** Happy C×2 **
 ● 白い願い

 シンユウ、というものは、楽しい時間を共有し、悲しみや苦しみを半減できるよう傍にいるもの、らしい。

「雪乃、雪乃」
 授業が終わると共に、亜莉子が教科書をカバンにしまうのももどかしそうにこちらへと駆け寄ってくる。
「なあに、亜莉子」
「あれ、提出した?」
「アレ?」
「進路希望表」
 最後の言葉は少し小さめの声で言う。
 私は頭の中でその単語を繰り返し、そういえばそのようなものを担任が出すように言っていたなあとぼんやり思い出した。
「亜莉子は?」
「……悩んでるの」
 言うなり俯いてしまったシンユウの背に手を置いて、場所を変えましょうと自習室へ促す。亜莉子は従順に、カバンを手に歩き始めた。
「ごめんね雪乃。雪乃だって忙しいのに」
「馬鹿ねえ、今更でしょう? 亜莉子の面倒なんて、ちっちゃい頃からみなれてるんだから」
「うう……ごもっともで」
 他愛ない会話をしながら自習室へ向かい、引き戸を滑らせて中に入る。誰もいないその部屋は、窓から入る夕焼けに照らされており、まるであの赤い海のような色をたたえていた。
「で? 何を悩んでいるの? 亜莉子の成績なら、そこそこいい所に行けるじゃない」
 向かいに座った亜莉子は、もう二人しかいないというのにまだもじもじとしている。
 昔ほどではなくなったけれど、亜莉子は物事をはっきり口にするのを嫌がる節がある。少しずつ思っていることを小出しにし、相手の反応を伺う。
 その癖は、彼女が自分の身を守る為に無意識のうちに身に着けたもの。
「亜莉子。大丈夫だから、言ってごらんなさい」
「うん……あのね」
 ようやく口を開いた彼女が告げた言葉は、予想外のものだった。

「雪乃と、離れるのが嫌だなあって……」

 自分の願いをあまり口にしない彼女が言った言葉。
 私の顔を見るのが怖いのか、亜莉子は心持ち俯きながらそう言った。
「ご、ごめんね? 高校なんて大事なところだし、友達と一緒がいいとかそういうので決めちゃいけないって分かってるんだけど、雪乃とは、ずっと一緒だったから」
 離れるのが不安で。
 一緒にいたくて。

 

(アリス)

 

 僕らのアリス。
 手を伸ばして、ぎゅう、と縮こまった亜莉子の手をとる。
 大丈夫よアリス。

 私が。
 ――僕が。

 

 あなたを軽蔑するわけないでしょう。

 

「やっぱり、馬鹿ねえ亜莉子は」
 いつものように、彼女に生まれた不安を引き取りながら、なだめるように。
「どうせ、馬鹿だもん」
「違うわよ。私が亜莉子と離れるわけないじゃない」
「え?」
 するすると吸い上げられる歪みが、心なしか軽くなったのはどうしてだろう。
 こちらを見上げた瞳は、小さいころから変わらずにまっすぐ。
「私は最初からそのつもりよ? もう、冷たいなあ亜莉子は」
 私と別々になることも考えてたの? と、意地悪も込めて言えば、亜莉子は一瞬ぽかんとした後で激しく首を横に振った。
「え、でも、だって、雪乃の方が成績もいいし」
 ああ、亜莉子の中ではそういう設定なんだ。
 私は笑う。
「やだ、いつの話? この間のテストだって、同じくらいだったじゃない」
 彼女の目をまっすぐ見つめて言う。
 ――そうでしょう? アリス。
「そう、だっけ」
「そうよ」
「そっか……そうだった気も、する」
「もう、寝ぼけてるの?」
 過大評価もプレシャーよとおどけると、ようやく亜莉子は笑う。
 たった数分の会話で、オレンジだった光はよりあの赤い海に近付く。怖いくらいの赤色に。
 光は部屋に満ちる。満潮を迎えた浜辺のように侵食される。
 握り締めていた手を解かれて、今度は逆に手を取られる。私の手をとった亜莉子は暫く、何かを確かめるようにそれを触っていた。
「亜莉子?」
「雪乃の手って、不思議ね」
「何がよ」
「凄く安心する。悩んでたりしても、雪乃がさっきみたいに手を握ってくれるだけで、何とかなりそうな気もするんだ」
 いつもありがとう、と、照れくさそうに微笑む。
「それとね、雪乃が『馬鹿ね』って言ってくれる度に、やっぱり悩んでることがすごーく小さなことのような気がするの」
 撫でていた手を止めて。
 ぎゅう、と握ってくれる。

 

「ありがとね、雪乃」

 

 彼女のせいじゃない「歪み」が、私の中に溢れて。
 なんだろう。胸の奥がぎゅうってクルシイ。

 

 

「ずっと一緒にいてね」

 

 

 頬を赤らめて、そのくせ真剣な声音で。
 ああ、これが泣キタイって気持ちなのかしら。

 

「亜莉子がそう望むなら。ずっと一緒にいるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けばよかった。

 

 

 安易な方法に走らないで、シロウサギじゃない、シンユウに出来る方法で彼女の「歪み」を引き取ってあげていれば。
 そうしたらもっとずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そばにいられたのに)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私からこの子を守って……これ以上私がこの子を苦しめないように……」

 

 願いを告げた主に、なんで僕の姿が見えたのかなんて知らない。
 僕は吸い取りきれない歪みを、それでもアリスから引き受けながらのろのろと畳に転がっていた鉛色の刃を手にとった。
 僕の白い毛が、赤い液体を吸い取って束になる。吸いきれず、広がりきれずに留まったそれは、球になって再び畳へと戻っていく。

 ――ぽたり。

 

 吸い取られる歪み。渦を巻く黒い凝り。
 聞こえる声。

 

(オカアサン)

(どウして)

 

 

 

(私はそんなにイラナイこなの――?)

 

 

 

 

 

 手に持った刃を、横に薙ぐ。
 ぶしゅりと、白い喉が音を立てて赤い霧を宙に撒き散らしながら、どう、と倒れた。

 

 

「ごめんね……亜莉子」

 ひゅうひゅうと、漏れる声にならない音。

「ごめんなさい」

 

 

 

 

 謝るくらいならなんで、ちゃんと愛してやらなかったの。

 愛して、やれなかったの。

 

 

 

 

 

 亜莉子。
 亜莉子のお母さんはね、ちゃんと亜莉子のこと、愛してたよ。

 ――でモ僕の方ガアリスを好きダよ

 ただ、心が弱くて。
 耐え切れなかったんだよ。

 ――アリスを傷つケるだけの世界ならイラナイ

 

「ごめんね亜莉子」

 僕らの世界のあの赤い海のような現実に立ち尽くしたまま、ぽつりと呟く。

 

 

 

 

 

 

『ずっと一緒にいてね』

 

 

 

 

 

 

 

「雪乃はモう、イナイの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Comment:

歪みを吸い取ってあげなくても、ちゃんと親友として励ましてそばにいるだけでも、
亜莉子にとってみれば凄い救いだったと思うのです。
だけどシロウサギはとにかくアリスが好きで、大事で、楽にしてあげたくて、
安易な方法というか、それしか知らなくて歪みを吸い続けてしまった結果、
ああなってしまったように思えて仕方ありません。

シロウサギが「雪乃」の価値に気付けていたら、もっと別の未来が
あった気がするのです。

 

20080404up







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