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● 心の錬金 |
幕が下りる。
『――以上で、羽ヶ崎学園による、学園演劇を終了致します』
緞帳が下りていくのが、頭を下げたままでも足元に伸びる影の長さで解る。
びー、と響くベルの音。幕越しの拍手。やがて一本の線を描いて、体育館の明かりが消えた。
「お疲れ様!」
「お疲れーっ! 頑張ったねえ!」
一瞬の間を置いてつけられたステージ内部の明かりと同時に、どっと沸く関係者の声。
だけどわたしは、駆け寄ってきてくれたはるるに衣装の一部を預けると、まるで逃げ出すようにステージを後にした。
(もう、もう、もう!)
思い出すだけでも情けない。あんな大事なシーンで台詞がとんだ。
挙句、衣装に足をとられて転ぶだなんて。先生が支えてくれたから良かったものの、そうでなければみんなの頑張りを一瞬で無駄にするところだったんだ。
ダッシュで走って、誰もいない――文化祭で不要な机や椅子の置き場所になっている理科室へ駆け込み、部屋の隅っこにうずくまってがくりとうな垂れる。乱れた呼吸を落ち着けて、そしたら倍増した悔しさがこみ上げてきた。
「あーもうわたしの馬鹿馬鹿! なんであそこで転びそうになるかなあ!」
おかげで台詞がとんだ。先生が助けてくれたけど、明らかにたどたどしかった。
なのに先生優しいから。
慌ててるわたしを落ち着けるように、ゆっくりと台詞を教えてくれて。
なんとか乗り切ったものの、泣きそうなわたしに、優しく笑って「上出来です」って。「よく出来ました」って。
(本気の本心で、そう言ってもらいたかったのに)
最後の最後まで気を使わせてしまったことが情けなくて、泣きたくなる。悔しい。
(悔しい?)
こんなにも泣きたい気持ちが。
本当に、それだけ?
「つばめさん、発見」
空気を割った声にびくりと顔をあげれば、衣装から着替えたものの、王冠を取り忘れたままの若王子先生が入り口に立っている。
そのアンバランスさがおかしくて、泣きそうになっていた涙がぴたりと止まった。
同時に。
心臓まで、止まりそうになった。
(え、あれ?)
なんでわたし、こんなにドキドキしてるの。
「一緒にいてくれるはずのつばめさんが飛んで行ってしまったので、王子様びっくりです。心配しました」
「ごめんなさい」
「つばめさんの巣はここですか? それとも、僕の部屋がここだと知ってて、きてくれたのかな」
そうだったら嬉しいけど。
言われて気付く。当たり前だ。先生は化学の先生なんだから、一番ここが見つかりやすい場所なのに、なんでわたし此処に来ちゃったんだろう。
先生は独特の歩調でわたしの側まで歩いてくると、同じようにぺたりと腰を下ろした。
そういえばお礼をちゃんと言っていなかったことに気付き、わたしは慌てて先生に向き直る。そして、支えてくれたことのお礼と、台詞を教えてくれたことのお礼を言い、一緒にごめんなさいの言葉も告げた。
すると先生は、あの時みたいに柔らかく柔らかく笑って、全然問題ないですよ、と、優しくわたしの頭を撫でてくれた。
「君がどれだけ頑張ってくれていたか、先生はちゃんとわかってる。ちょっとくらい失敗したって、そんなの愛嬌ってヤツです」
「愛嬌、ですか?」
「そうです。女の子もつばめさんも、ちょっと愛嬌があるほうが先生は好きです」
最後の言葉が微妙に揺れた気がしたのは、わたしが意識しすぎたせいだろうか。
それで、わかった。どうしてこんなにも、泣きたくなったのか。悔しかったのか。
いつもだったら、結果的に成功すれば、危なかったね、の一言だけで皆と笑い合えたのに出来なかった。
落ち込んでても、取り繕ってみんなのノリに合わせるくらい出来たはずなのに、出来なかった。
わたし、そうなんだ。
「さん?」
こんなに勉強頑張ってたのも。
演劇を完璧に仕上げたかったのも、全部先生に褒めて欲しかったんだ。
どうして気付かなかったんだろう。日曜日のデートだって、ちゃんとデートって言ってたのに、先生と生徒だからって、若王子先生のノリだからって、意識なんかしてなかった。
一緒にいたら楽しくて、嬉しくて。
こんなに、悲しくなるなんて思わなかった。笑えなくなるなんて、思わなかったよ。
「ごめんなさい先生。大丈夫です、もう復活です」
「さん。僕は君に元気になってほしいと思うけれど、無理に笑って欲しいとは思わない。先生は気にしてないけれど、君が気にするのは、君がそれだけ頑張ったからだ。それを悔しく思うのを、悪いことだとは思わないよ」
「先生?」
「だから、泣きたかったら泣きなさい。僕がここにいるから」
つばめさんと王子様は一蓮托生ですからね、と、最後はわざと明るく言葉を添える。
なのにね先生。先生の目はいつだって、真摯な光を灯してる。どんな言葉を選んでも、見守っててくれるのがわかる、暖かさがあるの、知ってる?
だけど先生がそんなこと言うから、折角笑顔になったほっぺたが歪んで、涙が落ちそうになったから慌てて上を向いた。これは違うから。先生が心配してくれている涙と、理由が違うから泣いたら駄目だ。
「つばめさんの次の日曜日は空いていますか? もし空いてたらデートしましょう。王子様のお勧めは臨海公園です」
「……王子様、先生のお勧めと変わってないです」
「ややっ、ばれてしまいましたね?」
「バレバレです」
泣きながら笑う。先生はわざとらしいくらいに残念がり、それもわたしの為だってわかったから、もう、本当に。
(大好き)
気付かないほうが良かったな。だって、先生だから、なのに。
どうしよう。自惚れてしまいたくなる。ちょっとはわたし、特別なのかなって。
笑顔を向ければ、先生も笑顔。ほらね。だっていつもより柔らかいから、なのに眼差しが違うから、勘違いしたくなる。
先生も、わたしのこと。
「いいですよ。臨海公園行きましょう。遊覧船も乗るんですよね?」
「ピンポンです。二人でアバンチュールです」
「これってデートですか?」
冗談に混ぜて、いつもと同じ言葉を、いつもと違う意味で乗せる。
きっと気付かないって思ったのに。
変な間が、空いた。
「若王子先生……?」
先生は、困ったような顔をして、笑って。
立ち上がる。そして、今気付いたように頭の王冠を外すと、それをそっとわたしの髪に乗せた。
「つばめさんへのプレゼントです。もう、綺麗な石はないですけど」
「せんせ……」
「あまり急に、大人にならないで下さい。びっくりしますから」
「……先生?」
「もう大丈夫そうなので、先生、先に行きますね。さんも、もう少ししたらクラスの皆のところへ戻るといい」
後を追って立ち上がろうとして、出来なかった。
何でかはわからなかったけれど、先生の何かがそうさせた。
埋め尽くされた机や椅子の間を縫うように先生は出口に向かい、廊下に出る一歩手前でわたしを振り返る。
「僕はデートのつもりです。又ね、さん」
からからと、扉が閉まる。
最後にぱたん、と、柔らかい音で、完全に閉ざされた。
頭に載せてもらった王冠を外して、手のひらに載せる。石のあった位置に空いた穴。本当は、きらきらしたものがはまっていたはずの穴。
「先生……わたし、気付いたことあるんだよ」
ぽかりと空いた穴が先生にかぶって見えて、悲しくなる。何かを隠してること、知ってる。それが先生にとって、楽しいことじゃないことも。
「先生が自分のこと、先生って言う時と、僕って言う時の違い」
もう気付いたの。
指先でなぞる空洞。ねえ先生。それを埋めてもいいかな。わたしが埋めても、いいかなあ。
(だって先生。わたしのこと好きでしょう?)
同時に気付いた自分の気持ちと、先生の気持ち。
だけど告白なんかしない。ざらついた受け皿はきっと、いつか錆びて大切なものを取りこぼすから。そしたら先生はきっと、うんと悲しくなるだろうから。
つばめ役なんて、はまりすぎて笑っちゃうな、なんて一人ごちながら立ち上がる。
残された時間の短さを思いながら、その先にある春を信じて。
Fin
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Comment:
若主の主人公ちゃんは、途中で先生の気持ちに気付いてると思います。
あとは、他の主人公ちゃんよりも一途な印象。
文化祭の先生(多分失敗イベント)があまりにあまりにきゅんときたので、
これをきっかけに自覚したらいいなあと。
20080303up
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