銀の名を呼ぶ。
はい、と、彼が返事を返す。
なのに、そこに何の感情もない。
(どうして?)
ちゃんと、銀は笑えていたはずなのに、そうなるように頑張ったのに。
『神子様、ご命令を』
私があなたと話したいのは、そんなことじゃない。
「――こ様」
呼ぶ声に導かれるように浮上する意識。聞きなれた声。さっきまで聞いていた、私に命令を求める声。
(違う)
「神子様」
だって声が。
「……しろ、がね?」
「はい。銀はここにおります」
あったかい。
緩慢に持ち上げた瞼が開くと同時に、うすぼんやりとした視界に入る姿。ものすごく心配そうな眼差しでまっすぐに見つめてくる瞳は、こっちが申し訳なくなるくらい心を痛めているのがわかった。
「うなされておいででした。悪い夢でもご覧になりましたか?」
寝所に立ち入った無礼をお許し下さい、と、謝罪の言葉を口にしながらも、そうしなければならないほど私はうなされていたんだろう。
半身を起こしながら、額の汗をぬぐう。そうして改めて銀を見て、まっすぐにこっちを見る眼差しを見て――泣きたくなった。
指を伸ばして、銀の着物の袖を掴む。戸惑った雰囲気が一瞬伝わり、けれどすぐにそれは消えた。
すべらかに見えて、触れると分かる。銀の手が、ちゃんとした男の人のもので、武人のものだってことが。
袖を伝うようにして触れた手は、節に指がかかったところでくるりと裏返された。
「冷えておいでですね」
大丈夫だよ、と言うより早く、私の手を両の手で包んで口元へ運ぶ。驚く間もなくあたたかい吐息が指先に触れた。
「私、温めてなんて言ってないよ」
銀の動きが止まる。
「おいやでしたか? 申し訳ございません」
「そうじゃなくて」
離れかけた手を逆に握る。痛そうな光が走った銀の瞳を覗き込むように見上げ、首を振った。
「どうして温めてくれたの?」
まだ夢の呪縛から逃れきれない私が聞いた言葉に、銀がほんのわずか戸惑ったようなそぶりを見せる。
けれど、じっと私の言葉を考えるように黙り、ほんの少しの後には迷いも無く返事をくれる。
そうしたかったからだ、と。
「神子様のお手が冷たそうで……温めて差し上げたいと思ったからでございます」
「それは、銀の意思?」
聞いた言葉に、銀が固まる。
握った手が、又握り返されて。その強さに胸が痛い。
痛いのは――私が。
「好きだよ、銀」
「神子様」
「だから、命令でなんて動いて欲しくない。銀が私にしてくれること全部、銀の意思でなくちゃ嫌。命令で側にいてもらうより、銀の意思で離れていくほうが、ずっと」
良いわけない。だけど。
泣きそうになる気持ちを飲み込んで、ぐ、って痛くなった喉を無理やり押さえ込んで。
「ずっと、いい」
無感動な人形になってしまうよりもずっとずっと。
夢での痛みをひきずり、涙がこぼれた。冷えた頬に伝った温かな雫は、確かにそこを流れたのだと私に教えてから寝具代わりの褂へと落ちる。
染みの出来たそれを、銀が見つめる。その視線を迷いなく私へと移動させ、真っ直ぐに捕らえた。
柔らかな眼差しの中に、強い光がある。炎が、見える。
「銀の意思は、神子様のご意思。違えることはありません」
「だから……っ」
「お間違え召されないで下さい。それが銀の意思でございます」
私の手を包んでいた手が離れ、濡れた頬へと移動した。
「先ほど神子様が仰った、銀を好いて下さるというお言葉が真であれば……そして、こんなにも神子様をお慕いする銀を、神子様が邪魔にお思いにならなければ」
「思うわけない、思うわけないよ!」
「神子様は私を過小評価していらっしゃる。無垢な神子様がお思いになるよりもずっと、銀の胸中は神子様を独占したいなどという浅はかな思いで一杯なのです」
頬に触れた手の、指先が動いて耳の裏をすっと撫でた。そのせいだけじゃない粟立つ感覚が体内の骨を滑って脳に達する。銀の指。声。視線。全部が全部、私の息の根を根本から止めるちからを持ってる。
わかってるの?
「銀だって、わかってない」
私だって、清らかな神子なんかじゃない。すきなひとには触れてほしいし、欲しいとも思われたい。
「そういう気持ちを浅はかだって言うなら、私のほうがよっぽど浅はかだよ」
見開かれた双眸が一瞬で細められ、気が付けば銀の腕の中に私は居て。
痛いほどの力に比例した幸せを実感する。ほら、こんなにも私は浅はかだ。
押し当てられた胸から響く心臓の音が嬉しくて、抱き寄せられる腕の力が嬉しくて。
「私は欲張りだから、して欲しいことだけじゃ足りないんだ。銀がしたいと思ってくれなくちゃ嫌だよ」
思えば凄い告白をして。だけど銀はちゃんとその意味を汲み取ってくれて。だから。
明けが白み始めた空が零す光を二人で受けながら、ずっとずっとそのまま、ぬくもりを伝えあった。
Fin
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Comment:
拍手再掲。
銀本出したいなーという欲望を、拍手で吐き出してごまかしておりました神子様。
初出:20080610
再掲:20090213
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