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●I hear you. |
今日も父はいない。
仕事で忙しい父は大抵家にいない事も多く、帰ってきても撫子が寝ている時間であることが多い。朝は朝で、撫子が起きる頃には先に食事も済ませ、家を出る直前だったりすることがほとんどだ。
おかげで会話をもつ時間も少なく、最後に父と言葉を交わしたのはいつで、どんな内容だったかと考えて撫子は首をひねる。確か、テストの結果を報告した時だっただろうか。それももう、先週の話だ。
いつもは家にいる母も、今日は父の付き合いで家を空けている。とは言っても身の回りを世話してくれる人間が家には数名おり、誰もいない家に帰るということはない。
ない、けれども、やっぱり「ただいま」を言う相手が家族かそうでないかは意外に大きく差のあるものだった。
用意された食事を取り、風呂をすませ、宿題と予習をやって読みかけの本を手に取る。しん、とした空気は本を読むには最適であるはずなのに、何故か落ち着かない。すでに中等部に進学した自分は、さみしいと駄々をこねるほど子供ではないとそう思うのに、だけどこう思ってしまう時点で子供なのだなと撫子は小さくため息をついた。
椅子から降りて、ベッドに寄りかかる。行儀悪く足を投げ出すことは一人でも出来ず、横に足を流す。
なんとなしに天井を見上げていると、無意識に手がポケットを探っていたことに気がついて撫子は瞬きをした。自分は今、何を探していたのだろう。
前もこんなことがあったような気がする。一人ぼっちで部屋にいて、寂しくて、誰かと――誰か、と、話をしたくて。
立ち上がり、机の脇にある棚を探す。三段ある棚の一番下には蓋付きの布で出来た収納ボックスがはめられており、普段は使わないものや、どうしても捨てられないものがしまわれている。それをひっぱりだして、撫子は目的のものを探しだした。
「使える、かしら……」
ずっと昔に、理一郎と遊んだ通信機の片方。
元々は理一郎の家のものだが、彼の家の庭で遊ぶだけでは物足りず、家に持ち帰って時折話しては遊んだものだ。
もう使わなくなって随分経つけれど、捨てることもできなければ時折思い出したように充電だけしてみたり。
硬い機体をなぞるようにさわり、求めたものがこれだったような、違うような感覚をもてあましながらそっとコールボタンを押す。
繋がって欲しい。何処に? わからないけれど。
願いの強さだけ握り締める手に力を込めて、暫く待つ。けれど、空間は繋がらない。当たり前なのに、何故だか胸の奥に硬くて重いものがどっしりと居座って、息が上手く出来なくなる。
(何をやっているのかしら)
自分でもそう思うのに止められない。繋がって、繋がって、お願い、声が聞きたいの。そればかりを願って、ぎゅうと通信機を耳に押し当てる。
――ぴりりっ
「!?」
突然鳴り響いた携帯の呼び出し音に、撫子は手から落ちそうになった通信機を慌てて握りなおして呼び出しを終了させると、ベッドの傍らへと手を伸ばす。中学にあがったと同時に親から与えられた携帯電話は、ほとんどCZのメンバー専用となっている。
「はい、もしもし」
『おい、なんで今更通信機触ってるんだよ』
名乗りもせずに不機嫌な声が耳に届く。誰からの電話かは通話ボタンを押す前に液晶に出た文字でわかってはいたけれど、それにしたって普通は名乗らないものだろうか。
『何か用事があるなら携帯使えばいいだろ』
呆れたような声に同意を返しながら、電源が入っていなければ鳴りようもない通信機に気がついたという事実が驚きをもたらす。もしかして理一郎も、時折ケアをしていたということだろうか。もう二度と、使うことなどないとお互い思っていたこの通信機を。
『……何かあったのか』
「え?」
不機嫌そうな声音に、伺うような色が混ざる。突然の変化に疑問を返せば、一瞬言葉につまったような空気が流れた。
『声、元気ないだろ。何かあったのか? 又、変な夢見るようになったとか』
「夢?」
『あのな……お前が昔言ってたんだろ。毎日変な夢を見るって』
何で覚えてないんだよ、と、責められても撫子には覚えがない。夢。見ないことはないけれど、理一郎に言うほど嫌な夢を続けてみた記憶はない。
「言った、かしら」
『おい、本気か?』
理一郎にしてみれば、もう一年以上前のことになるとは言え撫子が一時期寝不足になるまで変な夢に悩まされていた事実は忘れようもない。最初は偶然だと流し、やがて偶然では片付けられないほどの間それが続いて、撫子の顔色が悪かったり、眠そうにしていたりと、口にこそ出さなかったが気が気ではなかったのだ。
それを、忘れた? いくら撫子に緊張感が足りないとは言え、あれだけ悩まされていたことを忘れるなんてことは考えられない。
携帯を握りなおし、無意識に寄った眉を更に顰めながら問いかける。本当に、大丈夫かと。
けれど耳に届けられた幼なじみの声は、心配しているこっちが馬鹿馬鹿しくなるほどあっけらかんとしたものだった。
『理一郎は心配性ね』
くすくすと転がるような笑い声と共に返された言葉に、昔ならば反発も反論もした。心配なんかじゃない、単にオレに火の粉が飛んでくるのが嫌なだけだ。きっと、そんな言葉を返したに違いない。
「心配するに決まってるだろ」
大分伸びた前髪を片手ですくい上げながらため息1つ。昔は認められなかった感情が、今なら少しずつ、認められるようになった。
きっかけは、それこそ撫子が変な夢を見ると言っていた頃からだったように思う。今では不思議なほどに思い出せないけれど、あの時に自分の小さな意地が酷くくだらなく思えるような何かがあって、当たり前のように隣にいた撫子の存在こそが、特別なんだと気付かされて。
携帯をもつ手を持ち替え、一瞬前の思考を自ら否定した。
撫子が自分にとって特別だったのは、とっくの昔から。
認めたくなかっただけなんだ。いつか変わって、自分の傍から離れていってしまうであろう存在を、特別と認めてしまうにはあまりに辛くて、だから。
だけどそうやって諦めて、自然の流れに任せてしまうことが酷く恐ろしく思えるようになった。そのためには、多少かっこ悪くたって、情けなくたっていいと思えるほど、改めて撫子と言う存在が自分にとってどれだけ大きいかを思い知らされたのだ。
電話の向こうで、撫子が面食らっているのが分かる。そうやってせいぜい慌ててればいい。オレのことを素直じゃない子供のままだと思っていればいい。少なくともその間は、ずっと幼なじみでいられるのだから。
「で、どうしたんだ。突然無線触るなんて、何かあったんだろ」
言いながらちらりと時計を見れば、21時をまわっている。寝る時間にはまだ早いが、かといって気軽に電話をかけられる時間でもない。
開いていたノートを閉じ、ぎし、と椅子の背に体重を預ける。携帯の向こう側からの返事はまだ返ってこない。
「撫子?」
これは、本当に何かあったのだろうか。今日学校で一緒にいた限りでは特段おかしなところはなかったように思えたし、何かがあったとも聞いていない。自分が気付かなくても、別の視点から見ている友人がおり、その彼からもこれといった報告もなく、思い当たる節が全くないことが逆に理一郎を焦らせる。
もう少し早い時間ならなんとか理由をつけて隣の家へ行く事も出来たが、さすがにこの時間となると憚られる。だがそんなことも言っている場合でもないか、と思い始めた時、まるで独り言のように落とされた声が耳に届いた。
『どこかに、繋がりそうな気がしたのよ』
彼女にしては珍しく、芯のない声で。
『繋ぎたかったの。話したい人がいて、声が、聞きたくて』
だけど繋がらなくて――と、続いた声は、今にも泣きそうなものだった。
『部屋に一人で、心細くなって、いつでもかけてこい、って言ったのに』
「撫子?」
一体何を言っているのだろうかと眉間の皺を深いものにしながら理一郎は姿勢を正す。
「あの無線は、こっちにあるヤツとしか周波数を合わせてない。それをいじらない限り、別のところに繋がるわけないだろ」
携帯越しに撫子の耳に届く声は、普段よりも低い。それは電子変換されたものだからか、夜だからなのか、それとも成長した証か。
そのことも何故か撫子の胸を締め付ける。こんなことを言っても馬鹿にされるだけだとわかっているのに、話すことをとめられない。
「どこかに、じゃないの。……理一郎と話したかったのよ」
『……それこそ携帯でいいだろ』
「そう、ね……そうよね。私、変な事言ってる」
ぐるぐるする脳内と胸中を整理しようと努めつつ、こうして話しているだけで泣きたくなるのはどうしてだろう。両親そろって家を空けることなんて、そう珍しいことでもないのに。
理一郎と話しているのに、余計に寂しく感じるのは。どうしてだろう。
俯いたせいで肩から滑り落ちた髪を空いている手で絡めるように握り締める。こんな風に弱いのは嫌だ。理由も分からずに不安になるのも、嫌。
『お前が変なのは昔からだろ。今更だ』
聞えてきたあんまりな言葉に頬を膨らませる。けれど撫子の反論よりも早く、理一郎の声が電子の波を泳ぐ。
『だから別に……不安になることなんて、ない。何かあれば、何時だっていいからオレに電話すればいい。お前の話くらい、いくらだって付き合ってやるから』
「理一、郎」
『何年お前の幼馴染やってると思ってるんだ。お前の面倒なんてみ慣れてる。変な意地はったり、遠慮されるほうが気持ち悪い』
優しいのか意地悪なのか分からない言葉がじんわりと胸に広がって、正体不明のもやもやを包む混むように淡くしていく。気持ち悪いなんてひどいわ、と、返す言葉が震えそうになった。
『ただかけるなら携帯の方にしろよ。無線なんて、思い出した時に充電してるくらいだから、通じない時がほとんどだ』
「ええ、わかったわ。……ねえ、理一郎」
『なんだよ』
「無線、まだそうやって大事にしてくれていたのね」
使わなくなってもう、何年もの月日が流れた。なのに、捨てなかっただけじゃなく時折ケアまでしていたなんて。
撫子にしてみれば、思い出だからだということもあるし、一時期でも理一郎と繋がっていたものをそのまま繋がるようにしていたいという思いもあった。それと同じ事を、彼も思ってくれていたとうぬぼれてもいいのだろうか。
『……大事にするもなにも、これはオレんちのだ。それを言うなら、お前の方だろ。使わなくなったガラクタなんて、さっさと捨てればよかったんだ』
「そんなことできるわけないじゃない。あなたも言ったけど、これはあなたの家のものだもの。勝手に捨てるなんて出来ないわ」
『なら、さっさと返しにくれば良かっただろ』
「別にいいじゃない。どうせもう使わないんでしょう? なら、困らないじゃない」
互いに本当の理由を口には出来ず、結局は軽い口げんかのような物言いになる。小学生の頃から成長したようで成長しきれていない関係は、中学生になっても続いたままだ。
ただほんの少しだけ正直になれるようになって、ほんの少しだけ性差を意識するようになって。
前よりもずっとずっと、相手を大切だと思うようになった。
傍らの無線は沈黙を保ち、唯の塊としてそこにある。
手にした携帯から聞える聞きなれた声に安堵しながら、このもどかしいような気持ちも、すべては変わり行く時間のせいだと撫子は思うことにした。
Fin
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Comment:
RADの「携帯電話」を聴いていてふと思いついた小話。
でした。
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