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●THE ONE |
この、自分たちの世界に戻ってきてからもう十年近い月日が流れた。
その間も私はCZの皆と同じ時間を過ごして、そうして今年、世間的に大人と言われる二十歳を迎えた。同じ時間を過ごして、とは言ってもいつも一緒にいたわけではないメンバーもいる中、終夜とだけはいつも一緒だった。
精神的にはともかくとして、ほんとうは肉体的にも私より二つ年上のはずの終夜は、結局私よりも一つ下、のままで今を生きている。戸籍上は勿論私より二つ上なのだけれど、今の日本では差し引いた時間を取り戻す機会は与えられていない。
飛び級のようなものがあれば、終夜の頭であれば幾らでもその差を取り戻すことはできるのにと思いながら、特段困ることもない私たちの時間は信じられないほどに穏やかだ。
穏やか、とは言っても、それは「あの時間」と比べればであって、この時代を生きる人間としてはそれなりに賑やかに過ごしている。
なんと言っても、終夜は相変わらず「モデル」として過ごしている。年を重ねるごとに幼さが抜け、元から持っていた気品ともいえる空気が倍増して色気にもなっていて。
黙っていればいいのに、と言われていた子供時代とは違い、大人になった今では独特の個性として「それもいい」と妙に女性に受けがいい。終夜のお仕事的にも人気が出るのは勿論喜ばしいことだけれど、彼女として、幾らファンとは言っても大勢の女性に騒がれているのを見て良い気持ちであるはずがない。つまらないやきもちを焼いて、でもそんな自分を見せたくもなくて、一人で悶々としていた事だってある。だけど終夜はいつだってあのマイペースっぷりでそんな私を不思議そうに見るから、それで救われていた部分もあった。
時には、何て鈍感なんだろうって腹を立てることもあったけれど。
「で? なにゆえそなたはそんなにむくれておるのだ?」
がちゃん、と手元のティーカップが跳ねる。まだ中身を入れてなかったから幸い火傷をする羽目にはならなかったけれど、終夜の言葉とその音で、私の胸は二重に動揺させられることになった。
「何のことかしら」
いつもどおりの顔で、いつもどおりの口調で。
丁寧にいれた紅茶を、終夜の待つリビングにまで運ぶ。通いなれた終夜の家は、まるでもう自分の家のようだ。
終夜の前にカップを置くと、自分の分を自分の前において座る。彼と、テーブルを挟んで向かいに。
色素の薄い終夜の髪がさら、とゆれて、小首が傾げられる。そんなささいな仕草さえ、終夜がするとはっとするほど綺麗。
「前にも言ったが、そなたは嘘をつくのが下手だな」
「嘘なんてついてないわ」
「誤魔化しも上手という訳でもない」
手をつけられることのないカップが吐き出す白い吐息だけがゆらゆらと揺れる。普段鈍感なくせに、どうしていきなり今日に限ってそんなことを言い出すんだろう。
終夜から目をそらすようにして、カップの取っ手に指を絡める。持ち上げるわけでもなく、そのラインを確かめるように指で撫でた。
(確かに……おもしろくなんか、なかった)
久し振りの終夜とのデートで街に出た今日、例によって彼のファンらしき女性に囲まれた。
まあそれだけならいつものことと、私は少し離れたところでその様子を見守っていたのだけれど、いつもならば彼にだけ話しかけて私の存在なんてまるで気にしないはずの彼女たちが、まるで品定めをするように無遠慮な視線を投げかけてきたのだ。
ように、じゃない。事実あれは間違いなく「品定め」だった。時田終夜の相手としてふさわしいかどうかの。そしてそれはあくまでも彼女たちの主観によって。
(思い出しただけでも、気分悪いわ)
気にする必要なんかないのはわかってる。何故なら、それを決めるのは彼女たちでも私でもない。終夜自身だ。
だから昼にあった彼女たちがどう私を判断しようと欠片も気にすることなんかない。終夜に何か私に対する不満を言われたならともかく、そんなそぶりも、言葉も一度ももらったことはない。
だから、気にする必要なんてない。私が気分を害する必要もない。
そう頭ではわかっているのに、もやもやしたわだかまりのようなものがずっと胸に残ったまま夜になってしまった。
「今更妬くというだけで、ここまで引きずることもあるまい」
「だけってなに。別に、妬いてもいないわ」
「そなたは嘘が下手だと、先ほど申したはずだが」
(悔しい)
むくれてみせれば、終夜の眼差しには子供っぽささえ感じさせる意地悪な光が浮かぶ。もう、どうして本当に、こういう時ばかり。
息を吐く。紅茶の湯気が少し揺れる。
「やめるわ。終夜との大事な時間を、あんな人たちにこれ以上邪魔されるのもしゃくだし」
素直な気持ちを口にして、嫌な気持ちを流し込むように紅茶をこくりと飲む。飲んで、今度は明るい気持ちで吐息を吐けば、その向こうに穏やかな笑みを浮かべた終夜がいた。
「……何よ」
「いや、そなたは本当に可愛らしいと思うてな」
「……っ、いきなり、なんなの」
紅茶を零すわけにもいかないと、自然な動作に見えるようにと気をつけながらカップを置く。いつもだけれど終夜の言動は全く予想できないから、こうしておくに越したことはない。
「心配するな。誰がなんと言おうと、私の隣にいるべき人間はそなた以外ありえぬ」
「わ、かってるんじゃない!」
私が拗ねてた理由。だから何でこんなときばっかり!
むっとして睨みつければ、それすら面白いと言わんばかりに喉の奥で笑う。す、っと細められた眼差しなんか、正に猫そのもの。
ぷいと視線をそらせば、するりと終夜の細い指が私の頬のラインを確かめるように触れる。そしてそのまま、髪をすくって、からめて、解いて――又頬に触れた。
「撫子」
「……なによ」
「こちらを向け。寂しいではないか」
だれがこんな気持ちにさせたのかと思わなくもないけれど、素直じゃない私はあえて素直に振り向いて終夜を見る。
「これで満足かしら」
半分拗ねた気持ちをぶつける勢いでそういえば、そんな子供じみた嫌味なんかまるで気付いてない顔で「うむ」なんて。ううん、これは絶対わかってるんだわ。わかってるくせに、こたえてないだけ。
「ところで撫子」
「だから、何」
これはもう怒っているだけ損だと本日何回目かのため息をつけば、終夜はいきなりテーブルの向こうで居住まいを正した。
そして何事? と身構えた私の前で――いきなり三つ指をつく。
終夜の奇行に慣れていたはずの私も、さすがにこれには驚いて言葉を失った。
「ちょっと、終夜?」
彼に近づき、その肩に触れる。まさかとは、思うけれど。
「……浮気の謝罪とかじゃ、ないわよね」
すると伏せられた頭が上がり、綺麗な眉宇がしかめられる。
「このようなときに何を言うのだ。私がそなた以外とねんごろになるわけがなかろう」
「悪いけど終夜、なにが『このような時』なのかまずそこから説明してくれないかしら。じゃないと私にはあなたに頭を下げられる理由が分からないの」
「む、わからぬのか」
「何でわかると思うのかもついでに教えて欲しいわね」
そうか、わからぬのか、と、終夜は心底疑問を抱えた顔でぼそぼそと呟いている。ビジュアルだけ見れば非常に美しいその図も、残念ながら私は中身を知っているのでそれほど感動も覚えない。
「ならば、これならどうだ」
次は、何かしら。
妙に冷静に次の行動を待つと、終夜は急にふんぞり返る。そして。
「苦しゅうない。ちこうよれ」
「……すでにこれ以上ないほど近くにいるけど」
「う、うむ、そうだな。だがしかし、ここはそう言うべきところではないのか?」
「だからね終夜、まずあなたが何をしたいのかを教えて欲しいのだけれど」
「これでも伝わらぬのか」
どうしてこれで伝わっていると思えるのかしら。
そんな気持ちが眼差しから伝わったのか伝わっていないのか、終夜は思案顔だ。私としては変に一人で考えてこれ以上斜め上に行かれても困るので、さっさと分かりやすい言葉にして説明して欲しい。
「とりあえず、紅茶が冷めるのもなんだし飲まない? お茶を飲みながらでもゆっくり聞くわ」
元の通りテーブルの向こうに戻ろうとした私の肩を、終夜の手が掴む。そして今度こそ、その腕の中に抱きしめられた。
「ちょっ……、なんなのいきなり」
「そなたが欲しい」
囁くように耳朶に落とされた声に、びくりと肩が跳ねた。
(なっ、な、なんっ――)
「突然、何言うのよ……」
言われた言葉の意味がわからないほどもう子供じゃない。けれど、素直にそれに応じられるほど大人でもなくて、結局口に出てきたのは、その場を誤魔化すような芸のない反論。
(だって、何で、突然)
終夜と想いを誓い合って8年。そうでなくとも二人とも「大人」と言われてもおかしくない歳になった。
その自覚はあるけれど、今までだってどれだけ近くにいたって、キス以上の関係に進んだことはない。こうやって抱きしめられることは何回もあるけれど、それ以上の意味を含ませるものではなかった――と、私は思っていたのだけれど。
(違ったの?)
私がそう思っていただけで。
もしかして終夜はずっと、それ以上の意味で私に触れていたのかもしれない。
そう考えた瞬間、かっと身体が熱くなる。
「そなたの気持ちの準備というヤツもあるだろうと待っておったのだが、このまま待ち続けても宝の持ち腐れというやつでな」
「終夜、それ意味が違うわ」
「む? まあ大した違いでもあるまい」
「あるわよ! 考え方によっては、凄く私が居たたまれないじゃない」
説明してもきっとわからないだろうけど、持ち腐れと言われたら本当に居たたまれない。
確かに私の歳になるまでにはとっくにそういう経験をしている人たちがいるってことは知ってる。だからって、別にそうであることが特段正しいとも正しくないとも思わない。
(ええと、だからそういうことじゃなくて)
早鐘を打ち続ける胸を押さえ、浅く繰り返される呼吸を意識的に深いものに変える。とりあえず、落ち着くのが先よ。
大きく息を吸って、吐き出してから質問をぶつける。何で今日なの? と。
「許されるかと、思ってな」
「え……?」
「いや、私に勇気がなかっただけかもしれぬ。そなたが私を想ってくれていることを疑っているわけではない。私自身も、そなたをずっと愛し続ける自信はある。だが、私は一度たりともそなたを傷つけるような事はしたくない。そして、そなたを抱いた時に自分がどうなるのか、そしてそなたが泣かずにいられるのか、私には到底わからぬのだ」
「泣く、って……」
どうして私が、終夜にされたことで泣く事があるんだろう。
あるわけがない。
例えそれがどんなことでも、終夜が私に対してひどいことをするわけが無い。だから、私が泣くことなんて絶対にありえないのだ。
「いつもそのような気持ちになるわけではない。が、時にひどくそなたを愛しく思った時……抱きしめるだけでは足りなくなる。この気持ちが何なのかを私なりに調べた結果、どうやら撫子、そなたを抱きたいという感情らしいということに行き着いた」
こんなことまでも理路整然と、まるで何かのレポートのように言う終夜に私だけが混乱をする。
「だが無理やりは良くないとどの本にも書いてあってな。中には無理を強いられることで性的興奮を得られる性癖を持つものもいるらしいが、そなたにそのような趣味があるとも思えず」
「ちょっと待って。終夜、あなた一体何の本を読んでいるの――って、いいわ、言わなくて」
聞いたら聞いたで脱力しそうだ。終夜の幅の広さは半端ではないのだから。
「無論、私とて無理強いをするつもりはない。だが撫子、そなたは優しい。私が望む事だとしれば、多少の我慢はするであろう? それでは、私が嫌なのだ」
「無理なんか、しないわ」
「だが強がりはするであろう」
私の性格を知り尽くしている終夜だ。ここで、違う、と言っても通じないことは分かる。そして自分でも、もし心の準備が出来ないままにそういうことになっていたとして、終夜が望むならと流されなかった自信はない。
言いよどむ私を見て終夜が緩く微笑む。理解してもらえている安心感や嬉しさと、わかられてしまっている恥ずかしさと悔しさがないまぜになって、うまく言葉が出てこない。
「だが、先日の誕生日でそなたも二十歳となった。ならばそろそろ、私の想い位伝えてもよいのではと思ってな。幸い、今日の占いでは『強気に出るが吉』とあったことだし、ならばと思って床入りの挨拶をやらをやってみたのだが……」
床入りの儀式、とは終夜が最初にやっていた三つ指をついて頭を下げた事だろう。ようやく話の流れが見えて得心がいったと共に、今まで以上の脱力感が襲ってくる。
「そなたには通じぬゆえ、別の言い方で伝えてみたつもりだったのだが、やはり通じなかった」
「終夜、床入りは女性がするものだし、その後にあなたが言ったことはどっちかというと悪者の台詞よ」
「何? だが私が読んだ本では偉い人物、そうだ、代官だな。その代官がこのような物言いをしておったぞ」
「典型的な悪代官じゃないの……」
私を抱きしめる腕をそっと解き、体勢を整えて終夜を見た。透き通るような瞳が、僅かな困惑を滲ませて私を映している。
その瞳を更にじっと見つめれば、より深いその奥に隠れている熱も見えて。
先ほどよりは静かに、でもいつもよりもとくとくと脈打つ鼓動を感じながら私は自分に問いかける。今までのこと、これからのこと。 そして今の気持ち。考えて、だけど本当は考えるまでもなかったのだ。
(だって、私も同じだもの)
「……いいわ」
終夜が好きで、好きで、好きで。
いつだって傍にいたい。触れていたい。だけどもう、それだけじゃ足りない。繋がりたい。
(こういう、気持ち?)
目を見開いて、固まったままの終夜の頬に触れる。ひんやりとしたその温度が心地よい。
怖くない、って言ったら嘘になる。でもそれは、終夜に対してじゃない。経験の無い行為に対してだ。
泣くかもしれない。でもそれも絶対、終夜のせいじゃない。
それでもこの優しい人は心を痛めるのだろう。幾ら私が大丈夫だと言っても、気にしないでと言っても、そばにいる限りこの人は心を痛める。優しい、優しい人。
ようやく我に返った終夜がゆっくりと私に顔を近づけ、額に唇で触れる。その柔らかな感触は何回も過去に繰り返されたもので、ひどく私を落ち着かせる。
(大丈夫)
これは終夜の誓いだから。絶対に私を傷つけたり泣かせたりしないという誓いの儀式。
(だから、大丈夫だわ)
怖いことなんて何一つない。向かい合った膝に置かれていた手に、そっと自分のものを重ねて指を絡めた。
「……零さんは今日、帰り遅いの?」
「母上は所用で実家に帰っておる。今日は、こちらに戻る予定はない」
「そ、そう」
(ということは、最初からそのつもりだったのかしら……)
懸念が一つ去ったと同時に一つの気恥ずかしさが上乗せされる。と、額に押し付けられた唇が目尻に移動した。
「ねえ終夜、くすぐったいわ」
内心の動揺を見透かすように、まるで小さな子供をあやすみたいに繰り返される口付けがくすぐったい。
逃げるように腰を引けば、その動きを利用されて気が付けばとすりと床に押し倒されていた。
「ここで……?」
「よいではないかよいではないか」
「だからそれは悪代官よ……」
ムードもへたっくれもない会話に、いっそおかしくて笑えてさえきてしまう。だけど、笑ったのは顔だけだった。
「やはり、怖いか?」
少しだけかすれた声。
(だから、なんでこんなときばっかり)
私の気持ちがわかるの、と言いかけて、違うと気付いた。
いつだって終夜は私の気持ちを第一にしてくれて、嫌がることは決してしない。今の私の気持ちがわからないはずがない。
「大丈夫よ」
嘘はばれるから、私はそう返事をする。すると、終夜が愛しそうに微笑んだ。
「帯がないな。これではくるくる解くことが出来ぬ」
「どこまでも時代劇なのね……それは、いつかの機会でいいかしら」
(私、そんな馬鹿げたことに付き合うつもりなの?)
うっかりそう言ってしまって、自分で自分につっこんでしまう。だけど目の前の終夜が満足そうなのでとりあえずいいことにした。
優しく触れる終夜の指。私のちょっとした反応にも、すぐに反応を返してくれる優しさ。だけどいつもよりもたどたどしいその感じに、私は一つの問いを口にする。
「ねえ、もしかしてあなたも緊張してる?」
すると終夜は珍しく、その頬を赤らめた。え、なによその反応。
(私まで、恥ずかしくなるじゃない)
言ったのは自分なのだけれど、まさかそんな反応が返ってくるとは思わなくて動揺する。身体から火が出そうな気さえするほど熱を持って、終夜に触れられる事でそれがばれるのも恥ずかしくて更に動揺する。
「当たり前であろう。そなた、私をなんだと思っておるのだ」
「キスをした時は、余裕だったじゃない」
「そうだったか?」
「そうよ」
「そうか。そう見えたのならよしとしよう」
それはどういう意味なのかしら。
考えているうちにも、終夜の手が、唇が触れてくる。触れた箇所から熱が生まれる。
素肌で触れあったところなんて、手のひらと唇、それに額くらいしかない。逆に今は、触れたことが無い場所なんて、ひとつもないくらい。
緊張してる、と言った割りに、時折見る終夜の顔は穏やかだ。そういえば、私の恥ずかしがる顔が好きだとかなんだとか言っていた気がする。ふいにそんなことを思い出したら、余計に頬がかっと熱くなった。
だけど。でも。
(同じだわ、あの時と)
終夜と初めてキスを交わした時と。
初めてのことで恥ずかしかったけれど。キスですら怖くなかったわけでもないけれど。
眼差しも触れた場所も、呼吸ひとつですら私に向けてくれたものの全てが優しくて。怖い、なんて思ったことすらすぐに忘れて。
(何も違いなんてない)
じんわりと胸が暖かくなって、気が付いたら私は笑っていた。終夜が不思議そうに私を見る。その眼差しの色を見て、もっと胸が熱くなって笑えて――涙がこぼれた。
「あなたが好きよ、終夜」
細く長い指が涙を拭い、髪を梳いてくれる。神経のないはずの髪ですら、終夜の髪に触られる事を喜んでいるのが分かる。嬉しいって。優しいって。あたたかい、って。
は、と大きく息を吐き出した終夜が、泣きそうなくらいの優しさで眼差しを細める。
「撫子……私はこんなに幸せな気持ちになったことがない」
聞きなれた声よりも、僅かにかすれた声。
「そなたとこの時空に戻り、神賀を――キングを撃退したその日に、私はそう、そなたに言ったな」
夕焼けに染まった図書室で、私たちを迎えにきてくれた鷹斗や理一郎、他のCZのメンバーの後を追いかけようとした時に終夜が言った言葉。
様々なものを背負って、板挟みになって、それでも自分が決めた事だと割り切って。
いつも人の事ばかりを考えていた終夜が、初めて手に入れた穏やかな時間。それすらも沢山の犠牲の上に成り立っていたものだけれど、その象徴ともいえるべき仲間の背中を見て、彼が呟いた言葉を忘れなんかしない。
「私は今、同じ気持ちになっておる。こんなにも、幸せな気持ちになったことがない。信じられるか? あの時私は、あの時代で生きた24年の歳月と、この時代で生きた14年の歳月の間で一番幸せな時間を手に入れた。これ以上の幸せなど、ないとさえ思えるほどに」
これ以上無いほど愛しく細められた、と思っていた眼差しが更に深い色に染まる。
「仲間を手にいれ、穏やかな時間を手にいれ、そなたも手に入れることが出来て、これ以上の幸せがあろうはずがないと思っていたのに……そなたと共に過ごす時間が増えれば増えるほど、自分でも驚く程に更なる幸せを実感できる」
繋いでいた手の片方が離れ、優しく私の髪を撫でる。手が離れれば元の位置に戻る前髪を、又撫でて。むき出しになった額に、キスをくれる。
「その最たるが、今だ。撫子、私はそなたが愛しくて愛しくてたまらぬ。そしてそれほどに愛しいそなたが、今こうして、私の傍にいる。全てを私に与えてくれている」
額に落とされる言葉が、吐息と共にじわじわと私を包みこむ。私も自由な方の手を伸ばして、終夜の頬に触れた。
「そんなの、私だって同じよ。大好きなあなたがこうして私と一緒にいてくれる。何よりも誰よりも大切にしてくれている。こんなにも幸せな気持ちになったことなんて、ないわ」
彼の言葉を真似て想いを伝えると、頬を撫でていた手を取られてその平にキスをされた。
「きっとこれからも、そうなのであろうな」
終夜の言葉に、微笑む事で頷いた。
二人で一緒にいる限り、【今までで一番の幸せ】は何回も繰り返されるのだろう。
過去になった未来でも、今も、昔も、そしてこれから来る未来でも、誰よりも愛しいこの人といられるのならば。
結局泣かせてしまったな、と、落ち着いた頃に優しく髪を撫でてくれる終夜の顔はやっぱりどこか傷付いた色をしていた。この人は、それ以外の私の顔を覚えていないのだろうかと呆れた気持ちになりつつ、でもやっぱり全部覚えられていても困ると考え直す。
逸れかけた思考を元に戻し、子供の頃とは違う真直ぐな髪をすくい上げて、今度は私が終夜の額にキスをする。驚いたように、彼の長い睫が震えたのが見えた。
「涙はね、幸せな時にだって出るものなのよ」
Fin
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Comment:
I梨Eツさんのリクエストで「あっまい終夜×撫子」。
途中の時代劇ネタはメッセでの会話より。半分以上彼女の悪乗りから生まれたお話だと
主張しておきます笑
甘いかどうかは最早わかりません…途中からギャグに行くべきかシリアスに行くべきかと迷った結果
どっちつかずになってしまいました。ごめんよエッちゃん。
20101205up
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