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● つづく道 |
まだ二年生だっていうのに、進路調査票が配られたのを覚えてる。
なっちんやタマちゃんと一緒に、えー早いよねって苦い顔をしたら、志穂さんには別の意味で苦い顔をされたっけ。
それから、三年生の夏休み前にもう一度。
その時は、さすがに考えざるを得なくてうんうん悩んだ結果、一流大学の名前を第一志望に書いた。成績的には合格圏内、だとは思うけれど、所謂トップレベルの大学を受験するプレッシャーを改めて感じて、勝手にへこんでは氷室先生に渋い顔をされた。今からそれでどうするって。
「さ、むーい!」
11月の始めは、結構着るものがむずかしい。学校なんてなおさらで。
コートを着るにはまだ早いし、かと言って何も羽織らないのは寒いし。マフラー? それともカーディガンかな、と悩んだあげく、朝の天気にだまされて無防備で登校したわたしは、放課後大いに裏切られる羽目になった。うううひどい。神様のいじわる。
「もう7時過ぎだしな……」
「こんなに遅くなるなんて思わなかった……ごめんね珪くん、待たせちゃって」
手芸部はとっくに引退したんだけれど、後輩に頼まれて久しぶりに部活に顔を出したんだ。息抜きにもなるしね、って、だから先に帰っててって言ったのに、珪くんは図書室で勉強でもしてるって待っててくれた。
久しぶりの雰囲気が楽しくて、後輩の子に、ここはこうした方が縫いやすいんだよとか教えている内に、気がつけば6時半をまわっている時計を見てびっくり。文字通り飛び上がったわたしを見て、「あ、もしかして葉月先輩が待ってるんですか?」なんて、なんでわかるのそんなこと。
わからないと思う先輩が不思議です、なんて微妙な言葉を背中に貰いつつ図書館にダッシュして。今日ほど特別棟の最上階にあるというロケーションを恨んだ日はなかった。切実にエレベーターが欲しい!
遅かったせいなのか、それとも最初からそうだったのかはわからないけれど、うっすらと暖房が効き始めた図書室で珪くんは机につっぷして寝ていた。
空調から送られる風に、ひよひよとてっぺんの髪の毛がやわらかく揺れていて、思わずほっぺたがゆるんじゃったり。
そんな葉月くんをそっと起こして、遅くなったことを謝りつつこうして一緒に帰っている訳なんだけど、それにしたって待たせすぎたよね。ほんとにごめんね。
「いや……待ってるって言ったの俺だし。気にするな」
いつもの帰り道よりもずっと暗い中で、それでも珪くんがうっすらと微笑んでくれたのが分かる。嬉しくて、でも嬉しいと思っちゃうのも申し訳なくて、緩む口元をごまかすように、指先を当ててそっと息を吹きかけた。
「もう11月だね」
「だな」
「きっと、あっという間に今年が終わって、受験なんだろうなあ」
小さな頃は、1日ですら永遠にも近く感じられて。早く時間が過ぎないかなって思っていたくらいだったのに。
大人になればなるだけ、伸びる背が空に近付くように、時間の感じ方も近くなる。早くなる。気がつけば一学期が終わって、夏休みになって。文化祭の準備を頑張っているうちに二学期が終わって冬休み。そして又学年があがっちゃうね、なんて話しているうちに本当にそうなって。
「将来の夢、なんて……ほんと、夢でしかなかったのにな」
わたしの独り言を、珪くんは黙って聞いていてくれる。時折短い相槌をくれながら。
「進路調査票、珪くん出した?」
「ああ」
「やっぱり一流?」
「ああ……近いし」
先週、最終調査と言う名目で配られたそれをどうしたのか聞くと、以前聞いたときと変わらない答えに思わず噴出す。近いからって理由で大学を選ぶのも凄いし、それがあの一流っていうのも凄い。
すると珪くんが少し眉間に皺を寄せて、頬を赤らめる。こういうところが、本当に可愛いなって思うんだ。勿論そんなこと言ったらもっと怒っちゃうから、絶対言わないんだけど。
もう一度、指先に息をふきかけた。見えるか見えないかくらいの微かさだったけれど、わたしの吐息は白く色づいて消えていく。ああ、もうそんな季節なんだね。
「じゃあ、直近の夢は二人とも一流大学合格、かな」
「それ、夢か?」
「うう……夢じゃなくて現実になればいいなって思うけど」
「いや、そうじゃなくて……合格は夢じゃなくて目標だろ?」
――努力すれば叶うんだし
多分、何の気なしに言った言葉なんだと思う。だけどわたしはその言葉が凄く響いて、びっくりして、返事を返すことが暫く出来なかった。
努力すれば叶うことが目標、なら。
(じゃあ)
わたしの夢、は。
流れ行く時間に逆らうように、歩くスピードが勝手に遅くなる。進まないで。まだこのままでいて。
「?」
だってわたし。
(一緒にいたい)
完全に止まってしまったわたしの足。少し先まで行ってしまった珪くんが、驚いたように戻ってきてくれる。それからわたしの顔をみて、もっと驚いた顔をして唇を引き締めたのがわかった。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
首を左右に振る。心配させてるの、わかる。ごめんね珪くん。だけどわたし、だって。
今日だけじゃなくて。
卒業するまででもなくて。
大学に一緒に行けるだけでも全然足りなくて。
(ずっとずっと一緒にいたい)
そのためにはどうしたらいい?
いつの間にか生まれて、勝手に大きくなって。名前呼んでもらうだけでも、一緒に帰るだけでも足りなくなった気持ちをどうにかしたいのに。
勉強頑張って、お洒落も研究して、運動だって人一倍して。
だけどそんな努力だけじゃ叶わない願いを夢というのなら、どうしたらそれを近づけられるのかな。
心配そうに見つめる翡翠の瞳。昼間よりも暗い色は、その分湿度を帯びて艶めいて光る。
そこにうつるのは、今にも泣きそうな顔をした平凡な女の子。
「ごめんね。ちょっと寒くて」
「寒い? 本当にそれだけか?」
「うん。えへへ、ごめんね」
バレバレの嘘、ついて。だけど珪くんはそれ以上聞かずにいてくてた。
ゆっくりと歩き出したけど、そんなんで進んじゃう距離すら悲しくて、泣きたくなるのをぐっと堪えるように唇をかんだ。
すると、ふわり。噛んだ唇の周りからぐるりと柔らかいものが巻きつく。
びっくりして珪くんを見れば、彼がしていたマフラーをわたしに巻いてくれていて。
慌てて「いいよ」って言おうとして吸い込んだ息に、シトラスの香りが混ざる。苦しくて、苦しくて、それきり何も言えなくなった。
「ないより、マシだろ」
ぐるりと巻いて、落ちないようにしっぽを襟足に巻きつけて、おまけにぽんぽんってまるで子どもをあやすようにわたしの頭を撫でる。
いえない言葉の代わりに見つめれば、安心させるような笑顔。
(すき)
珪くんが好き。
「……ありがとう」
ようやく言えた言葉に、返って来たのはやっぱり笑顔で。
「いつものコンビニまで歩いたら、なんかあったかいもの買ってやるよ」
「あ、待たせちゃったからわたしが奢る!」
「いい、別に。そんなの」
だって、待たせた上に奢ってもらっちゃったら、わたしの気がすまないもん。
がんとして主張をすれば、やがて珪くんが折れて「じゃあ、奢られる」って。語尾にはいつもの「サンキュ」。わたしね、珪くんの「サンキュ」が大好きなんだ。
気付かれないように、珪くんのマフラーから漂う香りを大きく吸い込む。消えることの無いシトラスの香り。安心する。
「ねえ、珪くん。じゃあさ、珪くんの夢ってなあに?」
「唐突だな」
「だって、努力して叶うものなら目標なんでしょう? だとしたら、珪くんなら何でもかなえられそうな気がする」
「おまえ……買いかぶりすぎ」
言って、ため息一つ。だって本当にそう思うんだもん。だって、珪くん凄いし。なんたって、超能力者だし。
するとわたしの思考を読み取ったのか、くしゃくしゃとわたしの頭を撫でる。ね、知ってる? わたし猫じゃないんだよ。人間の女の子なんだよ?
そんなことしたら、うんとどきどきするって知らないでしょう。
「ある。夢」
「え? 何、何?」
マフラーのせいだけじゃない頬の熱をごまかすように、必要以上にはしゃいで問いかけると、珪くんはわたしとは真逆に、言葉にできないような切ない表情を浮かべていた。
落ちる速度。今度はわたしのせいじゃない。珪くんのそれがゆっくりになって――止まった。
「珪……くん?」
彼の眼差しが捉えるのは、わたし。まっすぐに、まばたきすらしてないんじゃないかと思うほど。
ねえ、なんでそんな目でわたしを見るの?
「でもきっと、叶わない」
ようやく続けた言葉がそんな切ない言葉だったから、わたしは思わず珪くんの制服をつかんで彼を睨む。近付いた分だけ見上げる角度が増えたけれど、首が痛くなったって構わない。下から見上げるように彼の揺れる眼差しを覗き込んで、否定の言葉を口にした。
「そんなことない。珪くんなら、珪くんだったらきっと叶えられるよ!」
「違う。俺だから、無理なんだ……多分」
「珪くん、だから?」
言っていることの意味がわからなくて、だから説得も出来ない。だけど、どんなことだって、珪くん自身が望んでることを諦めてなんか欲しくなくて、目だけは絶対に逸らさないって思った。
どうして、と。
それをやっと口に出来たのは、大分時間が経ってからだった。
珪くんはわたしの言葉を聞いて、一瞬だけ片頬を痛そうにゆがめた。それで、どうしてかはわからなかったけれど、なんとなく珪くんにそんな顔をさせてしまっているのはわたしなんじゃないかって。
(どうして?)
わからないよ。
「人の、気持ちだから……どうにもならない」
やがて搾り出すように、でも淡々とした音で返された返事。
固まったままのわたしを見て苦笑して、彼の制服を掴んでいたわたしの手をゆっくりと外す。全ての指を自分の制服から外すと、まるで壊れ物でもあつかうように、そっと、そっとわたしの手を手放した。
「大事だから、壊したくない。壊すくらいなら、夢なんて叶わなくてもいい」
だけど、と。
「そう、思っているのに……諦めきれない」
だから、夢なのだと。
(そんな顔しないで)
マフラーを解く。何かを振り切るように歩き出した珪くんに向けて走る。温められていた首周りが一気に冷えて、ぶるんってなったけど、そんなのどうだっていい。
「――っ!?」
めいっぱい背伸びして、だけどちょっと苦しかったらごめん、なんて思いながら、珪くんの首にマフラーを巻き返す。びっくりした珪くんが振り返ったけど、マフラーのはしっこをぎゅっと握って、それを許さなかった。
「だったら、諦めなければいいよ」
もう、諦めないで。
「ずーっとずーっと頑張ってたら、いつかどうかなるかもしれないもん。頑張ってる限り終わりじゃないんだから、ずーっと頑張ってたらいいと思う」
『伝わらないんだ、俺の言葉』
まだ葉月くん、って呼んでた頃。やっと仲良くなり始めたときに、ふと漏らした心の声。
だけどさ珪くん。
今はもう一人じゃないよ。姫条くんだって鈴鹿くんだって守村くんだっている。珪くんのこと、あんまりよく思ってなかったなっちんたちだって、今じゃ友達なんだよ?
「わ、わたしだって……珪くんと仲良くなりたくて、うんと頑張って、そしたら仲良くなれたもん。わたしが珪くんと仲良くなれたこと以上の奇跡なんてないから、だから大丈夫!」
振り向こうとしていた力が抜けるのが、マフラー越しにわかった。
言いたいことを言ったものの、なんともかっこ悪い励まし方で自分自身にがっかりする。だけどでも、言いたかったんだもん。伝えたかったんだもん。
もう、ただ一人で諦めないでって。
「
……苦しい」
「っ、わ、ちょ、ああっ、ご、ごめんっ!!」
気付けばぎゅうぎゅうマフラーの端っこをひっぱっていたらしく、慌てて手放す。珪くんはと言えば、襟元に指を入れてマフラーをひっぱり、ようやく一息ついたように軽く息をこぼした。
(いつもこんなんばっかりだなあ、わたし)
かっこつかない。独りよがりで、恥ずかしい。
もうマフラーなんかいらないくらい熱くなった身体をもてあましつつ、珪くんの様子を伺う。
珪くんはすぐ先の、けれどどこか別の場所を見ているような眼差しで、私の言葉を繰り返していた。
「奇跡、か……」
って、わたし、自分で奇跡とか言っちゃったよそれって相当確立低いんじゃ!
「あ、あの、そういう意味じゃなくて、だから頑張ればなんとかなるよってことが言いたくて、そ、そりゃ珪くんは迷惑だったかもしれないけど、それでも、あの」
「馬鹿。迷惑なんかじゃない」
「珪くん?」
「迷惑なんかじゃ、ない……けど、そうか。まあ、今でも十分奇跡、だよな」
再び歩き出した珪くんに合わせて、わたしも歩き始める。大慌てで否定したものの、珪くんは違うところがひっかかっているように言葉を繰り返していた。
「珪くん、あの……」
「ああ、悪い。いや、そうだなって……あの時おまえが頑張ってくれたから、今こうしていられるんだよな、俺たち」
わたしを覗き込むように背中を丸めてそう言った珪くんの眼差しがひどく柔らかかったから、ほっぺたのてっぺんがぴりぴりする。やだな、せっかく気持ち切り替えたのに、又泣いちゃいそう。
「そうだよ? うーんと頑張ったんだもん。珪くん冷たかったし」
だから、意地悪も兼ねてわざと大げさに責める口調で言ってみる。
「悪かった……どうせ、おまえも興味本位だと思ってたし」
そしたら予想以上に申し訳なさそうな声が帰ってきたから、わたしは大慌てで否定する。うそだよ、珪くんちゃんとやさしかったってば。
一緒に帰ってくれる時は、わたしのペースに合わせてくれたし。
他愛ない話にも、相槌打ってくれたよね。
(だから、好きになった)
かっこいいとか、頭いいとかじゃなくて。
勿論そういうのもスパイスだけど、もっともっと根本的なところ。
誰よりも純粋で、やさしいとこ。人のこと嫌いって言っているくせに、嫌いになりきれなくて、そのせいで苦しんじゃうような。
勿論最後までは言えないから、前のところまでで終わらせる。いつか、それでこそ本当に夢みたいな話だけど、もし珪くんと別の関係になれたらちゃんと言うね。
「あ、コンビニ」
信号の先。たまに寄り道するコンビニが暖かそうな光を内側から零しながら『早くおいで』って言ってる。
珪くん何がいい? なんて話しながら、信号が青になるのを待つ。わたしは何にしようかな。帰ったら晩御飯だし、あったかい飲み物だけにしておこうかな。
「さっきの話だけど」
「え?」
「夢の話」
反対方向の信号が、点滅を始める。ちかちか明滅をする青信号が、珪くんの頬を不思議な色で照らしていた。
「おまえが先に頑張ってくれたから……今度は、俺が頑張る番、だよな」
かちん。
最後の明滅が終わり、赤信号になる。同時に車道の信号が青から黄色に変わり、やがて赤になった。
「え……でも、珪くんの夢は」
珪くんの奥から車が滑り出す。青になった信号。行くぞ、って、わたしの背中に手を置いて促す。
わたしの頑張った分と同じだけ、珪くんも頑張るってことなのかな。
(それとも)
都合のいい結論を導き出そうとした自分の脳内を必死で現実に戻し、そんな自分が珪くんにばれないようにコンビニへとダッシュする。後ろで、珪くんがちょっと慌てたみたいに走り出すのがわかった。
青信号の先。その先もずっと。
わたしの夢は。
Fin
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Comment:
久しぶりの葉主。
なんだかが当社比1.2倍な感じで活発になっている、よう、な(苦悩)。
高校生っていいなあ。謳歌するといいですよ青い春を!!
200710271
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