** Happy C×2 **
 ● びいどろの腕

 ちょっとした、悪戯心のようなものだった。
 何故なら、自分が京に飛ばされたときに感じた数々の文化の違いは驚きに匹敵するもので、そのたびにうろたえたり絶句したものだったのだが、事、こちらの世界に来た銀については全くそのようなそぶりも見せない。
 無論、軽く目を見開いたり感心の言葉を紡いだりもする。だが、そのいずれも穏やかな穏やかなもので、自分が京を訪れた時の反応とは全く異なる。
 驚きの対象としてみれば、『何故これが出来ないのか』に対し『何故こんなことが出来てしまうのか』な分、むしろ銀の方が驚いてもよさそうなものなのに。
 いつでも好きなときに水が使えること。温かいお湯も出ること。
 暗ければともせる灯りがあること。生ものを保管できる仕組みがあること。

『神子様の世界は、素晴らしいものであふれてらっしゃる』


 神子様がそうであるように、と。見るもの全てを赤面させるような声と笑顔でそう言う銀に、意地になったのだ。





「あのね、これが電車で。向こうに見えるのが車」

 乗り慣れた江ノ電に揺られながら、小声で銀に耳打ちをする。銀は耳元でささやかれる声音を心地よく思いながら、自分が乗っているものと窓から見える物体を記憶に留める。

「とても速い乗り物でございますね」
「これは遅いほうだよ? えっとね、これの何倍も速い電車もあるの。新幹線って言うんだけど……そうだな、東京から大阪まで3時間くらいで行けちゃう」

 言って、東京やら大阪と言ったところで銀には伝わらない事実に気付き、さて京と近しいあの時代では何と呼ばれていたのだろうかと望美は頭を悩ませる。

「えーと……ざっくりだけど鎌倉から熊野まで!」

 将臣や譲がいたら、いくら何でもざっくりすぎだろうと突っ込まれるだろうが、幸か不幸かこの場にその二人はいない。


(びっくり、する?)


 馬を駆り、何日もかかるあの旅路をたったの三刻で行き来することが出来ることに。
 望美は期待をこめて銀を見つめる。銀は整った顔にわずか驚きの色を乗せたものの、すぐに理解したように軽く頷くと望美に微笑を向けた。

「左様でございますか。それはとても便利でございますね」
「! ひ、飛行機だと1時間もかからないんだよ?」
「ひこうき……ああ、先日教えてくださった空を飛ぶ乗り物のことでございますね。一時間とは凄い」
「……本当に凄いって思ってる?」
「勿論です。神子様は、銀をお疑いですか?」
「そういうことじゃないんだけど……」

 目的の駅に着いたことを知らせる車内アナウンスが二人の会話を妨げる。そのことに銀が眉を潜めたことに、望美は気付きはしなかったが。

「銀こっち!」

 人混みに逸れぬよう、望美が銀の腕を引き改札へ向かう。ここに切符を通してね、と、言われたままにすれば小さな紙片はかちゃんと音を立てて吸い込まれ、戻りはしなかった。

「いいのいいのそのままで。通行証だと思って」
「しかしそれでは帰りが」
「帰りは又買うの。行こ!」

 戸惑う銀に、またも大雑把な説明をした望美は先頭を走ってデパートへと向かう。その翻る、長く美しい髪を見ながら、銀は先ほどまで己の腕を引いていた望美の手を今度は己から掴んだ。
 振り返る顔に、乗る朱の色。何と可愛らしい。

「はぐれてしまいますので……ご無礼をお許し頂けますでしょうか」
「そっ、そんなのいちいち許可なんてとらなくても」

 口にした方が、望美が恥らうことを知っていての行動だが、無論それをそのまま口にするほど愚かではない。
 案の定、視線を地に向けて耳まで赤く染める想い人の姿を愛しく思いながら、指を絡めるように薄い手をとる。この手が本当に太刀を握っていたのだとは、直接目にしていなければ到底信じられなかったであろう。

 透明な『がらす』で出来た扉が、人が前に立つと自動的に開く仕組みにも驚愕したが、もともと感情が表に出ない性質である銀の顔にその色は現れない。
 平家一門に生まれ育ったものとして、そうそう感情を表に出してなどいられない。そう育てられたし、又自分自身そうあるべきだと思ってきた。
 結果腹芸ばかりが得意になってしまった己を嫌になる時もあるが、それも全ては過去のこと。無論、愛する神子に危機が及ぶようなことになれば、いつでも昔に戻る覚悟はあるが。

「銀、気をつけてね」

 エスカレーターに向かいながら、どこか得意げに望美が銀を振り返る。

「これは……階段、でございますか?」
「うん、動く階段。自分で上らなくても上に運んでくれるの」

 一体どういったカラクリなのか。この地下に歯車を回している下人でもいるのかと考えたが、自分の世界とはあまりに違う世界である以上、それはありえないだろう。

「神子様が仰っていた、文明の利器というものでございますか」
「そんな言葉まで覚えたの!?」
「これは、心外でございます」

 望美が初めてエスカレーターに乗ったときにはタイミングがうまく掴めず、親に手を引いてもらってやっと乗れたというのに、銀の足元には迷いがない。望美の後を追って軽やかに乗り込むと、いつもより目線の近い望美の髪を一房取り、口付ける。

「しっ、ししししししろっ」
「神子様が仰った言の葉を、銀が聞き漏らすとお思いですか? しかもそれが、私にあらゆることを教え導いて下さるお言葉だというのに」

 日曜の昼時だ。自分たちのような二人組もいれば家族連れだって溢れ返っている。いきなり始まった劇調とも言えるやりとりに、望美以上にギャラリーが絶句していた。

「そうでなくとも鈴の音のように可愛らしいそのお声を、出来るならば四六時中聞いていたいとすら願っておりますものを」
「わかった! わかったから!」

 銀の言葉は勿論、周囲の視線にも耐え切れなくなった望美が必死で制するものの、銀は真剣そのものだ。
 息も絶え絶えにやめてくれと懇願し、お分かり頂くまでやめませんと言い募る銀にどれだけわかったかを説く頃にはぐったりと疲れ果てていた。
 わかっていたのに。銀が、こういう人物だということを。
 良くも悪くも純粋なのだ。と、望美は思っている。将臣あたりが聞けば、『たぬきの間違いだろ』とでも評するだろうが。
 どう頑張っても、勝てない。一度くらいは銀の慌てる様を見てみたいとは思うのだけれども、どうにもうまくいかない。
 ガスコンロに火を付けてみても、テレビを見せてみても、音楽を聞かせてみても――そりゃあ、確かに驚きはしたけれどなんというかもっとこう、動揺する銀というものを見てみたいのに。
 ほてほてと歩きながら、エレベーターへと足を運ぶ。もう、地道にエスカレーターで上の階までのぼる気力はない。
 丁度望美らのいる2階に到着したらしく、エレベータの扉が開いたのが見えた。あれで7階まで行くからねと、話しながら歩調を速め、一歩先に望美が乗り込んだところで先を急いでいたらしい先客が扉を閉めてしまった。

「ああっ!」

 伸ばした腕もむなしく、鉄の扉が望美と銀を隔てる。
 すみません、と、男性に謝られたところでエレベーターは動き出している。一応、幸いにも7階に行くと告げてあったので大丈夫かとは思うが、これではぐれてしまったらどのように待ち合わせをすればいいのだろうか。


(エレベーターの使い方なんてわからないだろうし……さっきのでエスカレーター乗れるかな)


 自分が戻ったほうがいいのだろうか。それとも待っていたほうがいいのか。
 こんなことなら、さっさと携帯を持たせれば良かった。焦りを覚えながら、ゆるりと動くエレベータの中で歯噛みをする。
 4階で止まり、6階でも止まる。


(もう!)


 自分とは違い、この世界に銀は不慣れだ。大丈夫だろうか、困ってはいないだろうか。
 ようやく目的階に着き、扉が開くのをもどかしく待つ。いつもの何倍もの時間がかかっている気さえした それが達成したとき、望美の目に飛び込んできたのは。





「神子様!」





 驚くよりも先に、引き寄せられ抱きしめられた。銀の腕から唯一逃れられた髪の一部が宙に舞うほどに激しく。

「よく……ご無事で」
「ど、どうしたの?」

 身じろぎをしようにも、抱きしめられる力がそれを許さない。とりあえず銀を落ち着かせようと彼の背に腕を回し、ゆっくりと撫でる。

「どうしたの銀。何か、あった?」
「何かではございません。神子様がこの箱の中に消えてしまわれた時、私は生きた心地がしませんでした」
「だ、大丈夫だよ。あの、これエレベーターって言って、エスカレーターより早く移動できるものなの」
「そうでしたか……」

 さすった背中が、微かに汗ばんでいる。階段を使ったかエスカレーターを使ったかは知らないが、途中で止まったとは言えエレベーターで7階まで移動した自分を先回りしていたのだ。相当なスピードで駆け上ったに違いない。

「心配させて、ごめんね」
「いいえ……いいえ神子様。神子様がお謝りになられることなどないのです。私が無知なばかりに勝手な 心配をしただけでございますから」

 この手に刀があれば、扉を切り倒していただろうと冗談とも本気ともつかないことを銀が言い、望美が小さく笑う。

「駄目だよ壊しちゃ」
「ええ。神子様に無害なものであると分かりましたので」

 その考えも危険な気がする。

 望美が複雑な表情を浮かべたが、銀はそんな望美の心境が分かっていながらも分からないふりをして害のない笑顔で返した。
 望美はどうやら自分の驚いた顔が見たいらしいが、銀にとってみれば、それはイコール望美が危機に直面するということに等しい。自分が喜ぶのも驚くのも、すべては自身に起因するのだといつになったらわかってくれるのだろうか。
 人形であった己に、全ての感情を戻してくれた神子。自分が望美を神子と呼ぶのには、呼称以外の意味があるのだ。
 この世界も驚きに満ちたものではあるが、神子の存在以上に驚嘆すべきものなどなにもない。
 無論、そのようなことは知る由もない望美だからこそ、どうしたら銀があからさまに驚くのかと、色々考えたりもするのだが。

「ご無礼を致しました」

 す、と銀の腕が解かれる。そして更に微笑むと、参りましょうと歩き出す。
 同時に、自分の手に望美の同じものが収められる。その柔らかな感触に今在ることの幸せを感じながら、込められた力よりも強く、けれど壊さぬように望美の手を握り返した。







Fin





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Comments:
そいえば銀って一回も書いたことがないなと書いてみた。
なんとなく、地下の地下から地上に上がる、とある駅のエスカレーターにのりつつ
浮かんだネタでございました。


20070125up






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