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●Reminds |
ドレス、という単語でまず思い出すのはウェディングドレス。
それ以外のドレスは、習い事の発表会などで着るもの。少なくともその程度の認識だろう、ここ日本においては。
「ごめんなさい円!」
約束の時間を3分ほど回った頃、会場の入り口の柱に身体を預けていた英円はかかった声に身体を起こす。見れば、送られてきた車のドアが開くか開かないかのうちに車内から飛び出し、顔一杯に「ごめんなさい」を纏わせた少女がいた。
「別にそんなに遅れてないですし」
「でも、約束の時間を過ぎてるわ」
本当にごめんなさい、道が混んでいて。
運んできたのは車で、別に彼女が走ってきたわけではない。にも関わらず紅潮した頬を見ればどれほど彼女――撫子が悪い、と思って穏やかならぬ気持ちでいたのかがわかり、円は怒る気になどなれなかった。
「いいから落ち着いて下さい。せっかく綺麗にしてるのに勿体ないでしょ」
いいながら円の手が肩にたゆんでいた撫子の髪を背にながす。相変わらず、触って心地の良い髪だ。
「ってゆーかあなた、車内なのにそれ羽織ったままで来たんですか」
撫子が羽織っているのは、白い毛皮のコートだ。これでもかというほどの毛量と、さっき髪を流す際に手に触れた質感を思えばめまいのする金額であることは想像に難くない。
彼女の肩書きを思えば当然としても、普通車内ではコートは脱いでいるのが一般的だ。そう指摘をすれば、撫子は恥ずかしそうに目をそらした。
「だって、車を降りてこれを着る時間だって勿体なかったんだもの。でも最初から着ていたわけじゃないのよ? ここに着く直前に中で着たんだわ」
「そーですか。そんなに早くぼくに会いたかった、と」
「待たせて悪いって思うじゃない普通」
言葉をすりかえてした返事は、円には御見通しだったらしい。くつくつと喉を鳴らして笑われ、本当にあなたは意地悪ね、と撫子は拗ねた。
今日は撫子の20回目の誕生日だ。日本で言う成人を迎えるその日に関し、撫子の父、九楼財閥現会長の九楼嘉昭氏は盛大なパーティーを開いた。本来その子供が男子、とりわけ同じ方向へと進もうとしているのであれば、顔見せや今後のパイプ作りという意味で大きな意味をもつものになるが、いかんせん撫子は女であり、かつ父と同じ道へ進む予定はない。
今のところ婿を取ってその相手に跡を継がせるだのと言った話は出ていないが、撫子自身がその可能性を捨てきれていない。当たり前とは言わないけれど、仕方ない話だと理解はしている。納得するかどうかは別として。
「しかしあなたのお父さんもやること派手ですね。さすが九楼財閥ってとこでしょうか」
「本当よ……何の関係もない小娘の誕生日の為に、呼び集められる人たちのことを考えると申し訳なくて眩暈がするわ」
「まあまあそこはお互い様ですから。あなたの誕生日、っていうのはあくまでも御題目なだけであって、呼ばれた人は喜んでいると思いますよ? 自分の位置の確認にもなるし、直接会長と話す機会だって出来るわけですし、運がよければ――」
不自然に言葉を切った円を伺うと、皮肉げな顔が不機嫌な顔と仲良く手を繋いでいる。
「まあ、だからぼくがいるんですけどね」
「円?」
「ああ、いいですよあなたは何も考えずにぼーっと突っ立っててくれれば。ぼくが適当になぎ倒しておきますんで」
「は? 何言ってるの?」
「まああなたはそういうの鈍そうですし。肩書き目当てだろうが違かろうが、ぼくにしてみれば全員敵ってことは決定事項ですしね」
残念ながら、今時点の自分が撫子の父に「不穏分子」扱いされていることは否めない事実だ。実際、今日のパーティーにしても招待状が手元に届くまで一波も二波もあったのだ。
送ったはず、と撫子に言われ、届いてない、と返し。
そんなはずはないと言われて、ないものをあるとは言えないと言い返し。
らちが明かないと円自身が直接撫子の家に乗り込んで嘉昭氏と対面した挙句、言質をとる形で招待状を手にしたのだ。それはもう言葉巧みに。
撫子の父曰く「ただの学友」を招待する場ではないとの事だが、撫子と自分はただの学友ではない。が、それを言ったところで火に油を注ぐのは目に見えていて、当日パーティーの料理を担当するHANABUSAの息子であるというオプションを最大限に活かした結果、「招いて頂く」ことに成功した。
「何をなぎ倒すのかは知らないけれど、暴力沙汰だけはやめてちょうだいね」
「わかりました。場所を選びます」
「……すっごい含みがあるような気がするのは気のせいかしら」
円の顔は既に笑みだ。それもとびっきり、何かをたくらんだような。
全く、自分の誕生日だというのになんでこんな思いをしなければならないのかと頭が痛い。
クロークへとコートを預ける為に身頃へと手をかけると、す、っと後ろに回った円の手が毛皮を引き受けるように添えられる。豪奢なコートとは対照的に、中のドレスは撫子の細い身体のラインを強調しつつも彼女らしい清楚なデザインになっている。素早く肌の露出と胸元の開き具合をチェックし、まあコレくらいなら許容範囲でしょ、と言葉には出さずにOKを出した。このあたりは、あの頭の固い父親の独占欲に感謝だ。
「あなたは華奢ですから、こういうボリュームのあるコートも映えますね」
脱いだときのギャップもそそりますし、の言葉に撫子がきっと眦を吊り上げる。人前でなんてことを言うのか。
周囲のスタッフはさすがというべきか、聞えない振りをしている。だがそれはやはり振りであって聞こえていないわけではない。恥ずかしさに耳が熱くなるのを感じつつ、ここでやり返しては逆効果だとぐっと堪えた。
「円だって、見た目は華奢よね」
「は?」
細身に見える身体が、実はとても鍛え上げられていることを知っている。が、女子にとっては見た目が全てだ。
自分も決して太っている方ではない。寧ろ円が言ったとおり華奢な部類に入ると思う。が、その自分の横に立つ事が多い円だって同じで、撫子としては時折非常に微妙な心地になる。
身長も体重も勿論円の方が自分を上回ってはいるが、ぱっとみた身体のライン、特に腰の辺りなど細くてびっくりすることがある。しっかりとした厚みはあるのだが、全体的なイメージがすらっとしていることからも実際の体格よりも細身に見える。
恋人が細身なのは、女子にとっては非常に微妙で。勿論、スタイルが悪いよりは良い方がいいに決まっている。見た目においても健康面においても。
けれど、万が一自分の方が太って見えたら。なんて、考えただけで泣きたくなる。
「それってぼくが頼りないとでも言いたいんですか」
「そんなこと言ってない。あなたが人並み以上に、時には私が抑えなきゃいけないくらいそっち方面では頼れる人だって知ってるわ」
「微妙な言い回しですが、まあいいでしょ。で?」
で、って言われても。
ちら、と、今更見直さなくても分かる。本当は、車のドアをくぐって降りた時から目を奪われていた。
いつものラフな格好とは違う、深いブルーグレーのスーツには更に目立たない色で縦にラインが刻まれていて、余計に円の姿をすらっと見せている。だいたい、その色が卑怯だと思う。どちらかといえば淡い色彩を持つ彼の色を引き立たせるような暗く深い色をもってくるものだから、嫌が応にも視線は彼の眼差しや肌や髪に引き寄せられて、そして捕まる。本当に、性質が悪い。
互いに小学生として出会った頃は、自分も子供だったけれど円だってそうだった。身長は同じ位で、でも学年は彼の方が1つ下。時にひねくれた言い方をするけれど、言葉の中身はまっすぐで、それが分かるから可愛いな、と思った。
その可愛い、という思いが形を変え始めたのはいつだろう。一時期、自分でも不可思議な感情を円に覚えていた時期があったような気がする。その時はそのなにか、をしっかり覚えていて、円と一緒にいることが辛かったり、逆に嬉しく思ったりしていたような気がする。今となっては、何故そう思ったのかすら思い出せないけれど。
「隣に立つのが、ちょっと気後れするってだけよ」
「どうせ褒めてくださるなら、それらしい言葉を使って褒めていただいたほうがぼくとしても嬉しいんですが」
それに、それをあなたがいいますかね、と、鼻白んだ声が降る。何のことかと問いただそうとした矢先、円が手にとった撫子のコートを自ら羽織った。
「ぼくを華奢だ、とか言いますけど一応これでも男なんでね。それに、恋人でもある女性に華奢だなんだ言われるのは正直不本意です」
きつそうに両腕を通し、襟を持ち上げるようにして前に流す。が、どうしたところで女性用のそれを円が着るには無理があり、どうだと言わんばかりに不遜な顔をした。
「あなたには余ってたようですが、ぼくにはこれが限界です。前を閉めることは、まあ無理そうですね」
撫子が着れば可憐にみえるこの毛皮も、自分が着たらさぞかし新宿か六本木、はたまた西麻布界隈にいそうな風体に見えるだろう。周囲にしてみれば、似合うとも似合わないともコメントしづらい状況に違いないと、返ってそのことを面白く思いながらさて撫子はどんな言葉を自分に向けるのか。
撫子は呆然と自分を見ている。これは予想外だと円は笑みをひっこめた。てっきり似合わないだの、逆に似合いすぎて嫌だのなんだの言われるとばかり思っていたのに。
「撫子さん?」
固まった、としか言いようのない撫子をさすがに不審に思い、円が名を呼ぶ。呼ばれた撫子の中で、何かが通り過ぎていった。
(いたい)
胸が、ぎゅっとして。
「――は!?」
呆然と自分を見ていた撫子の瞳に、透明なものが浮かんだかと思えばあっという間にあふれ出した。滅多に動揺することのない円だが、さすがにこれには動揺し、泣き出した撫子と加えて彼女の周囲を見る。が、ここにいるのは自分と彼女、そして会場となっているホテルのスタッフだけで、そのスタッフ達が彼女に何かをした様子はない。つまり、彼女が泣き出したのは自分と会話をしている延長線でのことだ。
「ちょっとあなた、何泣いてんですか」
「わ、わか、らない」
けど、くるしい。
白い毛皮を纏った円の姿が、そうして自分の名前を呼んでくれることが。笑って、くれることが。
握った両手を痛む胸に押し当てて撫子は泣く。どうして、と思う傍から、ふわりと柔らかなものに抱きしめられた。
そしてそのまま、ロビーの端へと行かれた。撫子は円に連れられるままに従い、立ち止まったのを確認すると、縋るように毛皮の端を握る。
「足りない」
「は?」
「もっと、大きいのがいい」
「あなたが何を言ってるのかわかりませんが。この毛皮はあなたのもので、ぼくのものじゃありません。足りないのは当然でしょう」
だってあの毛皮は、自分を入れても十分余っていた。大きくて、温かくて、そして。
(『あのひと』の匂いがした)
目の前の恋人の匂いと酷く似ていて、ちょっとだけ違う。
あのひとってだれ。わからない。しらない。だけどしっていたのに。
撫子の言葉を、泣く自分が隠れないから嫌だと言う意味にとった円はコートを掴む撫子の指を外し、それを脱いで彼女の頭から被せる。髪が乱れてしまうのは仕方ないが、これだけのホテルならスタッフで十分直せるだろう。
「……何があったんですか」
これほどに泣く撫子を見るのは初めてだ。円は戸惑い、細い肩を抱きしめることしか出来ない。
先ほどまで普通に会話をしていた。一体、何がきっかけだったのだろう。
思い当たるのはこの毛皮のコートだ。だが、撫子は元々このコートを羽織ってきており、違いといえば自分が代わりに羽織ってみたことくらい、で。
呆然とした撫子の眼差しが蘇る。自分を見ていて、まるで違うものを見ているような目。
それが何か、関係あるのだろうか。
「ごめんなさい、もう、大丈夫よ」
パーティー用の小さなバッグからハンカチを取り出し、濡れた頬を押さえる。マスカラとアイラインが流れていないのは幸いだが、どちらにしても化粧直しは必要だろう。
普段の自分なら強引にでも聞きだすが、過去から積み重なった様々なものがそれを躊躇わせる。時折、ほんの時折彼女が見せていた同じような眼差しが記憶にあったから。
「時々だけど、苦しくなることがあるの。っていっても、病気じゃないわよ? 自分でも理由がわからないのよ。いつ頃からだったかしら、たしか」
「あなたが小六の冬くらいじゃないですか」
言った時期が自分でも思い当たるものだったのだろう。そうだわ、と頷く撫子に円の胸に針が刺さる。そう、あの頃から撫子の目には何かが――誰か、が映っていた。
それが誰かなんて自分は知らない。そしておかしなことに、彼女自身も知らない。けれど確かにその存在は撫子の中に根付いていて、どうしようもない苛立ちが円の中にある。
「っていうか、どうして知ってるの?」
時期を言い当てられた事にようやく気付いた撫子が瞬きをし、涙の余韻がきらきらと光る。
「どーでもいいですけど、時間、やばいんじゃないですか。エスコートする立場としては、その顔を何とかしてきて頂きたいんですが」
ぱ、っと撫子の頬が赤くなる。慌てたように取り出した鏡で顔を確認し、クロークを見れば、待っていたかのように別のスタッフが撫子を別のところへと案内する。
「ごめんなさい、すぐに直してくるわ」
「はいはい、ごゆっくり。ああ、でもあんまり気合いれすぎないでくださいね。面倒が増えるんで」
はてなを頭の上に浮かべたまま撫子は消えていく。その背中が完全に消えたのを確認し、円は大きくため息をついた。
「馬鹿にしないでいただきたいですよね」
どうして知っているの、なんて。
見ていたからに決まってる。その想いを自覚して、告げるまでの前からずっと。
預かる形になった白い毛皮をクロークに預け、ちらりと腕時計を見た後に近くの柱へと体重を預ける。
この不安は、昔から消えない。だからだろうか、こと撫子のことになると異様に余裕が無くなるのは。
そんなことを考えた瞬間に自嘲の笑みがこぼれた。違う、こうと決めた相手に対する執着が強いのは昔からだ。この件は、増長要因ではあるが根本的な理由ではない。
とりあえずこれ以上余計やっかいごとが増えても困りますしね、と、多くの敵がいるだろうパーティー会場への分厚い扉を好戦的に睨みつける。九楼の名前目的であれ、彼女自身が目的であれ、ちょっかいを出されるのも気分が悪い。
かつん、とヒールの音が響き、車で現れた時と同じように申し訳なさそうな顔を向けて小走りに駆け寄ってくる。ああ、大丈夫だ。彼女が見ているのは、他でもない自分だ。今、は。
「ちょっと化粧に気合入れすぎじゃないですか」
「え? 濃い?」
「そういう意味じゃありませんよ。でも、そうですね」
並んで歩き出した撫子の顔を覗きこむように腰を折る。そして、ラインが乱れない程度に軽くキスをした。
「!!??」
「これくらいの色の方が、似合うと思いますけど」
自分の唇に移った紅を親指で拭い、にやりと笑う。
「なっ、なにっ、なんっ」
「行きますよ。あなた主役でしょ」
つ、と肘を曲げた腕を差し出す。このようなエスコートを彼女の父に許可された覚えは全くないが、拒否された覚えもない。見た反応は容易に知れるが、それこそ後の祭りというやつであろう。
(立派な牽制にもなりますしね)
顔を真っ赤に染めたままの撫子が、悔しげに自分の肘に指を添える。実に満足げにその仕草を見ながら、やっぱり彼女は怒っている顔が一番魅力的だと、撫子に聞かれたら更に怒られそうなことを思いながら円は一歩を歩き出した。
Fin
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Comment:
向こうの円=白いもふもふ。
こっちの円がそれを着たら、思い出したりしないかなというところから。
パーティー参加相手の牽制に走ろうとした円を抑えるのが大変でした。
違う、その話が書きたいわけじゃないんだ。
円に限らず、帰還エンド(終夜以外)の場合色々あっただろうなあと
思うと切ないですね。
20110308
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