** Happy C×2 **
 ●kiss kiss kiss.

 さてそれじゃあ、と思ったところで、背後でかたんと物音がした。
 追われている身としては物音には敏感になる。一応見つかりにくい場所で護衛も置かれているとは言え反射的に振り返れば、そこには私がしている顔よりも緊張感と言うか、信じられないと言った表情をした彼がいた。
「……何やってんだ」
「トラ。もう、びっくりさせないでよ」
 手に持っていたはさみをぎゅ、っと握り締めていたことに気付き、自分を驚かせたトラを責める様な響きと共にその力を緩める。すると何故だか固まっていたトラが急につかつかと私の方へと近寄り、そのハサミを乱暴に奪った。
「それはオレの台詞だ。何やってんだよ、こんなモン持って」
「こんなもん、って、ただのハサミよ?」
「髪にあててただろうが」
「そりゃそうよ。だって切ろうとしてたんだもの」
「切……っ、はあ!?」
 トラの反応に私が首をかしげると、ますます信じられないと言ったようにトラの目が見開かれる。
 何故か責められているような心地になり、つい言い訳めいた口調になってしまうことを不本意に思いつつも言葉を続ける。
「だってこのままじゃみっともないし」
「みっともないって、何がだよ。お嬢の髪なら十分綺麗だろうが」
「だって揃ってないんだもの」
 ほら、と、明らかにそこだけ短くなっている一房を取って見せれば、トラの顔が固まる。困惑と納得。そして見逃しそうになる、罪悪感。
「どたばたしてずっとほうっておいたけれど、ようやく一段落もついたことだしと思ったら気になって」
 人質を傷つける覚悟があるのだと、新政府へと見せ付ける為に切られた私の髪は、当然ながらその痕跡を残してここにある。
 髪、で済んだのは本当に幸運だったのだ。そもそも論にしてしまえば、こんなことに巻き込まれた私は完全なる被害者で、どんな形で在ろうと害を加える存在に対して恩を感じるのも可笑しい話なのだけれど、それでもそう思ってしまうほどに、あの環境は私にとって安全な場所ではなかった。たとえ、トラや終夜が傍にいてくれたとしても。
 平和な世界に育ってきた私にだって容易に想像がつく「取引」の材料の顛末。だけど私は今五体満足でここにいて、傍にトラもいてくれる。それに、髪のことにしてもいずれは伸びるものだ。そこまでショックも受けていない。
「トラ?」
 片手を襟足にもっていき、明後日の方向を向いているトラを伺うように名を呼べば、舌打ちと同時に床を蹴りつけられてびくりとする。
 肩をすくめたまま見つめれば、眼差しだけが寄越されて。
(あ)
 床に座っていた私は立ち上がってトラの傍へと歩み寄る。再び不機嫌そうに視線を逸らした彼の頬に手を添えて、こっちを見てと言外に告げた。
「あなたのせいじゃないわ。責めないで」
「……」
「あの時はああするのが一番だったんでしょう? それに、手や足ならともかく、髪なら幾らだって伸びるもの」
「そういう問題じゃ……っ! ああクソッ!」
「!?」
 ふいに力強く引き寄せられ、息が詰まるほどに抱きしめられる。いきなりどうしてこんな展開になるのかと思考を整理しようとしても、抱きしめられた後に押し付けられた唇で全部無駄に終わる。
「ちょっ、トラ!」
「傷つけられた側が慰めてんじゃねぇよ、かっこわりぃだろうがオレが」
「別に慰めてなんて……んっ」
 言い返そうとした言葉も再びふさがれ、どん、と強めにトラの肩を叩く。するとかしゃんと乾いた音が少しはなれた場所から聞えたかと思うと、片腕だった拘束が両腕へと変わり、本格的に身動きが出来なくなった。
 流されるのが嫌でしていた抵抗すら無意味になった頃に、ようやくトラの拘束が緩む。勝手に抜けそうになる膝の力をなんとか保てば、その分だけを補うように抱きしめる腕の強さが加わるものだから、怒っていいのかお礼を言っていいのかわからなくなって悔しい。
「無理矢理は、嫌」
 上目遣いで睨みつけながら言った言葉に、トラが噴出す。
「ばーか。本気で嫌がってんならしねぇよ」
 そうでないなら、てめぇの女に遠慮する理由がわからねえな、と、あんまりな言葉にかっと頬が熱くなる。悔し紛れに結構な力で肩を叩けば、それすらもおかしくてたまらないといったように喉で笑われる。
 小突くように、撫でるように私の頭に触れて離れたトラの手が、床に落ちていたハサミを拾うのをみて、さっき聞いた音がそれだったのだと気付く。ぶつかった眼差しにはもう彼自身を責める色はなく、ただ何かを惜しむような感情だけが滲んでいた。
「オレがやってやるよ」
「え?」
「自分じゃ切りづれえだろ。いいから向こう向いてろ」
 引っ張り出してきた椅子を、私が広げていた布の上において座るよう促す。襟足にトラの手が差し入れられ、丁寧に流れを整えるように動くのが分かり、なんだか落ち着かない気分になる。
「自分でやったとは言え、もうちっと目立たないところにすりゃあ良かったな」
 先ほどまでとは違うトーンの声が部屋に響く。次いで、しゃくん、と、乾いた音と共に髪が切られた。
 地肌からは随分と離れたところだというのに、髪にハサミが入る振動は伝わってくる。何回も何回も伝わる振動の回数は、そのままトラの優しさだ。普段からは到底想像できない丁寧な仕草で整えられていることを思うと、嬉しい反面何ともいえない気持ちになってくる。
 しゃくん、しゃくんと響く音が、胸をうって。
 離れていく髪が、何かに別れを告げているかのよう。
 もったいねぇな、と、独り言のような声がぽつりと耳朶を打つ。私は何て言っていいのかわからずに、ただ黙っている事しか出来なかった。
「こんなんでいいか?」
 合わせ鏡で後ろを見せてくれたトラに頷いてお礼を言う。元々手先は器用な人だと思っていたけれど、こんなに綺麗に揃えてくれるとは驚きだ。
「大分短くなっちまったな」
「軽くて楽だわ」
 腰まであった髪は背の中ほどで切りそろえられている。そういえば、なんとなく同じ長さで続けていた自分にしてみれば、この長さは何だか新鮮だ。
「こんなに短くしたのなんて、幼稚園の頃以来よ」
 くすくすと笑いながら、一房を指先で取る。するりと逃げていくタイミングがいつもより早くて、そういうところでも短くなった事を実感する。
「そういや、小学生のお嬢も今と同じ位の長さだったよな」
「ええ。腰まで届いてから、ずっとそれをキープしてきたから」
 理由なんて思い出せない。もしかしたら、髪を父に褒められたとか、そんな些細な理由だったような気もする。
 切り落とした髪を集めて、零れないよう敷いていた布にくるむ。その手に、骨ばった同じものが重なった。
「お前はもう、オレのもんだ」
「トラ?」
「だから、もう絶対に傷つけたりしねえ。髪や爪でさえもだ。オレがお前を守る」
 本当に言いたい言葉は、別にあったように思う。けれどそれを言うのは卑怯だと、だから代わりにその言葉をくれたような気がして。
 手の下にある包みをじっと見つめたままの彼を見、大分短くなった髪を肩に滑らせながら口を開く。
「私だって、あなたを守るわ。だって、あなたは私のものだもの。そのために必要なら、何回だって髪なんか切ったっていい」
「させねえよ」
「もしも、の話よ。それにこれだって、私を守る為にトラがしてくれたことでしょう? 傷つけられたなんて、これっぽっちも思ってない。思われるのも嫌だわ」
 片目を隠す前髪が揺れる。俯いたままの唇が、わずかに突き出ているのが見えた。
「ったく、可愛くねぇな。素直に守られてろよ」
「あら。そんな女が好きなの?」
 残念だわ、と笑みを含めばぎっ、と睨まれる。馬鹿ね、そんな顔したって、全然怖くなんかないんだから。
 見詰め合ったのは一瞬で、先に目を逸らしたのはトラの方。堪えきれずに噴出したと言った態で、からからと笑う。
「やっぱいい女だな、あんた」
 さっきとは違い、自然に触れ合う唇がじんと痺れる。
 乱暴な口調に似合わない優しい口付けに、私の胸が真逆の嵐を呼び起こされた。









Fin


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Comment:


そいえば髪切ったよね、と。
理一郎や円とは違うケンカっぷるというか、いい力関係でケンカしつつ撫子がきっちり手綱握ってるイメージ。



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