** Happy C×2 **
 ●幸せに続く扉を開けて


 パズルが揃ったその瞬間、体中の血液が引く思いがした。
 しかしそれも一瞬で、次の瞬間には激情が全身を包む。

 ガタン、と音を立てて席を立つ。店内の客、そして が驚いて俺のほうを振り返る。唯一驚かずに俺を見ていたのは、マスターだけだった。

「け、珪くん!? どうしたの?」

 俺は答えを返さずに店を飛び出した。わかった、全部わかった。アイツに問い詰めるまでもなく、俺は全てを理解した。全ての黒幕は、全部。

「あの、女……っ」



『こっちはこっちでやらせてもらうから』



 挑戦的な、アイツの捨て台詞。





(こういう、事か―――!)





 事務所へ走る。此処からはそう遠くない距離。
 店を飛び出した俺はガードレールを飛び越え、道の反対側へ走る。後ろから聞こえる、耳障りな激しい車のクラクション。
 俺は振り返らずに、ただ走る。
 途中人にぶつかったかもしれない。謝る代わりにその人の肩に軽く触れ、俺はただ走った。

 街の雑踏を潜り抜けるように走り、目指す場所へたどり着くと俺は見慣れたビルの階段を、エレベーターも使わずに駆け上がる。
 1段づつ昇るのももどかしく、俺は2段づつ跳ねるように階段を駆け上がった。そして、そこへたどり着くと、自動ドアの隙間を割り入るように身体を滑り込ませる。

 いつもなら社員口の方から入るはずの俺の姿を見つけ、受付の女が驚いて立ち上がるのが視線の端に見えた。俺はそれを無視して、足音も荒々しく室内へと踏み込み、息を整える時間すらもどかしくぐるりと部屋を見渡してアイツの姿を探す。

「は、葉月くんどうしたの?」

 打合せに来ていたらしい顔見知りのスタイリストが、俺の様子に驚きを隠せないまま声をかけてきた。

「……っ、……アイツ、は?」

 声が低くなるのが自分でもわかる。あの女の名前だけでなく、アイツを差す言葉を発するのにすら嫌悪感を覚え、自然と声が厳しくなるのが止められなかった。
 止めようとも、思わなかった。

「え? アイツって…」
「性悪女」

 額の汗をシャツの袖で拭いながらそう言うと、皆が一斉にぎくりとした表情で俺を見る。
 そうだろうな、仮にも自分のマネージャーをそんな呼び方をしたのは俺くらいだろう。

「香里さんなら、中で打合せ中だけど……」

 普段からの俺とアイツの関係から、俺が察した代名詞が誰を指すのかを敏感に察した彼女が指差す方へ、俺は歩き出す。そんな俺を慌てて制止する声が後ろから聞こえたけど、俺は止まったりしなかった。


「葉月くんダメ! まだ打合せ中……っ!」


 制止の声を無視して別室の扉を開けた俺に注がれた視線は3つ。事務所の社長と、どこかの編集者らしき中年の男性と、そして。


「葉月?」


 俺は自分でも驚くほど冷静に、そいつへと近づいた。恐らく、冷め切っていたのだと思う。
  どうでもいい人間を目の前にして―――。


「葉月くんじゃないか! いやあ、凄い活躍だね、今丁度君の特集のお願いにあがって……」
「社長」

 ソファから立ち上がって俺に手を差し出したその男性を無視し、俺は社長へと向き直る。そんな俺を咎めるように、きつい視線を投げかけるアイツがいた。
 社長は何も言わずに、俺の視線を受け止めて、俺の言葉を待っている。

「今日限りで、辞めさせていただきます」
「な……っ!」

 ガタンと音をたててアイツが立ち上がる。

「貴方自分が何を言っているかわかってるの!?」

 床に叩きつけるように踵の音を鳴らし、俺のすぐ隣りにまでやってくる。
 社長は、何も言わない。

「今いらっしゃってる山岡さんだって、貴方の特集を組みたいとわざわざご足労下さってるのよ!?」
「断ればいい」

 何の躊躇もせず答えた俺に、一瞬言葉を失って目を見開く。
 が、次の瞬間には再び非難を始める。客の手前もあり、一旦息を吸ってから声のトーンを抑えて喋り始めた。

「子どもが遊びでやってんじゃないのよ、これはビジネスだって何回言ったらわかるの、貴方は? ……すみません山岡さん、葉月が失礼な事を申し上げまして」

 山岡、と呼ばれたその中年の男は、中腰になりながら気にしてないとでも言う風に片手を挙げた。

「高校生、でしたか。まあ遊びたい盛りですからね、彼くらいの人気になると、忙しくて辞めたいと言い出したくなるのもわかりますよ」

 見当違いのことを言い始め、うわべだけの笑顔を浮かべる。そんなことは馬鹿でもわかるだろうに、マネージャーは作り笑顔を浮かべて頭を下げた。


 こんな、汚いものの為に、アイツは傷つけられたのか?




(冗談じゃ、ねえ)




「ほら、貴方もあやまりなさ……キャッ!」

 俺の背中に置いた手を、力任せに振り払う。

「触るな……」

 俺に振り払われた左手を右手で抑え、客に見えない角度で俺を睨みつけてくる。俺は、ただ黙って成り行きを見ている社長に再び向き直った。


「……理由を聞いても、いいかな」


 静かに、それだけを口にする。
 彼は叔父の友人で、だからこそ俺は今の仕事をやっている。元々やりたかった仕事じゃない……向いてないんだ、俺には。
 叔父から頼まれたのがきっかけ。そしてあとは叔父の繰り返される懇願と、友人である社長の人柄の為に、続けてきたようなものだ。
 俺はその人を前に、答えを告げる。


「……この仕事をやっているが為に、俺の一番、大切なものが傷付きました……俺は、それを受け止めてまでこの仕事をやっていく自信がありません」


 言葉を、区切る。



「やるつもりもありません」
「葉月!」



 ヒステリックに俺の名前を呼ぶ女を、社長は視線だけで制した。そして、両手を顔の前で組み合わせながら、真っ直ぐに俺を見つめる。


「他に、理由は?」
「……信用できない相手と組んでの仕事は、出来ない」


 視線を元凶へ送ることすらせず、言外にお前だと宣告する。
 恐らく、この場にいた全員がその事には気付いていただろう。俺の右側で、悔しそうに顔をゆがめる気配がする。
 屋内のクーラーですっかり冷え切った身体から、駆けつけた名残の汗がぽつりと、床に落ちてしみをつくった。


「少し、時間をくれないかな」
「社長!」


 社長はただ穏やかに笑って、言葉を続ける。


「色々と隠れた問題も多そうだ……私も友人からお預かりしている大切な甥御さんを苦しめるような真似はしたくないが、彼女が言うように、ビジネスの世界も中々難しい」


 苦笑しながら、そこで初めて凍りついたように俺の隣りに立ち尽くしたマネージャーに視線を移した。


「それと、高木くん」
「……はい」
「君は、葉月君の担当を外れなさい。いいね?」
「なっ……!」


 口調こそやさしかったが、その眼光は拒む事を許さず鋭い光を放って彼女を捕らえた。マネージャーは悔しさの余り身体を細かく震わせながらぎゅっと拳を握り締めている。
 社長はゆっくりと、あっけに取られている山岡と呼ばれた男性に向き直り、穏やかな笑顔で詫びていた。
 それでやっと、我に返り、社長がそうしたように俺も彼へと向き直り、頭を下げた。

「お騒がせしました」
「あっ、いやっ! こちらこそ悪かったね見当違いなことを言ってしまって。何だかお取り込みのようですし、又改めて伺います……しかし実際、君の人気が半端ではない事は確かだ。辞めてしまうのはおしいと思うよ、1ファンとしてね」

 本人に会って、余計そう思ったよと豪快に笑いながらそう告げる彼に、もう一度頭を下げた。

 また後で連絡をもらえることで落ち着き、俺は部屋をあとにする。
 まだあっけに取られたままの事務員や知り合いの脇を通り、事務所の扉をくぐり外にでて、エレベーターホールへと進みだしたその時、俺を呼び止める声が背中から聞こえた。
 声の主は、振り返らなくてもわかる。そのまま無視して立ち去ろうかとも考えたが、エレベーターを呼ぶボタンを押そうと伸ばしていた腕を止め、声のした方へ顔を向けた。



「何か、用か?」



 マネージャーはよほど悔しかったのだろう。部屋にいたときと同じように頬を紅潮させ、睨みつけるような視線を俺に送ってきた。


「何故なの?」


 一旦立ち止まっていた場所から、ゆっくりとこちらへ歩み寄りながら口を開く。


「まだ高校生で、人気もあって、貴方が望めば何だって手に入るじゃない! それだけの才能が貴方にはあるでしょう!」


 自分の言葉の正当性を信じて疑わないその言いように、俺は完全に分かり合うことを放棄した。

 この女には、俺の言葉は通じない。
 人気とか、才能とか、そんなものでしか人の価値を見出せない、女。




(何でも、手に入る、か)




 ふと、無意識に笑みが零れる。
 もしそれが本当なら……俺はこんな思いを抱える事はないだろう。

「一時の感情に流されるなんて馬鹿げてるわ。高校生の恋愛感情なんて、思い込みと勘違いの産物だって貴方にならわかるでしょう」

 コイツは、そんな恋愛しかしてこなかったのだろうか。
 目の前に立つ、見た目は隙のない精錬された女。俺の哀れみにも似た眼差しに、一瞬だけ怯んだような表情を浮かべる。



(同じだな、俺と)



 アイツに、 に出会うまでの俺と。
 他人は他人。一定の距離を置いて、交じろうともせず、また自らに対してもそれを拒んだ。下手に飛び込んでも、俺にとってそれはリスクが高すぎて。
 周りの俺を見る目。決して普通の同級生としては認めてくれない視線。


 特別視。


 それでいいと思った。それ位、周りの概念に振り回されることに疲れきっていたあの頃。




 でも、 に会った―――。


 俺の、特別。






(俺が望むのは……アイツだけだ―――)






 地位も、名声も、財産も、好意も信頼もなにもいらない。ただ、アイツさえいてくれれば。
 がとなりで笑ってくれさえいれば、それでいい。

 俺は再び下ろした腕をあげて、エレベーターを呼ぶために逆三角形が描かれたボタンを押した。


「あんなコの為に、全てを捨てるの?!」


 その顔は相変わらずだったが、何故か俺には彼女が泣いているように見えた。


「何故なの!? 確かに普通より少しくらい可愛いかもしれないけど、それだけじゃない……私がちょっと揺さぶりをかけたらすぐ動揺するようなコよ!? 貴方のこと信じていない証拠じゃない……わからないわ」


 わからない、と呟くように繰り返す。
 の笑顔と、さっきの泣き顔が交互に脳裏に浮かぶ。


 俺を気遣って笑う
 俺のせいで、泣く


 アイツが浮かべる表情全て、行動のひとつひとつも全部俺がきっかけであればいいと、どれだけ願ったかなんてきっとこいつには一生わからないだろう。




(高校生の恋愛感情は、思い込みと勘違い……か)




 もしそうなら……この胸の痛みや熱も、やがて過ぎ去るのだろうか。
 時と共に風化して、いつかふと思い出したときに苦笑いするような、そんな一時(いっとき)のものなのだろうか。

 なら。

 幼い頃の想いを引きずっている俺は…病んでるのかもしれない。
 アイツさえ泣かなければいいと、願う俺は、きっと一生病んだままだろう。

 ポーンという音と共に、エレベーターのドアが開く。俺はゆっくりと歩き出した。


「後悔しても知らないわよ!」


 叫ぶように真っ直ぐに俺に最後の言葉を投げつける。俺は、それすら笑って受け止めた。




(後悔なら、もう……一生分した)




 数時間前に。

 静かに、分厚いエレベーターのドアが俺とアイツの空間を分断した。

 あんな思いは、もう二度としたくない。
 1階へ向かって、加速するエレベーター。エレベーターが下へ行けば行くほど、俺の心が軽くなっていくのを感じる。
 そして目的地点に着く瞬間独特の浮遊感に一瞬包まれ、到着の合図と共に扉が開く。

 開かれた扉からまぶしい光が俺を照らし、一瞬目を細めた。



「珪くん!」



 同時に、俺を呼ぶ声。

 白い光に目が慣れてくると同時に、俺を呼んだ人物の姿が浮かび上がる。バイト先のエプロン姿のままで、肩で息をして、でも視線だけは真っ直ぐに俺を見つめる。





 俺が呼ぶのが先か、彼女が駆け寄ってくるのが先だったか。

 きっと必死で走ってきたのだろう。髪はぼさぼさで、前髪は風の抵抗に逆らいきれずにおでこが全開になってる。エプロンも右肩の紐が二の腕の方まで下がっていて、 はそれを持ち上げながら一呼吸した。


「……っ、も、珪……っくん急に、ハァ、走り出すからっ……」


 それだけ言うと再び呼吸を整えることに専念する。前かがみになって両手を膝に当て、いつもの倍以上のスピードで酸素を体内に送り込むために呼吸をしている。

 彼女の姿を認めた瞬間、胸の中にあった重苦しいものが晴れていくのがわかる。雲が途切れて、光が差し込むイメージ。少しづつ、少しづつ彼女の光が俺を照らしてくれる。
 俺は彼女の1歩手前まで近づき、彼女が落ち着くのを待った。



(このまま、抱き締めたい)



 綺麗な洋服を着てるわけでもないし、化粧をしてるわけでもない。
 俺たちが通う、はばたき学園の制服を着て、バイト先のエプロンをつけて、全く化粧っけのないその頬を赤くさせて肩で息をついて。
 おでこは、全開だし。走った為に髪の毛はグシャグシャ。

 それでも。

 が、一番綺麗だ―――。


「髪ぐしゃぐしゃだ、お前」


 笑いながら前髪を梳いて戻してやると、走ったせいではない赤みが彼女の頬にのる。そしてその手を両手で掴むと静かに下ろし、真剣な眼差しで俺に問い掛けた。


「ね、何か言われた? 大丈夫だった? 嫌な思い、しなかった?」


 呼吸が落ち着いたと思ったら、真っ先に出てきたのが俺を心配する言葉の数々。俺は苦笑しながら取られた手で、逆に彼女の手を握り締めた。


「お前が心配する事、ない……大丈夫だから、心配するな。それよりお前大丈夫なのか、バイト抜け出してきて」
「うん、むしろマスターが追いかけなさいって言ってくれたの。後悔しちゃいけないって、あれこれ考えるより先に、自分の眼で見て、信じたいものだけ信じなさいって……言ってくれたの」
「……そうか」


 多分、あの女が にした一部始終をマスターは見ていたのだろう。
 だからこそ、俺に気付くよう仕向け、 を後押しする言葉をくれた……。

 大きい借りが出来た気分で、俺は の背中に手をあてて出口へと促す。

「何か、言われたんだろ……? ……アイツに」

 アイツ、が誰を指してるか当然 は気付いただろう。その証拠に背中に当てた手に動揺が伝わる。

「……ごめんね」
「何が」

どうしてここでが謝るのかがわからず、俺は眉をひそめて言葉の続きを待った。

「少し前に、珪くんがわたしの為に距離を置こうとしてたでしょう?あの時、えらそうな事言って、大丈夫だって言って……結局珪くんに心配かけちゃったね」

 自分の言った言葉で場の雰囲気が壊れるのを恐れるかのように、笑顔を作って俺に微笑む。


「『第3者のせいで距離をおくなんてヤダ!』なんて偉そうなこと言っておいて……振り回されて、馬鹿みたい」


 言って、何かに耐えるように右手を胸の前でぎゅっと握る。
 馬鹿みたい、だよねと、小さな声で繰り返す。


…」

「でもね、わたし思ったの。今までは何となくで余り実感なかったんだけど、今回のことで、沢山の人が珪くんを好きで、大切に思っていて、凄いって思っていて、できる事なら独り占めしたいって思ってたり、相応しくないと思う人間には傍にいて欲しくないって思ってること、わかったの」


 俺が言葉をつむごうとするのを、でもね、と止める。


「だから、思ったんだ。だからこそ、わたしはわたしでいようって。普通の で、同じクラスメイトの葉月珪の傍に、いるよ? ……誰に何を言われても、わたしが傍にいたいのは『モデルの』とか『凄い』とか『カッコいい』とか、冠のついた珪くんじゃないもん。だからもう考えるのやめたの」


 大きな瞳に俺が映っているのがわかる。
 真っ直ぐな、迷いのない瞳。声や口調だけじゃなくて、身体全体で自分の気持ちを俺にぶつけてくる。


 握った小さな手だとか。
 俺を見つめる視線だとか。

 一つ一つが、彼女の発する言葉に力を与えて俺の胸に忍び込む。


 俺が言葉を失くして、ただ彼女を見つめていると少し慌てたように言葉を続けた。


「あ! でもあれだからね、モデルの珪くんが嫌いとかそういうんじゃないから誤解しないでね? モデルの珪くんが嫌いなんじゃなくて、なんかこう、分かれてなくてわたしにとっては全部が珪くんだから気にしないよって意味で……あれ? だ、だからね!」


 目がくるくる動き出す。こいつが慌てたり、困っていたりする時の、クセ。

「えーっと、だから、基本がクラスメイトの『葉月 珪』が基本だよってことで、形容詞はどうでもいいっていうか、いやどうでもよくなくて珪くんが凄いのは嬉しいんだけど……ってそんなことはどうでもよくて」

 そこまで言って、はっと我に返ったように俺の顔をみる。俺は必死で笑いをこらえていたが、どうやら見透かされたらしい。
 俺の顔を見るや否や頬を赤らめて不満げに膨らませて俺を睨んだ。

「……おもしろがってるでしょ?」
「別に……」

 言って視線をそらす。途端、 が俺の腕をひっぱって自分の方へ無理やり顔を向かせようとする。

「珪くん誤魔化す時必ず横向くんだからね! 隠したってわかるんだから! もう〜っ!!」

 そんなクセ、あったか? 俺。
 一生懸命言葉捜してるのにっ! って怒った様にぷいと が顔をそむけた。



(ホント、単純なヤツ)



 俺と はゆっくりと歩き出して、その場を後にする。夕方だというのに一向に太陽は主張を弱める事無く照り付け、じりじりとアスファルトを焦がして空中の大気にさえ熱を伝える。
はふと気付いたようにエプロンを外して半分におり、腕にかけた。その仕草で、ちらりと覗く白い包帯。

「痛むか?」
「え?」
「腕と……足」

 俺に言われて思い出したかのように伴創膏だらけの膝と、ひねった左腕を交互に見る。

「大丈夫! シップだって念のためだし、わたし小さい頃から良く転んでたみたいだから」

 何でもないところでも転ぶんだよーと、無邪気に笑う。



(知ってる)



 幼い頃の記憶が、フッと脳裏をかすめて消えていく。

「ん? 何か言った?」
「いや、別に……気をつけろよ? お前、女なんだから」

 俺がそう言うと、何故か はぽかんとした後一気に赤くなった。

「……何か変な事言ったか?俺」

 聞くと、 は自分の手のひらで頬を冷やすかのように、両手で頬を包んで俺の視線を避けるように少しだけ俯く。

「いや……うん」
「何だよ」

 明らかになにか含みのある返答に、俺がやや強い口調で聞き返すと、 は俯いたまま視線だけを俺に向けて、更に赤くなりながら言ったんだ。



「……急に女の子扱いされると照れる〜っ!!」



 言って更に照れた様に俯いて、耳まで真っ赤に染める。俺はそんな についていけなくて、一瞬真っ白になった。
 急にって……今までだって俺が一度でもお前をそう見なかったことなんてあったか…?


 想いを込めて触れた腕も。
 抱き締めた腕の強さのその意味も。


 全く、全然伝わってなかったのだろうか?




(鈍いにも、程がある)




 頭を抱え込みたい気分で俺は思わずため息をついた。 はそんな俺の胸のうちにこれっぽっちも気付いた様子もなく、ひたすら照れて、照れて。

「あんまり女の子扱いされた事無いから、照れちゃったよ。何か今、珪くんが『王子』って呼ばれるのがわかった気がする」

まだ頬を両手で抑えたまま、変な事を が言い始める。俺は彼女が言った単語の方が気になって、訝しげに彼女を見た。

「何なんだ、それ?」
「ん? 学校の女の子達の間でそう言うあだ名がついてるの、珪くんに。知らなかった?」

 俺は黙って首を振る。陰で勝手に人の名前を変えないで欲しい……。
 しかも『王子』って……何なんだそれは。

「今まではルックスでそう言われてるんだーって思ってたけど、違ったんだね。こう、なんていうか女ゴコロのツボを抑えてるというか……言われたら嬉しい事を珪くんさらっと言ってくれるんだもん。本当に王子サマみたい」

 やっと俺の顔を見てにこっと笑う。そして「暑いねー」って言いながら、手のひらを顔の前でぱたぱたさせて温い風を送っていた。
 俺は果てしない脱力感に襲われながら、前に向き直って歩く彼女を見下ろした。




(お前だからに……決まってるだろ)




 他のヤツに言う訳がない。
  俺の気持ちが全然伝わっていない事を裏付ける彼女のセリフに少なからずショックを受けたが、自分でも思うほど嫌な気分じゃなかった。



『王子サマみたい』



 又、幼い頃の記憶が蘇る。
 今と同じように膝に怪我をして、見るからに危なげだった彼女に俺が言った言葉。



『オレが、王子になってやる』



 幼いなりの独占欲。大切な彼女が傷付かないように、悲しまないように。
 ……笑っていてくれるように、誓った言葉。




(俺は……お前の王子になれるのだろうか)




 こんな俺でも……変わってしまった俺でも。
 俺にとって、お前はずっと姫のままなんだ。出会った時から、もう何年も何年もずっと。
 そして、恐らくこれから先も。





『姫はわたしの心の幸い』





 昔 に読んでやった古い絵本の一文を思い出す。
 認めてもらえなかった王子が、自らの想いを証明する為に旅立つ前に言ってのけた台詞。

 今なら良く、わかる。
 「心の幸い」が、どんなものなのかが。



(俺なら攫って逃げるけどな)



 絵本の王子は、1人旅立ち想いを証明する方法を選んだけれど。もし2人結ばれて、邪魔するものが現れたなら俺は を攫って逃げるだろう。
 1日でも……離れてなんかいられない。


「なって、やろうか……?」
「え?」


 少しだけ赤みをました太陽の光を横から受けて、 が俺を振り仰ぐ。
 俺が言葉の続きを口にするのと同時に、貨物トラックが轟音を立てながら俺たちの横を走り去り、 は髪の毛を抑えながら片目をつぶった。

「ごめん、珪くん聞こえなかった。もう一回言って?」
「……何でもない」
「えーっ、気になるよー!」

 何とか聞き逃した言葉を捕まえようと、何度も聞き返す を車道側からさりげなく歩道側へ誘うと、一瞬なんで? って顔で俺を見た後にやっぱり又赤くなって。


「……女扱いされると、そんな照れるのか…?」


 俺が疑問を口にすると、言葉に詰まった後、「やっぱり王子サマだ〜」って俯きながら言ったその言葉は。
 こっちが赤くなる位甘い声だった。







Fin

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  Comment:


  ……終わりました(放心)。
  むーさま1000Hitキリリク、これにて終了です。
  リクエスト頂いた時は、こんなに長いお話になるとは思わず、書き進めるうちに「あれ?あれれ??(汗)」となり
  そしてトータル7P…片瀬はいつもWordで書いているのですが、総数30P越えましたよ(笑)。
  書いていて楽しかった部分も、続かなくて苦しかった部分もありましたが、色んな意味で思い入れの大きい
  お話になりました!

  むーサマ、リクエストありがとうございました〜vv
  最後まで読んでくださった方々、本当にありがとうございました!!


※up日未詳


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