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●Swear to you |
「撫子はおるか!」
ばん、と勢い良く開かれた扉から飛び込んできたのは、法衣のようなマントを羽織った青年だ。
法衣、と言っても日本のそれではない。どちらかというとバチカンやイタリア系だ。この日本で、又、平凡な容姿を持つものであればその大仰なつくりに着ている人間自身が負けてしまうだろう。だが、ここは日本とは言え普通とは程遠く、又、着ている人間自身も並みの者より整った容姿をしているが故に何の違和感もない。
名前を呼ばれた少女――というにはもう女性だが――は、大きな目をぱちりとさせてドアを開け放った人物を見る。彼の行動はいつも常識の枠に縛られないが、それにしても大きな声で名前を呼ばれれば反射的に驚いてしまう。
「いるわ。どうしたの」
「おお、いたか。そなた、今忙しいか? 時間があるようならば、少々付き合ってもらいたい場所があるのだが」
自分より二つ上には到底見えない、きらきらした表情で言われてしまえば否もない。元々、この壊れた世界で自分に出来る事などそうありはしないのだ。
理由はわからないが、新政府に狙われている以上大人しく隠れているか、その潜伏先であるこの家の掃除をするか。空いている時間は新しい知識を得ることに終始するが、特段急ぐことでもない。今となっては。
「大丈夫だけれど、何かあったの?」
「来ればわかる」
ぐい、と撫子の腕を掴んで歩き出す。その姿は、以前からすれば夢のような姿だ。
あの一件以来、一日のほとんどを、時には丸々一日を眠ることに費やしていた終夜の身体は、徐々に落ち着きを取り戻していった。
言葉にしてしまえばたったそれだけのこと。けれど、その間には言葉に出来ない様々なことがあった。
たまにしか目覚めない意識。戻っても混濁していることもある。
自分の付け焼刃の知識は勿論、有心会で研究をしていた終夜の仲間ですら、見出せない活路。
諦めない自信はあったけれど、泣きたくなる気持ちは抑えきれるものじゃない。何度も何度も、一人で泣いた。やるせなさと、寂しさで。
「きっと驚く」
だけどその人は今、目の前を元気に歩いている。話している。笑って、いる。
自分の腕を掴むその手は温かい。思わず笑ってしまうのは、そのせいだ。
「あなたのすることは、いつだってびっくりさせられることばかりだわ」
「む? そうか? それは褒められているのであろうか」
「そうね、あなたの特徴だと思うわ」
「そうか! そうであろうそうであろう」
隠れ家を出て、裏路地を歩く。余り政府の目が行き届いていないエリアとは言え、護衛もなしに二人で歩いていて大丈夫だろうか。
自分は勿論、終夜も御世辞にも戦闘に向いているとは言えない。戦闘どころか、一般的な運動神経についても不安は残る。
恐らく、歩く走る跳ねる投げるの基本動作すら、自分の方が優れていると撫子は思っている。以前、もう何年も前になるが一度だけ全速力(と、思しき)の終夜と一緒に走ったことがあるが、正直あれは走ると言っていいものかと首をひねる程度の代物だ。
「ねえ、家を出て大丈夫なの?」
もし誰かに見つかったら、と、やや心細げに撫子が言うと、終夜が空いている方の手で胸を叩く。
「任せておけ。何があっても私がそなたを守る。男子たるもの、好いた女子の一人も守れぬようでは男が廃るでな」
「……気持ちはありがたいけど、多分私の方があなたより戦えると思うわよ」
ぽつりと呟いた声は聞えなかったらしい。整備されていない、壊れた瓦礫の転がる道を転ばないように気をつけて歩きながら、撫子は終夜に導かれるままに進む。
見上げた空は赤い。雲は濁り、太陽の光のせいとは思えない色むらが広がっている。
もう見慣れたものだが、時折たまらなくあの空が恋しくなることがある。晴れた日の空。白い雲が浮かぶ日もあれば、見渡す限りの青い空の日もある。
日の出は赤紫からオレンジへ。白い光が青を呼び、やがてオレンジから青紫を引き寄せて、藍に染まる。
風が運ぶのは季節の匂い。掘り返された田畑の土、蒸れたアスファルト、息吹いた木の芽。
そういった自然の香りがこの世界には欠けている。悲しいほどに壊れて、悲しいほどに整えられていく世界。
政府の治世が行き届いている範囲では、徐々に緑が増えているという話も聞く。だがそれも、政府の手によって植えられたものであり、自生しているものではない。
この世界が、自分の知っているあの世界のようになるのは一体何年の先だろうか。それとも、この世界は全く別の方向へと進もうとしているのだろうか。
先を考えすぎて不安になるのは良くないと知っている。自分達が望む未来を得る為に、今自分達が頑張っていることを知っている。
けれど、その自分達の力が決して大きくないことも知っているからこそ、時にこうして不安になるのだ。
(駄目ね、私)
何を弱気になっているのかと、ネガティブな思考を振り払うように前を向いた。互いに握り合った手は、終夜の手袋を介していても温かい。
どれほど歩いただろうか。やがて終夜は比較的形の残っている建物の前で足を止めた。
「ここ?」
「うむ」
「って……終夜の研究所じゃない」
終夜が目覚めた後、彼は研究の拠点とする場所を構えた。そこは有心会から離脱して終夜の手伝いをしてくれている研究員が暮らす場所でもある。自分や終夜、そして零は生活をする場所とこことを分けているけれど、楓を含めたほかの面々の大部分は、ここで研究をしながら生活もしている。
重い音を立てる扉を開けると、一気に近代的な景色が広がる。アナログなのは建物の表面だけで、内側は近代化された建物だ。
中扉の脇に設置されたモニターに顔を向ければ、瞳の虹彩認証の後にパスワードの入力を求められる。終夜が慣れた手付きで数桁の番号を入れると、がち、とロックの外れる音がして扉が開く。撫子にとっても、もう慣れた手順だ。
「メインルームじゃないの?」
「ああ、用事があるのは私の私室だ」
普段関係者がつめて研究をしている部屋とは違う方向へすすむ終夜に確認すれば、彼の足は彼に与えられた部屋のある三階へと向かう。黙ってその後を着いていくと、自室に設けられたセキュリティを解除の上、彼の部屋へと揃って踏み込む。
「相変わらずね」
一人でこんなに使うことがあるのだろうか、と思うほどのモニターがずらりと並び、部屋の隅に置かれたラックには数台にサーバが常時稼働している。その周囲には放熱と冷却の為の小型扇風機がくるくると稼働しており、正直なところ御世辞にも静かとは言えない。
「こちらだ、撫子」
てっきりここに用事があるのかと思えば、終夜は更に部屋の奥へと撫子をいざなう。そこは彼の為の仮眠室ともなっている場所で、こちらの作業スペースとは打って変わって静かな部屋になっている。
だが、何もない仮眠室に用事とはどういうことだろう。静かな場所でしたい話なら、別に家でも出来る。
それとも、万が一にも外部に漏れてはまずい話なのだろうか、とそこまで思考が至って一瞬背筋に冷たいものが走る。硬く強張った頬を自覚しながら、撫子は不安げに目の前の法衣を掴んだ。
「そなたに見せたいものがある」
そこに立っておれ、と、法衣を掴んだ手をそっと離された。言われるがまま立っていると、作業スペースとこの部屋とを隔てている扉のガラス戸を終夜は布で覆った。そして、彼の手がぱちん、と部屋の電気を消す。光が消えた。
「終夜?」
「この仕組み自体は以前から出来ておったのだが、こちらがなかなか咲いてくれなくてな」
「え?」
かたかたとキーを押すような音がする。次いで、うぃん、と、どこからか何かの起動音が聞こえた。
暗闇に音だけが響き、撫子が不安になったのを見越したように肩を引き寄せられ、気がつけば背中から抱きしめられていた。
「ちょっ、終夜?」
「黙っておれ。すぐにわかる」
終夜が言ったとおり、部屋に徐々に光が満ちていく。光、と言っても人工のものとは思えない柔らかな色彩だ。
暗闇に慣れた目にはわずかばかりの刺激を与えたけれど、満ちていく光の色に瞳自体がもっと、とねだる。広がっていく景色は、昔に見た――。
「……っ」
「綺麗であろう?」
頭上に広がる空。足元に広がる花。
もう何年も見ていなかった景色が、そこにある。ううん、初めてみる景色が目の前にある。
部屋の六面を使って投影された立体映像は、とても映像とは思えない美しさで撫子を驚かせる。そしてどこからか吹いてくる穏やかな風も、錯覚を促すには十分な演出だ。
足に触れる草花の感触はない。踏む硬さは土ではない、やはり床のものだ。それでも。
「政府が元の自然を取り戻そうと尽力しておるのは知っておるが、いかんせん時間がかかりすぎる。そして我らがいるこの土地は政府の目の届きにくい場所故、作られた緑すら目にする機会がない」
背中越しに伝わる体温が心地よい。優しい拘束に縛られたまま、撫子は眼前に広がる空と大地を見る。
「偽物、作り物と言われてしまえばそれまでのこと。幻の安息など、彼らがやっていることと何ら変わらぬ」
独り言のような囁きに首を振る。それは違う。
「違うわ。だって終夜は、これで誰かを支配しようとなんてしてない。ただ、綺麗だから、見た人の心が一時でも休まるならって、それだけの為に作ったんでしょう?」
身を捩り、自分を抱きしめる人を仰ぎ見る。初めてみた日の光の下で見る最愛の人が持つ色彩は、例えようもないくらいに綺麗だった。
「一緒なんかじゃない。だって――私はこれを見られて、凄く幸せだもの」
管理され、抑制されて、本当の意味の『生きる』ことを失っていた人たちが浮かべていた表情を自分は忘れることは出来ない。
どんなに命を繋ぐ事を約束されたとしても、あんなのは生きているとはいえない。人が人として、自分で考えて、判断して、歩く事が出来ない人生なんて何の意味があるのか。
酷いことばかりではないと聞いた。ちゃんと食料は配給され、怪我や病気をすれば治療の手配もしてくれる。なにか罰を犯したとしても、反省が見えれば猶予されることもある。だけど、違う。
「いつか本当に、この景色が本物になるといいわね」
子供達が緑に溢れた大地を駆け回れる未来。果てのない綺麗な空を見上げることが出来て、その色の変化に時間を知ることが出来る未来。
今はそれらがすべて過去のものになってしまっている。想像も出来ない力で壊された世界を元に戻すのは容易ではないけれど、自分達がこうして自分達で考えて、動ける限り何かは変わるはずだから。
「撫子」
拘束が緩み、終夜の腕が自分の身体から離れる。首だけをひねって仰ぎ見ていた終夜に向き合い、撫子は風に揺れる髪を押さえた。
「そなたは先ほど、私がこれを作ったのは見るものを喜ばせる為ではないか、と言った」
「ええ、言ったわ」
「それは、合っているが微妙に違う」
「え?」
空の色が変わる。真っ青な昼の空から、夜へと繋がる赤い色へと。
赤い空はこの世界と同じだけれど、全然違うのだなと今更のように撫子は思った。空を見上げて泣きたくなる気持ちは似てるけど、去来する感情が違う。
こんな気持ちも、何年ぶりだろう。
朱に染められた終夜の髪が、柔らかな粒子を宙へと散らす。ああ、なんて綺麗なんだろう。
「私が喜ばせたかったのは、そなただ。撫子」
自分を映す瞳が背後の空までも映す。あの時代で見た彼女の姿が重なるのは、この景色のせいだろうか。
当たり前にあった全てのものは、たまたまそうであったに過ぎない。神々の黄昏さえなければ、その偶然はこの先も偶然と気付かれることなく続いていくはずだった。
優しい景色。優しい空間。優しい人たち。
あの時代も、この時空の過去も、いつも自分は柔らかなものに包まれていた。失ってから気付くなど、人はなんと愚かなものだろうか。そして悔いる。なぜ、あの時をもっと大事に生きなかったのか、と。
「私は沢山の過ちを犯した。そなたを巻き込んだことも含めて、許されざる罪を幾つも、幾つも。だが、私はもう間違えたくはない。些細なことで未来は変わるのだとそなたが教えてくれた。ならば私は諦めはせぬ。変わる先が皆にとって幸せなものになるよう、出来る限りのことをしたい」
後悔と、自責と、渇望に満ちた声に、撫子が言葉を挟む余地もない。
否定など彼は望んでいないし、意味もないとわかっている。彼が抱える後悔は、彼のものだ。分けて欲しいし共に背負いたいと思うけれど、それは決して否定することではなくて。
「私も、出来る限りのことをする。皆の為なんて大きなことは言えない。ただ、終夜と一緒の未来を掴む為に、二人でいつも笑っていられるように、私は私の出来る事をするわ」
一緒にいると、誓うこと。
終夜の笑みが夕焼けに滲む。空間に、光の花弁が舞った。
「私は、未来を望めぬかもしれぬ」
「知ってる。だけど、諦めない」
「勿論だ。私も自分を諦めてなどおらぬ。そなたを行かず後家にしては、申し訳が立たぬからな」
「……あなた、本当に意味を分かってて使ってる?」
「む? 何かおかしなことを言ったか?」
「おかしいっていうか、失礼だわ」
確かに自分は適齢期といわれる年齢ではあるが、けっして行き遅れといわれる年齢ではないと思う。大体、もしそうだとしてもそうさせている張本人に言われる筋合いはない。
む、と膨れた撫子を不思議そうな目で終夜は見る。これは前振りを間違えただろうか。
右手を法衣のポケットにつっこんで中を探る。すぐに目当てのものは見つかり、終夜はそれを撫子の眼前へと開いて見せた。
「これ……」
「綺麗であろう。そなたの花だ」
カーネーションにも似た八重の花は、確かに撫子だ。自分の名前と同じ事もあり飽きるほど見たといっても過言ではないその花を、撫子が見誤ることはない。
「種を探すのにも、育てるのにも時間がかかってしまった。許せ」
本当はあと半年は早く言えるはずだったのだが、と、申し訳無さそうに肩を落とす。
終夜の手の平にのった撫子の花は、小さなビニール袋に入っていた。そしてその形は、生花のものでもドライフラワーのそれでもない。
「指輪?」
「うむ。私は手先が不器用ゆえ、母上につきっきりで教わったのだ」
保存用のジップ部分を開き、袋を逆さにして中身を手の平へと転がす。小さな子供ならともかく、終夜くらいの歳の男性が母親に何かを教わりながら工作する絵など、想像するだけで微笑ましい。思わず噴出してしまいそうになるのを堪えていたが、終夜は目ざとく撫子の様子に気付いて頬を赤く染めた。
「笑うでない」
「ごめんなさい、馬鹿にしているわけじゃないのよ。ただ、どんな感じで教わっていたのかしらって思ったら、可愛くて」
「可愛い……」
終夜は育てる、と言った。ならばこの花は作りものではないだろう。
だが指輪となった表面は艶やかに光っており、僅かな柔らかさを残しているようにも見えるが、やはり本来の花そのものとは質感が違う。何か、特殊な加工をしているのだろうか。
「咲いた花の水分をエタノールで抜き、代わりにポリエチレングリコールで置換しておる。その上で花弁が傷付かぬように表面を」
「そこまででいいわ終夜。きっと聞いてもわからないと思うから。ええと、とにかく萎れにくくて綺麗に保ててるってことよね?」
「うむ。少なくとも15年はもつ計算だ」
終夜の指が、茎で出来た輪の部分を掴む。そして、怖いほど真剣な眼差しが撫子を見た。
「その15年の時を、そなたに誓う。この指輪が枯れる頃には、両手に抱えきれぬほどの花をそなたに贈ると」
だから。
「私の妻に、なってはくれぬか?」
夕焼けの赤が、二人の頬に移る。感じないはずの熱までもが、確かにあった。
今日こうして話している人が、明日には声を聞くことのできない存在になるかもしれない。温もりすら、感じられなくなるかもしれない。
だからこそ希望が必要で、夢が必要で、勇気が、必要で。
それを搾り出すことの出来る、誰かの存在が必要なんだと思う。
自然と浮かんだ涙が答えだった。撫子の涙を見て終夜が慌て、そんな終夜を見て撫子が笑う。自分が思う幸せは、ここにある。
白い撫子が薬指を飾った。二重の意味で未来を誓った証。
「そなたにはやはり、笑顔が良く似合う」
優しい口付けの後に、そう囁いた夫へと撫子が笑う。
「じゃあ、ずっと傍にいて。それだけで、私は笑っていられるから」
15年先に、この景色が本当になりますように。
終夜の誓いが、実現されますように。
彼がもつ名前のままに、この世界の夜が明けて、終わりが来ますように。
そうして新しい朝がどうか、始まりますように――。
Fin
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Comment:
エッちゃんから頂いたイラストから勝手に派生。
色々と萌えをありがとう幸せ。
20110223up
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