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● 盲目の真実 |
守りたいものと、傷つけたくない人は、どうして一致しないんだろう。
(どっちが、だいじ?)
答えなんかでない。出るわけが無い。だって、どっちも大事で。
傷つけない為に守りたいものを捨てるか、守る為に傷つけたくない人を傷つけるか。
それ以外選択肢なんてないのに、私は一生懸命その存在しない答えを求めていた。だって、嫌だったんだ。だって、どっちも大切なんだもの。
傷つけたくないその人だって守りたかったし、守りたいと思った人たちだって傷つけたくない。
分別の無い子どもがありったけのおもちゃや甘いお菓子を強請るようだと、笑われたとしても。必死で、もがいて、あるはずがない水中の酸素を求めるように。反り返りそうな指で、願いを掴みたくて。
――――きぃんっ
細身の白龍の太刀は、それでも『彼』の大刀を受け止めた。正確には、ありすぎる力の差を受け止めることなんて出来ないから、受けて流したのだけれど。
流した力を軸にして、後ろに跳ね飛んで距離を取る。スニーカーの底がじゃりっ、と音を立て、反動を殺した足首が痛みを訴えたけどそんなこと気にしてる場合じゃなかった。
「望美さん!」
「来ないで!」
背中にかけられた仲間の声を一蹴する。冷静に戦況を分析して、戦力の分配を考えた結果じゃない。脊髄反射のようなもの。
彼、は、私の左方向へ円を描く様に距離を測る。逆に私は右に移動して間合いを取られないようにする。間合いに気を取られすぎたら切り込まれる。けれど刀を恐れていては間合いは測れない。極限の緊張感の中、すう、と通り過ぎていった血生臭い風が私の髪を頬に張り付かせた。
端午の節句。子どもの日。
お隣の家に飾られた立派な鎧兜に付いていた二房の短剣は、まだ幼かった私たちの恰好の遊び道具になっていた。
けれど見目に伴わない強度しかなかったそれは、散々振り回されて身をいたぶられ、やがて折れて壊れた。かしん、かしん、と言う軽い音だったけれど、剣士になりきった私たちはそれなりに真剣で、だけどちゃんと遊びだって分かってて。
剣が折れて終わったその遊びは、隠し切ったつもりで片付けの際に見事にばれ、死ぬほど怒られたけれど。
おもしろかったね、って。
叩かれたお尻をさすりながら、譲くん含め3人で笑った。
「はああああっ!!」
「やあっ!」
けれど、この戦いは終わらない。
たとえ剣が折れ、誰かが止めろと怒ったとしてもこの心が折れるまで終わらない。折れる心がないのなら、この命果てるまで。
流し損ねた力に、ぎいんと刀が鈍い唸りを上げる。腕だけじゃ無理で、刀身の側面である皮鉄の部分を肩に当て、全身でその力を受けた。顔のすぐ横にある大刀が、その本質とは真逆の美しさで私を照らす。刀身から伝わるのは、彼の力と――想い。
瞬間身を沈め、もぐりこんだ懐に向け右足を蹴り上げる。白龍の剣に沿って流した彼の刀が、私の髪を数本断ち切ってはらりと宙に舞い上げた。
蹴り飛ばしても、私の力なんて高が知れてるはずだった。けれど予想よりは大きく揺らいだその身体に向けて今度は私が剣を振り下ろす。一瞬見開かれた眼差しは良く知っているもので、全然知らない人のものだった。
「……どうした」
知ってる、声。
だけど記憶より大人びた声。
この声がどんなに優しく自分を呼ぶか知ってる。
どれだけ、助けられたかしっかりと覚えてる。
眼差しは夜の闇の中でもはっきりと、むしろ強い強い光で私を縛る。怒りさえ滲ませて。
振り下ろした――振り下ろしきれなかった刀は彼よりも全然遠いところで構えられたままだった。どうしてそうなったのか分からない。その前に、どうしてそれを向けることが出来たのかもわからない。
今まで彼から向けられた事の無い『敵』を見る眼差しに私は頭の中が真っ白になって、腕の力が抜ける。手から滑り落ちた刀身は、地面に落ちて跳ね返り、まるで非難するように私の脛に赤い筋を描いた。
「……馬鹿だな」
「さ、おみく……」
「んっとに、馬鹿」
搾り出すように。掠れた声で。
一度俯き、再び顔を上げた彼の顔には、見たことも無い激情が滲んでいた。
「覚悟もねえのにンなもの振り回してんじゃねえよ!」
「先輩! 兄さん!!」
「望美さん!」
呼ばれた名前は、全然遠くから聞こえた。
目の前の人が動いて、手の太刀を振り上げたのが見えた。
ただただ、迫り来るしのぎを見つめていた。
守りたいものも選べない自分なら。
傷つけたくない人に、断罪されたいと。
(――本当にそれでいいの?)
「――――っ!」
将臣君の目の前を射られた矢が走り、ありえない反射神経で避けた彼の頬を撫でてそれは闇に消えた。私は目の前数センチで止まった鈍色の塊を見、その先にある忌々しげな将臣君の横顔を見た。
「先輩から、離れろ」
「……譲」
「早く。次は本気で狙う」
「ハッ! やれんのかよお前に」
「試してみるか?」
「……」
刀の影が消え、月の光が視界に滲む。駆け寄ってくる仲間の気配と、隙無く将臣君に狙いを定め続ける譲君を感じながら、のたりと将臣君の動きを首だけで追う。磁石に吸い寄せられる、砂場の砂鉄のように。
私の視線に気付いているはずなのに、将臣君は決してこっちを見ようとしない。記憶よりも伸びた髪に邪魔されて表情は定かでなく、本当の本当に別人のようだった。
別人、だったら良かったのに。
「……どうしてお前が、源氏の神子になんかなっちまったんだろうな」
どうしてあなたが還内府なの。
肩越しに振り返ったその表情は、私が知っている将臣君のもので。
切なそうに眉根を寄せて、目元だけを緩めて。ほんの少し口角を緩める。仕方ないな、って、言う時の笑い方。
ねえ、何を諦めたの?
駆け寄った弁慶さんが私の肩を掴んだ頃には、将臣君の姿は闇に消えていた。最後までその彼を牽制していた譲君もやがて私の所へ駆け寄り、力なくしゃがみ込んだ私の目線に合わせるように膝をついて腰を下ろす。
「先輩、怪我はありませんか? 大丈夫ですか?」
「ゆず、くん……」
「足の怪我以外は特に無さそうです。それも大事に至るものではありませんよ。跡が残るほど深くも無い」
「そうですか、良かった」
密度の濃い息を吐き、譲君が眼鏡の奥の眼差しを伏せる。
弁慶さんが九郎さんへ報告に行くと場を去った後も私は動けず、腕を支えてくれる譲君に甘えるばかりで。
「譲君。将臣君、だった」
「……そのようですね」
「将臣君だったよ」
口に出した還内府の正体は、中身を伴わないふかふかとした感覚を伴って名を呼ばれる。私や譲君にとってその名を持つ人は、決して還内府では有り得ないはずなのに。敵になんてならないはずなのに。たとえ世界の終わりが来ても三人、手をつないでいられるはずだったのに。
離れてしまった半年の間。彼にとっての3年半の間。
彼にとっての『あちらの』世界はきっと、終わりを迎えてしまったのかもしれない。
その時に傍にいたのは私でも譲君でもなくて、今の彼を作ったもの。平家の一族。そうして新しい人生を歩む彼に、私たちは過去でしかないんだろうか。
(そんなこと、ない)
ふるふると頭を振って自らの考えを否定する。
ずっとずっと一緒にいた17年間が、たった3年に負けるはずが無い。私と将臣君は血こそ繋がってないけれど、そこらの兄弟より兄弟のようだったもの。男勝りだった自分は彼らに紛れて良く3人兄弟みたいねって言われて、笑われて。
「……先輩」
「譲君。私、どうしたらいいんだろう。ねえ、どうしたらいいのかな」
「俺が守ります。敵が誰だろうと、絶対に先輩を傷つけさせたりしません」
「でも! でも譲君、将臣君なんだよ!?」
「それでも」
強い口調で言葉を遮って。
「それでも俺は、譲らない」
守りたいものも譲れないものも、唯一人でしかないからと。
言い切った眼差しはさっき剣を交えた人と同じものだった。
ふ、と、眼差しを緩めて譲君は苦笑する。立てますか、の問いかけにこくりと首肯すると、失礼しますと脇の下から背中に腕が回され、殆ど自分の力無しに地面に足の裏をつける。小さい頃は、私が転んだ譲君を立ち上がらせて、おぶった事だってあったのにな。
「あの人とは、兄弟ですからね」
「え?」
「互いに譲れないものがあるって事は、嫌でもわかりますから。そしてそれが相容れないなら、仕方ないでしょう」
「仕方ないって、仕方ないってそれで譲君は割り切れるの!?」
「言ったでしょう。俺はもう選んでるんです。何よりも一番に守りたいものを。そんなの、この世界に来る前からずっとだ。諦めてきたけれど、守ることなら俺は諦めない。誰が相手でも、それを許すつもりなんて髪一筋分だってないんです」
「譲く……」
「先輩をこんなにも悲しませただけで、十分だ」
「ゆず、る」
幼馴染で、八葉で。自分の兄で。
だからこそ許せないのだと、多分独り言のつもりで呟いた言葉は、大声で叫ばれるより私の耳に残った。
「後でちゃんと弁慶さんに手当てしてもらいましょう。痛みませんか?」
「うん……大丈夫」
「先輩はそれしか言わないから……おぶりましょうか?」
「だ、大丈夫だよ! 子どもじゃないんだから」
「知ってますよ」
だから頼って欲しいんです、と、譲君は笑う。どこか悲しそうに。
それがやけに彼を遠いものに感じさせて、だから私はあえて甘えることにした。さすがにおんぶは恥ずかしかったから、腕につかまって。
立ち上がったところで、随分と離れてしまっていた目線に今更気がついた。
「譲君、背、伸びたね」
「そうですか? 二年になってからは、あまり変わってないんですけど」
「伸びたよ。前は、私の方が高かったのにな」
「いつの話ですか」
必要以上にゆっくりと歩いてくれながら、譲君が笑う。でも、私は笑えなかった。
「気付かないうちに、変わってたんだね」
やっと作ることの出来た笑顔は、歪んでいて。
譲君はもう何も言わずに、ただ、手を引いてくれた。
私を敵としてみた将臣君も、視線が遠くなってしまった譲君も同じように『変わってしまったもの』としてしか見れなくて、俯きながら私は一人、ほたほたと涙を零した。
零れた涙を拭った手が、将臣君に刀を突きつけたものと同じだと気付いて言葉を失う。文字通り身体の一部であるそれが、急に汚らわしいものに思えて切り落としたくなった。
この手が、腕が。取替えのきく部品だったなら、どんなに良かっただろう。
気付かなかった。甘えていたんだ。
多分、良く考えれば、ちゃんと見ていれば気付けていた沢山のこと。過去に甘えて、築き上げてきた関係に甘えて、『今』から目を背けた私の罰。
(ねえ、今何を考えてる――?)
足元に落ちる影の色で月の光を感じ、閉じた瞼の裏にその人を思う。
繋がっていなくても辿ることは出来ると、信じるように。
Fin
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Comment:
まさのぞのつもりで書いていたのに、普通の幼馴染三人話になってました。
日付みたら3月書き始め(がたがた)。
このあたりの二人の気持ちは、本当に難しいです。
割り切れていたのだとしたら、凄い男前で潔いとは思うけれど。
割り切られたほうがそう出来ていなければ、見捨てられたように
思うよなあ・・・。
20060419up
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