|
|
|
|
●幸せに続く扉を開けて |
あいつのバイト先であるコーヒーショップが見えてくる。
その手前には、俺の撮影所があるビル。
『
、今日は急遽バイトだって言ってたよ? 金曜のコがお休みだからって』
の友人が教えてくれた言葉に従って、俺は
のバイト先へ向かっている。
『離して』
拒絶したのは、辛かったから?
俺のせいで、覚えの無い恨みを買って、辛かったからなのか?
『だって悔しいもん!』
この間お前が俺に言ってくれた言葉。もしお前が傷付くような事があればと、恐れた俺を叱咤したお前の言葉。
それを信じるならば。
(何か、あるはずだ)
それは直感。
全力で走りながら、様々なことを考える。
この間の校舎裏のことや、泣きながら彼女が俺にいってくれた言葉の数々。そして、避けられていると感じた俺に問い詰められて、視線を彷徨わせながら必死で意味の無い言葉を紡いでいた
の顔。
(どうして……)
何故、あいつは1人で抱え込むんだろうか。
そんなに頼りないか? 俺。
目的地へと続く道へ、最後の曲がり角を左に折れた。
がいるであろうその店を確認したところで、俺は速度を緩めて息を整える。
蒸し暑い空気と激しく照りつける太陽が、体内の水分をあっという間に汗に変換させて体外へ放出させる。
俺は右手で額の汗を拭い、そのまま乱れた前髪をかきあげた。
そして自分の撮影所の前を通り過ぎようとした瞬間、奥の入り口の方から聞こえた、言い争う声。
(何だ?)
俺は手前で足を止め、そっとそっちの方へ視線を向けた。
その先には。
「だから目障りだって言ってんじゃん!」
ひときわ響く、女の声。
2人組の、同い年くらいだろうか、女子高生に囲まれてそう怒鳴られていたのが。
(―――?)
バイト先のエプロンをつけた制服姿のままで、彼女はそこにいた。
「なんで隣りでバイトなんかしてんの!? 下心ミエミエ!!」
一方的にそいつが
を攻めたてている。は、ただ黙ってそれを聞いていた。
両の手を、ぎゅっと握り締めて。
「何か言いなよ、被害者ぶってんじゃないよ! 勘違いしてんじゃないの? 自分だけが珪のトクベツで、ファンのあたしらに何言われても我慢して耐えますーって」
(―――――!)
俺は瞬間的にその場へ出て行き、そいつを殴ってやろうと思った。
に、そんなことをいうそいつを。そして恐らく彼女に怪我をさせたそいつを。
本気で、殴ってやろうと思った。
その俺を止めたのは、彼女の声。
「……違うもん!」
その女が言った言葉の中に、
を刺激するものがあったのだろう。俯いていた
はその言葉を聞くとキッと顔をあげ、口を開いた。
「特別だなんて、思ってない! わたしはただのクラスメイトで、たまたま隣りでバイトしてて、それだけのわたしで、それ以上でもそれ以下でもない! あなた達がただのファンだろうとそうでなかろうと、そんなの知らないわ!」
そんな激しい彼女を見たのは、初めてだった。
彼女は怒りのせいか、頬を紅潮させて言葉を続ける。
「……ただのファン、とか、特別だとかそうじゃないとか、なんで周りが決めるの? どうして他人にそれを言われなきゃならないの?勘違いって何なの? そもそも気持ちって誰かが周りから測れるものなの!?」
いいながら、彼女の瞳が濡れていくのがわかった。
「な、なによ」
文句をいった女達は、明らかに
の剣幕に押されていた。お互いに顔を見合わせながら、小声で何かを言っている。
「……なんで、こうなっちゃうのかなあ……」
最後の言葉は、恐らく自分に対して言ったんだと思う。
悲しみとも諦めともつかない光を目に浮かべたまま、口元だけで笑う。
その諦めたような笑顔が、逆に酷く悲しげに見えて、俺はたまらずその場へ飛び出した。そして、俺を見て眼を丸くしている
の肩を引き寄せて、彼女を正面から抱き締める。
「……っきゃああああっ!!」
を責めていた二人組が声をあげる。
(もう、いい―――)
俺が、
にどう思われていても、例え、嫌われているとしても。
俺が、守りたい―――。
求められるから守るのではなくて、ただ、俺が彼女を守りたい。
俺の腕の中で
が固まる。
別の理由で一瞬固まり、そして黄色い声をあげる目の前の2人を俺は
を抱き締めたまま一瞥した。
「……行けよ」
俺がそう言った途端、2人は凍りついたように静かになって、真っ赤な顔をして睨みつけるように俺を見ると、非難の声をあげた。
「け……葉月さんのためにやったのに!」
に対して、散々文句を言っていた女が口を開く。
俺はただ眉を潜めてそいつを見ると、女は必死で言い訳をするように俺と
を交互に見ながら口調を激しくした。
「葉月さんがこの女に言い寄られて迷惑してるって、いい加減にして欲しいって言ったから!」
瞬間、俺の腕の中の
が反応し、濡れた瞳で俺を見上げると同時に離れようとして腕を無理やりに俺の胸へと割り込ませる。
俺は、それを許さなかった。
「なんの事だ……?」
「もういいじゃないですか! 葉月さんだって迷惑してるなら直接本人に言ったらいいじゃないですか!? だからこの人勘違いするんです!」
その女の言葉は、俺の質問には何一つ答えていなかった。
俺は一瞬混乱する。迷惑? いい加減にして欲しい? ……勘違い?
(一体、何が……)
俺の腕から逃れる事を諦めずにもがいていた彼女が、女の言葉に弾けるように俺を見、そして堪らないと言ったように俯きながら、俺から離れようと更にその腕に力を込めた。
「だから勘違いなんかしてないってば! ……もういいよ珪くん、ただのクラスメイトなんだから必要以上に庇わないで!!」
「何でアンタがそう言う資格あんのよ!?」
「いい加減にしろ!」
腕の中で悲痛に叫ぶ彼女を怒鳴りつける女達。
一体、何の権利があって
を傷つけるんだ―――!?
俺の声で、場が静まり返る。
味方に裏切られたとでも言いたげな目で俺を睨みつける女達。
「……俺にはアンタらが言ってる事がわからない」
「…………!」
かあ、と頬を一瞬で紅潮させる。だが、俺は構わずに言葉を続けた。
「アンタらがどう思おうと、何を勘違いしてようと……勝手にしろ」
けど、と俺は続ける。
「次にこいつに変な事を言ったり、手、出したりしたら……全力でお前らの敵に廻ってやる」
どんな理由があっても、そう、仮に
に非があったとしても。
(許さない)
を、傷つけることは。
完全に絶句した女達は、何か言いたげにしていたがやがて踵を返してこの場から去っていく。その顔には悔しさが滲み出ていたが、そんな事は俺には関係なかった。
残された静寂。
ふと、俺が抱き締めた
の身体から力が抜けて、ずるずると地面に座り込んでいき、俺の腕には彼女の両腕だけが残された。
「?」
そして俺の腕から、ぱたりと彼女の腕が落ちる。その手を、彼女は地面の上で握り締めた。
「……やしい」
微かに届く声。明らかにその声は震えていた。
「悔しいよう……!」
俺は彼女に言うべき言葉を失った。
ただ地面に座り込む彼女を放ってはおけなくて、片膝をついて彼女の間に身を屈める。そして覗き込むように彼女の顔をうかがったが、完全に下を向いてしまったその表情を見ることはできなくて。
「なんでかな、なんでこうやって、周りの声に大事な人の声が消されちゃうのかな」
それは、俺に向けられた言葉じゃなかった。
だから、俺は黙ってただ彼女の言葉を聞く。
「馬鹿みたい……」
『特別だなんて、思ってないもん!』
胸に突き刺さる、彼女の叫び。
「……何があったんだ、お前」
明らかにおかしい。学校での態度も、バイト先での出来事も、今のことも。
確かに
は泣き虫だ。少しのことで泣くし、少しのことで笑う。
でも、こんなに声を荒げるまで自分を追い込む事はない、と思う。
何かが
をここまで追い詰めた―――。
ひたすら泣きじゃくる彼女を前にして。俺は思い当たることを全部考えて整理する。
彼女がおかしくなったのは、水曜の朝から。
ケガをしたのが、恐らく木曜の学校終了後……これは十中八九、今の奴らが原因だろう。
問題は。
その前に、何があったのか。
「言えよ」
は、何も言わない。頷くわけでも、否定の意志を現すわけでもなく、ただ俯いて泣いていた。
俺は苛立ちにも似た感情を覚え、手をきつく握りしめた。
「お前が言わないなら俺……今の奴ら殴ってでも聞き出すぞ」
「だ……めっ!」
俺の言葉に敏感に反応し、顔をあげた
の顔はくしゃくしゃに濡れていて。
「違うの、彼女達は関係ないの、全部わたしが悪いの」
壊れたように首を左右に振る。濡れた頬に、張り付く髪の毛。
「わたしが、弱いから……ごめんね」
「何故、謝るんだ…」
「……昨日……」
彼女が言うのは、あの事だろう。
言われて再び脳裏に浮かんだシーンは、確かに今でも胸を痛める。けれど、そんなことはもうどうでも良かった。
「いい……もう、忘れた」
言葉と同時に、俺は
の頭を自分の胸へ引き寄せた。
は一瞬だけ肩を震わせたが、特に抵抗はせず、黙って俺に身を預けた。
ふと、まくれたカーディガンの袖から覗く、白い色に気が付く。俺は瞬間的に
の腕を取り、袖を捲くった。
短い彼女の悲鳴と共に現れたのは、細い腕に巻かれた包帯だった。
「……お前」
苦痛に歪む
の顔。カーディガンをめくると同時に鼻につく匂い―――シップの。
「……っ」
俺は舌打ちをしてあいつらを追いかける為に立ち上がった。もう遅いかもしれない、だからってこのままこれを認めるわけにはいかなかった。
「待って! 珪くん違うの!!」
が走り出そうとした俺の制服の裾を掴んで叫ぶ。
「何で庇うんだ……お前、そんな事されて何で平気なんだ?」
俺は、平気じゃない。平気なわけがない。
憤りのままに語気を荒げて問いただすと、
は首を振って言葉を続ける。
「本当に、違うの!……昨日、彼女達に今日みたいに呼び出されたけど、逃げたの。ヤな予感、したから。でも追いかけてきたから慌てて転んじゃって」
膝の傷はその時のもので、腕は身体を支えた時に挫いたらしい。だが、どちらにしても、原因はあいつらだ。
それなのにこいつは、でも転んだのは自分だから違うと言う。責めないでと言う。
の長所は時に俺を苛立たせる。それは、こんな時。
「……頼れよ」
「え…?」
俺は又彼女の前に座り込み、
と視線の位置を合わせる。
彼女をこんな目にあわせて言える義理はないのかもしれない。今更、って思われても仕方ない。
それでも、言わずにはいられない。
「頼ればいい……俺のこと」
一旦止まった涙が、彼女の目から再び溢れ出す。それが何故なのか俺にはわからなくて。
彼女の涙を拭う為に伸ばした手を、彼女はそっと包んで自らの頬に押し当てた。
『ただのクラスメイトなんだから』
ただの……クラスメイト。
確かにそのとおりなのに、それ以上であるわけがないのに、胸の奥がちくりと痛む。
『特別だなんて、思ってない!』
は、そう言った……けど。
「思って、いい」
「え?」
が何の事かわからずに、濡れた瞳のまま俺を見返した。
「……いや」
俺は
の頬に当てている方と反対の腕で、彼女の肩を抱いた。
小さい、細い身体。
『葉月さんの為にやったんです!』
さっきの言葉は、どういう意味だ―――?
嘘をついている風ではなかった。だが、俺はそれをアイツらに対して言った覚えどころか、勿論そう思ったことすらない。
何故、そう言うことになっているのかは全然検討もつかない。
でも。
「……信じるな」
あんな奴らのいう事を。
は黙って、俺を見つめる。
他の声なんか聞かなくていい。お前は、俺の声だけ聞いていればいい。
「……信じろ」
俺の、声だけを。
は、やっと頷いて少しだけ笑った。
俺は
の腕を撮る。白い包帯の巻かれた腕を。
「悪い……守って、やれなくて」
カーディガンを着たのも、俺にこんな思いを抱かせないためだってわかるから。
余計に痛むんだ……胸が。
「走って逃げる、なんてカッコいいこと言っておいて転んじゃったら意味ないよね」
いいながら、俺を安心させる為に笑顔をくれる。
弱くて強い、彼女。
でも、やっぱり守りたいんだ……俺が。
「言うつもり、ないのか? ……原因」
困ったような笑顔で返事をする。こうと決めたら、絶対ひかないんだこいつは。
俺が諦めのため息をつくと「ごめんね」と一言呟いた。
「いい……何か理由があるんだろう? ただ、次は言えよ、お前」
1人で、泣くまで抱え込まないで欲しい。自分だけ我慢して、自分だけ傷付いて。
見たくないんだ…そんなお前は。
は大きな瞳でじっと俺を見つめる。そんな
を見ていたら、俺は……。
吸い込まれるように顔をゆっくりと近づける。
「珪くん?」
(……馬鹿)
「何でもない」
慌てて彼女から視線をそらす。何、しようとしてたんだ、俺。
気まずい心中を誤魔化すように、俺は別の話題を彼女に振った。
「バイト、途中なんだろ? もう行った方がいい」
「あ! そうだ、うわ~マスター怒ってるかなあ」
慌てて立ち上がり、スカートについた汚れを払って俺を見る。
「そういえば、珪くんはどうしてここに?」
俺が何の為に来たのかなんて、これっぽっちも気付いていない表情でそう聞くから、俺は答えに詰まる。
「……コーヒー、飲みに来ただけ」
じゃあ一緒に行こうという彼女に腕を引かれて歩き出す。
大体、腕を怪我しているくせに何で人のフォローでバイトに来てるんだ、こいつは。
「お前、余り無理するな」
「マスターが気を使ってくれてるから大丈夫だよ? 多くても2つ位しか運ばせないようにしてくれてるの。あ、マスター今戻り……きゃっ!」
話しながら
のバイト先のドアを開けると、すぐそこにマスターがいては短い悲鳴をあげた。
「
ちゃん、大丈夫だった!? あんまり遅いから心配した……」
マスターの視線が、俺を捕らえる。
俺はその視線に何かの含みを感じながら、会釈した。
何故か俺たちの間にいる
が少し慌てて、俺に座るように促しながら、マスターの背中を押すようにカウンターの方へと歩いていく。
俺がカウンターの中へと視線を向けると、マスターがこちらを伺っているのがわかる。
と2人で、何か話していた。
(……何だ?)
あの目。何かを訴えるような目。つい最近、あの目で見られた覚えがある。
そこまで考えて、ハッとした。
『を巻き込まないで!』
俺に一連の事実を教えてくれた、
の友人。
彼女と、同じ視線を、なぜマスターが……何か、関係しているのか?
「珪くん、モカでいい?」
「あ、ああ……」
マスターにオーダーを告げる
。そのまま、
は「ゆっくりしていってね」と言葉を残し、別の客のテーブルへと向かった。
「どうぞ」
カチャリ、と音を立てて俺の前にモカが置かれる。俺は受け取ろうとして、マスターの手がそれを離していないことに気が付いた。
顔をあげて、彼の顔を見る。
「君のマネージャーも、モカが好きなの?」
いきなり出てきた人物の名前に面喰らい、一瞬返す言葉を失ったが、俺は撮影所での事を思い出しながら、答えを口にした。
「いや……アメリカンしか……」
むしろモカは嫌いじゃなかっただろうか……俺が好んで口にするのを見て、眉をひそめていた気がする。しかし、何故?
「そう、じゃあたまたまだったんだね……それともあてつけかな」
それだけを言うと、マスターはソーサーから手を離して奥へと消えていった。残された俺は、自分の顔が映るモカの表面を見ながら、言葉をつなぎ合わせた。
『モカが好きなの?』
『そう、じゃあたまたまだったんだね』
たまたま……という事は、少なくてもここに個人的に訪れて、モカを頼んだという事になる。
何の、為に?
待ち合わせや休憩ならば、自分の好むものをオーダーする筈だ。間違っても嫌いなものを頼むわけがない。
知らず、右の親指を軽く噛む。
『葉月さんが迷惑してるからって!』
腑に落ちない、彼女らの言葉。
そして、消え入りそうな声で告げた、彼女の言葉。
『わたしが、弱いから……』
(―――――!!)
パズルが揃ったその瞬間、体中の血液が引く思いがした。
⇒Next
*Back*
|
|
|
|
|