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●絆の糸 |
思い返してみれば、不自然な事など沢山あったのだ。
九郎たちが生まれてから暮らしてきたあの世界とは違う、『異世界』であった望美らの世界を訪れ、それ自体に動揺していつもなら気付けるようなことを見落としてしまっていたのだと、思う。
「どうして」
気付いてやれなかったのか。
与えられた部屋の、こちらの世界ではベッドというらしい寝具に座り、九郎は膝の上で拳を握る。恐らく、望美と一番共にいたのは自分なのだ。共に稽古をしたり、買い物に出かけたり、クリスマスの時だって。
けれど自分は気付かなかった。気付けなかった。その結果が、これだ。
『手始めに……地の青龍。あなたから食らってあげるわ』
望美の声で、違う。同じ姿形なのに、望美と名を呼ぶのを躊躇うほどにそれはもう『彼女』ではなかった。
望美と剣を交えるのは初めてではない。自惚れではなく、自分の方が望美よりも数段剣術に優れているという自覚も九郎にはあった。だが、茶吉尼天が乗り移った望美の腕は、自分が知っている彼女のそれよりも早く、確実に急所を突いてくる。それは彼女本来の実力か、動揺した自分の弱さが招いたことか。
白龍の発動した力により、一時的に意識を取り戻した望美はその場に崩折れるようにして倒れた。咄嗟に支えた九郎の腕を震える指で掴むと、望美はおぼつかない足取りで階段の先にある扉へと進もうとして。
そんな身体で何が出来ると。
一喝して無理やり連れ帰るべく抱きかかえた彼女の身体は、とても、頼り無くて。
彼女ではない望美に、切りつけられた肩が痛んだ。けれど、最も痛かったのはそこではなく、もっとずっと奥の方。
自分のせいだから、片を付けたいと先を急ぐ彼女を叱りながら、一番九郎自身が責めていたのは他でもない己だった。何故、気付いてやれなかったのか。ここまで彼女が自身を失ってしまうまで、どうして。
「九郎、望美がいねえ!」
「!」
部屋に駆け込んできた将臣が告げた言葉に、九郎が動揺する。将臣の後を追うように二階へ上がってきた朔の顔色を見、九郎は舌打ちをして椅子にかけてあったダウンを取った。
「心当たりは!?」
「家の周りは譲が見に行った。他にアイツが行きそうな場所についてなら幾つか思い当たる節はあるが、アイツ以外のヤツが行きたいところとなると、全く検討つかねえな」
将臣の微妙な言い回しに九郎が舌打ちをする。将臣があげた候補を数名で手分けし、自らに与えられた場所へと走り出す。
時間が微妙だ。電車はまだ動いてはいるだろうが、この時間では本数が少ない。
舌打ちし、走って行ける距離の海岸から攻める。条件は恐らく望美も一緒だ。海岸沿いならば、わざわざ駅で時間を待ってまでは遠出などしないだろう。
自分たちの世界よりはよほど走りやすい道に感謝をしながら、周りが明るいせいで逆に視界を奪われる遠くの闇を恨めしく思う。望美は、その先に居るかもしれないというのに。
駄目で元々と、鳴らした携帯は相手を呼び出す事無く留守電へと切り替わる。慣れない手付きで携帯を切り、ポケットへと押し込んで走る。
(馬があれば、便利なのにな)
こちらの世界に来てからは、あらゆるものに驚かされ、感心したものだが、こういう時ばかりは自分の世界の方がいいとさえ思ってしまう。馬の代わりだという、バイクやら自動車には試験が必要と譲に教えられており、当然ながら自分たちが受けられるはずもない。元々使う機会もないだろうと、移動ならば徒歩や電車で十分だと思っていたが、今の事態を思えば舌打ちをしたくもなる。
真冬の空気が頬を刺したが、こればかりは段違いでこちらの方が暖かい。まだ幾許も走っていないというのに、もううっすらと額に汗がにじむ。
走っては速度を落として辺りを見渡し、望美の姿が見えないとわかると再び走り出す。そうして、どれくらい走り回っただろうか。
海沿いの国道を挟んだ向こう側。明るい色のジャケットが、夜の闇に不自然に浮いて見えた。
望美、と呼ぼうとして――喉の奥で声が詰まった。
「――っ、くそっ」
己の迷いを振り切るように、一度だけぶるりと頭を振って走り出す。たった一本の道を隔てただけなのに、こちら側と海側では、まるで世界自体が違う程に空気が異なっていた。まるで、彼岸と此岸のように。
浜辺へと繋がる階段を、積もっている砂で転ばぬよう気をつけながらも駆け足で降りる。近付いてくる気配に気付いたのか、振り返った望美の眼差しを見て――緊張が解けた。
解けた緊張はそのまま怒りに変わる。あんなことがあったばかりだというのに、何を一人でほっつき歩いているのか。それがなくとも、おまえには女性だという自覚があるのか。こんな夜遅くに、なにをやっているんだ、等々。
「九郎さん?」
そんな、言いたい事は山程あるというのに。
問いたげな望美の眼差しを受けながら、九郎は声を発せずにいた。ただ、苦虫をかみ殺したような顔で、両の拳を身体の脇で握り締めたままで。
海風のせいかもしれない。月の光のせいかもしれない。
けれど、いつもの彼女よりもずっとずっと白い頬の色を見た瞬間に、何も言えなくなってしまったのだ。
「……馬鹿は、俺だな」
ようやくそれだけを呟くと、地面に体重を下ろした。折り曲げた膝に片肘をつき、額を抱える。望美が慌てたようにその後を追い、九郎の名を呼んだ。
額に当てた手に、望美のそれが触れる。九郎は顔をあげると、その手を取って痛々しげに眉根を寄せた。
「冷たい手だな」
「元々です」
九郎の手が冷えてしまうことを心配し、引っ込めようとしたところを九郎が包むように掴んだ。じわじわと伝わってくる暖かさは、そのまま九郎の優しさのようで――望美は泣きたくなってしまう。
「……ごめんなさい」
前後無く告げられた謝罪に、九郎は一瞬反応に詰まる。望美を見れば、自分の視線を避けるように俯いてしまい、代わりとばかりに肩からこぼれた髪がさらりと音を立てた。
「皆心配していたぞ。今度どこかへ行く時は、誰かに声をかけてから行け」
「うん。それもですけど」
九郎に温められている手とは反対の手を伸ばし、そっと、九郎の肩に触れる。否、触れようとして、その直前で空を握った。
「肩……」
く、と。望美の纏う空気が固まったのがわかった。九郎はわざと大仰にため息をつくと、お前のせいじゃないだろう、とだけ返した。
「俺の不覚だ。避けられるはずのものを、しくじった」
それは。
(私だったから、でしょう?)
言おうとして、それを言ったところで九郎は否定するだろうと、だから言うのはずるい気がして口ごもる。同時にあることに気付き、はっとして九郎に向き直った。
自分の様子をいぶかしむ九郎を見、予想通り九郎の手が空であることに焦りが増す。確かに、こちらの世界で刀などの獲物を持ち歩こうものなら、すぐにでも警察に捕まってしまうだろうが、でも。
「望美?」
「だめ、です。九郎さん駄目。早くどこかに……ああ、私が行けばいいんだ」
「おい、なんだいきなり」
慌てて九郎に背を向けた望美の肩を九郎が掴む。咄嗟だった為近い方の腕を動かしてしまい、結果掴むと同時に肩の傷が痛んで思わず短く息を漏らした。
その声に望美が振り返り――何という顔で見るのかと、九郎の胸が痛む。
「馬鹿。大丈夫だ」
左右に振られる頭を、今度は反対の手で撫でる。
「九郎さん、私と二人だとだめです。又、いつ茶吉尼天に意識を乗っ取られるか……」
九郎は獲物を持っていない。対して、自分はいつでも白龍の剣を具現化することが出来る。
もし今この瞬間にでもアレが出てきて、無防備な九郎にきりつけてしまったら――そう考えただけでも、身震いが止まらなかった。
「逃げてください。私、ちゃんと帰りますから」
「逃げる、って……お前はお前だろう」
「だけど、私じゃなくなるから」
「なら余計に、お前を守る者が必要だろう。茶吉尼天なぞに、大事なお前をどうにかされては困るからな」
それに、もう油断はしないから大丈夫だ。
そういって、安心させるように笑う。
九郎の笑顔は、あたたかい。太陽のようだ、なんて、陳腐な例えだけれど本当にそうだと思う。
力強くて、あたたかくて。幾ら芯が冷えていても、じわじわと溶かしてくれるようなそんな笑顔。
涙が零れそうになり、慌てて望美は息を止めた。そんな望美をいぶかしげに九郎が見、うっすらと浮かんだ涙に気付くと気遣うように表情を変えた。
「大丈夫だ」
泣いた理由を、茶吉尼天に対する恐れと勘違いした九郎がそう優しく望美を励ます。彼の優しさに泣けていたというのに、更に優しくされてはもう打つ手がない。
彼が好きでいてくれるのは強い自分。だから、弱いところなど見せたくなんてないのに。
そんな気持ちとは裏腹に、一度切った堰は元に戻らずぽろぽろと涙が零れてしまう。こんな弱い自分では、又いつこの身体をのっとられてしまうかもしれない。そう、思うのに。
「まったく……お前は強いのか泣き虫なのか分からんな」
苦笑めいた響きで言いながら、九郎がそっと望美の身体を引き寄せる。弁慶がいたら、君にしては上出来ですね、とでも言うほどのスマートさで。
「好きなだけ泣け。どうせお前のことだ、皆の前では泣きたくないのだろう?」
本当は、九郎さんの前でだけは泣きたくなかった。
「今は俺しかいない。だから、気が済むまで泣け。誓って、誰にも言わん」
だけど九郎さんの前だから、こんなにも泣けて。
怖いのは本当。でも、泣けるほどじゃない。
辛いのは、そのせいで大切な人を傷つけてしまうこと。
嬉しいのは、それでも自分を気遣ってくれる優しさ。
「俺も、家に帰ったら忘れることにする。だから安心しろ」
不器用な手付きで背を撫でてくれるのを感じながら、九郎の腕の中でそっと目を閉じる。深く息を吸えば、海風の中に香る彼自身の匂い。
だから、こんなにも泣けてしまうのだ。
ひとしきり泣いて、は、と息をつく。随分と泣いてしまった気がするが、その間も九郎はずっと自分の背を撫でていてくれた。
どんな顔をすればいいのかわからず俯いたままでいると、抱き寄せていた九郎の腕が緩む。そして代わりのように右の手をつかまれ、ゆっくりと国道方面へと誘われていく。
空いていたほうの手で、九郎が携帯を取り出すとどこかへとかけていた。会話からすると、将臣あたりだろうか。
「ああ、大丈夫だ。ああ……ああ、そうする。連絡が遅くなってすまなかった」
皆にも大分心配をかけてしまったと今更ながら居たたまれない気持ちになりつつ、帰ったら譲と朔にはすごい剣幕で叱られ、弁慶あたりには遠まわしに釘をさされるのだろうな、と、想像するだけで頭が痛い。
ああでも、黙って気遣ってくれる敦盛の視線も視線で辛いものがあるし、リズの一言も大層堪える。庇ってくれそうなのは景時くらいだろうか。
ヒノエや将臣は、と考えて、又泣きそうになった。そうだ、自分はなんで一人で抱え込もうとしてしまったんだろう。こんなにも心配してくれる、一緒に考えてくれる仲間がいるというのに。
通話が終わった九郎を見上げ、繋がった手を引いた。こちらを見返した九郎に、今度こそきちんと黙って出てきてしまったことを謝ると、一度目をぱちりとしてから、笑った。
「帰ったら覚悟しておけ。特に譲や朔殿の剣幕が見ものだぞ」
「う……」
自分の予想と同じものをつげられ、うめき声をあげた望美を九郎が笑う。
「まあ、俺も一緒に謝ってやる。お前の不祥事は兄弟子である俺の責任でもあるからな」
急いで帰るぞ、と、繋がる力が増したのを感じて望美もようやく笑顔になる。大丈夫、このつながりを、ぬくもりを信じていられるならばきっと、最後の最後まで諦めずにいられる。
繋いだ手を握り返して、うちに潜むものに負けない、と、宣言をして。
やがて訪れる別れにも、今だけは気付かない振りをした。
Fin
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Comment:
2年 越し(呆然)。
やっと形に出来てほっとしました。やっぱりくのぞいいよくのぞ。
20081020up
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