|
|
|
|
●With you gone |
理一郎の様子がおかしい、と撫子が思い始めたのは一月ほど前の話だ。
相変わらずきつい事を言われることはあっても、基本的に彼は自分に優しい。それはもうとても。
生まれた時から、気付けばずっと傍にいてそれが当たり前で。
ただの幼馴染の関係から恋人同士に変わったのは確か高校にあがる手前の頃だろうか。小学生の頃は浮いていた撫子のある意味冷めた部分が、中学に上がった頃から一部の男子の間で異常に受けが良くなり始めたのだ。
隠れたファンクラブのようなものまで出来る始末で、その遊戯めいた対象に撫子がなっていることも、勿論本気で想いを向けている存在にも、理一郎は苛立ちを隠せなかった。理由は至極明白で、理一郎自身がもうずっと長い間撫子を特別に思っていたから。
ずっと胸にあった想いを自覚させられるきっかけになったのは事実で、だけどそれを今更どう言っていいのかもわからなくて苛立ちをぶつけてしまったこともある。それが理由で、ほんの少しだけ気まずくなったことも。
互いに今の約束された関係を壊すことが怖くて一歩を踏み出せず、だけどもうこのままじゃいられなくて。
そうして手に入れた新しい関係は、壊れることなく今も続いている。高校も大学も、専攻こそ違うが同じ学校に進学し今に至る。そんなにいつも一緒で疲れないか、とか、つまらなくないか、とか、挙句世界を広げろとか言われることもあるけれど、二人共「余計な御世話だ」というのが正直なところだ。
一緒にいて疲れるくらいなら傍にいない。つまらないと思ったとしてもそう。世界を意識的に閉じているつもりもなく、けれどこの状態がそうだというなら他人がどう思おうが構わないというのが二人の共通した思いだった。
週末は出来る限り共に過ごす。けれど、互いにはずせない用事もあるから、そういう時は特に不満に思うこともなく次の予定を待つ。
極当たり前に行われていたそれが、最近どうもおかしい。用事がある時は必ずその理由を言っていた理一郎が、ここ最近の予定に関してどうも言葉を濁すのだ。
今もこの週末の予定を聞けば、「悪い、予定がある」の一言が返ってきた。別に、撫子としても全てを話して欲しいわけじゃない。だけど今までそうだったものが、変わってしまうことに不安があるだけ。
(言えないようなことなのかしら)
考えるまでもなく、言えない、もしくは言いたくないことだからこそ言わないのだろう。理一郎に限って、自分を裏切るような真似はしないと信じているけれど、それは頭で考える理屈だ。気持ちは、感情は素直に頷いてくれない。信じてはいても、まるで隙間風のようにどこからか寂しい気持ちが浸透していくから、撫子の胸中はしぼむ一方だ。
「おい、何て顔してるんだ」
「別に、いつもどおりよ」
「嘘付け。……週末のことは、悪いと思ってる。もう少ししたら片付くから」
ため息混じりに発せられた言葉には疲労が滲む。続けて意地を張ろうとした撫子も、さら、とその長い髪を肩からすべらせながら恋人の顔を覗きこんだ。
「ねえ、何かあったの? 最近の理一郎、変だわ」
返事はない。
焦れた撫子が、少しばかり強引に理一郎の腕を引く。並んで歩いていた理一郎はバランスを崩しかけ、非難めいた眼差しを撫子に向けたが、ぶつかった眼差しは自分よりも強いものだった。
「一人で抱え込まないで。あなたの悪い癖よ、振り回されるこっちの身にもなってちょうだい」
「その台詞、そっくりそのままお前に返す。人を振り回すのが得意なお前にだけは言われたくないな」
「それこそ、理一郎にそのまま返すわ」
意地を張ることをやめた次の瞬間には結局いつもどおりになっている。大人になり、昔ほど無駄な意地をはるのをやめたとは言え、根本的なところはそうそう簡単に変われるものでもないらしい。
気まずい沈黙が流れ、無言のままに並んで歩く。あと5分もすれば、撫子の家だ。
知らず離れてしまった理一郎の腕に手を伸ばし、指先で袖を引く。心配なの、と思いのほか素直に出た声は、随分と小さいものだった。
「理一郎は昔から、何でも自分で片付けようとするんだもの。何か悩んでるのも、疲れているのも、大変そうなのもわかるのに、傍にいて何も出来ないのは辛いわ」
あれはいつだっただろうか。理一郎が小さい頃から嗜んでいた茶道に絡んで学校で揉め事があったことがあった。
恐らくそれは、年齢に相応しくない実力と、彼が生まれついて持っていた様々なものに対するやっかみだろうが、その時も理一郎は一人で片をつけて、撫子には何もさせてくれなかった。
今みたいに、何かあったことはわかっていたのに。ただ見ているだけで、何も出来なかった。
あの時のようにやっぱり自分には何もさせてくれないのだろうか。そんなに、自分は彼にとって頼りにならないのだろうか。
「私は、理一郎の恋人よね? そりゃあ事と次第によっては何も力になれないかもしれないけれど、話を聞くことぐらいできるし、して欲しいって思ってる」
「お前には関係ない……っ、いや、悪い」
瞬間的に傷付いた顔をした撫子を見、理一郎が前言の撤回をはかるが時既に遅く、撫子が脇を通り抜けて先を歩く。明らかに怒っている歩調で先を行く撫子の腕を掴めば、振り払うように力が込められた。が、理一郎は離さない。
「悪かった。違うんだ、そういう意味じゃない」
「離して」
「撫子、オレは――」
心配をかけたくないだけなんだ、と、続けようとした言葉は撫子に遮られた。
「どうせあなたの事だから、私に心配かけたくないだとかそんな理由でしょうけど、生憎心配なんかとっくにしてるのよ。あなたが隠そうとしたって、私には無駄だわ。そんな状態で理由も教えてもらえなくて、心配するなってほうが無理じゃない」
思ったよりも強い口調になってしまったからだろうか、理一郎が目に見えてうろたえた。けれど今更後には引けない。
「なのに、関係ない、なんて言い方あんまりだと思う」
理一郎が昔から言葉の選び方が上手くはないと知ってはいても、傷付くときだってある。自分を思ってくれているからだとわかってはいても、そうだ。
唇を引き結んで睨むように見つめれば、掴まれた腕を引かれて、気がつけば理一郎に抱きしめられていた。いきなり何、と抵抗を見せても離さないとばかりに背中に回った腕に力が込められた。
「……悪かった。だから、泣くな」
「泣いてなんかいないわ、怒ってるのよ」
大体誰のせいで、と呟いた声は理一郎のシャツに消える。いつの間にこんなずるい技を覚えたのだろうと思ってみたところで、この体温にほっとしてしまうのが事実。
「最近、お前のところの親父さんと、うちのが仲が良くないのは知ってるだろ」
突然変わった話題に戸惑いながらも相槌を打つ。幼い頃こそ家族ぐるみで中の良かった加納の家と九楼の家は、気がつけば微妙なずれが生まれて疎遠になっている。そのずれがビジネス上の原因となれば、あまりにデリケートすぎて自分達には口出しが出来ない。
とは言え、だからと言って自分達まで疎遠にならなければならない道理などないとばかりに二人は付き合いを続けているのだが、直接的な妨害はないとは言え、双方の親がこの関係を快く思っていないことは二人とも理解していた。
撫子の胸の中を、もやもやとした何かが広がっていく。そしてその予感は的中した。
「少し前から、やたらと見合いを薦められるようになった」
「――っ!?」
淡々とした声で告げられた内容に撫子が固まる。
「見合いも結婚もするつもりはないと言っているんだが、懲りない。挙句それなりの相手をつれてくるものだから、無下に断るわけにもいかないんだ。何回か会って、話をして、後腐れなくこっちが断られるように仕向けなきゃならない」
「それなりの、って」
理一郎の好みに近いということだろうか。
そんなことを考えたか考えないかのうちに、頭上から理一郎の不機嫌そうな声が降って来た。
「念のため言っておくが、家柄や仕事での重要性って意味だからな。変な誤解、するなよ」
「しっ、してないわ」
「どうだか」
図星をさされたことが悔しくて言い返すと、それすら御見通しとばかりに呆れた声が返ってくる。
「大体、今更オレがお前以外の女に興味持つ訳ないだろ。だからこんなに苦労してるってのに」
なんて、ため息混じりに言われても、困る。
(知ってる、けど)
そんな風に改めて言われると、困る。
一緒にいる時間が長くても、付き合ってからそれなりに時間が経っていても、慣れるものと慣れないものがあって、だから。
「……むちゃくちゃ関係あるじゃない、私」
責める様な口調も最早強がりでしかない。わかっているのかいないのか、理一郎はそっと撫子を解放しながら、彼女のこめかみに優しいキスを落とす。
「ただでさえ、お前の親父さんには目をつけられてるんだ。これ以上敵視されたらたまったものじゃない」
「お父様は仕事一筋だから、どうしたって理一郎の事も加納の人間としてみてしまうのよ」
「そういう意味じゃ、ないんだけどな」
昔から事あるごとに牽制を受けているのだと言ったところで撫子は信じようとしない。否、何度も言ったことがあるのだが、『放任主義のお父様が、ありえないわ』で一蹴されてしまう。理一郎にしてみれば、放任どころか類をみない溺愛っぷりで、親馬鹿だとさえ言ってもいい。
幸い、加納の人間だからという理由で牽制を受けているわけではないのが救いだ。あの父親は単に、娘に近付く男は十把一絡げで気に入らないというだけだから。
ならば打開のしようもあるのに、それに「加納だから」という理由がついてしまえば自体はさらにややこしくなる。だからこそ、自分の今の状態を絶対に彼の耳にはいれたくなかった。
撫子が赤らんだ頬のまま、心配そうな眼差しで自分を見上げている。日々を共にすれば成長の度合いなど見過ごしてしまいそうなものなのに、何故か撫子は会うたびに綺麗になっている気がするのは惚れた欲目だろうか。
人より強情なところも、正しいと思ったことを突き通そうとする強さも、そのくせ変なところで脆いところも何一つ変わってなどいないのに、重ねた年月に等しい成長が彼女の外見を形成していく。頼むからこれ以上目立たないでくれとどんなに理一郎が願っても、裏切るように撫子は美しくなっていく。
彼女の父親が、撫子を手放したくない気持ちが分かる気がする。けれど、自分だって譲れないのだ。
どんなことをしても、何を犠牲にしたとしても、撫子だけは手放せない。
幼い頃の誓いは今となればきっかけでしかなくて、そんな誓いなど彼女に会うたびに生まれている。傍にいたい。泣かせない。守りたい。全部、自分が。
「大人しく、してるけど……もしお父様が反対しても、私が説得するわ」
「大丈夫だ。それに、そんなことさせたらそれこそオレの評価はがた落ちだな」
「御見合いの話はともかく、お父様のことなら二人の問題でしょう? 理一郎にだけ押し付けるのは嫌よ、私も何かする」
「いいから」
「嫌よ」
押し問答が続く中、互いに、というよりも理一郎が無駄だということを何よりも理解していた。こうなったら撫子は決して引かない。そして、自分でも彼女の気持ちがある意味正しいとわかってしまっているのだから。
わざとらしく降参、の形に両の手の平を撫子に向けて理一郎がため息をつく。そして「わかった」と苦々しく返した。
「オレだけでやれるだけやって、どうしようもなくなったら助けてくれ。その代わり、それまでは頼むから大人しくしていくれよ、余計な手間をかけたくない」
「何かひっかかる言い方ね」
「オレなりの譲歩だろ。大体お前は、あの時だって人の気持ちも知らないで勝手に着いて来、て――?」
ふ、と何かがひっかかる。生まれた言葉をそのまま口にしただけだが、言った当人が一番驚いた。
(あの時?)
『理一郎が何て言ったって、絶対についていくから!』
「……理一郎?」
急に黙り込んだ理一郎の名を目の前の撫子が呼ぶ。その声に引き寄せられるように視線を宙から戻せば、当たり前だがそこにいたのは撫子だった。
『私の為だったら、それは私に関係あることでしょう?』
今と似たような口調で、激しく感情をぶつけられたことがあったような気がする。
否、今よりももっと強い気持ちで。同じく、自分も今よりもずっと強く拒絶を、して。
「どうかしたの? 他にも何か、気になることがあるの?」
『――『今』の私を見て』
「撫子……?」
一瞬去来した何かは、そうして又去っていく。けれどなんだろう。この、胸を締め付けられるような切なさは。
「私、よ?」
一体理一郎はどうしてしまったのだろうか。まるで、そうまるで自分が、今初めて目の前に現れたかのような反応だ。
理一郎の手が伸びてきて、まるで確かめるかのように撫子の髪を、頬を撫でる。良くはわからないが、眼差しの奥に微かに見えるのは――。
「泣いてる、の……?」
良くはわからなかった。けれどなんだか、酷く痛そうにみえて。
撫でる手に自分のものを添えると、理一郎の眼差しに色が戻った気がした。それは気のせいではなかったらしく、理一郎自身も慌てたように見えた。
「っ、悪い! 何だか、ぼーっとして」
「ううん、いいの。それより、本当に大丈夫なの?」
「ああ。悪い、行くか」
再び二人並んで歩き出す。気付かないうちに近付いていた秋は、夕方になると味方を得たとばかりに冷たい風を足元に送ってくる。
こうして二人並んでこの道を歩けるのも、あとどれくらいだろうか。大学を卒業するまであと少し。今まで何だかんだで守られていた学生と言う肩書きも消える。
あとに残るのは、ただ自分たちが恋人同士だというそれだけ。
「ねえ、本当に言ってね?」
「分かってる。しつこいな」
あんまりだと頬を膨らませる幼馴染兼恋人の隣を彼女の歩調に合わせながら歩く。いつまでもどこまででも、こうして彼女と共にいられることを祈りながら。
大丈夫。きっと大丈夫。
もし何かを間違えることがあっても、又そこからやりなおせばいい。
あの時のように
Fin
----------
Comment:
帰還エンドで綴られるのは戻った撫子サイドの物語ですが、未来では「上書き」が起こって
こんな物語もあるんじゃないのかな、と。
そしたら、逆に理一郎がかすかな記憶で一緒に過ごした「撫子」を覚えていてくれたらいいな。
20101217up
※(20110222追記:片瀬解釈間違ってました。帰還エンドでの理一郎が救ったのは撫子時間軸なので、理一郎の世界は上書きされません! ので、撫子時間軸を救った後に自分時間軸の撫子も救って、徐々に記憶が薄れていったとかそんな感じで御容赦ください…)
*Back*
|
|
|
|
|