** Happy C×2 **
 ● 花開く梅の香

「あー! 又お洗濯してる!」
 それは、毎朝繰り広げられる風景。
 望美は縁側から恨みがましい視線と指先を、憎らしいほどに白い洗濯物を干す人物の背中に向ける。向けられた人物は一瞬びくりと肩を震わせたが、手に持っていた最後の一枚をピシ、と干し終わると、満足したような笑顔で望美を振り返った。

「おはよう、望美ちゃん」
「おはようございます景時さん。あのですね、毎日毎日言ってますけど、私の仕事を取らないで下さい」

 軒下においておいた外履きを引っ掛けて、望美が景時のもとに駆け寄る。無いだろうなとは思ってはいたけれど、洗濯籠の中を覗いたらやはり全部干し終わった後だったので、望美はがっくりと項垂れる。
 あからさまに肩を落とした望美を見て景時は少しだけバツの悪そうな笑みを浮かべる。頬をかく癖は、気まずさを誤魔化したいときに発動されるのだが、それはこの場でも同じだった。

「いや〜、だってさホラ、こんなにいい天気だし」
「私がお母様に怒られます……」
「あ、それは大丈夫だよ! 俺の方から散々言ってるし、昔から俺の洗濯好きは知ってるからね〜」
「その洗濯好きをやめさせたいって訴えられてるんですけど」
「えっ! ホントにっ!?」

 こくりと頷く小さな頭を見て、参ったなと景時が額に手をやる。母や朔が自分の趣味を快く思っていないのは知っていたが、まさか望美にそれを託していたとは知らなかった。
 手に持っていた籠を縁側に置き、そのまま腰を下ろす。望美もそれに倣い、ちょこりと横に腰を下ろした。
 同じ位置に腰を下ろしているのに、足のつく位置が違う。それはそのまま二人の体格の違いだ。
 当たり前のことだけれども、かつて幼馴染の二人とそうだった時は悔しかったそれが景時とだと心地よい。そんな、自分の感情の違いが面白いなあと望美は一人でひっそりと笑った。

「まいったなあ……母上も、いい加減諦めてくれればいいのに」
「一応跡取りですからね。それに、すっかり暇になったとはいえ戦奉行だし」
「だよね〜。はあ、のんびり暮らしたいだけなんだけどなあ」
「と、いうわけなんで、明日から私がお洗濯もやりますから」
「え! 俺の唯一の息抜きが!」

 本気で泣きそうな顔をした大人を見て、耐え切れずに望美が吹き出す。本当に、どうしてこの人はいちいち可愛らしいのだろう。
 朔などはそれが「頼り無い」と不満なようだが、景時が本当に頼り無いかどうかは身をもって知っている。これは景時の素の部分であり、見せてくれる油断だ。そして自分がその対象であることは、戦奉行である彼を知っていればこそ、とても幸せなことで、嬉しくて。

「望美ちゃーん、酷いよ笑うなんて」
「ご、ごめんな……あははっ! だって、景時さん可愛いんだもん」

 本気で肩を震わせる望美と発せられた言葉に景時が絶句する。可愛い、などといわれたのは生まれて初めてだ。情けないだの頼り無いだのは散々妹である朔に言われたものだが、可愛い、などといわれるのも又別の意味で衝撃だ。

「君の世界では、可愛い、は褒め言葉なのかい?」
「女の子は褒め言葉のつもりで使いますけど、受け取るほうは様々ですね」
「じゃあ一緒だ」
「いやでした?」
「嫌というか……うーん。好きなコの前では格好良くいたいとは思うけどね」
「景時さんは、かっこいいですよ?」
「……」

 可愛い、と評されたあとにそう言われても真実味に欠けると思ったが、口には出さずに飲み込んだ。それを表情で察した望美は、風に揺られる真っ白な洗濯物を見ながら考える。そして暫しの後、ああ、と唐突に声をあげて景時を驚かせた。

「ど、どうしたの望美ちゃん」
「あのですね、女の子が使う可愛いって、愛しいって意味なんです」
「え?」
「庇護したい意味の可愛いじゃなくて。あ、でも守りたいとは思うけど。だから全然悪い意味なんかじゃなくて、馬鹿にしてるとかでもなくて」

 平和な平和な時間に、他愛ないことで本気で頭を悩ませたり出来ること。
 何よりも戦を嫌っていた人が、自らの『嘘』を嫌っていた人が、矛盾なく今を受け入れられること。それがわかることが愛しくて。


「洗濯の似合う戦奉行でも、大好きです」


 ぐるになってあげますから、洗濯する時は声をかけてくださいね? と、悪戯っぽく微笑む少女は自分を解放してくれた神子。幾つもに分裂する自身を、全てが自分なのだと教えてくれ、前に進む勇気をくれた人。逃げてばかりだった自分に本当に守りたいと思わせてくれた存在は、あの戦いが終わっても傍にいてくれる。

 それが。



「……愛しい、か」



 守りたいと思う。その為にどんなことでもしようと思える。
 あの、血生臭い戦場よりも、ささやかな日常を営む今の方が、その思いは強くなるばかりで。

「君は情けない俺でも、そう言ってくれるんだね」
「景時さんは情けなくなんかないですよ?」
「君ぐらいだよ。そんな事を言ってくれるのは」
「皆見る目ないなあ」
「ははっ」

 さすがに照れくさくなって景時が再び頬を指で触る。そんな景時の、うっすらと赤くなった耳朶が愛しくて、望美は今の幸せをかみしめる。景時もすぐ隣に座る、異世界からきた少女の存在が何よりも大切で愛しくて。
 はためく洗濯ものを見つめて微笑む少女に、その眼差しを細めた。

「望美ちゃん」
「はい」
「あの、さ」
「?」
「その……梅が、咲いたら」
「あ、もう咲きましたよ! まだ1、2個ですけど」
「ええっ!?」
「か、景時さん?」

 そういえば景時に伝えようと思っていたのだ。梅の香が大好きな景時だから、教えたら喜ぶだろうと思って忘れていた。庭の梅の木はまだようやくつぼみが膨らんできたばかりのようだが、小川沿いに生えている紅梅が昨日ほころんでいたのを見つけて。
 だがしかし、望美の予想に反して景時は大仰に驚き、実際に仰け反った。そして口の中でぶつぶつと早いだと覚悟がだのと呟き、黙っては望美を見て再び頭を抱えていた。

「あの、景時さん?」

 どうしたんですか?と、俯いた景時を覗き込むようにすればわずかだけ角度を望美へと向ける。どこか泣きそうな、けれど決意に満ちた眼差しに一瞬息が詰まり、先ほどまでの穏やかな雰囲気から一変して緊張が走る。

「いや……その、ね」
「?」
「君がこの世界に残ってくれて、こうやって傍にいてくれてさ。凄く嬉しいなっていうか、信じられないっていうか」
「……」
「いや、だから! その、折角残ってくれたんだし、母上もそろそろ心配してるって言うか、何というか俺も身を固めないとかな〜なーんて……」
「景時さん?」

 きっかけを失った景時はすっかりしどろもどろになり、何とか察してもらえないものだろうかと言葉を紡ぐが一向に伝わる気配は無い。いや、ここははっきりと言葉にして伝えるべきだと頭では分かっているのだが、男だって一生に一度であろう台詞を口にするのには大層な勇気が必要なのだと自分で自分に言い訳をする。無論、何の意味もないが。

「何か心配事でもあるんですか?」
「心配事というか、その」
「又頼朝さんと何かあったんですか? 言ってください、私、出来ることなら何だってしますから」
「そうじゃないよ、大丈夫。頼朝様がどうこうと言うんじゃないんだ」
「じゃあ、何ですか?」
「え〜と……いや、うん。いいんだ」
「ああもうじれったい!」

 最後の台詞は望美のものではない。
 彼女のものよりやや大人びた、涼やかな声。けれど含まれた声音はその音質とはまるで相反したものだった。

「さ、朔?」
「もう! さっきから聞いていればぐだぐだぐだぐだと情けない! こういうとき位しっかりしてください、兄上」
「き、聞いてたのーーーっ!?」
「聞こえてきたんです。邪魔しないようにと気を使って隠れていれば……まったくもう」

 心底情けないのか、朔は額を押さえて頭を振る。一人会話に置いていかれた望美は、内容を把握したいと思いつつ朔の剣幕に言葉をかけることさえ躊躇われて大人しく黙り込む。景時はと言えば、一層言葉に詰まったように口の中だけでもごもごと何かを呟いていた。

「望美、もう良いわ。こんな情けない兄上なんて見限って頂戴」
「え? へ?」
「朔、それはないよ〜」
「そんな声を出したって駄目です。もう、私、今度と言う今度は心底兄上を軽蔑するわ。普段はどうであれ、けっこ」
「わああああ! 駄目!その言葉を言っちゃ駄目!」
「何が駄目なんですか! 言わずに伝わる訳ないでしょう」
「自分で言うから!」
「だったらはっきりお言いなさい!」

 ぽんぽんとテンポ良く繰り広げられる会話に、仲がいいなあなどとほんわか見守ってしまう望美がいるのだが、当の二人は互いに必死だ。兄妹の関係が逆転したかのような言い合いだが、これがこの二人の有り様なのだろう。
 廊下の角に立ちすくんだまま舌戦を繰り広げていた朔が、普段からは想像も出来ない足音を立てて二人に近づく。そしてそのまま景時へ向けられると思った視線は望美に向けられ、その予想外な展開に望美が目を丸くした。

「望美、私の姉上になってくれないかしら」
「朔ーーーーーーーーーっ!!」
「へ? え、どういうこと?」
「ほら御覧なさい。こんな言い方をしたってこの子は気付かないのよ。なのに母上がどうだの身を固めるだの頼らせてくれだの言ったところで伝わるわけないんです!」
「いや、最後のは俺言ってないけど……」
「とにかく!」

 びしり。視線と指を突きつけて。

「この子にとっても生涯ただ一度の言葉なのよ。それを中途半端に誤魔化した言い方なんかしたら、誰が許してもこの私が許しませんから」
「……はい」
「返事が小さい!」
「はい!」
「…………」

 どうやら自分の事を話されているようだが全くもって理解できない。しかし二人の間では通じ合っているらしく、主語らしきものが無いまま会話が始められ、終了した。
 叱り飛ばされた子犬のように粛々と肩を落とした景時を見下ろした朔は、眼差しを一変させて望美に微笑むと一人頷いて廊下の奥へと消えていった。


「…………」


 朔の足音が消えた後、暫し二人とも言葉を失う。失った理由はそれぞれ違うのだが、互いにそれを探れずに気まずい空気が流れた。
 これでどうやってその言葉を言えと言うのかと、景時は泣きたくなったのだが朔の言うとおり自分が情けないことも身にしみて分かっている。きっかけがないと言えないその台詞を、だからこそ梅の花が咲いたらと春の訪れに託したというのに、実はもう過ぎていただなんて間が悪いにも程がある。
 その間の悪さがそのまま兄上の意気地の無さだと、朔なら更に追い討ちをかけるのだろうが。


「よしっ! 俺も男だ! うん!」
「か、景時さん?」
「望美ちゃん」


 嫌悪して止まない戦の場ですら、これ程に緊張しないであろう。
 あれは感情に反して頭の中は驚くほど冷静な場だ。むしろ、感情が高ぶれば高ぶるほど思考は澄み渡り、先々の事まで見通せる、そんな場だ。だからこそ性質と異なものであっても、それを本能や才能と評され自分は戦奉行になったのだろうと、今更な分析をもっともふさわしくない今行う。


 勇気を出して告げたたった一言に望美の両の瞳が大きく見開かれ。
 何かを吹っ切った景時の眼差しは凛として強く自分を捉えるものだから、望美は二重の驚きで上手く言葉が出てこない。これではまるでさっきの逆ではないか。


「だめ、かな」


 何も言葉を発しない望美に、そう景時が問う。それでやっと、望美の頬に花が咲き、口元が綻んだ。



「じゃあ、ずっと共犯者ですね」
「え?」
「お洗濯。お母様にばれないようにしなきゃ」



 旦那様の趣味を取り上げちゃ悪いもの、と、悪戯っぽく口にした望美に景時が一瞬ついていけずぽかん、として。


 次の瞬間抱きしめた望美の肩越しにゆれる真っ白な洗濯物の向こう側で、紅梅の身が一つ、綻んでいた。













Fin





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Comment:

ダメな兄を非難する朔ちゃんが書きたかったんです。
(趣旨が違う)


20060317up







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