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●Change and Eternal |
中学生、と言われる世代になっても、撫子と理一郎の関係は変わらなかった。
物心がついた頃からの幼馴染。そして、同級生。解散してからも続いている、CZというチームの仲間。
肩書きが増えることはあっても減る事はない。けれど、それと一緒にいられる時間の量は比例しなかった。
中学二年生になって、初めてクラスが分かれた。クラス分けが発表された掲示板を前に、二人して驚いたのは三ヶ月前のこと。が、理一郎がその感情を面に出したのは一瞬で、いまだショックから戻れずにいる撫子に向かって「まあ、今までずっと同じだったことの方が、奇跡だよな」と呟いた。
それは確かにそうだと思う。幼稚園、初等部、中等部一年目とずっと同じクラスで過ごせてきた方が珍しい。
だけど何故かずっと、このまま一緒にいられるような気がしていたのだ。家が隣同士の幼馴染、学校でも同じ教室で同じ時間を過ごす、そんな時間が続くものだと。
「撫子、大丈夫?」
「ええ」
一日の授業が終わると同時に、一週間の授業が終わる土曜の昼下がり。
それだけなら毎週訪れる日常だが、今日は違う。月に一度決まっている、CZのメンバーで集まる日だ。
今日の授業で使った教材を鞄に詰め、ぱちんと閉じていた撫子のもとへ、先に片づけを終えて帰る準備が整った鷹斗が声をかけてきた。理一郎とはクラスが離れてしまったが、鷹斗とは相変わらず同じクラスだ。
「理一郎と央のクラスも、ホームルーム終わったかな」
「どうかしら。理一郎のクラスはともかく、央のクラスは担任の先生が割りと長話が好きな人だし」
「あはは、そういえばそうだったね」
生物の科目担当でもある央の担任は、撫子の学年でも授業から脱線しがちな長話をする教師として有名だ。鷹斗などはどんな話であろうと、そこにある面白さを拾い上げて楽しんでいるらしいが、撫子や理一郎などは、彼の話が始まるとたんに「又か」とげんなりしてしまう。
「じゃあとりあえず、理一郎のクラスに行こうか」
「そうね、そうしましょう」
二人揃って教室を出て行く時に感じる背中への視線は最早慣れっこだ。小学六年生の後半に転入してきた鷹斗は、当時そうであったように今でも女子からの人気は根強い。そして一方撫子の、以前よりはとっつきやすくなったとは言え相変わらずどこか近寄り難い雰囲気も健在である。
その二人が揃って行動する様は、二人のクラスどころか学年全体でも非常に目立つ。そしてそこに理一郎や央が加われば更に目立つ。終夜や円と言った年下組も参加すれば尚更だ。
しかも撫子は紅一点でもあり、小学生の頃ならともかく、中学も二年となれば所謂やっかみのようなものも生まれてきている。それが直接的な被害にまで至っていないのは、主に鷹斗の行動故だろう。そういう意味では、理一郎とクラスが離れても尚、鷹斗と同じクラスにいることは撫子にとってはプラスなのだろう。たとえ、本人がそれをどう思っていようとも。
隣のクラスの様子を、後ろのドアから鷹斗と撫子が覗く。どうやらホームルームは終わっているようだが、まだ終わってからさほど時間が経っていないのだろう。ほとんどの生徒が教室に残ったままでいる。
「えーと理一郎は……あ、いた」
鷹斗の声に誘われるように、その視線の先を追う。相変わらずの仏頂面になんだか笑いそうになりながら、撫子は幼馴染の名を声にのせようとして。
(あ)
それより一瞬早く、クラスメイトらしい女子が理一郎に声をかけた。顔を上げて数言会話を交わす理一郎の顔を見ながら、撫子は出口を失った彼の名を飲み込む。
「話し中みたいだね。少し待ってようか」
「そう、ね」
教室を覗き込むのをやめ、廊下側の壁に二人で寄りかかる。途中、何人かの生徒が鷹斗に向かって声をかけては去っていくが、その都度彼はにこやかに笑いながら返事をしたり、手を振ったりしていた。
廊下にそって設けられている窓からは、眩しいほどの陽光が降り注ぐ。校内は空調が効いていて適温に保たれているが、一歩学校を出たらそれこそあっという間に汗をかくだろう。
目を細めて光に溢れるガラスの向こう側の景色を見ていた撫子は、声をかけてきた男子と談笑をかわす鷹斗の脇から再びそっと教室を覗く。話はまだ続いているようで、終わる気配はない。
(何の話をしているのかしら)
大体、あの理一郎に話しかけてくる女子がいる事自体が驚きだ。その上、こんなにも長く会話を続けられるだなんて。
中学に入ってからの理一郎は、撫子がそうであるように大分周囲に溶け込むようになったとは思う。それでも、ほとんどが持ち上がりである生徒の間ではかつての印象が強いままであるだろうし、変わったとは言え相変わらず自ら進んで人と接触しようとはしない。ただ、近付いてきた相手に対しての対応を、ほんの少し変えるようになっただけだ。
なんとなく落ち着かない気分になった撫子の上履きが、廊下をつつく。きゅ、と静かに鳴った音に、鷹斗は気がつかない。
クラスの女子が何かを言って、理一郎が返す。その言葉に彼女が笑い、つられるように――理一郎の口元が、笑みを刻んだ。
「撫子?」
談笑を切り上げた鷹斗が、固まったように動かない撫子をいぶかしんで声をかける。
「あ、話終わったみたいだね。おーい、理一郎!」
撫子の返事がないままに、彼女の視線の先にいた友人の用が終わったのを確認してその名を呼ぶ。呼ばれたほうは、その遠慮のない呼び方にいつもどおりの苦い表情を浮かべて、ここからでもわかるほどため息をついた。
「そんな大きな声で呼ばなくたって聞こえる」
「あはは、そっか」
げんなりとした態で教室を出てきた理一郎を、いつもどおりの笑顔で鷹斗は迎えたが撫子の反応がない。当然のように気付いた理一郎が撫子を伺うと、何処を見ているのか普段以上にぼーっとしている。
「おい、撫子」
「撫子? どうかしたの?」
二人に声をかけられても反応をしない撫子に、鷹斗と理一郎が顔を見合わせる。その後気遣うような眼差しを彼女に向け、再び声をかけようとした鷹斗の脇から理一郎の手が伸び、撫子の額を軽く叩いた。
「いたっ」
「おい。何ぼーっとしてるんだよ」
渋面の見本の様な顔をしている幼馴染の顔が、彼の手の平越しに見えた。何をするのか、と文句をつけようとして、もう一人の友人が心配そうに自分を見ていることに気がついた。
「大丈夫? 具合、悪かったりする? もしそうなら、家まで送るよ」
「え? どうして? そんなことないわ」
「どうして、じゃないだろ。まさか自分がぼけっとしたことにすら気がついてないのかお前。随分とお気楽だな」
先ほど自分の額を叩いた手の平が再び近付いてきて、思わず身構える。すると、思わぬ優しさで四指の背が頬に触れた。
「ちょっ、ちょっと、理一郎?」
「熱は無いみたいだけどな。おい鷹斗、こいつ、朝からこんなのか?」
「いや、そんなことはないと思う。一緒に教室を出るまでは普段通りだったと思うんだけど……」
渋面の見本の隣で、心配顔の見本が並ぶ。頬に触れていた手が離れた途端、撫子のそこに思い出したように熱が生まれた。
「本当に大丈夫? 無理してない?」
「ごめんなさい鷹斗、心配させて。でも、本当に大丈夫だから。それより、皆を待たせてしまってるんじゃないかしら」
「そうだけど……」
二人のやりとりのそばで、理一郎が盛大なため息を着く。撫子がこう言い出したら、引かないのは昔からの付き合いで分かっている。
いざとなれば無理矢理にでも自分が連れ帰ればいいと内心で結論づけて理一郎が歩き出すと撫子が続き、一歩遅れて鷹斗も後を追う。いい加減、央のクラスもホームルームが終わった頃だろうと彼のクラスへ足を向けたのと同時に、理一郎の教室から数名の生徒がにぎやかに出てくる。
「加納君、バイバイ」
「ああ」
「あ、その二人も一緒ってことは、例のあれ?」
三人組の女子生徒は、無愛想な理一郎の反応にもめげずににこやかに話しかけてくる。そのうちの一人は、さっき教室で理一郎と話していた女子だ。
女子に囲まれている理一郎なんて、珍しい。今日はどこまでも珍しいものを見る日だと撫子が目を丸くしていると、鷹斗はむしろにこにこと楽しそうな笑みを浮かべていた。それに気付いた理一郎は心底いやそうな顔で、額に更なる皺を刻む。
「うるさい。さっさと帰ればいいだろ」
「もー相変わらず口悪いなあ。言われなくても帰るよ、じゃあね『りったん』」
「りったん言うな!!」
きゃあ、とにぎやかな歓声があがる。ぱたぱたと走り去る背中を憎々しげに見送る理一郎の横で、鷹斗は更ににこにこと笑みを浮かべていて理一郎に睨まれたが、本人に気にするそぶりはない。
「皆理一郎がいいヤツだってわかってきてくれてるみたいだね」
「おい、お前馬鹿にしてるのか」
「え? なんで? だって理一郎ってすごい優しいのにさ、皆距離置いてたからもったいないなってずっと思ってたんだ」
爽やか過ぎて厭味にも思える笑顔の底が知れない。含みがないことは今までの付き合いで嫌と言うほどわかっているが、たまーに底意地の悪い複線を張るのがこの海棠鷹斗という男だ。果たして今回はどちらなのかとその腹を量り損ねていると、こういったシーンでは同じように憎まれ口を叩くはずの幼馴染の声が混ざらないことに理一郎は気が付く。
「撫子?」
先ほどとは違い、呼びかけた声に撫子の視線が理一郎に向く。けれど、その眼差しはとても普通と呼べるものではなかった。
実際、撫子は混乱していたのだ。たった今目の前で繰り広げられたやりとりが、どうしてもひっかかって仕方が無い。なのに、その理由がわからない。
「おい、やっぱりお前なんか――」
「……る」
「え?」
「ごめんなさい、やっぱり今日おかしいみたい。帰るわ」
「撫子?」
驚いた鷹斗の呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることも出来ずに撫子は駆け出した。廊下を走るなんてあまり良くない、などと今ではどうでもいいことが頭の片隅を過ぎり、そしてやはりどうでもいいこととして処理された。
走る撫子の肩で、長い髪が揺れる。まっすぐな髪は、乱れてもまたすぐに元の位置に戻るが、気持ちはそういうわけにはいかないらしい。むしろ混乱は増すばかりで、何故こんな行動をとってしまったのかすらわからない。きっと、二人共困っている。他の皆だって、会う約束をしていたのに。
それでももう、あの場所にいたくなかった。だってどんな顔をして立っていればいいのかわからなかったのだ。あの二人の前で――理一郎の前で。
「っ、ま、てって! 撫子!」
ぐい、と肩を掴まれて急いでいた勢いを殺される。もつれそうになる足をなんとか踏み留めて、撫子は立ち止まった。
「具合悪いのに、なに走ってんだこの馬鹿。車でもなんでも呼べばいいだろ、っていうか、そもそも一人で帰るな」
追いつくなり、怒涛の勢いで理一郎は撫子を責めたてる。突然走り去った撫子に、鷹斗と二人で呆然と取り残されたこっちの身にもなれと言いたい。とりあえず撫子は欠席、自分は様子を見て行けそうなら行くとの伝言を鷹斗に残してそのあとを追いかけたものの、捕まえられたのは結局こんな道の途中だ。
シャツのボタンを、一つ外す。持ち上げた箇所ではたはたと空気を中に送り込みながら、理一郎はこちらを見もしない撫子をにらみつけた。
「クラスで何かあったのか?」
撫子は否定した。鷹斗も、何もないと言った。だが、意地っ張りの撫子のことだ、隠し通そうとしているというのも否定しきれない。
体調が悪いという線は、概ね無いと思っていいだろう。これだけの勢いで走れるのだから。
「前ならともかく、最近じゃ正論でクラスの女子を泣かせたりってのも無かっただろ?」
「いつの話よ」
反論ながら返事があったことに安堵しつつ、三歩歩いて撫子の隣に並ぶ。それでもこちらを見ようとしない撫子に焦れて、更に二歩進んでその正面に立った。
「何かあったなら、鷹斗でも誰でもいいから相談しろ。もう同じクラスじゃないんだから、四六時中お前の面倒見てやることなんて出来ないんだ」
「別にそんなの頼んでないわ」
厳しい声に、理一郎の目が見開かれる。
「撫子?」
「面倒なんて見て欲しいなんて頼んでないし、理一郎は理一郎で楽しくやればいいじゃない」
「おい、お前何言ってるんだよ」
予想外の剣幕に、理一郎は戸惑う。いつもなら同じようなケンカ腰の応酬でも、こんなにとげの含まれた言い方は滅多にしないのに。
しかも自分が言った台詞は、今まで飽きるほど繰り返されたそれだ。何が癇に障ったのだろうかと戸惑いながら、同時にその声音に苛立ちもする。人の気もしらないで、と。
「お前な、何が気に入らないのか知らないけど、心配されたくないなら心配かけるようなことするな。あんなふうに帰られて、気にならないわけないだろ」
「頼んでない」
「いい加減にしろ!」
反射的に怒鳴りつけると、撫子の肩がびくりと震えた。思わず声を荒げてしまったことに舌打ちしながらも、謝ることも出来ずに沈黙が満ちる。
たまに通りかかる通行人が、好奇心の眼差しをちらちらと投げかけながら通り過ぎていく。中には同じ学園の生徒もいて、下手をすれば明日には尾ひれはひれの噂話になっているに違いない。理一郎は重い息を一つ吐くと、来い、と撫子の腕を取る。抵抗はないが従順でもない撫子の腕は、いつもよりも重かった。
人通りの少ないわき道に逸れたところで、撫子の腕を解放する。さてどうしたものかと思案した理一郎の耳に、ごめんなさい、と、小さな声が届いた。
「あんな言い方して、悪かったわ……」
「否定するのは言い方だけかよ」
折角謝ったというのに、理一郎の追及には遠慮が無い。再び固く口を閉ざした撫子を見て、理一郎は再び大きくため息をついた。
「……心配してるんだよ、これでも」
気になる、と言う言い方で濁したけれど。
「お前はどうか知らないけど、別に幼馴染だからってだけで一緒にいる訳じゃない。どうでもいいやつなら、とっくに放っておいてる」
それはどうだろうかと撫子は思う。なんだかんだで、理一郎は優しいから。
分かりやすい優しさを与える人じゃないけれど、結局は困っている人を見捨てておけない。傍にいる人間なら尚更。そしてそんな彼の一番近くにいたのは間違いなく自分。
だったのに。
撫子は首を左右に振る。どうしてそうしたのかは分からないけれど、どうしても頷きたくなんかなかった。
自分の感情が上手く制御できない。子供だと明確に分かっていた小学生の頃とは違って、大人になりたいという自分の気持ち以外に、周囲からもそれを求められるようになってきてからだんだんと不安定になってきた気がする。なりたいと自分だけで願っていればよかったあの頃とは違う、周囲からの目。14歳に求められる、子供らしさと大人への心構え。幼馴染という肩書き。失ったクラスメイトというそれ。一緒にいられた権利は、奪われる可能性があるからこその権利だったのに。
(でも、義務なんて嫌なの)
自分が失った場所に、他の誰かがいるということが、こんなにも辛いなんて思わなかった。
(そうよ)
辛いのだ。自分以外の誰かが、教室で理一郎と談笑している姿を見るのが。
「いいわよ、無理して一緒にいてくれなくたって」
「は?」
「理一郎は理一郎で、新しいクラスで楽しくやればいいじゃない。なによ、そんなこと言いながら、自分はしっかりクラスに馴染んで楽しそうにやってるくせに」
「別に楽しくなんかやってない、オレは今までどおり……っていうか、オレのことは関係ないだろ。なんでそんな話になるんだよ」
「だって、笑ってたわ」
自分の知らない誰かと、自分とは違う場所で、何かを話してそして笑ってた。
自分には滅多にあんな笑顔なんて見せてくれないくせに、今まで他の誰にだって見せたことなんかなかったくせに、どうして。
(子供だわ、私)
大人になりたいだなんて言っていながら、与えられた関係に甘えてそのままでいたいなんて、どれだけわがままなんだろう。
一方の理一郎は、撫子の言った言葉を理解できずに硬直していた。一体何の話をしていたのかという根本的なところから思考を整理し、そしてようやく撫子の言っている言葉がおそらくそういう類のものなのだろうと理解した。そして脱力する。人の気も知らないで、こいつは。
「あのな……はぁ、もういい」
一瞬反論を試みてすぐに諦めた。否、正しくは反論する気力がなかったのだ。あまりに自分が報われなさ過ぎて。
もういい、の言葉に自分を睨んでいた撫子の眼差しが悲しそうな色にとって変わった。それを見て思う。どっちが幼馴染というだけの関係に縛られているというのか。こっちはとっくに、それだけじゃないって気付かされているのに。
だけど別に、報われたいわけじゃない。ただ撫子が幸せに笑っていられるならそれでいい。誰の手で幸せになろうが、最終的に撫子が笑っていてさえくれればいい。
世界中の誰が敵になろうと、自分だけは味方でいると言ってくれた。だから自分は、撫子が笑っていられるように全力を尽くす。
(なのになんで、そんな顔するんだよ)
自分の、せいで。
出しかけた言葉を飲み込む。一瞬躊躇した言葉を、けれど理一郎は吐き出した。まっすぐに撫子を見つめて。
「いいか、一度しか言わないから良く聞けよ。オレは正直、お前以外のヤツなんてどうだっていいんだ。だから、周りがどう騒ごうが、その時々でオレがどう相手に接してようが、お前が気にすることなんてないんだよ」
半ば吐き捨てるように言った言葉に、案の定撫子の目が見開かれる。なんだその驚いた顔は。さも今初めて知りました、とでも言うような顔。
(ムカつく)
小さい頃からずっと、味方でいると約束しあって傍にいて、誰よりも近くにいてそのくせ絶対に自分だけのものには出来なくて。
新しい仲間が出来たのは一緒だけれど、気持ちを外に預けるようになったのは撫子の方が強い。そして前よりもずっと柔らかくなって、綺麗になった。笑う回数も増えた。それは嬉しい――けれど。
「大体、何なんだよ。オレが一人でいればいたで付き合いが悪いだの無愛想だの怒るくせに、いざ誰かと喋るようになれば文句つけるのか? 勝手だろ、そんなの」
笑っていて欲しい。だけど、その隣に自分はいないかもしれない。
そのことがどれほど自分の胸を苦しめているのかなんて、きっとこいつは全然わかっていないんだろう。
自分はどう頑張ってもただの幼馴染で、近所の同級生で、それ以上でもそれ以下でもない。一緒にいすぎて、家族のようなものでしかない。
自分にとっては違うのだと叫んだところでそれは変わらず、もし変わるとしたら離れる方向にだろう。それがどれだけ辛いことか、絶対にわかってなんかいない。
「……ちょっと、待って」
「うるさい。待つか馬鹿」
「待ってってば。だって、それじゃまるで、理一郎」
混乱した声にむかついた。だから、言ってやった。
「まるで、じゃない。そうなんだ」
告白の甘さなどかけらもない、いつも以上に無愛想な声が湿度の高い夏の空気に溶ける。
撫子は相当動揺しているらしく、え、だの、だって、だのを繰り返している。こんな撫子は珍しい。それを見られただけでも、自分の告白には価値があったかもしれない。たった一瞬の、だとしても。
「だって、どうして?」
「は?」
「理一郎はいつだって私と一緒にいるの嫌がったじゃない。面倒だとか、やっかいだとか、いつまでも子供じゃないだとか」
「ああ、言ってたな」
「言ってたな、じゃないわよ。普通好きな相手にそんな事言わないでしょう!?」
「普通ってなんだよ。実際お前といると面倒ごとばっかりだろうが」
ほらその言い方、といわんばかりの撫子に、理一郎はため息をつく。何なんだ一体。そこまでして否定したいのか。
「だから放っておけないんだよ。あのな、オレはお前が面倒なんて一回も言ってない。お前に起きる面倒事が面倒だってことなら、腐るほど言ったけどな」
「き、詭弁だわ」
「そう思いたいなら思えばいいだろ。勝手にしろ」
「待って!」
くるりと返した背中にぶつけられた声。眉間に皺を盛大によせて振り返れば、真っ赤な顔でこっちを睨みつける幼馴染。
恥ずかしがっているような、怒っているような。困っているような――それと。
「卑怯よ」
「は?」
「理一郎はずるいわ。勝手よ、馬鹿、ずるい」
数歩離れた距離を詰められる。自分を見上げてきた撫子を見て、今更気がつく。身長だって気がつけば、これだけ離れてしまっていたことを。
「私がなんで、こんな気持ちになったのかだって知らないくせに」
「……独占欲、だろ」
幼馴染に対しての。
「そうよ、独占欲だわ。だってずっと一緒にいたんだもの、これからだって一緒にいたいのよ」
「誰が離れるなんて言ったよ」
「今までと同じじゃ足りないの」
これ以上赤くならないだろう、と思っていた撫子の頬が更に赤く染まる。今度は理一郎の目が、わずかに見開かれた。そして同じく、今度怒りを覚えたのは先ほどとは逆の方。
「なによその顔」
「……お前な、勢いで何かするの、やめろ。今までそれで何回痛い目見てるんだよ」
「そうね、まさかこんなタイミングで言うなんて思ってなかったわ」
「それ以前のことを言ってるんだオレは。違うだろ、お前のは。オレのとは違うだろ。ふざけてるなら――」
「それ以上言ったら、理一郎でも許さないわよ」
戸惑いが消えて、怒りだけがのった瞳が自分を映している。許さない? 誰が、誰を。どうして。
「……どういう意味だよ」
「そういう、意味だわ」
「それじゃわからない」
「――っ、り、いちろうだって、はっきり言わなかったじゃない」
「だけどお前はわかったんだろ? オレはわからない」
優勢だったのはほんの一瞬で、あっという間に立場が悪くなった撫子の顔に動揺が走る。否定しかしていなかった理一郎の眼差しと口調が、今では肯定を求めているのだと嫌でも分かる。そんなに顔に出してて、わからないなどとどの口が言うのか。
撫子の足が一歩後ずさる。同じだけ、理一郎が近付いた。
「ひ、きょうよ」
「卑怯でいい」
「ずるいわ。馬鹿」
「ああ、ずるくても馬鹿でもいい」
ほうっておけば永遠に後ずさり続けそうな撫子の腕を掴む。長い髪が肩で跳ねた。
「撫子」
「嫌、言わない」
「おい」
「だって絶対わかってるもの!」
恥ずかしさに潤んだ目で睨みつけられて、どうして平静でいられるだろう。
掴んだ腕をひっぱって引き寄せた。短い悲鳴が聞こえたけれど、知らない。知るものか。誰かに見られたとしたって、構わない。
「好きだ」
小さい頃からずっとずっと。撫子だけが、大事だった。
それが恋と呼ばれるものだと気がついたのは、多分初等部を卒業するかしないかの頃。気付いてしまったら、もう駄目だった。
「撫子、好きだ」
幸せになってくれればいい。そう思ったけれど。
その隣にいるのが自分だったならと――数え切れないほどに願ってきた。
抱きしめた肩が細い。鼻先をうずめた肩口からは、撫子の香り。慣れ親しんだはずの匂いは、こんなにも甘かったのだと改めて気付く。
手を繋ぐ回数も減り、一緒に遊ぶ回数も減った。この先お互いの世界が広がれば広がるほど、それは減り続ける一方だろう。
だけど、たまに触れる強さが増すのなら耐えられる気がする。こんな風に抱きしめて、名前を呼んで、呼ばれて、それが当たり前に許される関係になれるのなら。
「やっぱり……ずるい」
ぽつりと掠れた声が耳を打つ。
腕を少し緩めれば、見えるのは旋毛だけ。
「……撫子?」
「たし、だって……理一郎の事、す――」
「いたいたー! りったんに撫子ちゃん、はっけーん!」
突如、場に響き渡った声に理一郎と撫子が硬直し、次いで慌てて距離をとる。半ばパニックになりながらも同時に声のしたほうを見れば、確認するまでもない面々がこちらに駆け寄ってきていた。
「もー心配したよー。鷹斗君から撫子ちゃんの具合が悪いって聞いて、じゃあ皆で御見舞いに行こうってなったんだけど、すれ違いにならなくてよかった」
「むしろすれ違いになってくれと思っているに違いないのですが、ぼくにとっては央の方が大事ですので、ぼくもこれで良かったんだと思うようにします」
「ええっと……ごめんね? 理一郎」
この三人の発言を比較するならば、央のものが一番ありがたいといつもならば考えられえない感想を理一郎は持つ。円は論外だが、謝られるのも居たたまれない。よって返事は返さない。
比喩ではなく痛み始めた額を押さえれば、りったんも風邪? 駄目だよ早く帰らないと! と央に腕をとられる。離せ、と言ったところで聞く性格ではない英家の長男は、やはり聞く耳を持たずにそのまま歩き出した。
「む? 撫子、そなた顔が赤いぞ。やはり熱があるのではないのか?」
「えっ!? い、いえ、大丈夫よ」
「風邪にはネギを首に巻くと良いと聞く。どれ、そなたの家についたら私手ずから処置してしんぜよう」
「……それがボケじゃねえってんなら、大したもんだな」
いつもなら回収を依頼したいところだが、今はむしろ寅之助の言葉の方が居たたまれない。何故このタイミングで、と天を呪ったところで起こってしまったことは変えられない。というか、やはり全部見られていたのか。
央に腕をひっぱられる理一郎に続くように、皆で歩き出す。離せ、と暴れる理一郎を後ろから見つめていれば、ふと肩越しに目があった。
「――っ!」
それだけで再び、頬が熱くなる。五分前と、変わったのは多分、肩書きだけ。新しく増えた、二人の肩書き。
時間が過ぎるたびに増え続けた二人の肩書きは、今回だけは上書き保存で。
ただの幼馴染から、特別な幼馴染へ。
それがあらわす意味は、二人の頬にのる赤い色があらわしていた。
Fin
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Comment:
理一郎と撫子がくっつくきっかけは、ふたりらしくケンカだったら可愛いなと思って。
きっかけがやきもちなのは鉄板です。
*Back*
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