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● 霞鏡 |
朔が親友なら、景時は兄のような存在だと望美は思う。
才能と相反し、誰よりも戦を厭う。面倒を好まず、可能ならば日がな一日洗濯をしたり、ぼーっと庭を眺めたり。そのような平穏を好む者。
それは望美や譲が十数年生きてきた世界の時間の流れととても似ていて、だからこそ他の仲間よりも安心できるのかもしれないと、そう思っていた。
「皆にバレちゃうとさ、格好つかないんだよね。ホラ、これでも一応戦奉行だし」
珍しくゆっくりと時間の流れる昼下がり。景時と望美は縁側に二人並び、はたはたと心地よい風に揺られる真っ白な洗濯物を見ていた。そして不意に、ほんの少しだけ照れくさそうに景時がそう零すから望美は笑った。
「大変ですね」
「あ、わかってくれる〜? 優しいなあ望美ちゃんは」
「別に洗濯好きな景時さんでも、私は格好いいと思いますよ?」
だって景時さんは景時さんですもん。
望美にとっては当たり前のことをそう口にすると、景時は一瞬言葉につまったように瞬きをし、目を細めて。
「ありがとう、望美ちゃん」
笑った。
「私お洗濯とか苦手だから、戦場で頑張りますね!」
「逞しいなあ。でも駄目だよ、望美ちゃんは女の子なんだから」
「景時さん、男だから洗濯するなんてって言われたら嫌でしょう? それと同じです。女の子だって、頑張る時は頑張っちゃうんだから。景時さんのことを守っちゃうくらいに」
「ははっ! 勇ましいなあ」
適わないよ、ホント。と、景時が長い前髪を右の手の平ですくう。細められた目が優しく望美を見、望美は心地良いような、どこか居場所がないような気持ちになりながらも、自分に兄がいたら本当にこんな感じなんだろうなと笑いながら思っていた。
なのに。
「望美ちゃん!」
呼ばれた声に振り返れば、すぐそこに振り上げられた太刀があった。
この世界に来てから大分経つ。戦場に慣れるにはまだ早いが、それでもここが命のやり取りをする場所だという自覚はあった。
油断していたつもりはない。慢心していたつもりもない。しかし結果として望美の頭上に、錆付いてはいたが決して殺傷力の衰えていない怨霊の刀が迫っていた。
望美は咄嗟に半身を翻し、肘から下を切られても仕方無いと判断しながら無理やりに刀を間に立て、瞬間的に両の目を閉じる。
――――ドンッ
至近距離から空圧を解放した音が聞こえる。そして自分に降りかかるはずだった攻撃は思うほどの衝撃を与えず、剣を握った右の肘をすらりと赤い線を描くだけで地面に落ちた。熱にも似た傷みが腕全体に広がるのと同時に、横から攫われるように身体がふわりと浮いた。
「大丈夫かいっ!?」
「かげ…っ」
穏やかな光など何処にもなく、焦燥に満ちた眼差しが望美を捕らえる。息を切らせた景時が望美の腰を攫い、陰陽術をこめた銃弾の入った武器を構えつつ望美を自らの背後に庇う。その傍を、景時が乗っていたであろう白馬が煙をあげながら横切り、去っていった。
「クッ!」
周囲を取り囲む怨霊にきりはなく、二人との距離を詰める。景時は振りかざされた攻撃を銃身で受けながら、強引に横へと流す。一瞬、やや離れた位置にいた弁慶が眉根を寄せながら二人を見たがこちらに向かえる余裕も彼にはない。
「景時さん! どいて下さい、私が」
「駄目だ」
「景時さん!」
剣を武器とする望美や九郎とは違い、銃を扱う景時は接近戦には決して向かない。だからこそ仲間の中でも景時だけは馬を走らせ、戦場においても滅多に地上に降りて戦うことはないのだ。
二撃、三撃と振りかざされる攻撃が景時の背中を通して望美に伝わる。景時の片腕は望美を押さえており、実際に攻撃を防いでいるのは片腕でしかない。受け流しきれずに、銃身をなぞって景時の指に敵の太刀がすべる。漆黒の革手袋が破け、普段は表に出ることのない赤い血流が弾けるように空中へと解放された。
望美は必死で景時の腕に逆らい、景時と怨霊の間に入ろうとする。まだ戦える。自分は動けないほどの怪我をしたわけではない。受けた傷からは未だ血液が流れるけれども、左手だって動く。
このままでは景時が。
そう考えて、一瞬頭の中が真っ白になった。
反動を付けるように敵を押しやり、一瞬出来た間合いを逃すことなく景時が低く、決して大きくはないが良く通る声で真言を唱えると銃口からぱしゅんと光が生まれる。やや遅れて振り下ろされた次の一撃は、耳が痛くなるような音とともに跳ね返された。
「結界を、張ったんだ。急ごしらえだからあまり長くは持たないけれど」
肩で息をつき、景時が望美を振りかえる。そして肘から伝い、指先から地面へと落ちていく望美の赤い流れに眉を潜めると懐に手を入れ、出した布で傷口を固く縛った。
「ごめんよ、本当はもっとちゃんと治療を受けさせたいんだけど……ここじゃそうも言ってられない」
悔しそうに唇を噛む景時に望美がとんでもないと首を振る。ここは戦場だ。血止めですらする余裕がないのが本当で、自分はきっと、とても大切にされている。実際、望美の治療をしてくれている景時の指からも鮮血が滴り落ちているのだ。黒い革手袋に覆われたそれは深さを見誤らせるけれど、地面に落ちる血量が決して軽くないと言外に告げている。けれど景時はまるで怪我自体なかったかのように苦痛の表情すら浮かべず、望美の治療を優先させていた。
「ごめんなさい、私がしっかりしてなかったばっかりに」
「何言ってるの。こっちの都合で君を戦場に駆り出したんだ。それに君は良くやってくれているよ」
「そんなのは……! それより景時さん、無茶しないで下さい。景時さんの武器じゃ、刀相手には戦えないよ」
「ははっ、君は優しいね」
「そうじゃなくて! ……ごめんなさい、私、あんな軽口まで叩いておいて」
守るなどと。言った言葉に嘘がなくても、実力が伴わなければ意味がない。気合や、意気込みでどうとなるものではないのだ。それが現実で。
唇を咬み、俯いた望美を景時が見る。自分の手の中にある、細い細い腕を掴み引き寄せてしまいたい衝動に駆られながら、景時は笑顔の下に己の欲望をしまいこんだ。
「あのね望美ちゃん」
自分の血がこれ以上大切な少女を汚さないように、景時は手を離す。
自分の弱さがこれ以上大切な少女を傷つけてしまわぬよう、景時は心を押し隠す。
「俺は戦奉行の前に一人の男で、君の八葉だから」
少なくとも今は、真実で。
「俺だって君を、守りたいよ」
すでに握られていない腕が、こんなにも熱い。
眼差しには強い意志。普段の景時からは想像も出来ないような、痛い程のそれが望美の胸を押しつぶしそうとする。望美は一瞬息を忘れ、数旬の後に、は、と、塊を吐き出した。
景時が立ち上がる。やや遅れて望美も立ち上がる。
右の手を確認するように閉じたり開いたりし、問題なく動くことを確かめてから前を向く。
「術を、解くよ? 準備はいいかい?」
「はい」
そこに見えた景時の背中が、今までとは違って見えて。
――ぱりん
結界が散った音と共に、望美の胸の奥で、何かが壊れて。
――開いた。
Fin
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Comment:
ふと。仕事中にふと、普段へらーっとしてて、
望美ちゃん守ってーなんて言ってたくせに
いざ戦場になったら何言ってるのな感じでのぞったんを
かばっちゃう景時さんて実はかっこよくないですかと
もえもえした産物(長い)。
本当は、真ん中だけ書いて拍手用にするはずだったのが
うっかり長くなっちゃいました。
(力量がなかったんです よ)。
景時さんも掘り下げるとキリがないほど深いお方ですが、
あまりに補完しなければいけないところが多すぎて(…)
本編以外は手を出せないと思う今日この頃。ああでも好きだなあ!
20060120up
*Back*
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