「斎藤さん?」
問いかける声に振り向くと、顔いっぱいに笑顔を浮かべた千鶴が立っていた。
丸く大きな瞳が、ふと斎藤が手にしているものを目にして二三度瞬く。
そうしてしばらく言いにくそうに逡巡した後、おずおずと彼女が問いかけた。
「・・・・あの、どうなさったんですか、その花」
「ああ、もうこんな時間か」
終わりを告げるその声に、周りからいっせいに「ええー!」と抗議の声が上がった。
屯所にはふさわしくないことこの上ない高らかな、あどけない響きに、軽い笑い声が返る。
「まだ遊べるよ、暗くないもん」
「だーめ、君達は良くても、僕は忙しいの」
子供の目線にしゃがんで、言い含めるように諭す仕草はとても新選組で一、二を争うほどにひとを斬っている一番隊組長のものとは思えなかった。
総司、兄ちゃん、と口々に言い募られて、「困ったなあ」とさして困った風でもなく呟く。
それでいて、聞き分けのない子供を疎むような色は微塵も感じられなかった。
「だって今度は総司の番なのに」
そういうのは、先ほどの遊びの順番だろう。子供というのは、こうしたことにはとにかく頑固なのだ。
「ほんと、君たちってこういうことには厳しいよね」
苦笑し、今度は本当に困ったように群がる子供達の頭に手をやる姿は、まるで面倒見の良い兄か何かのようだ。
「じゃあさ、明日また来るだろ」
「どうかなあ」
のらりくらりと返しつつ、立ち上がる沖田が振り向く。
目があうと、彼はいつものように底の知れない、けれど不思議に澄んだあどけない顔で微笑んでみせた。
「ほら、斎藤君もさよなら言わないと」
「・・・何故、俺が」
思わず返すと、ふと袖を引かれた。
瞳を下ろすと、幼い娘があどけなく笑っている。
さきほど総司にまとわりついていた少年の妹だろう。
総司に随分懐いていた様子だったが、自分のところに来る理由がわからない。
一瞬、本気で戸惑うと、娘は「はい」と手を差し出した。
小さな手のひらを自分に向けて笑うその顔は、斎藤が手を出し、受け取ると信じて疑ってもいないのか、鉄面皮と称される斉藤の表情を見ても揺るぎもしなかった。
満面の笑顔に、何故だか気圧されるような心地で手を出すと、待ち構えていたように手のひらが重ねられる。
「今日は総司おにいちゃんと遊んでくれて、ありがと」
どこかたどたどしい、拙い言葉に呆気にとられつつ目を落とすと、花が一輪のせられていた。
思わず、娘を見ると、着ている衣は摘んできた花の汁で少し汚れてしまっている。
遊ぶ途中で摘んだのだろう。いかにも少女が選びそうな愛らしい小さな花は、この季節特有のみずみずしい香気にあふれているような、そんな錯覚を起こさせる。
「あ、いいなあ斉藤君。何、花もらったんだ」
「いや・・・だが」
遊んでやったつもりはない。
というか、ほとんど見ていただけだ。沖田が屯所で子供と遊んでいるところに偶然行き当たり、なんとなくその場にとどまっていた。「遊んでくれてありがとう」などという礼を受けるようなことは何一つしていないのだ。
どう返答したら良いものか、固まってしまった斉藤に「いいじゃない、せっかく斉藤君にって言ってるんだから、好意は素直に受け取らないと」などと言うものだから、機会を逸してそのまま受け取らざるを得なくなってしまう。
結局沖田と別れてからも、手のひらにのったままの花をどうするか思案に暮れ、廊下を歩き―――そして冒頭に戻る。
「お礼なんですね」
納得したように頷く千鶴に、斉藤は知らず胸をなでおろした。
普段でさえ洒落者とからかい混じりに言われることもあるのだ。
花を持ち歩いて部屋に飾る趣味でもあるのかと思われてはたまらない。
千鶴がそういったことを言いふらすような娘ではないことは先刻承知だが、無用な誤解は極力避けておきたいのが本音だった。
「少ししおれちゃってますね」
首をかしげて花を覗き込んだ千鶴が、そう言って少しだけ表情をくもらせる。
いつ摘んだものかは見ていないからわからないが、子供に手渡されてからかなりの時間が経過していた。確かに、水もないままに持っていては、花もしおれてしまうだろう。
かといってどうするか考えつくはずもなく、なんとなく手に持ったままになっていた斉藤は、ふと気づいて「雪村」と呼びかけた。何の疑問もなく「はい」と素直に答える千鶴に、花を差し出す。
「あんたの方が、扱いを心得ているだろう」
面食らう千鶴にそう告げる。
男であるといって通してはいても、千鶴が女性であることには変わりはない。そそっかしい一面はあるものの、細やかな、行き届いた気遣いは女性の中でも抜きん出ている方といってもよかった。
少なくとも、千鶴ならばこのまま枯らしてしまうようなことはあるまい。
「はい・・・あの、でも」
困ったようにもたもたと言葉を濁していた千鶴は、斉藤の視線を受けてさらに眉を寄せた。
「でも、それはその子が、斉藤さんにってくれたものですよね」
「・・・・ああ」
「だから、私にあげたってわかったら、悲しむと思うんです」
言いにくそうに、けれどきっぱりと口にした千鶴は、斉藤を見て、何かに気づいたようにぱっと顔を明るくした。
「私の部屋の器をお貸ししますから、飾ってあげてください。日に一度水をかえるだけでも、長持ちしますから」
今お持ちします、と今にも背をくるりと向けようとする千鶴を、思わず引き止める。
思いもしなかった展開に、ついていくことができなくて、何とつなげたものか言葉に迷ってしまう。
「しかし」
言葉に迷う斉藤に気づいているのかいないのか。
千鶴は首をかしげ、ふと微笑む。
「せっかく咲いたんだから、その花だって長く咲いていたいでしょう」
すぐにしおれてしまうのはかわいそうです。
そう告げる千鶴の言葉には、それ以上のものは何もなかった。
それなのにひどく深いものを含んでいるように感じられるのは、彼女の言葉が心からのものであるとわかるからだ。嘘偽りなく、常に誠実に向き合おうとする者の言葉だからだ。
含むものもない、裏も表もない、まっすぐな娘。
ひたむきな娘。
慣れぬ環境の中で、けれど懸命に、精一杯心を尽くして生きていこうとしている娘。
いつかこの手にかけるかもしれない娘―――己が定めた道のために、斬るかもしれぬ娘であるにもかかわらず。
ふと、花に自らの人生そのものがかぶさった。
己の人生、そうして、己が道とさだめた新選組そのものが。
これから花開くのか、咲かぬままその蕾を落とすのか。
花は散っても実は残る。
けれどそれまで続くのか?
この花のように、摘み取られ、しおれてしまうのではないのか?
そもそもこの花のように、せめて形なり咲かせることが適うのか。
しおれさせず、少しでも永らえさせるためには、大事に守り育てねばならない。
花を咲かせるまでも、咲かせた後も、心を込めて尽くす者がいなければ何も残らず、ただ土に還るだけ―――無へと還るだけだ。
そうでなくとも、と斉藤は思った。
(花の命は短いものだ)
だから花にたとえるなど、風雅ではあるかもしれないが、縁起でもないことなのに。
それでも見つめてしまう。千鶴が手にもつ花を。
小さく、風が吹けば飛んでいってしまいそうなほど儚いそれに、見入ってしまう。重ねてしまう。
馬鹿なと思いつつ、目がそらせなかった。
沈黙する斉藤を疑問に思ったのか、首を傾ける千鶴には、決してわからないだろう。
当たり前だ、千鶴は新選組に属する者ではないのだから。
けれどそれでいいと思う。
仮に新しい風の前に花が散るとしても、新選組に属することのない千鶴は、その限りではないであろうから。
千鶴はまだ若く、何よりも娘だ。新選組ならばいざ知らず、彼女はただの預かりの身なのだ。
自分とは違う。背負うものも、未来も、何もかも。
ただつかの間、互いの線が交わったに過ぎぬ。交わった線は、いつかはまた、離れていくだろう。
花が開き、そして散っていくよりも儚い、たまゆらの邂逅に過ぎない。
「・・・・わかった」
斉藤は静かにため息をつき、千鶴の言葉を受け入れるように手を伸ばした。
我が事のようにぱっと顔を綻ばせ、差し出された手のひらに大切そうに花をのせた千鶴が、斉藤を見てまた笑う。
「今、花器をもってきますね」
「ああ、頼む」
「はい」
言いながら、また笑みがこぼれた。
嬉しそうに、抑えきれぬというように笑う姿に、斉藤もまた静かに口元を緩める。
男も女もない、あけっぴろげで、美しい笑み。
心に染みるような、柔らかな―――守ってやりたいと、そう思わせるその笑み。
ふと、その笑顔もまた、花のようだと思った。
END
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Comment:
あむるさん(@俺様天国)から頂きました。
日記で「斎藤さんください」と誘いうけをしたら、本気で下さった僕の女神です。
花、は新選組の生き様でもありつつ千鶴の姿(印象)そのものでもあるなあと勝手に
思っているのですが、違う映し絵が同じもの(花)であるのがまた、このひとたちの
関係にふと似ていて納得したり寂しくなったり。
そんな妄想をしつつ、個人的に大切な題材をあむるさんの文章で読むことができて
とても幸せですvしかもおらのためだってさ…(え、そうですよね)(…)。
あむるさん、ほんとにほんとにありがとうございました!
20090803
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