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●特別 |
葉月はいつものように、その場所にいた。
体育館裏の、一角。入学する前からこっそりと通っては世話をしていた野良猫たちのいる場所。
昼休みや、放課後。時間のある限りそこに通っては、えさをやったり、話しかけたり。
その日起きた楽しいことだとか、嫌なことだとか。
本来気の合う友人とすべきそれを、葉月はその猫達にしていた。
そしてそんな自分を惨めだとは決して思ってはいなかった。むしろ、それは残酷なほど楽な空間だったから。
そう思うこと事態がもう何かがおかしくなっているのかもしれなかったけれど……それを突き詰めるほどの気力はすでに残ってはいなかった。
ちらりと時計を見る。
そろそろ学校を出なければ、バイトに間に合わない。
「又来る……仲良くしてろよ?」
そういって、壁に立てかけてあったカバンをとって立ち上がった瞬間、耳に聞こえた何か言い争うような声。
葉月は一瞬立ち止まり、校門の方へ向きかけた足を声の下方向へと向けた。
ここからそんなに遠くない場所。多分、体育館へと続いている階段の向こう側、少しだけくぼみになっているあたりだろう。
近づけば近づいただけ、その声は形になって葉月の耳に届く。
「こっちの方が、似合うじゃん」
聞き覚えのない女の声。声がするということは、相手がいるはず。
そして先ほどの感じから言って、それは決して友好的なものではないと直感で感じた。
ゆっくりと、気取られないようにその場を覗く。葉月のいた場所以上に冷たく感じる空気は、果たしてその場所が影地だからという
理由だけだろうか。
「うっわ睨んでるし。ホント生意気だよね、こんな可愛くしてあげたんだからお礼のひとつでも言ったら?」
最初に見えたのは、制服の後姿が4……いや、5つ。
目を細めて奥を見れば、こちらを向いて立っている茶色のローファー……そして、その足元に散らばるのは。
(髪…………?)
少しだけ赤みを帯びた髪。
地面に散らばったそれを見る限り、相当な長さをもって本来あったはずのそれ。
目を細めて葉月は事態を慮る。
そんな葉月を衝撃が襲ったのは、こちらに向いて立っている人物が声を発した瞬間だった。
「こんなことして、満足ですか?」
(――――――!!)
間違いない。間違うはずがない。
彼女の声を聞いたのは、ほんの一ヶ月ほど前のこと。
けれど知っていたから。
彼女の声を自分はもっと昔から知っている。だからこそ、間違えようがない、その声。
だとしたら、この地面に散らばる髪の毛は……。
考えるより先に、考えて確認するよりも先に、声が口から漏れていた。
彼女の名を呼ぶ。答えてほしくない、呼んだ名に、振り向いてほしくない、そう、願いながら。
けれど葉月が呼んだ名に振り返ったのは、やはり葉月が呼んだ少女だった。
「は、づき君……っ!?」
「え、嘘やだっ!! 何でこんなとこにいるの!?」
花を取り囲んでいた少女たちは葉月の姿を見るや否や激しく狼狽し、皆一様に顔を隠すようにその場を走り去る。
途中何人かが葉月の肩にぶつかり、反動で、よろめく。けれど、よろめいたことすら葉月はわからなかった。
残されたのは、二人。
呆然と、その場の惨状を目の当たりにした葉月と。
長く綺麗だった髪が足元にちらばり、もはや肩につくかつかないかの位置でそれを揺らす、花。
「やなトコ……見られちゃったなあ〜……」
先に口を開いたのは、不ぞろいな髪を揺らす少女。
困ったような笑顔を浮かべて。バツが悪そうに、胸元に手を伸ばして、目的のそれがそこにないことがわかると気にしてない風を装ってそのまま肩へと「それ」を求めて指先を移動させた。
言葉が、見つからない。
元々自分には他人に比べて持ち合わせている言葉が少ないのは自分でも知っている。
そしてそれ以上にそれを上手く操る術を持っていないことも。
けれど、それだけではない何かが葉月の胸を黒く塗りつぶして、数少ないそれすらも奪っていった。
ざわり、と胸を何かが苦しめる。
苦しめる……苦しい……、そう、苦しくて。
「葉月くん……?」
花は自分を見たまま何も口を開かない葉月に、何かいたたまれないものを感じて彼の名を呼んだ。
その瞬間、彼が次にとった行動は、充分すぎるくらい花に衝撃を与えるものだった。
「は、葉月くんっ!?」
葉月は名を呼ばれるや否や花の足元に駆け寄り、散らばるそれをまるで集めるかのように手にとった。
まるでそうでもすれば花の髪が元通りになるとでも思っているかの様に。
一本すら残すのも許さないといったようなその必死な様子に花が驚き、そして慌ててその手を止める。
「葉月くん、やめて!ね、いいから、あたしいいんだってば!!」
「良くない!!」
手が触れた瞬間、反対にその手を強く握られて目を見開いたのと同時に振り仰ぐように顔を見返される。
息が止まるほどの、強いそれ。
手に伝わる、痛いほどの力。
交わされる視線から入り込む、今まで感じたことのない、彼の熱。
目を丸くしたまま葉月を見返す花の視線に気付き、葉月は目を伏せてその視線をやりすごして低くつぶやく。
「良くなんか、ないだろ? こんな……こんなことされて、おまえ」
――――俺のせいで。
言外にそう自分を責めてるのがわかったから、花は慌てて思わず葉月の頬を両手で掴んで、力づくで自分の方へと向けさせた。
「自惚れないで!」
いきなり顔を両手で挟まれてぐい、と上に向けさせられた瞬間、自分の目に飛び込んできたのは二つの強い意志をもった瞳。
濡れたような、きらきらとした色を激しい感情そのままに自分へと向け、まっすぐ言葉をぶつけてくる。
「これは、あの人たちが、あたしに、やったの。そこに君は一切関係ない」
「でもおまえ……」
「でも、じゃないの。他人が勝手に突っ走って馬鹿なことをしたからって、なんでその責任が君にいくの? 全っ然! 関係ないじゃん!! それとも悲劇の主人公にでもなりたい?」
「俺は……!」
「とにかく! これはあたしとあの人たちとの話。葉月くんはたまたま居合わせて目撃しちゃっただけ。……それに、結構あたし、傷ついてるからさ……むしろ慰めて欲しいんですけど」
頑張って伸ばしてたし、と切なそうに地面に視線を落とした。
葉月はそれで我に返り、けれどどうやって彼女を慰めていいのかがわからず、途方にくれてしまう。
そして一生懸命考えた結果、彼女を慰める術として葉月が選んだのは、その頭をなでること、だった。
拙いその手のひらの動きを頭に感じた花は一瞬何が起こったのか分からずきょとんとし、そして事態を把握すべく手の主を見上げる。
丸い大きな瞳に見つめられたその本人は、うっすらと赤くなりながらも仏頂面のまま黙って花の頭をなで続けた。
こうするとあいつら喜ぶから、と心の中で裏庭の猫達のことを思い浮かべながらもそれを口にしなかったのは正解だろう。
花は真っ赤になりながらふくれっつらで自分の頭をなでてくれる葉月を見て、自然と笑みが浮かぶのを感じる。
笑って、そして。
「……笑うなっ……」
そういう葉月の声をきいて。
今頃、涙がこぼれた。
戸惑いながら、葉月が手を止める。
けれども消え入りそうな声で「やめないで」と言う願いが聞こえたから、よりいっそう拙くはあったけれども再びその手を動かした。
髪を伸ばし始めたのは、いつからだっただろうか。
幼稚園の頃までは、短く切りそろえていたような気がする。母の、好みで。
けれどいつからだったが、自分が切るのを酷く嫌がり始めたと母は言った。
「きれい」と言われたから。だから切らないと言って泣いたと。
自分では覚えていないそれ。
切らないといって泣いたことも。綺麗、といってくれた人がいたことも。
けれど確かにそれ以来、大切に大切に伸ばしてきた。
いつかきっと、又「きれい」って言ってもらえるように。
(誰だかもわかんないのに、ね)
「きれい、だ」
ふいに、頭上から響いたその声。
花はゆっくりと、その言葉を自分に告げた人物を仰ぎ見た。
葉月は手を花の髪に置いたまま、優しくその細い指に花の髪を一房絡めると、そっと口付けるように。
「短くても、きれいだ……おまえの髪」
言って、本当に口付けた。
「は、ははは葉月くん……っ!!!」
今まで、男の子にそんなことされたことなんてなかった。
勿論女友達にも。
真っ赤になって慌てふためく花を横目に、当の本人は気にした風もなく、むしろ真っ赤になって慌てる花を不思議そうに見つめる。
そしてゆっくりと花の頭から手を離すと、上着を脱いで花の頭上からぱさり、とかぶせた。
「え?」
「嫌だろ、見られるの……」
不ぞろいの髪。人目で何かがあったとわかるそれを気遣って上着を貸してくれたのだ、葉月は。
そのことに気付いて花は益々赤くなる。
上着があってよかった。
こんなにも赤くなった自分を、葉月にみられなくてすむ。
葉月のブレザーのの両身頃を掴んだ花の背中を誘うように押しながら歩き出したから、花は慌ててどこに向かうのかを聞いた。
「バイト先の人に、髪切ってもらう。時間、あるか?」
無言で、頷く。けれど次の瞬間はっとして葉月の腕を掴んだ。
「でもいいの? 邪魔にならない?」
言った花に葉月は酷く冷たい視線を向ける。何故今、こんな目に合っておきながらそんなことを気遣うのだろうか。
彼女が何をどういっても、間違いなくこれは自分のせいなのに。
俺のせいで、彼女はこんな目にあったと言うのに。
「……いいから、こいよ」
それだけを告げて葉月は今度こそ強く花を誘(いざな)った。
しっかりと、その腕を掴んで。
掴まれた花は、もう片方の手でしっかりと落ちないように葉月のブレザーを掴む。
その香りに、どこか安らぐものを感じながら。
自分を引っ張る、大きな手。
強い、力。
さっきの、気遣う気持ち。
(やっぱり、知りたい)
もっともっと君を。
作られた君じゃなく、本当の本当の君を。
「……葉月くん……」
「……なんだ?」
「あのね……やっぱりあたし、君と友達になりたいんだ」
返事は、ない。
「あたし、とりえがあるわけでもないし、その、葉月くんと共通の趣味があるわけでもないんだけど、でも何か気になる、から。だから、いままでみたくいっぱい誘ったり声かけたりすると思うんだけど……そういうの、うざったい?」
「…………」
「言ってくんなきゃ、わかんないよ」
突き放すべき、なんだと思う。
でなければ、又いつ今日のようなことが起こるとも限らない。
けれど、この切なさはなんだろう。
彼女の声を聞くたびに、胸に響く切なさは、なんなのだろう。
それを考えるといらいらする。
けれど、それがないと今まで以上に空しくて。
葉月は上手くそれを言葉にすることが出来ず、代わりに歩く速度を少しだけ落としながら前を向いたまま花に告げる。
「つまらないぞ、俺といても」
「なんで? おもしろいよ?」
「うまく、話せないし」
「でも、あたしの話聞いてくれるでしょ?」
「……相槌うってやるくらい、だろ?」
「そうやって気にしてくれてるでしょ? やっぱり優しいね、葉月くん」
クスクスと笑う気配が伝わる。何だか負けた気分で葉月は速度を再びあげて歩き出す。
花が少しだけ小走りに、距離を詰めたのがわかった。
「ね、だめ?」
「……好きにしろ」
やったあ!! という大声が聞こえたのがわかった。
葉月はこれっぽっちのことでそんなに喜ぶ花の気持ちが分からず、なんだかからかわれてる気がしてむっとした顔で振り返ると、そこにあったのは今までで一番の笑顔、だったから。
「ね、言ったからね? あたし好きにするからねっ!? やったーっ!!」
「………………」
そのはしゃぎように、無意識にため息が出る。
けれど、その胸は自分でも驚くくらい軽かったから。
葉月は又、歩く速度を落とした。
花の速度にあわせて。
Fin
*Back*
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