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●Persona |
「……今日も元気そうですね」
ぷしゅ、と背後で音が鳴り、スライド式のドアが開く。音と声を耳で捕らえた撫子はげんなりとした態で振り返りもせず、これ見よがしにため息をついた。
「だから、前も言ったと思うけど、せめてノックくらいしてくれないかしら」
「あなた馬鹿ですか。このドアにノックなんて意味ないでしょう」
殴りつけるくらいの強さでないと、音なんて聞えませんよなどと呟きつつ、手の甲でこんこん、と厚い扉を小突く。わかっているくせに腹立たしい言い方しかしない男を睨む為に撫子は振り返り、眦をきっと吊り上げた。
「そういう意味じゃないわよ、部屋に入る前に何らかの合図をちょうだいって言ってるの! 誰もノック優先でドアを壊せなんて一言も言ってないわ」
「あーそうですか。日本語は正しく使って頂けるとありがたいんですけどねぇ。小学生のお子様には難しい注文でしたらすいません」
一欠けらの誠意も滲まない声で返した返事は、意図したとおり少女の神経に障ったらしい。更なる反論がくるか、それとも徹底的な無視攻撃か、と、反応を待ったところ、撫子はそんな自分の予想に反した行動をとった。
「……何してんですか」
「見てわからないの? お茶を入れてるのよ」
「それくらいわかりますよ。何でいれてるのかって聞いてるんですけど」
「は? それこそ意味がわからないわ。来客が来てお茶を入れる行為に何かおかしなところでもあるの?」
それとも違う飲み物がいいのかしら。でも、この部屋には紅茶しかないのよ。
そう続けられた言葉は右から左だ。
読みかけの本をベッドの上に置き、立ち上がって陶器のティーセットを棚から出してお茶の準備を始める撫子に、この子供――見た目は立派な成人女性だが――は一体何を考えているのだろうかと円は首をひねりたくなる。自分は言うなれば彼女をこんな世界に連れてきた敵のようなもので、そういった肩書きを抜きにしても、決して友好的な関係ではない。キングと、直属の上司であるレインと比較しても、それは明白だ。
(ああ、そういうことですか)
「あなた、まだわかってないみたいだから言っておきますけど、ぼくはあなたの知ってる英円じゃありません」
特段の感情を乗せずはっきりと言った言葉に、撫子の肩が小さく揺れる。
「あなたがあなたの世界で、あなたの世界のぼくとどんな話をしてどんな関係を築いたかは知りませんが、はっきりいって『ぼく』とあなたの関係はほぼ赤の他人です。他人どころか、寧ろ敵対関係と言ってもいいんじゃないですか?」
「わかってる、わよ」
撫子の身体越しに、白い湯気が立つ。丁寧にカップを温めるあたり、几帳面だなとどうでもいいことを思った。
「わかってるならいいんですけどね。それならそれで、あなたやっぱり変な人ですね、敵であるぼくに、わざわざお茶なんかいれてくれるんですか」
撫子にしてみれば、なぜお茶を淹れるくらいでこんなにも絡まれなければならないのだろうというのが感想だ。
どんな理由であれ、自分の部屋を訪れてくれた相手にお茶を出すという行為は、そんなにもおかしいものだろうか。
十分に蒸らした紅茶を、温めておいたカップにそそぐ。薄い琥珀色は白いカップに注がれて更にその色を淡くし、光の色に近くなる。
「……どうぞ」
「……どうも」
テーブル越しに向かい合い、紅茶を飲む。確かに、この図はおかしいかもしれない。
「それで、あなたは何をしに来たの?」
「別に。単なるご機嫌伺いですよ。あなたの世話は一応ルークの担当なんですけどね、あの人何かと理由をつけてすぐサボるんで、こうして下っ端のぼくが動き回ってるって訳です」
「大変そうね」
「実際この組織の上にはろくな人間がいませんからね、キングを始め」
出した名前に、撫子の視線が泳いだ。キング、と呼ばれる人物は、彼女の知る海棠鷹斗と同一である。
彼女の同級生であり、友人であり――この世界を壊し、2010年の撫子をこちらに招いた張本人。純粋で残酷な、願いをかなえる為だけに。
「ねえ円、鷹斗はどうしてこんな事をしたの?」
「凡人のぼくには、天才の考えることなんて理解できませんよ。分かっているのはただ、キングはあなたのことが好きで好きで仕方ないってことくらいですね」
「やめて」
固い声に円の眉が顰められる。目の前にいる撫子の指は、白くなるほど固く互いを抱きしめあっている。
撫子にしてみれば、わからないことだらけなのだ。わからないことは、純粋な疑問の他に心配も生む。元の世界はどうなってしまったのか、理一郎や向こうの鷹斗は。それに、両親だって心配だし、他のCZの仲間だって。
そして呼ばれたこちらの世界にしても同じことだ。彼らの言う事が正しいのであれば、こちらの世界にも自分の大切な人たちは存在する。たとえ彼らが、自分とは思い出を異にする存在であったとしても。
「確かに鷹斗は、大切な友達よ。鷹斗が私のことを、同じように思ってくれてたのも確かだと思う。だけど、それだけだわ。こんな……世界と引き換えにしてまで、あの世界とこの世界をこんな風にしてまでも求められる存在だなんて、思えない」
俯いた頭を証明するように、長い髪が肩をすべる。その胸中の痛みはどれほどのものか、想像するに容易かったけれど、なぜか円の頭は冷え冷えとしていた。寧ろ、何を言っているのかと鼻白む気分にさえなる。
「それはあなたがそう思いたいだけでしょ。事実、キングはあなたの為にこの計画を実行に移した。その事実を否定したところで、何も事態は変わりませんよ」
「随分、意地の悪い言い方をするのね」
「言ったでしょ。ぼくはあなたの知ってる英円じゃありませんから」
要するに、先ほど言ったとおり友人でも何でもない以上、優しくする気などないということか。
(そんなの、嫌ってほどわかったわ)
自分の知っている円は、確かに誤解を受けやすい性格ではあったけれど、ちゃんと人に優しく出来る子だった。
自分の気持ちをどこまで出していいのかわからなくて、許されるのかがわからなくて、怯えていて。少しずつだけれど、央を含む家族以外にも目を向け始めてくれていたのに。
今、どうしているだろう。あんな風になってしまって、円は大丈夫なんだろうか。
「どうしてそんな風になっちゃったのかしら」
少なくとも、あの時までは同じ英円であったはずなのに、その後何があってこんな風になってしまったのか首を傾げるだけでは足りずに頭を抱えたくなる。が、言われた円にしてみれば、目の前の撫子が自分の何を知っているのかとますます鼻白む。
「あなたがぼくに何を期待していたのかは知りませんが、あいにくぼくは昔からこうですよ。ぼくにとって大事なのは央と両親で、それ以外どうだっていーんです」
「そんなこと、知ってるわ」
「じゃあ、何を期待してるんですかぼくに」
「だけど、それだけじゃ駄目なんだって、円は気付き始めていたのに」
至高の存在は変わらずとも、他にも大切なものはある。
そして、大切にしたい存在に属さなくとも、与えられる愛はあるのだということに、気付き始めていたのに。
顔を上げると、弱視の為か細められた視線と自分のものとが交差する。こうして、じっとみる癖は同じなのに、と、なんだか胸がぎゅっとなった。
「何があったのか知りたいのは、あなたもよ円。少なくとも、あなたが何の理由もなしにこんな組織に属するなんて思えないもの」
期待なんてしていないと言った。それでも、全く違う存在だとは思えなくて。
何かをして欲しいんじゃなくて、何かしたい。もし、目の前の円が困っているなら。あんなふうに、困っていることにすら気付かずに、頑なに「そうあろう」として今、「そうある」のなら。
真っ直ぐに自分を見つめてくる視線に、円は得体のしれない感情がわきあがるのを感じる。決してプラスの感情ではない、寧ろ真逆の。
「随分、余裕ですねあなた。人の心配してる場合ですか」
こんな状況で他人の心配など、余程のお人好しか状況判断の出来ない馬鹿かのどちらかだ。もしくは、単に現実逃避をしたいだけか。
善人面したその顔を壊してやりたい。泣けばいい。今の境遇を呪えばいい。何を、強がっているのか。
「頭おかしいんじゃないですか? ぼくはさっき、あなたのためにキングが世界を壊したといいましたけど、ぶっちゃけそんなのあなたに関係ないでしょ。あの人が勝手にあなたを好きになって、一緒にいたくて、ただそれだけのために2010年を生きていたあなたの意識をこっちに連れてきたんですよ? どーして恨まないんですか」
「円……?」
「あなたが大事にしていた世界も人間も全て壊して、奪って、自分の願いをかなえようとしてる。そんな人間と、その人間の仲間を心配するなんて正気の沙汰とも思えません」
(イライラする)
見た目がどうであれ、中身は12の小学生だ。だからなのか、否、幼くあればあるほど、もっと不条理な状況に泣き叫んでもいいはずなのに。自分は悪くないと声をあげて、何をしたのかと責め立てて、そうしてそれでもどうにもならない無力さを思い知って泣けばいい。
なのに何故、彼女はそうしないのか。
どうしてこんなにもいらいらするのか自分にもわからない。ただ、目の前の撫子の反応が理解できないのは確かだ。自分はあんな目にあった時に、何故自分がと思った。起こってしまった事実に後悔ばかりを繰り返しながら、自分は悪くないと言い聞かせて。なのに、どうして。
努めて冷静に言ったつもりの言葉は、その願いどおりになっていただろうか。一方的になってしまった言葉を撫子はただ黙って聞いていて、カップの取っ手に添えられた指は、けれどそれを持ち上げることはなかった。
「敵、かもしれないけれど……その前に、だって、私にとってあなたたちは大切な友達だもの」
違うといわれて、自分もわかってると言ったけれど。
「今は違うかもしれない。でも、私にとっては鷹斗もあなたも、大切な人なの」
「……こんな目にあっても尚、そんな事言うんですか、あなた」
疑問の様な、呆れのような怒りのような声。耳朶に触れた声に、一瞬身体が竦む。
「自分でも馬鹿だと思うわ。だけど仕方ないじゃない、気になるんだもの! それに、泣くのも、嘆くのも後だわ。だって私はまだ、何も知らないんだもの。鷹斗の本当の気持ちも、考えも、今の円が何を思ってこんなことをしているのかも、知らないのに状況だけで自分を哀れむなんて嫌よ。絶対に嫌」
そういったそばから、泣きたくなった。だけど、泣かない。泣いてなんかやるものか。
「ぼくは別に、あなたなんかどうでもいーんですけど」
「……それでも、いいわ」
「あなた、本当に馬鹿ですね」
「知ってるわよ。私が勝手にあなたを心配なだけだから、ほっておいてちょうだい」
どうでもいい、と言われるのは正直辛い。同じだけの思いを返して欲しいなんて贅沢は言わないけれど、本当に目の前の円はあの円とは違うのだと思い知らされるようで。
渦を巻く感情を落ち着けるように、冷めた紅茶を飲んだ。そしてカップを下げた視界にいたのは、僅かに口元をあげた男。
「黙ってれば清楚なお嬢様、なのにねえ」
揶揄を含んだ言葉に、撫子の頬がかっと熱くなる。
「余計な御世話だわ」
「ま、ぼくとしてはそっちのほうがおもしろいですけど」
怒りが滲んだ眼差しは、ただ単に綺麗だとそう思った。
笑顔を向けてもらえるような間柄じゃない。そんな顔が欲しいんじゃない。けれど、どうせ向けられるなら見ていて楽しい顔がいい。
怒った顔が一番「生きている」気がする。彼女の場合には。
「じゃ、ぼくはもう行きます。気が向いたらキングの相手してあげてくださいよ。あの人、拗ねるとほんとめんどーなんで」
――紅茶、ご馳走様でした。
そんな言葉を残してビショップと呼ばれる男は消える。
丁寧にも空になったカップを前に、撫子は唇を噛んだ。前、自分が知っている彼とした似たような時間とは、あまりに違う時間に息が苦しい。
甘いお菓子が無いからじゃない。にぎやかな空間じゃないからじゃない。
「……円」
自分が呼んだ『円』がこの世界にはどこにもいないのだと――思い知らされたからだった。
浮かんだ笑みは、一歩歩を進めるたびに消えていく。変わりに浮かんだのは、憎々しげなほど冷たいもの。
自分の部屋にたどり着くや否や、どさりと乱暴にソファへと身体を沈める。細身に見える身体は意外な程鍛え上げられており、それを証明するかのように、ソファは重い音を立てて主人を受け止めた。
「馬鹿馬鹿しい」
とんだままごとだ。こんな、奇怪な関係など。
ぼやける視界はもう慣れた世界だ。なのに何故、彼女ばかりがああもはっきりとこの目に映るのか。
嫌って欲しいと思う。
いっそ心の底から、憎んでくれたらとも思う。
そうしたら――楽になれるのに。
「だいたい、巻き込まれたのはこっちなんですよ」
誰もいない部屋で呟いた言葉は、単なるひとりごとか、言い聞かせる為のものか。
訳のわからない電話で脅されて。
自分はただ、彼女を呼び出しただけで。
そう、直接手を下したわけじゃない。彼女に危害を加える意図すらなかったというのに。
――彼女は、『消えた』
事故にあって意識を失い、二度と目覚めることはないだろうと宣言された挙句、忽然と肉体すらも消えてしまったのだ。
あの時の衝撃を言い表せる言葉など、自分は知らない。
事件が起こってからというもの、電話のベルが鳴るたびに身体が硬直し、誰かが家のチャイムを鳴らすたびに、心臓が止まる思いだった。
そんな生活を何日も何週間も何ヶ月も繰り返して――懺悔が、憎しみにすら姿を変えて。
彼女さえ、いなければ。
こんな思いをすることなんて、なかったのに。
頭のどこかではわかっていた、彼女も又被害者なのだという意識はどこかへと押しやられ、ただただ時が流れてこの記憶も感情も風化すればいいと願うようになった。
ああしていたら、という過去仮定の後悔は、しても仕方ないことだけれどせずにはいられない。
なのに。
『泣くのも、嘆くのも後だわ。だって私はまだ、何も知らないんだもの』
どうして彼女はそうも真っ直ぐに立って、前を見つめていられるのか。
己の境遇を、嘆こうとはしないのか。
(泣けばいいのに)
泣いて、泣いて、泣いて、己を哀れんで、どうにもならないことを責め立てて、そうしたら自分だって。
「同情くらい、してあげても良かったんですけどね」
たった12の少女が背負わされた運命にしては、十分すぎるほど過酷だというのに。
凛と立つ背中を見るたびに自分の胸に湧き上がる感情は、尊敬や感嘆とは相容れぬ、どろどろとしたものでしかなかった。
今は、まだ。
Fin
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Comment:
まだもやもやの理由をわかりきってない頃のお話。
もうちょっとしたら泣かせてあげようと思う円にレベルアップ予定。
多分「自分じゃどうにもならないことに巻き込まれた」という一点において同じ立場である
はずなのに、反応があまりに違うことに対する苛立ちとか疑問とか、そういうのを消化するのに
若干時間かかったんじゃないかな。
その上で、やっぱり性格上の違いで表に出る(出す)ものは違っても、辛くないわけないから
無理矢理意地悪言って吐き出させてあげようっていうわかりづらい優しさを与えたい相手へと、
撫子の存在が円の中で変化するとこが好きです。
それはまだ罪悪感からかもしれないけど。
責任の無い加害者であり、かつ同士でもある円の心境は、掘り下げると面白いです。
*Back*
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