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●開く扉 |
「いらっしゃい、小さなアリス」
シロウサギに手を引かれてやってきたわたくしたちのアリスは、わたくしを見るとにこりと微笑んでくれる。
本当に、なんて可愛らしいのかしら。
「今日はとっておきの紅茶を用意しておいたのよ? あなたの好きなお菓子もあるの」
帽子屋に命じてもってこさせたそれは、アリスも大層気に入るはずのあまいバニラの香りがする紅茶。小さなアリスは甘いものが大好きなはずだから、きっときっと気に入ってくれるはず。
頬を、血をすった白バラの色に染めたアリスが足早にかけて来る。危ないよアリス、と、咎めるシロウサギの声が聞こえているのかどうか、アリスはわたくしのドレスへとダイブした。
「じょうおうさまは、今日もきれいね」
「あら。ありがとうアリス。でも、アリスの方が可愛らしくてよ?」
ドレスのふくらみにすっぽり埋まってしまったアリスが、顔だけを上げてわたくしを見る。そうしてわたしはやっと、小さなアリスの目と頬が赤い事に気が付いた。
――ああ、又なのね。
今日こそは笑顔のまま、遊びにきてくれたと思ったのに。
「わたくしたちのアリス。ご機嫌はいかが?」
「げんきよ。シロウサギがいるから」
それに、じょうおうさまも、と、少し慌てたように付け足してくれる。
その気遣いは大変嬉しかったけれど、歴然としたシロウサギとの差に内心メラメラと嫉妬の炎が燃える。本当に、猫といいウサギといい、わたくしのアリスの心を惑わして。
「先に行ってなさい。奥で、ビルが待っているわ」
「うん!」
軽い足音がぱたぱたと奥へ消えていく。わたくしはそれを見送り、その姿が完全に消えたのを確認してシロウサギへと向き直った。
「アリスは……大丈夫なの?」
シロウサギは答えない。
わたくしはそれに苛立って、靴の踵を床へ打ち鳴らした。
「答えなさいシロウサギ!」
「アリスには僕がいる」
たった一言。
それ以外は、何も言わない。
ひくひくとひげを蓄えた鼻を動かし、真っ赤な目は感情が読めない。
シロウサギ。慰めるもの。
チェシャ猫と共に、彼女の傍にいる任務を与えられたもの。
わたくしはただこの城で、彼女が来るのを待っているだけ。その、違いがわたくしを苛立たせる。
わたくしだって、こんなにもこんなにも、アリスのことが大好きなのに。
「アリスを泣かせたら、許さないんだから」
アリスの為にいるわたくしたちがそれをする筈がないと知っていても、そんな捨て台詞を言わなければやっていられなくて。
ただ、ただ。
アリスが幸せであるように。
幸せに、笑っていてくれるように。
「アリスに心配かけては、だめだよ女王様」
「わかってるわ! なによ、ケモノのくせに偉そうに」
首だってはっきりとわからないくせに。ちっともきれいなんかじゃないくせに。
「シロウサギ、じょうおうさま、お茶が入ったよー?」
城の奥から鈴のような声が響く。ああ、アリスがわたくしを呼んでいる(この際シロウサギの名前は聞こえなかったことにするわ。しかも、わたくしより先に呼ばれるなんて許せない)。
ドレスのすそを翻し、アリスの下へ向かう。可愛いアリス。わたくしたちのアリス。
「きょうのこうちゃ、甘いにおいがするの」
「アリスは、好き?」
「うん!」
「そう、良かったわ」
まるでそうすることが当たり前のように伸ばされた小さな手を掴む。わたくしたちは手を繋いで、テーブルへと向かう。
「お茶が終わったら、人形遊びでもしましょうか」
「うん。でも、じょうおうさまの人形は、なんでいつも頭がとれてるの?」
そのほうがかわいいからよ、といえば、アリスは不思議そうに首をかしげた。アリスの首も、細くてやわらかそうで、とっても好き。
「アリス。世界が辛かったら、いつでもこちらにいらっしゃいね」
「セカイ?」
「……まだ、いいわ」
せっかくシロウサギがすいとった痛みを、思い出させる必要はない。
わたくしはにこりと微笑んで、アリスの正面の席に陣取った。すると、シロウサギは憎らしいことにアリスの隣に席をとる。
「ちょっとあなた! ウサギごときがアリスの隣に座るなんて許されると思っているの!?」
「うるさいなぁ女王様は」
本当に、このウサギだけは!
ぶるぶると怒りに震えていると、アリスが不安そうに見ていることに気付く。
いけないわ。
「今日だけは許して差し上げてよ。さあアリス、お茶会を始めましょう?」
笑うアリス。可愛いアリス。
わたくしたちはただ、それだけを願っていたのに。
閉ざされた扉が再び開くのを待っていたのは、こんなときの為じゃなかったのに。
「だから、ウサギなんて嫌いなのよ」
「陛下」
「猫も嫌い。ケモノなんて大嫌い。アリスを、わたくしの大切なアリスを惑わしてばかり……!」
「女王陛下」
ビルはいつものように冷静な声で呼ぶ。その変わらない声音が、余計にわたくしを苛立たせると知っているくせに。
睨み付けてやれば、そんなものは全く堪えないとでもいうように顔色一つ変えない。青白い肌は、元からだもの。
「それでも――それを望んだのは、我らのアリスです」
そんな言葉、聞きたくない。
かつん、と踵を鳴らしてビルに背を向ける。ビルも、ビルの声も追っては来なかった。
嫌い。皆嫌いよ。
「アリス……」
泣いていないかしら。怖い思いをしていないかしら。
シロウサギなんて追いかけなくていいのよ。ずっとずっと、わたくしと一緒にこの城で、楽しく暮らせばいいのよ。
あんなアリスを傷つけるだけの世界なんて捨ててしまえばいい。
「アリス」
あなたの大好きな甘い紅茶を用意するわ。
可愛らしいお菓子だって、たくさんたくさん用意してあげる。
10数年前のように、一緒にお茶会をして。一緒に人形遊びをして。
わたくしが、守ってあげるから。
視界がにじみ、膝ががくがくと震えてもう歩けない。
耐え切れずに立ち止まり、自分のものではない悲しみに顔を覆った。
「泣かないでちょうだい、アリス……!」
伝わる痛みに、胸が痛い。
怖がるかもしれない。泣くかもしれない。
でも、それは一瞬だから。
元の世界が恋しくなっても、行ってしまわないように。
欲しいものは全て、わたくしがあげられるように。
「首を刈ってあげるから、大丈夫よ。アリス」
そうしたらもう、ずっと一緒。
了
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Comment:
女王様のお話です。
ちっちゃいころはアリスは自由に不思議の国に出入りしてて、日々楽しく
過ごしていたんだと思うのです。
でも、お母さんに怒られて不思議の国を閉じてしまう。
女王様は大好きなアリスに会えなくなって寂しくて、やっと会えるようになったと
思ったら、その理由はあれな訳で。
だから、小さい頃は普通に遊んでいたものの、再会時にはアリスの
束縛を願ったのかなーという解釈です。
20080513up
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