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● 茜の先に幸せを |
日の出と共に起き、日の入りと共に一日の仕事に一区切りをつける。
星の動きで季節を読み、風や雲の流れで天気を読む。
全てを自身で判断し、行動する。しがらみも何もない、自由で果てしない日々。
「これでよし、と」
山羊の乳を搾るのにも慣れた。最初は牛と同じだろうとタカを括っていたのだが、これがどうして中々思うように行かない。又、牛とは違う独特の匂いにも問題があった。元来の負けん気で何とかなったが、意外にも朔の方が先に会得したことに始めはショックを隠せなかったのだけれども。
恐らくモンゴルですよ、と言ったのは譲だった。
義経のその後については様々な説があり、自害した説、東北へ逃げ延びた説、そしてモンゴルに渡り別の人物として生涯を全うした説などがあり、恐らく全てが同じではないにしろ近いものがあるだろうというのがその理由だった。
九郎義経の名前ですら朧げだった望美は、モンゴルってどこらへんだっけと口にして譲を絶句させ、将臣を笑わせた。おまえらしいな、と、笑いの残るまま撫でられた頭はちっとも嬉しくなんかなかったけれど、他の仲間たちが自分とは違う理由でモンゴルを知らなかったことに助けられたような気がする。もし知っていたら、自分だけが白眼視されていただろう。
かつて住んでいた国のものよりも、背の高い草が辺りを覆いつくし、さわさわと音を立てる。
オレンジがもっと濃い気がするな、と、目の上に手を当てて影を作りながら見送った太陽にぽつりと呟き、望美は絞り終えたばかりの山羊の乳が入った樽を持ち上げると、慣れた足取りで家の中へと向かう。今日は風が強く湿っている。今晩辺り、一雨来るかもしれない。
ここでの生活には邪魔だからと切ろうとした長い髪は、誰の賛成も得られずにそのまま望美の背にあった。ただ結わうだけではどうにもならず、編みこんだ髪型に最初は奇妙な視線を送られたものだ。今更自分たちの世界とこちらの世界の違いを実感させられはしたが、仲間も慣れたものですぐに可愛いねと言ってくれた。将臣だけが、そうしているとガキの頃を思い出すなと優しく目を細めて。
「朔?」
いるはずの親友の名を呼んでも返事がない。入り口の帆布を手の甲で押しやりながら中に足を運んでも、そこには望美が運んできた乳を煮詰める為の鍋と火のついていない薪があるだけだった。
重さどおりの鈍い音をたてて樽を決まった場所に置き、さてどうしたものかと腰に手をあてて考える。恐らく、譲か弁慶の手伝いで少しばかり場を外したのだろうが、朔がいないと次の作業が出来ない。正確には、作業は出来るが結果が伴わない確立が高いのだ。
以前良かれと思って望美一人で作り上げた固形脂は、酷い有様で皆を絶句させた。悔しいが自覚がある以上、折角の恵みを無駄にする気はさらさらない。
「ま、いつかはマスターしてやる!」
今度時間と作り置きが十分ある時にでも、改めて朔に教えてもらえばいいのだ。
料理の基本を、母親に教えてもらっていれば良かったと何度となく悔やんだが、すでに時は遅い。将来困るわよと言われたそれに、道具があるから、とか、その頃にはもっと便利になっているもの、と減らず口を叩いたものだが、まさか逆戻りしたような世界で生きていくとは思わなかった。
残してきた家族を思うと切ない。その気持ちはどうしようもないもので。
ここで生きていくと決めた以上、どうにもならない事に心捕らわれていても仕方がない。前を向いて、生きて、生き抜いて、いつかその時が来たならば、幸せだったよと笑って報告出来るように生きていこうと決めたのだ。
もしかしたら違う時空で、違う選択をした自分があの懐かしい家族のもとにはいるかもしれない。気休めだと分かっていても、そう願わずにはいられない。今はただ、感謝と祈りしか送れないけれど。
外で馬の鳴き声と蹄の音が響く。馬の声にも個性があると知ったのは、こちらの世界にきてどれくらい経った頃だったろうか。人間に例えてみれば声と同じで、そうあることは至極当たり前だったがそもそも馬に触れる機会が少なかった元の世界では、それを求められても無理があろう。
「おかえりなさい!」
「おう」
将臣が栗毛の馬からひらりと地面に降り立ち、癖のように衣服についた埃を払う仕草をする。やや遅れて九郎が自身の馬の手綱を引いてその足を止めると、同じように馬から降りた。家の中から駆け出てきた望美に迎えられた二人が優しく目を細め、今までの労を労うようにそれぞれの相棒の首を撫でる。気持ち良さそうに頭を擦り付ける馬を見ていると、人と馬でありながら兄弟のように見えて望美は笑った。
「じゃあ、俺はこいつらを厩舎に連れてくよ」
「ああ、悪い」
将臣が九郎の手から手綱を引き受け、器用に二頭の足並みを揃えながら厩舎へと向かう。
装蹄などない時代ながら、愛馬の足を傷つけないようその足には摩擦に強い草々を乾燥させたもので編んだ草鞋が履かされている。聞きなれた蹄の音とは違う、湿り気を帯びた足音を聞きながら、望美はこの穏やかな時間に感謝せずにはいられない。
「何を、笑っているんだ?」
「何にもないなあって」
「?」
「自分たちのリズムで、日々を送れるって幸せだなあって思ったの」
望美の発した言葉の意味が分からずとも雰囲気だけは伝わり、九郎は片眉だけを下げて頬を緩める。望美が眼差しを向ける山間に沈み行く皓々とした夕陽に視線を移し、再び顔をオレンジに染める望美を見た。
「幸せ、なのか?」
「うん」
「……なら、良かった」
「九郎さん?」
見つめる眼差しに、望美が振り返る。九郎の声音が変化し、夕陽の赤々とした色が不意に不安を煽る。見つめ返された九郎は柔らかに微笑むとその視線を伏せた。
「平家との合戦も、奥州への逃亡も、お前……たちは俺に付き合わされたようなものだからな。挙句、こんな遠いところまで来てしまった。お前たちのお陰で戦いの無い日々を手に入れることは出来たが、それの代償が余りに多いような気が、するんだ」
湿った風が頬を撫でる。夕刻のどこか物悲しさの漂う濃い空気が二人の髪に絡まり、輪郭を彩る。厩舎の方から、何かを感じたように九郎の馬が高く啼く声が聞こえ、辺りに響いた。
「特にお前と譲、ああ、将臣もか。お前達はそもそも住む世界が違っただろう? ……戻りたくて戦っていたことも、傍にいて知っていたからな。その為に、どれだけ頑張っていたかわからない程馬鹿じゃない」
「わかってない」
「望美?」
「九郎さん、わかってないよ」
九郎が顔を上げる。二つに分けて編まれた髪が、はぐれた後れ毛だけを頬に残して風に揺られる。自分の左手から差し込む最後の灯りが望美の右頬を染め、その強さの分だけ反対に影を落とす。その暗さの中でも瞳の色は光度を失わずに九郎を見つめていた。
「確かに、最初は帰りたかったよ。突然こんなところに連れて来られて、神子だなんて言われて、怨霊を封じろなんて無理だと思った。でもね、帰る気だったらとっくに帰ってるよ」
実際に、一度目の運命では元の世界に帰ったのだ。正しくは、一人還されたのだが。
思い出しただけでちくりと胸が痛む。針を刺すほどの痛みはじわじわと波紋のように悔恨と言う毒を広げ、望美の胸を侵す。今でも、あの痛みは褪せることはない。
「譲君と一緒じゃないと、とも思った。それから、怨霊となってまで戦ってる人たちを助けたいって思った。それから」
「望美」
「それから、九郎さんの言う、飢えも悲しみもない国を、一緒に作りたいって思ったの。九郎さんが目指すものを一緒に見たいって思ったの」
結果として、成し遂げられたそれを脅かすものとして追われる身となったが。
「……だが、それを成し得た今でさえ、お前はここにいる」
「うん」
「望んでくれたとは分かっていても、時々どうしようもなくなるんだ。俺は本当に、お前を幸せに出来ているのか、不安になる」
「……幸せだよ?」
「……そうか。すまない、忘れてくれ」
「九郎さんは?」
「え?」
「九郎さんは? 幸せじゃないの?」
太陽が、落ちて行く。藍が混ざり、桃色に変化していった日の光が届かない場所から夜が始まる。気の早い星が瞬きを始め、早く家に入れと急かしているようだ。
望美の問いに、九郎が固まる。全く予想していなかった問いに返答が遅れ、同時にそう見えているのかと軽くだが衝撃も受けた。
「俺は……これ以上の幸せはない、と、思っている」
国を追われても。尽力した未来で幸せに暮らす民の姿を見ることが出来なくても。
共に戦い、生死を共にした仲間との未来。愛した女性と想いを通わせられること。幸せで、幸せすぎて、だからこそ怖くなる。自分の幸せの影に、犠牲にしてしまったものがあるのではないかと。
「俺は、不幸そうに見えているのか?」
「ううん。少なくとも、私にはそうは見えないよ」
「なら、いいが……」
「私は不幸そうに見えるの? 九郎さんがそう聞かずにいられないほど、不幸せに見える?」
「望美……」
「だとしたら、悲しいです」
「違うっ! そうじゃない、そうじゃなくてだな」
「ふふっ」
「!?」
慌てた様子の九郎に、それまで真剣な顔をしていた望美が吹き出す。丁度厩舎から戻ってきた将臣が、風邪ひかねえうちに中に入れよと残して先に行った。
「わかってます。ちゃんとわかってるよ」
「お前」
「だから、九郎さんもわかってよ。もう何年一緒にいるの」
どうやら望美の方が一枚も二枚も上手らしい。場のペースを握られた九郎が言葉を吐き出す代わりに空気を飲み込み、苦笑しながら前髪をくしゃりと握り締めた。
「望美」
「ん? ……、九郎、さんっ?」
中へと戻ろうとしていた望美を呼び止め、振り向く前にその背中を抱きしめる。不意打ちのことに望美が言葉を失い、動揺を鎮めようと唇を固く結ぶ。
九郎は望美の肩に顔を埋めるようにし、望美が抵抗しないとわかると抱きしめた腕を一度緩め、再び力を込める。
本当に、自分は何度この存在に助けられ、鼓舞され、前を向いていける勇気をもらったのだろうか。龍神の神子として召還された彼女はその役目を終えてもここにいる。荒れ果てた京を、この国を救う為に異世界よりつかわされた少女。それだけではなく、彼女は九郎自身の存在価値も教えてくれた。時に意地を張り、彼女の告げる言葉が事実であればあるほど痛くて、拒絶しかけた事もある。逆に、感情を優先させ自分の言い分に耳を貸さない彼女に腹を立てたこともあった。
それでも、信じていられたのは互いの言葉に嘘がなかったから。
互いに、互いの信じるものの為にぶつかって来られたから。そしてそれは、経路は違えども同じ夢の為で。
「ど、どうしたの?」
「……ありがとう」
普段の九郎からは考えられない行動に戸惑っていた望美が、続けられた言葉に口を閉ざす。そして九郎の方を向こうとして、けれどその先に九郎の頭があったから不発に終わった。
ありがとう、なんて。
そんなの、お互い様なのにね。
「……」
自由になる腕で、ぎこちなく九郎の耳元を撫でる。まるでさっきの九郎と愛馬のようだと何となく思いながら、上下にするすると撫で続ける。なんとなく、頭を撫でるのは失礼な気がして。
「今夜は、雨が降りそうですよ」
「……」
「入って、あったかくしましょう?」
「もう少し」
抱きしめられる腕に、力がこもる。
「もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
「……うん」
腕をおろして。こつりと九郎の頭に自分のそれを預けて。
やや湿り気を帯びたふわふわの前髪がこめかみと頬に当たるのを感じながら、望美は数を増した星々を見上げた。
明日もどうか、幸せな日々が続いていきますように。
Fin
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Comment:
十六夜EDのくのぞ。
もんごりあんなのぞったんが可愛くて可愛くてどうしようかと思いました。
やっと幸せ(そう)な二人が書けて満足。
絵で描いてみたいなあという欲もあるのです。
20060217up
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