|
|
|
|
●Hello, again |
「だああっ! だっからお前、それは卑怯だっつってんだろーが!!」
「そんなこと言われても知らないわよ、勝手に技が……あ」
必死になって撫子が押した赤いボタンに反応し、画面のキャラクターが必殺技を繰り出す。豪勢なモーションまでついて、まるで映画のワンシーンにも見えるその画面は、対戦相手である寅之助にしてみれば死刑宣告以外の何ものでもなかった。
YOU WIN、の文字は恐らく自分に向けられたものだろう。その証拠に、撫子が操っていたキャラクターは得意げにポーズを決めており、対する寅之助のキャラクターは膝をついて頭をうなだれている。
「信じらんねぇ」
「ええと……ごめんなさい?」
「っだああ、謝ってんじゃねえよ腹立つ!!」
高校二年の夏休み。早々に宿題を終わらせた終夜と撫子の二人は時間をもてあまし、ならば寅之助のところに行こうという終夜の言葉に押し切られる形で何のアポイントもなく西園寺家を訪れた。
幸いにも家にいた寅之助は突然の来訪者、そしてその正体が撫子と終夜の二人であったことになんとも形容しがたい顔をしたが、結局はこうして家にあげてくれている。
撫子は外部の高校を受験し、当然の如く合格して進学。その1年後に、終夜も彼女の後を追うように同じ高校へと進んだ。
対する寅之助はそのまま秋霖学園の高等部に通ってはいるが、なにかと理由をつけては集まっているCZの仲間であり、疎遠、という言葉とはいまだ縁遠い関係でいる。実際、先週の金曜日に皆で一緒に海へ行ったばかりだ。正確に言えば海棠グループの別荘地だけれど。
「ふむ……寅之助、そなたは口が達者なわりに弱いではないか」
「てめぇぶっ殺されてぇのか。喧嘩なら買うぞコラ」
寅之助の部屋にクーラーはない。正確にはあるにはあるのだが、あの作られた気温がどうにも肌に合わないのだと部屋の主がつけることを拒む。どうしようもない猛暑の折にはつけることもあるらしいが、今日のようにささやかながらも風のある日は、窓を全て開け放つことでやりすごしている。
寅之助の家自体が緑に恵まれた一帯の中にあるということも理由の1つだろう。むしむしとした湿気は肌にまとわりつくが、開け放した窓と部屋の障子の間で行き交わされる穏やかな風が肌を撫でるのは気持ちいい。しかし蝉が賑やかだ。
手にしたハンカチで時折汗を押さえつつ、こういう生活も悪くないわね、と、撫子は四角い窓から見える濃すぎるほどの緑に目を細めた。
「つーか休憩だ休憩。お前ら何飲む。つっても麦茶か水かカルピスな」
「最後のが意外だわ」
「ガキ共がカルピスじゃなきゃ飲まねえなんてわがまま抜かしやがるんだから、しかたねぇだろうが」
「水とはどこぞの水だ?」
「そりゃあここの市長様一押しの水道水に決まってんだろーが」
ミネラルウォーターなんて小洒落たもんがあるわけねぇだろ、と、贅沢な来客に乱暴な返答を返す様に、でもこの辺りなら地下水とか出ても不思議じゃないわね、と撫子は胸中でだけ思う。
「じゃあ、麦茶を頂いてもいいかしら」
「おう。んで終夜、てめーはどうするんだ。水か、水だな」
「カルピスとやらを頼む。氷も入れてくれて構わぬぞ」
「よりによって一番贅沢なモン頼みやがって」
ぶつぶついいながらも腰を上げて、開けたままの障子の縁を掴むと廊下の奥へと声をかける。
高校生になった寅之助は随分と雰囲気が変わった。相変わらず誤解を受けるような言動は改められることはないけれど、小学生であるが故に「生意気」と評された彼の実力は、成長する身体に相応しいものとして一線を引かれることで周囲とのバランスを保ち始めた。
余計な喧嘩を売られることがなくなったからか、それとも経験による慣れか。どちらにしても余り表立った暴力沙汰を耳にすることも少なくなったし、打ち解けたことで自分達に対する接し方も随分と柔らかくなった。それが何よりも、撫子には嬉しい。
記憶にある「彼」にはまだ、身体の線も柔らかいけれど。月日を共に過ごす事で重なっていく彼の姿が嬉しくも懐かしい。
それは、隣にいる人に対しても同じことだけれど。
「若ー、お待たせしました」
麦茶二つにカルピス一つでいいんすよね? と、自分達と対して歳の変わらない少年が部屋に入ってくる。その手には、グラスが3つ載せられた盆。
「ああ、ご苦労だな楓」
「コレくらい御安い御用っすよ」
寅之助が発した名前に、撫子の顔が反射的に上げられ、終夜の動きが固まる。けれどそれは一瞬で、その後には撫子と同じように部屋に入ってきた男の顔を凝視した。
「楓? そなた、楓か!」
「楓なの!?」
「へ? は? え?」
突然身も知らぬ男女二人に言い寄られ、楓は反射的に身体を仰け反らせる。盆の上のグラスががちゃりと鳴り、寅之助の拳が楓の後頭部へと炸裂した。
「てめぇ危ねーだろうが。零したら殺すぞコラ」
「すっ、すいません」
頭の痛みを堪えながらもバランスを取り直し、麦茶を男二人の前に、カルピスを撫子の前に置く。が、次の瞬間には終夜の手が撫子のそれと自分のグラスとを入れ替えていた。
「つーかお前ら、なんでこいつの事知ってんだ? 紹介した記憶ねーんだけど」
そもそも最近入った新入りだし、と、寅之助の言葉に楓も同意を見せる。酷く懐かしそうに、嬉しそうにこちらを見る二人分の視線は自分には覚えのないもので、居心地が悪い事このうえない。
だが二人にとって見れば、懐かしい男の面影を残した少年に覚える親近感を抑えられるはずがない。この楓はあの楓とは違う。頭では分かっていても、胸に湧き上がる思いは止められない。
「そうか、そうだな……すまぬ、昔世話になった男に良く似ておってな」
「名前まで同じなのかよ」
「ああ。その者の名も楓と言った」
あの時代において、自分と楓が出会ったのはもっと先のことだ。世界が壊れ、混乱し、自らの在り方を問うた結果訪れた有心会において初めて出会った男。更に言えば、名を認識したのはもっと後だ。
「とても世話になった。あの者のおかげで、今の自分があると言っても過言ではない」
「んなおーげさな……」
たかが15、6のガキにどれ程のことがあったのか、と、寅之助は呆れたように終夜を見るが、こいつの大仰な物言いは昔からだとまともに取り合うことを放棄した。気になるのは、傍にいる撫子までもが同じ表情で楓を見ていることだが、つっこむことでもないだろう。
「あ〜……なんつーか、まあ、似たような顔で同じ名前っつー縁はありそうっすけど、オレはそんな大層な人間じゃないんで」
自分の残念さ加減は自分が一番知っている。だから親元の逃げるように飛び出して、ここに世話になっているのだから。
場を誤魔化すように口元だけを笑みの形に変え、「じゃ、オレはこれで」と楓が部屋を出ようとする。そのズボンの裾を突然終夜が掴んだ。
「っとぉ!?」
つんのめった楓の膝が折れて敷居に強打するはめになる。びいん、と強烈な痺れがぶつかった場所から全身にめぐり、あまりの痛みに暫し言葉を失う。
「ってめ終夜! 人んちの人間にふざけた真似してるんじゃねえぞ」
とてもさっき人の頭を殴った人物の言葉とは思えない、という感想は置いておいて、世話になっている寅之助にならともかく今日初めて会ったばかりの人間に舐められる筋合いはない。幾ら寅之助の友人であろうと、これは怒ってもいいところではないだろうか。
「あんた……何しやがるんだ」
「自分をそのように貶める言い方は良くないぞ楓」
痛む膝を抱えるようにしながらぎろりと睨みつければ、逆に睨み返された。
「そなたは素晴らしい人間だ。私はそれを知っておる。故に、そのような物言いは好かぬ」
「だーかーら! オレとあんたは今日会ったばっかりで、あんたが感謝してる人間ってのはたまたま似てるだけの赤の他人だろうが!」
痛い思いをさせられた挙句、なんで説教を食らわなければならないのか。寅之助の友人、ということで保っていた敬語も思わず吹っ飛び、楓は大声で言い返す。自分で言うのもなんだが、柄の悪さで言えば定評のある自分の顔と声だ。早々にびびって退散願いたい。本当に、殴ってしまう前に。
だが、目の前の男はひるまなかった。喧嘩などしたことないというような綺麗な顔で、細い身体で、それでも真っ直ぐに自分を見返してくる。引かぬ、とばかりに。
「確かにあの者はそなたではない。だが、そなたはあの者のようになる可能性を秘めておる。そなたがそなたでなければあの者は存在せず、今の私もなかった。それは、間違いない」
「……は?」
「そなたは立派な男だ、楓。この私が、末代まで語り継ごうと思ったほどにな」
至極真面目に言い切った終夜の隣で、撫子がどうしたものかと思案する。終夜の気持ちも、目の前にいる楓の気持ちも分かる。取り残されている寅之助の気持ちも容易に想像でき、自分はどう動いたらよいものだろうか。
一方の楓にしてみれば、目の前の男の言っている意味が全くわからない。が、ふざけているのではないということだけは分かる。
どうにも感情の持って行き場が見つからず、楓はくるくると癖のある髪をかいた。救いを求めるように寅之助を見れば、好きにしろと言わんばかりの目で返された。
「あんた……おかしいんじゃねぇの」
「ふむ。凡人から見れば私のように高遠な人間はそう見えるのやも知れぬな。理解に及ばぬのも当然、なに、恥じることはない」
「なああんた、この人の彼女? 良く付き合ってるなこんなのと」
俺には到底真似できねぇ、と、向けられた賛辞のような恐れのような眼差しを撫子は大人しく受け止める。気持ちは分かる。とても、とても。
「悪い人じゃないのよ。ただちょっと……変わってるだけで」
「『ちょっと』?」
「……大分」
グラスの氷がからりと鳴いた。寅之助に至っては、我関せずとばかりにどこぞを向いて麦茶を飲んでいる。
楓は暫く困ったようにそこにいた。やがて終夜に差し出されたグラスを、いるいらぬの問答の末に受け取り、何故かその場に馴染むように胡坐をかいて座る羽目になった。
「うまいであろう?」
「まあな、っつうか、オレが作ったヤツなんすけどこれ」
「こいつとまともにやりあうだけ無駄だぞー楓。適当に流しとけ、てきとーに」
「……ウス」
ちらりと客人を見れば、向けられるのは懐かしそうな眼差し。嫌ではないが居心地が悪くて困る。こんな目を、誰かに向けられたことなどなかったのだから。
「つーかあんたさ、なんでそんな『殿口調』なんすか?」
せめて普通の喋り方ならまだましなのに、と、落ち着いたところで再び敬語に戻しながら問いかける。すると返ってきたのはやっぱり明後日の返事だった。
「生まれ持っての才覚は口調にも現れるものでな。自ら名乗ったわけではないが、一部のものは私の内なる崇高さを感じ取り、私の事を『殿』と呼ぶ。そなたもそのように呼ぶが良かろう」
きらきらと目を輝かせ、演説めいた口調で言われては反論する気も失せる。変に反論して、またも説教を食らってはたまらない、ここは大人しくしておいたほうが良かろうと楓は判断した。
「して、楓」
「なんすか」
「私はそなたと『友人』になりたいと思うのだが、どうだろうか」
ごふ、と、むせる音が響いた。蝉の鳴き声に重なって。
飲みかけのカルピスが畳に滴り落ち、楓が口元を拭うのと同時に再び後頭部へと打撃が入る。
「おい、ここがオレの部屋だっつーことを知っての暴挙だろうな」
「っ、今のは不可抗力じゃないっすか若!」
「ほー、口答えか。随分と偉くなったな、ええ? 楓」
「すっ、すんません」
すぐに拭きますんで、と、楓が台所へと消える。とっさにハンカチを出した撫子の手を止め、首を振ってから。
終夜は何がおかしいのかと首をかしげる。音がしそうなほど、こてりと。
「おい終夜、何が気に入ったのかは知らねぇが、今日のてめぇはいつにも増しておかしいぞ」
「おかしい? 妙なことを言うな寅之助。私は至って健康だが」
「妙なのはてめーだてめー。おいお嬢、こいつ暑さで脳みそやられちまったんじゃねーのか?」
「それはおいておいて」
「置くな」
ばたばたと廊下を走る音がする。楓が濡れた雑巾を手に部屋へ戻り、カルピスの零れた場所を丁寧に拭いていく。
「私がやるわ」
「いや、あんたのせいじゃねーっすよ」
自分にまで敬語を使う楓に違和感を覚え、撫子の眉が顰められる。目の前の楓と自分は初めて会う。出会った時の立場が違う。だから当たり前なのだけれど、やっぱり寂しい。
一通り拭き終わった楓が再び台所へと戻り、再度部屋へと戻ってくる。1つのグラスを持って。
「ん」
「ん?」
「あんたのっすよ。オレにくれたせいで、あんたのがなくなっちまったでしょーが」
「おお! そうか、やはりそなたは優しいな」
嬉しそうに受け取ったグラスを口に運ぶ終夜はまるで子供のように笑う。毒気が抜かれる、とはこういうことを言うのか。
「……あんた、名前は何て」
「私か? 私の名は時田終夜だ」
「全然『殿』とは程遠い名前じゃないっすか」
楓がくしゃりと笑う。
「若、その」
「あ? 別にお前が誰と付き合おうがそこまで口出す気ねぇよ」
すぐに心を開くつもりはない。かと言って、拒絶したいと思うほど嫌な相手でもなく、むしろ「興味」だけで言えば十分過ぎるほどある。
目の前の奇妙な人物は自分を変な目で見たりしなかった。風体だけ見て怯えることもせず、距離を取ろうともせず、寅之助の下につく人間だからと言って、一緒に下に見たりもしなかった。口調はともかくとして。
まあ寅之助の友人(しかもかなり遠慮がない)である時点で、「偏見」とは程遠い人種なのであろうとは思う。それにしても、時田終夜と名乗った人物といい、その連れといい、なんでこうもまっすぐ自分のような人間を見るのか。大した取り得もない、どちらかといえば、ハンパ者として無視されてもおかしくない存在である自分を。
「つっても、若の友人を同じように呼ぶっつーのもなあ……」
几帳面に正座をし、両手でグラスを持ってカルピスを飲む男を見、楓が頭をかく。
「あんたは見るからにお嬢っすね、うん」
「……それはどういう意味なのかしら」
「見てのとーり、まんま」
「見てくれもそうだが、お嬢はまじでお嬢だぜ? なんたってあの『九楼財閥』の一人娘だからな」
「げ……オレでも知ってる」
寅之助も撫子のことをそう呼ぶが、楓が呼ぶ『お嬢』の響きはどうしても違う疼きを呼び寄せる。
「それはいいけど、その口調やめてくれないかしら。見たところ、あなたの方が年上みたいだし」
「や、でも若のご友人に対してそれは、ちょっと」
「あなたがトラに対して思う恩義は、そのまま私達と結びつくものじゃないと思うわ。敬語を使うに値する人間だと思えば使ってくれればいいし、でもとりあえず今は、そうじゃないでしょう?」
恩義を感じている人間の友人、というだけで敬語を使う理由には十分なのだが、少女はひかない。見目にそぐわず、芯の強いところがあるのだと楓は認識を改める。
「ったくめんどくせぇなあ。どうでもいいがオレを巻き込むな。てめぇら同士で好きにやれ」
言い捨てると、寅之助は再びゲーム画面に向かう。小さい頃から使っているテレビはインチが小さく、体格のいい寅之助が向かうにはいささか頼りない。
取り残された形になった楓は、思案しつつも「まあ、そのあたりはてきとーで」と手を打つことにした。そして自分をじっと見つめる色素の薄い眼差しに気がつくと、否とは言えない雰囲気に両手をあげた。
「じゃああんたは殿な。殿先生」
その口調だし、呼び捨てはなんつーかやっぱり気まずいし。
殿自体が敬称のようなものなのだが、それ単体では楓にとっては憚られるらしい。これ以上の妥協は出来ないとグラスの中の液体を飲み干し、口に入った氷をがり、と噛んだ。
「……悪くないな」
終夜のその声の響きの意味を知るものは、きっと撫子だけだろう。
自分達に優しさを、心を向けてくれたのはあの世界の楓だ。けれどもう、彼にもらっただけのものを彼自身に返すことは出来ない。ならば、たとえ自己満足でもこちらの楓に返していきたいと願う。違う楓からもらった、彼の優しさを。
「よし楓。ならば私と勝負だ」
「へ? いや、さすがに一緒に遊ぶっつーのはちょっと……つーか今若がやってるじゃないっすかちょっと何無理矢理コントローラー奪って……!」
「なっ、終夜てめ、今すげーいいところ」
「何、ここを押せばやり直せる」
「ばっかてめぇ何勝手にリセットボタン押そうとしてやがるって、ああああああ!!」
男三人の混乱を他所に、撫子は静かに麦茶を口に運ぶ。懐かしい記憶。姿も会話も違うけれど、滲む親しさは何も変わらない。
(忘れないわ)
自分も終夜も、あなたに貰ったたくさんの心を。
何1つとして、零したりしないから。
「お嬢! あんたの彼氏だろ何とかしろ!!」
悲鳴のような楓の声に、撫子は笑顔を向ける。
「あら。あなたの友達でもあるでしょう?」
「うむ、私とこの者は最早親友であるぞ」
「適当な事言ってんじゃねえ! っつうか若が怒ってんじゃねえかオレ知らねぇぞ、まじで知らねぇからな!」
悲鳴のような声。ばきばきと指を鳴らす音。のんびりとした笑み。
窓の外では相変わらず蝉が鳴いて。
「てめえら二人共そこに並びやがれ」
「オレは関係ないっすよー!!」
がつん、という鈍い音と、撫子の手の中で溶けた氷がからりと鳴った。
Fin
----------
comment:
戻ってきた世界でも、楓と仲良くなれたらなという希望と願望。
20110322up
*Back*
|
|
|
|
|