** Happy C×2 **
 ●Who won?


「なんだよそのツラはよ」
「だって……」
 ぶっきらぼうな口調はいつものこと。機嫌悪そうな顔だっていつものこと。
 なのに私は、さっきまでの余韻が残ってトラと上手く話せない。顔だってまっすぐに見ることが出来ない。
「あ〜ったく、誰だオマエにこの事教えやがったの」
 ち、っと心底嫌そうに舌打ちしたトラに、恨めしげな視線をばれないように向けながら私は答えを返す。
「この間、トラの家に遊びに行った時弟さんたちがいたでしょう? あなたが部屋を空けてた時に、教えてくれたのよ」
「アイツら……後でしめる」
 トラの服はいつものものに戻っている。と、いっても彼が普段好んできているミリタリー調のものではなく、ざっくりとしたTシャツにハーフ丈のパンツだ。憎々しげにかきあげた髪型だけが、さっきまでの彼の姿の余韻を残していて。
「能を、やってたのね」
「……まあな。つっても、昔ほど頻繁にって訳じゃねーけど。親父んちがそっちの家系なんだよ。ったく、テメェの都合でガキを振り回すんじゃねぇっつーの」
 心底迷惑そうな顔はいつものトラ。なのに私は舞台で見た、いつもとは違うトラの姿に動揺したまま普段の調子を取り戻せずにいた。
 トラの顔は面で隠れていたけど、彼が下手から出てきた瞬間私にはそれがはっきりと彼だとわかった。顔が見えなくても、クセのある髪がきれいにまとめられていてもちゃんとわかった。別に、体型がそうだから、とか、そういう理由じゃなくて、多分、きっと。
 舞台から会場に朗々と響く声はいつもとは違って、とても自分が知っているトラが出す声とは思えなくて。そもそも能なんて見たこともなかったし、更に言えば能と狂言の違いだってはっきりとわかってなかったし、だから。
(っていうか、そんなことはどうでもいいのよ)
 思ったより動揺しているらしい。ということはわかっても、なにに動揺しているのかが自分でも良くわからない。
 トラが能をやっていたから? 私には教えてくれなかったから? それとも。
(だって、あんなトラ見たことなかったんだもの)
「つーか、お前はなんでンな不機嫌な面してんだよ」
「不機嫌な顔なんてしてないわ。それを言うなら、トラの方じゃない」
 私達の周りを、演目を見終えた人たちがすれ違うように帰っていく。まさか、舞台にあがっていた人物がここにいるいかにも不良然としたトラだとは思いもしないだろう。
 トラの視線が痛い。そんなに、私が見に来たことが気に入らないのかしら。
「……お前の目が気にいらねぇんだよ」
「え……?」
「んだよ、さっきっから人の事伺うように見やがって。人が誰を殴ろうが蹴飛ばそうが、泣きそうな面してたって真直ぐ見てきてたヤツがよ」
 訳わかんねぇ、と、地面を不機嫌そうに蹴り飛ばしたトラの目は、本気で苛々していた。
「だ、って、トラ、違うひとみたいだったんだもの」
 反射的に口にした言葉は、自分でもわからなかった本当の気持ち。
 いぶかしげに潜められた眼差しに反論するように、思ったままを言葉にする。
「あんな舞台に立って、他の人たちと一緒に演技して、沢山拍手されてて……びっくりしたのよ」
「は? 九楼財閥のお嬢様がそれを言うかぁ?」
 自分の肩書きで反論されて言葉を失う。ああ、違うわ。
 なんだろう。じわじわと耳が熱い。頬のてっぺんまで熱くなって、なんなの、これ。
「だから……違うのよ」
「何がだよ。マジわかんねー」
 思い出す舞台の上の姿。響いてくる声。
 目の前にいる、いつものトラと舞台のトラとの境界線に立っているような彼。
「……だって、いつもと違うんだもの」
 自分でもびっくりするくらい、弱気な声が出た。
 俯いた私でも、目の前のトラが困惑しているのがわかる。当たり前だわ、自分でもわからない気持ちを態度に出したって、トラがわかるわけなんてないじゃない。
 沈黙が満ちる。居たたまれなくて、ぎゅ、とスカートを握り締めた。
 それとほぼ同時に、ぺち、と額に衝撃が走る。驚いて顔をあげれば、怒っているというよりはふてくされているような顔をしたトラが、私の額を叩いた左手越しに見えた。
「馬鹿じゃねぇの」
「……は?」
 聞き間違いかしら。人の頭を叩いた人間の言う台詞とは思えないんだけど。
「勝手に距離感じてんじゃねぇっつの。しかもケンカしたとか非常識だとかっつー理由なら納得もいくが、なんでこんなクソつまんねー理由でお嬢にそんな顔されなきゃならねえんだよ」
 大体それだって今更だろうが、と、何度も足元を蹴り上げるものだから地面がどんどん削れて行く。
「あの、トラ?」
「んだよ」
「とりあえず、ここの方に迷惑だから地面削るのやめない?」
「誰のせいだっつーの! つーか気にする所はそこか!?」
 思い切り至近距離から怒鳴られて肩をすくめる。周囲の視線が一気に集中して、私は慌てて彼の腕をひっぱってもう少し人気のない方へと移動した。
「もう! あんなに大声出さなくてもいいじゃな――」
 腕をひっぱったままで見上げた顔が思ったよりも近くて、ごく間近から彼の色違いの瞳を見つめる羽目になる。いつもならこれくらいどうってことないのに、今の私には致命的だった。
「……おい、人の顔みて顔そらすたぁどういう了見だ」
「な、んでもないわ!」
 どきどきする。胸がどきどきする。なんだっていうのよもう。
 トラと付き合ってもう何年も経って、自分の常識じゃ考えられないことだって色々と対応を求められてきたっていうのに、なんで今更こんなことで動揺するの!?
「ははーん……そういうこと、か」
「なっ、何が!?」
 自分でも追いついていない思考の先を読まれたような気がして怯む。思わずば、っと後ずされば、離した腕が今度は逆に私を捕らえていた。その顔が楽しそうに見えるのは絶対に気のせいなんかじゃない。
「は、なして」
「黙れよ。他に言うことあんだろ?」
「何がよ、何もないわ」
「ったく、正直じゃねぇなあ」
 反対の腕が伸び、私の顔をあげさせる。さっきまでの不機嫌そうな顔はどこへ行ったのか、ひどく楽しそうな色がそこには浮かんでいて。
「おかげでいらねぇ心配しちまったじゃねぇか。責任とれよな」
「なんの! っていうか離して、近い!」
「お嬢がこんな人気のないところに誘ったんだろうが」
 期待に応えるのが彼氏の務めだろ、って、冗談じゃない!
 自由になっている片腕でトラの胸を押したところでびくともしない。距離をつめてきた彼から、普段しないような香りがしてびくん、と身体が跳ねる。
「煽ってんじゃねーよ、馬鹿」
「ちが……っ! 普段と違う香りがしたから、驚いただけだわ」
「あ? ああ、衣装についてた匂いか、煙幕の匂いだろ」
 くん、と鼻を鳴らして自分の肩口の匂いを嗅ぐ。それで納得したのか、再び私に向き直った。意地の悪い笑みを浮かべて。
「手っ取り早く、いつもの匂いに戻る方法なら知ってっけど」
 さすがにこの場所はなぁ、と、含みのある笑みと声。何をいっているのか訳がわからない。そもそもわかりたくもない。っていうかどうしてこんな事になっているの。
「ちょっと、本当に怒るわよ?」
「怒ってんのはこっちだっつーの」
「どこがよ! どう見たって楽しんでるじゃない!」
 反抗はちっとも届かない。腕力も、言葉ですら。
「分かってねぇなら教えてやる」
 ひそめられた声の、吐息が唇に触れる。
「お嬢の感情はな、『惚れ直した』って言うんだよ」
 応も否もなく、唇はふさがれる。
 私の反論は全て彼の唇に奪われて、自由さえも奪われて。
 気に入らないと、反抗した眼差しすら彼を喜ばせるものになる。
(ああ、もう、本当に)
 振り回されてばっかりで。いつだってこう。強引で、人の意見なんか聞かないで勝手な事ばっかりして。
 トラの手が私の腕を解放し襟足に回る。その仕草は、信じられないほどに優しい。強引なキスとは裏腹に。
(ずるい)
 人の頭を叩く顔は、心細げで。
 強引にキスする時の腕は、とても優しい。
 さっきの感情を「惚れ直す」と言うのなら、そんなの何回だってしてる。今だってそう。
 心の中で数え切れないほどの「ずるい」を繰り返す間、同じくらいのキスが降る。せめてもと、反撃のつもりでこちらからやりかえした口付けは、見開かれたブルーアイと共にかすかな満足感を私にもたらしたけれど、その後の顛末は神のみぞ知る、だった。














Fin



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Comment:


トラの能をやってる姿に動揺してちょっと距離を感じた撫子をぺちん、ってする
普段どおりのトラっていうのが書きたくてですね、脳内では小学生同士だったんですけどね。
何がどうしてこうなった(犯人は寅之助)。

途中からどんどこ怪しい流れになってきたので、慌てて年齢を修正。帰還END後だとでも思ってください。
トラ好きのMさんへ!


20110224up



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