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●片翼の夢 |
『ボクの彼女さんになってくれへん?』
そう言われたのは、なんでもない普通の1日の午後。
『へ? え、えええええっ!?』
素っ頓狂な声をあげ、これ以上赤くなりようもないほど赤面したに、クリスが慌てて補足する。
『あ、ちゃうねんちゃうねん! あんな、今度お父ちゃんの会社のパーティーがあって、おエライさんがぎょうさん来るんやけど、エスコートする相手が必要やって、頼めへんかなーって』
一応跡取りやから、独り身言うんも色々つっこまれるネタんなってな、面倒なんや。
珍しく困った顔で、笑う。勿論嫌なら断って欲しいとクリスは言うが、そんな顔を見てしまっては断れようはずもない。
(パーティーなんて行ったことないけど、役に立てるなら)
考えが、甘かったのかもしれない。
クリスの言うパーティーが、自分の辞書に載っているそれとどれほどかけ離れているかなど、想像もしなかった。いや、正確には想像はしたものの、それが追いついていなかっただけのこと。
「ちゃん、お人形さんみたいや」
クリスが用意してくれたドレスに靴。アクセサリー。
着付けは勿論、髪の毛までくるくると巻かれてはあっという間に変身を果たす。
飾り立てられた自分を見てクリスは目を丸くして褒めてくれたけれど、自分にしてみればドレスに着られているとしか思えない。居場所がなくてしゅくしゅくとしてしまう。
(っていうか……ほ、ほんとうにこんなドレスを着る場があるんだ)
見たことはある。映画とか、なんとか大賞の授賞式とかをテレビの中で。
そのたびに、一回しか着ないであろうそれに、そんなにもお金をかけられる人たちというのはどんな人たちで、どれほどの機会が一生の内にあるのだろうと不思議に思っていたのだが、まさか実体験でそれを確認する羽目になるとは思わなかった。
触れば分かる。学芸会の時に着るような、出来合いのドレスとは違うことを。
完全に自分用に仕立て上げられたとしか思えないフィット感に疑問を覚えれば、いたずらっ気たっぷりにクリスが笑う。ゲイジュツカの目をなめたらアカン、と。
それはどういうことなのかと思ったが、深く考えると自滅しそうなのでやめた。
胸元を飾るネックレスも、ピアスも重い。そう、重いのだ。
その重さがそのままプレッシャーとしての肩に圧し掛かる。こ、これ、無くしたりしたら一家離散とかにならないだろうか、と。
「何か笑顔が固いなあ。ちゃんは、いつもどおりにしてくれとったらええんやで」
「いつもどおりって言われても……こんな豪華なドレスなんて着たことないし、どうしたって気後れしちゃうよう」
唯一の頼みの綱がクリスである。そのクリスも、以前見かけたようなスーツ姿で普段とは全く雰囲気が違う。
以前見かけた時は仕事だったいうこともあり、抑えていた華やかさが開放されている分余計に性質が悪いのだ。助けを求めてクリスを見ても、そのクリスにどきどきしてしまっては何の意味もない。
(かっこいいって知ってたけど知ってたけど!)
青にも見える翡翠の瞳が、白い肌に映えて。
金の髪自体がまるで装飾品のようにクリスを彩る。
色素の薄いクリス自身を包むスーツは、黒に見紛う程に深い緋色。いつもより伸ばされた背筋が『男の子』じゃなくて『男性』なんだと無理やりにも教えてくれる。多分それは、仕事用に切り替えられている表情のせいでもあるのだろうけれど。
「ごめんなあ巻き込んでしもうて。ボクは可愛いちゃん見れて役得やけど、堪忍なあ」
「あ、ううん! ごめん、そういう意味じゃないの! うーと、うーと、が、頑張る」
胸の前で小さくガッツポーズを取るは、纏うものは違ってもいつもの彼女だ。
けれど、いつもと違う装いに戸惑っているのはだけではない。それはクリスも同じこと。
細くて小さくて、『女の子』だなあと思っていた。笑うと、小さな白い花が咲いたようで、その笑顔を見るのがクリスは大好きで。
けれど、彼女に仕立てたドレスを纏ったは、自分の予想に反して『女性』になった。可愛い、と評したが、素直に綺麗だと認めてしまうと抑えがきかなくなってしまいそうだったから。
女の子は大好き。だけれど、特別は作らない。作れない。
必ず来る別れに巻き込んでしまうのは嫌だったから。もし自分を好きになってくれる子がいたとしても、決して特別な関係になったりはしない。
別れの辛さを味わうのは、自分だけでいい――。
こんなことを頼むのは、誰でもいいわけじゃない。
普通の世界に住むオンナノコには酷な頼みだとは分かっていても、叶わない夢を一時でも実現させたいという我侭を許してはもらえないだろうか。
「それではお姫サマ、お手をどうぞ」
恭しく頭を垂れ、右手を胸に、左手をへと差し出す。
下げた位置から伺うように視線だけをあげれば、頬の赤みはそのままに微笑む彼女がいた。
「失敗しちゃったら、ごめんね?」
「だいじょーぶや、ボクが傍におるから、ちゃんは何も怖いことあらへんよ。いつものキミらしゅう、笑ってくれてたらええねん。それだけでオジサマ方はノックダウンのクラクラ〜や」
さあ、と、再度促すクリスの手に、はそっと自分のものを重ねる。
するとクリスは白い指先を口元に運ぶと、マニキュアの塗られた爪先に口付けた。
「役得」
にっこりと微笑むクリスに、が絶句する。何をどう言葉にすればいいのかと迷っているうちに気がつけば手を引かれて歩き出し、靴が埋まるほど毛足の長いじゅうたんを踏みしめて会場へと向かった。
「…………」
扉をくぐった瞬間に、世界が広がった。
は絶句し、勝手に足が止まる。結果的にクリスの腕をひっぱってしまう形となり、それでの様子に気付いたクリスは、安心させるように柔らかく微笑んた。
「ちょっと見た目派手やけど、中身はただのおっちゃんやおばちゃんやし、びっくりすることない」
ちょっと? ちょっとなのか? これが。
あんぐりと開けてしまった口を慌てて引き締める。自分の恥はそのまま彼の恥になってしまうから。
(おおおおお女は度胸!)
おなかの中心にぐっと力をこめて、頷く。行くで、と、再び歩き出したクリスに遅れないよう、同じスピードで足を運ぶ。
すごい、あちこちがキラキラしている。
天井が恐ろしいほど高く、一体どうやっていつ誰が掃除をしているのだろうと思ってしまうシャンデリアが釣り下がっている。
立食形式のパーティーは、壁に沿うように料理が並べられており、中心に点在している小さな円卓を囲むようにいかにもな人物たちがグラスを傾け、談笑している。明らかに自分やクリスより、一回りも二回りも違う年代の人たちだ。
きょろきょろしないつもりでも、そうしてしまう。何しろ初めてのものが多すぎる。
どうしよう。軽い気持ちで引き受けてしまったが、返ってクリスに迷惑をかけてしまったら。
(どうしよう――)
瞬間、クリスの腕にかけていた自分の指に、反対側のクリスの手が重なる。
顔をあげれば、学校で見るあの笑顔が自分を見つめていた。
大丈夫。大丈夫だよ。
言葉にせずとも、伝わってくる気持ち。
「ちゃんが、この中で一等可愛い。ボク、皆に自慢して歩かななあ」
「……クリスくん、いつもそんなことばっかり」
「せやってホンマのことやもん。ボク、正直モンやから嘘なんかつけへんし、エンマサンに舌抜かれるのもごめんやもん。ホンマに、ちゃんが一等可愛くて……綺麗や」
最後の言葉を告げられたとき、一瞬ふうっと深い色がクリスの眼差しに浮かぶ。
どきりと弾む心臓に自身驚きながら再度見直せば、もうその色はどこにもなかった。
「クリス、ご無沙汰だね」
「ああ、叔父さん。お久しぶりです」
かけられた声に瞬時に反応し、クリスの顔が同級生のそれから事業家のものへと変わる。
とたん、年齢が二つも三つも離れてしまったように感じるから不思議だ。
白金の髪に茶色がかったグリーンの瞳。刻まれた皺の深さがその人物の経験を物語っているようで、一般人のからしてみれば気後れしてしまう。
「可愛らしいお嬢さんを連れているじゃないか。どちらのご令嬢だい?」
「あっ」
「さん。同じ高校で知り合った方ですよ」
「は、初めまして。といいます」
ぺこりと頭をさげて挨拶をすれば、形容し難い表情を一瞬浮かべ、しかしすぐに柔和な笑みに変えると「こちらこそよろしく」と挨拶を返してきた。クリスは相変わらず傍で穏やかに微笑んでおり、考えていることは読めない。
クリスが叔父と呼んだ人物の視線がどうにも居心地の良いものではなく、つい俯いてしまいそうになる顔を必死で上げ続けた。何か、自分はやらかしてしまったのだろうか。
「では、他の方へのご挨拶もありますので」
「クリス」
の手をとり、移動しようとしたクリスを呼び止めると、自分についてくるようにとその人物は一足先を行く。
不安そうに自分を見るに、クリスはいつもの顔で少し待っていてくれるよう言い残すと、彼に付いていってしまった。
そっと壁の方へと場所を移動し、は小さく息を零す。
途中オレンジジュースの入ったグラスを手に取り、口紅が取れないよう気をつけながらこくりと飲めば、随分喉が渇いていたのだと気付かされた。
ききなれない単語をちりばめて交わされる会話は、まるで異国の言葉のようでちっとも耳に入ってこない。
このような場所に、クリスはいつも出入りしているのだろうか。自分と同じ年の、男の子が。
(世界が違うって言えば、それまでだけど)
それでいいのかな、と考えてしまう。
無理やりやらされているのではなく、自分の意思で父親の手伝いをしたいとクリスは言っていた。その笑顔を見れば、嘘でないことは分かる。分かる、けれど。
水滴を吸収するナプキン越しに、グラスを触る。なんだかもやもやする。うまく言葉には出来ないけれど。
絵を描いている時のクリスくんは本当に楽しそう。
絵だけではなくて、何かを生み出しているときの彼の表情は本当にきらきらしていて、そりゃあたまに突拍子もないこともして周りを呆れさせたりもするけれど、最後には一緒になって笑って、胸の真ん中がほっこりと温かくなるのだ。
そういうのを、そういうのも、きっと『やりたいこと』だと思うのに。
プラスアルファの差で、義務感と夢をごっちゃにしていなければいいと思うのだ。クリスは優しいから、やりたいこととやってみたいこと、それにやったほうがいいことが並んだ時、『やったほうがいいこと』を選んでしまいそうで。
少し離れた位置で先ほどの人物と会話をしているクリスの後姿が、とてもとても遠く感じて。
(本当に、楽しいのかな)
そう思ってしまうのは、傲慢なのだろうか。
「こんにちは」
クリス以外知り合いのいない自分に声をかける人物などいないだろうと思って油断していたに、不意に声がかかる。
驚いて顔を上げれば、父親と同じくらいの年齢の紳士が立っており、人好きのする笑顔を浮かべていた。
「こ、こんにちは」
「ウェザーフィールド氏のご子息と、一緒だったお嬢さんでしょう? 初めまして、彼の父君とは仕事で大変お世話になっているんだ」
笑顔を返事の代わりにしながら、内心冷や汗だらだらである。一人寂しそうだった自分を気遣ってだかなんだか知らないが、出来れば放っておいてもらいたい。笑顔でここに立っているだけでも自分は精一杯なのだ。
(クリスくん、早く戻ってきて〜〜っ)
劇だ劇。これは劇だと思えばいい。
自分はではない。とある資産家の息子の婚約者だ。
(……むり!!!!)
自分でたてた作戦に自分でNGを出し、心の中でだけがっくりとうな垂れる。そんな器用な人間だったらこんなに苦労などしていないのだ。
「たまに彼とも仕事で会う時もあるよ。父君に比べればまだまだだが、なかなかに見所があってね。本格的に勉強すれば、かなりの実業家になるんじゃないかな」
「そうですか。きっと、喜びます」
「だからこそ、うちの娘はどうかなと思っていたんだが……いや、残念だ。すでにあなたのような素敵なお嬢さんがいらっしゃったなんて」
(そっちか!!!)
ますます変なことは口走れない。自分はクリスと付き合っているわけではないが、多分恐らくそういう設定でここにいる以上否定もできない。
が、もしこの人物が彼の仕事にとって重要な位置を占めているのであれば、機嫌を損ねることを口にするのは不本意であり、今後その令嬢とクリスがどうにかならないともいいきれない以上、自分の立場は死ぬほど微妙だ。
どうしよう、どうしよう。
頬のあたりがひくひくしてきた。笑顔にも限界が。
困ったように笑うことで否定も肯定もせずにいるを、賢明な対応と受け止めた紳士は先ほどの叔父と同じ質問をに投げた。つまり、どちらの令嬢か、と。
「娘と同じ頃か、あなたの方が少し若いといった印象だが、こんな場に来ても動じないなんてなかなか出来ることじゃないよ。幼い頃からこういった場に出入りしていたのかい? そうだな……はばたき財閥のご令嬢はもう少し幼いはずだし、ヨツワ商事のご令嬢は確か」
「あの、わたしはそんなんじゃ。普通の、クリスくんとは同じ学校っていうだけの接点で」
「学校? 確か、はばたき……いや違うな。羽ヶ崎学園とか言う平凡な」
「そう、ですけど」
平凡な、と言う単語が気になりはしたが、羽ヶ崎学園に所属していることは事実だ。
そしてその単語が意味する内容をが理解するよりも先に、発した響きに好意的とは言い難いものが乗ったことに気付いた。
先ほどまで浮かべていた笑みがすっと消える。波が引くようにすうっと。
「あ、の……」
「そう、同じ学校の。そうか、いや、これは失礼」
「何か問題でも?」
二人の間に、しなやかに割り込む影が一つ。
ききなれたイントネーションとは違っていても、声の響きがを安心させる。ふ、と気が緩んで涙ぐみそうにすらなった。
「こんばんは、樋口社長」
「ああ、クリスくんこんばんは。いやね、君の可愛らしいパートナーが壁の花になっていたものだから、不肖ながらお相手をと思ったのだが……」
「どうもありがとうございます。戻りましたので、お気遣いなく」
会話を続けながらも、クリスの手が自然との背中に添えられる。まるで大きな翼に守られているようだと、たったそれだけのことなのにこんなにも心強い。
クリスは言外に去れと告げたつもりだったが、相手には通じなかったらしい。立ち去る様子もなく、まるで値踏みするようにを見ては口元を緩ませた。
「しかし、駄目だなクリスくん。こういった社交場に同級生を連れてきちゃいけないよ。皆が誤解するだろう?」
「誤解……ですか?」
「君があの、羽ヶ崎とか言う無名の学校に行ったと父君から聞かされた時も、何の酔狂かと驚いたものだが、今回のこれも冗談にしてはいささかやりすぎだな」
触れていた背中が、ぴくりと震えたのがわかった。触れていなければ分からなかったであろうわずかなものであったが、クリスはそれを見逃したりはしなかった。
クリスは冷ややかな笑みを作る。は俯いており、自分の顔は見えないだろう。
見なくていい。自分の、こんな顔など。
「仰られている意味がわかりませんね。ボクは冗談で何かをしたことなど一度もありませんよ」
「ほう。では羽ヶ崎への進学も何らかの目的があってそうしたのであり、かつこの同級生とやらが君のパートナーだと」
「いい学校ですよ。自由で、伸びやかで。いささか刺激に欠けるきらいもありますが、損得や打算でしか動かない世界ばかりにいると疲れますしね。それに」
クリスの手がの肩に回る。ぐい、と強い力で引き寄せられ、バランスを崩してクリスに身体を預ける形になった。
いつもは届くことのない、わずかに纏われている香りが鼻先に届く。
意外なほどに厚い胸板が自分の全てを受け止めて、先ほどまで抱えていた泣きそうな気持ちが驚きに負けて飛んでいって。
「ボクの大事な人を貶めるようなら、ボクにも考えがありますよ。樋口社長」
驚いたように自分を仰ぎ見ようとしたを抱きしめる力で抑え、そうすることを許さない。今の顔は見られたくない。きっと、あまりに彼女が知っている『クリス』とは違うから。
相手はクリスの脅しになど意に介せずに鼻先で笑っていた。まあそうだろう。彼が取引をしているのはクリスの父が会長を勤めている会社であり、その人物が私情を挟むこともないと知っている。
しかもその理由が『ただの』小娘一人であれば、脅しにもならない。
「悪かったね。君が若いということを忘れていたよ」
痛烈な皮肉を残し、彼は去る。辛うじて礼を損せずにやりとりを終えたクリスは大きく息をつくと、抱きしめていた腕の力の加減を忘れていたことに気付き、慌てて解放する。
俯いたままのに気が気ではなく、今度はそっと肩を抱いて外へと向かう。途中かけられた声に笑顔と数言の会話を返し、しなやかなネコ科の動物のように人の隙間を縫うと静まり返ったロビーへとを連れ出した。
廊下に片膝を落とし、俯いてしまったの顔を仰ぎ見る。泣いてはいなかった。けれど、平気なわけではないというのは、一目見れば分かる。
(ボクのアカンタレ)
離れるべきではなかった。傍にいると、大丈夫だよと約束したのに傷付けてしまった。
元はといえば、この場につれてきた自分の我侭からこうなったのだ。そう、下手な夢など見ずに我慢さえすれば良かった。
「ちゃん、堪忍な。いやな思いさせてしもて、ゴメン」
の視線が自分を捉える。胡桃色の髪と同じ色の瞳が自分を映すのを見ながら、クリスは言葉を続けた。
「こないなトコに連れてきたボクがアカンかった。せやけど、皆が皆叔父さんやあの人みたいんとちゃうんよ。お父ちゃんなんかは、人を生まれや育ちでどうこう言うのは最低や言うとったし、ボクもそう思う。だから、気にしないで欲しい」
「……叔父さんにも言われたの?」
の問いかけにしまったと唇をかみ締めるが遅い。失言だった。
さすがにの前では言わなかったが、彼女と離れた後に同じようなことを叔父からも言われた。本気じゃなくても、本気だったとしたら尚更彼女が可哀想だと。
が首を傾け、結い上げられていない前髪だけがさらりと揺れる。
ふいに、見上げていた彼女の顔がクリスよりも低い位置へと移動する。ドレスの裾に気をつけながら腰を下ろしたが、クリスの頬を両手で柔らかく包み込んだ。
「やな思い、したでしょ。ごめんね」
優しい人だから。
自分が言われるよりも、周りの人間が傷つくことを厭う人だから。
きっと、そう言われて誰よりも悲しい思いをしたのはクリスだ。連れてきた自分がそういった評価をされたことで、が傷付いてしまったと更に傷付いたのは目の前の彼。
翡翠の瞳に自分が映っている。平凡な、特別可愛くも綺麗でもない、普通の女の子。
だけど、この人を想う気持ちは誰にも負けないから――
「……んで、キミが謝るん」
「クリスくんだって、何で謝るの? クリスくんは何も悪くないじゃない。それどころか、守ってくれたでしょ?」
「ちゃう。守ってへん。守る言うたのに、守れへんかった。キミに、悲しい思いさせてもうた」
笑って首を振る。頬に当てていた片方を伸ばし、結わかれた髪が乱れないように柔らかく撫でた。
「嬉しかったよ? ホントの彼女さんになった気分だった」
ちょっとどきどきしたけど、と。
笑う彼女を見て、柔らかく撫でてくれるぬくもりを感じて、クリスは感情をもてあますようにを抱きしめた。
(泣きたい)
好きで好きで好きで。
だけどこの想いは告げることは出来ない。叶えてはいけない願いだから。
けれど自分で昇華できない想いなら、一体どうしてやりすごせばいいのだろうか。
あやすように、背中をぽんぽんと叩いてくれるぬくもりに甘える。自分が彼女を守るつもりで守られて、慰めるつもりで慰められた。
「ほんにキミには敵わへんなあ……」
「そうかな。クリスくんの方がすごいよ。いつもこんな中にいるんだなあって……ちょっと心配」
「心配?」
「うん。勝手に思ってるだけなんだけど、なんていうか、かけひきとかそういうの好きじゃなさそうだし。辛くないかなーって」
「……おかしなあ、今日はなんか、胸の奥ンとこがぎゅーってなる」
「ちょっと休もっか。そしたら又戻ろうね。ご挨拶、残ってるでしょ?」
わたしならもう大丈夫だよ、と、肩口でころりと笑う声が好き。
だからやっぱり、この世界にキミを連れてはいけない。
(大切な思い出、またいっこ増えた)
思い出にして。一人でボクは歩いていく。
「クリスくんのパートナーとしてはね、たくましく行かねば」
立ち上がり胸を張る彼女がまぶしく見えたのは、決して仰ぎ見た照明のせいなんかじゃない。
追うように立ち上がり腕を差し出せば、の手がそこに収まる。視線が合うと同時に、どちらからともなく微笑んだ。
Fin
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Comment:
主人公が慰められるはずが、慰めてました。
こういうイベントもあればよかったなーと思ったり思わなかったり。
超えられない身分の差というか世界の差というのが個人的萌えシチュなので、
多分こういった話がもりっと増えるかと思います。
ワンパターンとか言わない。
20070203up
一部修正加筆。
20070209
*Back*
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