然と、廊下に立ち尽くす。
 今まで断られることだって沢山あったけれど、ここまではっきりと拒絶の言葉を聞いたのは初めてだったから。
 どう反応していいのか……わからない。



(どうして……)



 うるさがられたのだろうか。
 しつこいから、イヤになったとか。
 本当は、本当に1人が好きなのだろうか。



(そんなこと、ない)



 1人が好きなんて人、いない。
 少なくとも葉月はそうじゃないと思う。本当に1人が好きなら、あんな悲しそうな色を瞳に浮かべているわけがない。

 じゃあ……どうして。

 やっぱり、「自分が」嫌われていると考えた方が納得がいく。
 いく、けれど。



 胸がきりきり痛む。
 それはさっき感じた奥の痛みとは違っていて、あまりに如実なそれは知らん顔するにはあまりに痛すぎて。

 花は、俯いた。




++++++




 何故声をかけてくるのだろうか。
 話していても、面白みの無い、ただ頷く事くらいしか出来ない自分に。
 笑顔を向けてやれるでもない……自分に。


 イライラする。


 なんのてらいも無くまっすぐに自分をみつめて、迷いのない声で自分を誘う。
 昔、みたいに。




『けーくん遊ぼう?』




 覚えてなど、ないくせに。


 けれど、耳に届くその声はあの頃の響きを残したままだったから、どうしても拒めない。
 拒めなくて……その度に激しい自己嫌悪に陥る。

 関わってはいけないのに。
 関われば関わるほど、真実を知ったときの彼女の絶望は深くなるだけだろう。
 そして……それに気付く事がなくても、巻き込まれる。



「葉月 珪」を取り巻くそれに。



 だから突き放すのに、何故彼女は懲りないのか。
 断られて、どうして諦めないのか。
 どうして……自分にそこまで関わろうとするのか。

 わからないからこそ、苛立つ自分。



 傷付いたような顔をしていた。
 そうだよな、「かまうな」なんてあからさまな拒絶の言葉、聞いて喜ぶヤツなんている訳がない。
 わかっていて、あえてそれを口にした自分。

 苦い思いが、胸を占める。


 けれど、後悔などしない。
 遠ざけなければ、この先いらぬ苦労を強いられるのは目に見えているから。
 自分と関わる事で、彼女がそんな目にあう必要など一欠けらも無い筈だ。

 だから、拒む。




 大丈夫。

 1人には、慣れている。何故ならそれは自分にとって「日常」にしか過ぎないから。
 今更友達が欲しいなどとは思わない。


 思えない。



 振り返らずに歩く。
 その瞳には深い孤独が映し出されていて、だからこそ周りの人間は彼の美しさをたたえる。



 孤高の人、と。




++++++




「ミヤウチ ハナってあなた?」



 そう声をかけられたのは、葉月に廊下ではっきりと拒絶されてから土日を挟んだ月曜日の放課後。
 帰り支度をしていた花の机に、見たことの無い---少なくとも知り合いではない女生徒が集団でやってきて花を取り囲んだ。

 教室がその異様な光景にざわめく。
 きっと奈津実がいたら花を庇うように啖呵を切ることだろう。しかし彼女は早々に部活へと向かってしまい、今はいない。
 そして葉月もHRが終わるや否や彼女を避けるように早々に姿を消していた。

 花は口を開いたままだったカバンの蓋を閉じ、椅子に座ったままで自分を取り囲む女生徒達を見上げた。



「そうですけど」



 そもそも彼女達の「ミヤウチ ハナってあなた?」の言葉は質問ではない。あくまでも確認。
 その時点で、この一連の出来事が良い事ではないことは明らかだった。

 彼女達の襟に光るボタンを見る。黄色い色。
 花たちの学年は赤だから、黄色は確か一学年上の二年生。ちなみに三年生は青だ。
 花は部活にはまだ入っていない。引っ越してきたばかりで、同年代の友人ですら少ないのに他学年に友人がいるわけもなく、だからやはりこれは、良いことではない、と思う。



「時間、もらえる?」



 いち、にい、さん……全部で5人。
 そのうちの、一番背の高い、髪の長いヒトが花に向かってそういい、まるで着いて来るのが当然、とでも言うように返事を待たずにくるりと踵を返す。
 他の4人も、花を見下ろすような視線を彼女に注ぐと、皆それぞれ視線や顎で着いてくるように促す。

 だから、花はため息をつきながらも立ち上がった。


「宮内さん……」


 花の前の席、最近仲良くなったクラスメイトが心配そうな声をかけてきたから、花はにっこり笑って手を振った。
 そして彼女達のあとについていく。

 逃げたりなんか、しない。

 だって、自分は何もしていない。した覚えがない。



(だから、逃げない)



 まず、話を聞いて、確認して、それから。


 クラス中の視線が自分に向けられているのを感じながら、花はカタンと音を立てて椅子から立ち上がるとそのまま教室を後にした。




++++++




 連れて行かれたのは、体育館の裏。
 当然ながら普通は余り用のない……つまりは人気のないその場所。
 この通りをまっすぐいって花壇を右に曲がればあの教会がある。そんなことを思いながら花はその場所に立った。



「お話って、なんでしょう」



 まだるっこしいのは性に合わない。恐れるでもなくそう切り出した花に対して益々いら立ちの表情を浮かべ彼女達は一歩、その距離をつめた。

 そして口を開いたのは、教室で花に着いてくるように告げたそのヒト。



「葉月くんに付きまとってるの、アンタでしょ?」



 ああ、と花は思った。やはり、というか何というか。

 自分を取り囲む彼女達を見わたす。皆一様に花を責めるような視線で自分を見ていた。
 その目に浮かぶのは、蔑みと、そして嫉妬。
 高校に入ったばかりで上級生にファンクラブが、と思いかけたが先日奈津実から聞いた話によるとすでに中学からモデルを始めていたし、それ以前から彼は注目の的だったというからこれも不思議ではない。


 あの葉月 珪が高校もはばたき学園に入ってくる。


 そう期待していたら、彼につきまとう目障りな編入生が一人。


 そりゃあ気にいらないだろうな、と思う。
 待って待って待ち焦がれて、やっと来たと思ったら自分がつきまとっていて。
 花はすぐには何と返していいかわからず、首をかしげて無意味に前髪を触る。


「転校生って聞いたけど、知らないからって好き勝手されたら困るのよ」

「困る?」


 思わず聞き返す。困る。
 予想外の叱責の内容に、花は首をかしげた。
 誰が困ると言うのだろうか。

 彼女らは花が何かをいうとは思っていなかったのだろう、一瞬眉根を寄せて再び口を開こうとしたがその前に花が問いただす。



「困るって、先輩がですか? 何故? 葉月くんが困るっていうのならわかりますけど」



 実際それに等しい言葉を自分は言われたわけだし、と心の中で続ける。
 そしてそれは花の心に暗い影を落とした。



「アナタは知らないかもしれないけど、葉月くんって言ったらこの学園じゃ知らない人間なんていないくらいのヒトなのよ? ちゃんと皆、それなりの距離を保って彼とは接してるの」
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
「特別、だから?」



 花のそれに、わかってるじゃないと正面から言い返す。
 花がどういう意味で、どういう気持ちでそう聞き返したかも知らずに。
 その言葉にかちんと来た花は、今度は自分から彼女達の距離を一歩詰めた。



「どこが、特別なんですか?」



 じゃり、と足元の土が音を立てる。
 彼女達がひるんだのは、その音か、それとも。



「どこがって……アンタよくそんなこと……」



 かちんと来た。

 花が自分の好きな葉月にまとわりついていてムカつく、とか気に入らない、とかなら分かる。
 でもそれは「自分もそれをして、なおかつ」が大前提だ。
 何もしていない人間に、何かを言われる筋合いはない。

 しかも、今の言い分は違う。



 葉月 珪は「特別」。



 おまえごときが話しかけていい人間じゃない。
 私たちのだれか個人が親しくなっていい人間じゃない。
 彼はあくまでも「特別」で、憧れの位置にいなければならない。




 なんて、勝手な押し付けだろうか――――!?




 頭に、葉月のあのどこか全てを諦めたような瞳が浮かんで……胸が苦しい。
 あんなに綺麗な色なのに……何もみていない、みようとしない、あの瞳。

 この人たちみたいなヒトがいるから。
 こうやって、距離を置こうとするから。
 だから。

 キッと、にらむ。



「確かに葉月くんはかっこいいし、頭もいいみたいだし、運動も出来たりするみたいだけど、だからってなんで距離を置くんですか? むしろ、逆じゃないんですか? すごいねって、かっこいいねって、話しかければいいのに!」



 話しかければ。
 きっと、「温度」のある瞳で見返してくれるのに。
 もっとちゃんと伝えてくれるのに。


 考えてること。
 感じてること。


 全部全部、話してくれていたかもしれないのに。



 あんな冷たい瞳じゃなくて。
 あんな短い言葉じゃなくて。


もっと、ちゃんと。




「生意気!」

「……いたっ……!」



 今まで髪の長い中心人物と思われる女生徒の後ろに立っていた一人が、ひるんだことをごまかすようにそういうや否や花の髪を掴んだ。
 あまりに乱暴に掴まれて、思わず短い悲鳴をあげる。

 少しでもかかる力を減らそうと、自らも髪をつかんで地肌に痛みが伝わらないようにしたけれど、とてもじゃないけど全部を軽減させることが出来なくて目尻に涙が浮かぶ。


「チビのくせに、なんで伸ばしてんの? それに、ちっとも綺麗じゃない。同じロングでも恵の方がよっぽど綺麗」


 言って、恵と自らが呼んだ人物を見る。その、花をこの場に呼び出した髪の長い人物を。
 恵と呼ばれた女生徒はさらりと肩で髪をはらうと、何を言うでもなく花をじっと見ていた。

 なんとなく、わかった。
 これから起こるであろうことが。
 それがどれだけ自分にとって厳しいことだとか、辛いことだとか、全部分かっていたけれど。
 にらみつける視線を外す気なんて、これっぽっちもなかった。



「ちゃんと葉月くんを見ようとしないヒトに、謝る言葉なんて持ってない」



 力の限り叫んで。

 そして、それは彼女の身に降りかかった。


  


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