** Happy C×2 **
 ●斎藤×千鶴

 ふと目が覚めた拍子に驚きに任せて声をあげなくなったのは、自分でも成長した証だと思う。
(……素直に喜んでいいのかはわからないけど……)
 小さく息を吐いてから、改めて間近にあるひとの顔を見つめる。
 端正な顔立ちは規則的な寝息をたてていて、普段見せている表情を考えれば別人のような穏やかさがある。
 それはまるで、触れたら壊れてしまいそうな陶磁器のよう。けれど、この顔に触れられるのは――医者や緊急時などは別として――おそらくは自分だけなのだ。その優越感をさらに満たしたくて、そろりと手を伸ばす。
 触れたら多分起こしてしまう。というか、今も実は狸寝入りを決め込んでいるのではないか。
 そんな経験則に基づく予感を持ちながらも、それでも指先はそっと、その人の頬に触れることができた。
(少し、冷たい……かも)
 布団の中に在った手と、外気に晒されたままの頬とでは温度差があるのは当然のこと。
 だがそれでも、脳裏にこびりついた様々な記憶が、否応にもその黒い魔手を伸ばしてくる――
「……どうした」
 気が付けば頬に触れさせていた指は引き剥がされ、代わりに温かな手のひらに手を丸ごと包み込まれている。
「あ……その、おはようございます……」
 挨拶を口にしながら、今更の状況に思い当たって気恥ずかしさが強くなる。語尾を小さくしつつも、照れ隠しに見せかけて顔を俯かせられたのは僥倖だと思った。
 でも、そんなのはこの人の前では所詮子供だましでしかなかったみたい。
「千鶴」
 鋭く、けれど包み込むような優しさを含有した、促すための呼びかけ。
 この声に対し顔を上げずにいられたことなど、一度だってない。そろそろと顔の位置を戻すと、僅かに微笑んだ瞳が私を捕らえる。
 ああ、逃げられない――
「嫌な夢でも見たか」
 ――逃げたくも、ないけれど。
 ふるり、小さく首を振る。
 違います、と言葉にしたら、言い訳がましく聞こえそうな気がして。
「ならば、……嫌な事でも思い出したか」
 あっさりと正解を言い当てられて、私の表情が強張る。
 もう、そうですと答えることも頷くことも不要だった。小さな嘆息が聞こえたかと思うと、逞しい腕が私を引き寄せて、やはり逞しい胸に閉じ込められてしまう。
「……落ち着いたら、合図しろ。それから聞く」
 おまえの瞳を見て――とは、言葉にはならなかったけれど、私の心にはそう続いて聞こえた。
「――はい」
 だから素直に、声が震えるのも構わず答えて。

 微かに感じる心音に、自身のそれを同調させるように――そのまま、力強い温もりに身を任せる。
 包まれている心地よさは安堵を生んで、気を抜けば再び眠りについてしまいそうだった。でも、それは駄目。
 そっと指先だけで、胸板を叩いた。
「……」
 衣擦れの音と共に甘やかな戒めが解かれる。目を開いて顔を上げれば、私の瞳をじっと見つめる彼の瞳があった。
「……とても、子供っぽいこと、なんですけれど」
「構わない」
「一さんの頬に触れたら、少し、冷たくて……」
 視界を占拠する瞳はとても深く、飲まれてしまいそうだった。いや、もう半分くらいは飲まれているのかもしれない。
「あのときも、……肌が、冷たかったな、って――」
 うまく思考がまとまらなくて途切れ途切れになる言葉は、確かに彼の瞳に吸い込まれていく。
 記憶から生み出される感情。
 辛いとか苦しいとか悲しいとか、それらの間に垣間見える嬉しいとか楽しいとか幸せであるとか――だからこそ今がとても怖い、だとか。
 そんな色々がないまぜになったものを、彼の瞳は静かに見つめ、そして。
「そう思ったら、急に、……怖く、なっ」
「わかった」
 もういい、とばかりに私の口が塞がれる。
 優しいけれど容赦のない口づけは、私の恐れや怯えといったものを受け入れて、そして打ち消していく。
 決して、私の中からそれらが無くなったわけではない。
 ただ、彼がその心地を共有することで、その毒性を中和してしまったかのような――とても甘くて切ない、どろりと凝った血のような、確かな繋がりが、そこに生まれて。
 息が続かずにぐったりとなりながら、ぼやけた視界で彼を捉え、溢れる気持ちを言葉に変える。
「あい、して……ます、一さん」
 酸素が足らなかったせいか声が掠れてしまい、つっかえながらも言い終えれば、
「ああ。愛している、千鶴」
 淀みなく、低い声が囁いた。

 くらり、と目眩がしそうな熱は唇からもたらされて、やがては全身に広がっていく。
 それは辛くて、苦しくて、胸がしめつけられる――けれど、この刹那がとても嬉しい。嬉しすぎて、苦しいほどに。
 でもだからこそ、私はそれを求めるのだろう。
 いつか訪れるその日まで、それを――彼の全てを、一つとして取りこぼすことのないように。









Fin


コメント:実月さん(@果てしなく趣味の部屋)から頂きました。あああああもうもう大好き!好き!!
飾らない言葉でものすごく湿度のある色気と言うか、そういうものを表現できる実月嬢は本当に凄いと思います。
斎藤斎藤うるさくてごめんなさいでしたでももっと書いて!(…)


20090318


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