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● ぬるみず |
「大丈夫か、望美」
阿波水軍の策略に嵌り、危うく難を逃れたヒノエと望美は、逃げ出した船から岸までを泳ぎ切り、ようやく息をつく。
服を身に纏ったまま泳ぐというのは、簡単なことではない。海水を吸った着物は肌に張り付き、自由を奪う。そしてその重さ自体が枷となって体力も奪うのだ。プールならともかく、波のある海で、しかも慣れない着物を着てそれでも望美が泳ぎきれたのは、やはりヒノエの支えがあったからこそ。
濡れた手に、膝に、砂が張り付く。大きく肩を上下させて呼吸をする傍ら、髪や額からぽたぽたと雫が砂浜に落ち、濃い色を作る。
「だい、じょうぶだよ」
呼吸が整わないながらも、ヒノエに心配をかけまいと声を絞り出す。そんな望美に気付いたヒノエは苦笑し、ぶるりと頭を振って水を払うと、手を伸ばして望美の頬に張り付いた髪を後ろへとやった。
憎々しげに、二人を騙した阿波水軍への恨みを口にするヒノエに応じながら、どうしても身体の震えは止まらない。たった数十分前の出来事。腕をとられ、身体を押さえられ、そんな自分が枷となって捕らえられた愛する人。自分の無事と引き換えに乱暴を受け、挙句焼き殺されそうになった。
「望美?」
望美の顔色に気付き、ヒノエが座り込んだままの望美と視線をあわせる様に腰を落とす。望美は緋色の眼差しを受け、それがちゃんと瞬いていることを確認して……手を伸ばした。
「寒いのか?くそ、あいつら次にあったら絶対許さねえ」
伸ばした手がヒノエの頬に届く前にヒノエがその腕をとり、望美の身体ごと引き寄せる。対して身長の変わらないヒノエの首筋に顔を寄せると、潮の香りが鼻につき、けれどその奥にヒノエ自身の香りであろう、甘い匂いがくゆる。それでやっと、緊張が解けてきた望美は、ことりと額をヒノエを肩に預ける。
「良かった……ヒノエくんが無事で」
「当たり前だろ。姫君を残してオレが死ぬわけない。大体あんなちゃちな鎖でオレをどうこうしようってのがヤツらの誤算だね」
まあ騙されたオレが言っても説得力ないけどな、と、自虐的に言うヒノエは望美の背中に回した腕に力を込める。 望美の収まらない震えを寒さだと思ったヒノエは回した腕で細い背をさすり、望美をこのような目に合わせた連中への復讐を誓う。同時に、気付かずに驕っていた自らを恥じ、望美に気付かれないよう唇をきつく噛んだ。
けれど望美は知っている。ヒノエが、鎖の束縛から逃れられずに炎に包まれてしまったもう一つの『未来』を。
ヒノエはあの時、死を目前にしながらも自分を見つめて笑ったのだ。己の不甲斐なさを笑いながら、それでも望美を安心させるように。惚れた女を見捨てられるほど器用ではないといい、同じように捕まって。そうして望美に一人、海に飛び込むように命じ、自らは炎の中に消えた――。
思い出した光景を否定するようにきつく目をつぶる。そうしてヒノエが自分にしてくれているようにヒノエの背中に腕を回し濡れた服を掴む。生きている。ちゃんとヒノエはここにいる。
「おい、本当に大丈夫か」
「うん……ごめんね、もうちょっとだけこうしててもいいかな」
「強気なおまえも好きだけど、甘えるおまえも可愛いね。
姫君が望むならいつまででも……と言いたいところだけど、このままじゃ風邪引いちまう。望美、続きは着替えてからにしよう。おまえに風邪でも引かれたら、さすがのオレも立ち直れない」
ぽんぽん、と、二回望美の背中をあやすように軽く叩く。望美は脳裏に浮かんだ、今はもう『過去』の映像を振り切りヒノエに手を引かれながら立ち上がる。海辺の強い風が濡れた身体には堪える。確かにこのままでは風邪を引いてしまってもおかしくはない。
「ヒノエくんは大丈夫?」
「オレを誰だと思ってるんだい?海の上でも中でも、オレにとっちゃ何の問題もないね。服を着たまま泳ぐ事だって慣れてるしね」
「そっか、そうだよね」
「姫君と水につかるなら、こんな冷たい海よりも温泉の方が良かったな。望美、帰ったら二人で温泉でも行くかい?」
勿論こんな邪魔なものはいらないぜ、と、ヒノエが望美の濡れた着物を摘む。望美は反射的に赤くなりながら一瞬口篭り、馬鹿、と、小さく反論した。期待通りの反応にヒノエが弾けたように笑い出す。そして小さくくしゃみをした望美の肩を抱き寄せると、口元に笑みは残したままその眼差しを強くする。
「ま、その為にも平家のヤツらをなんとかしなきゃな」
「うん……そうだね」
「そうしたらもう誰にも邪魔なんてさせないぜ?姫君も今のうちに心の準備をしておくんだね」
「え?」
「この戦いが終わったら、おまえを熊野に連れて行く。嫌とは言わせねえ、オレは一度手に入れたものを手放すほど馬鹿じゃないんでね。それが望美、おまえなら尚更だ」
「ヒノ……」
肩に置かれたヒノエの指先が伸び、望美の耳元を飾る真珠に触れる。それはこつ、と、小さな音を立て望美の心を粟立てる。
纏う空気が硬くなった望美に気付き、ヒノエが内心苦笑する。この真珠の飾りを渡した時、ヒノエは自ら伝えた気持ちへの答えを、明確には貰っていない。いや、貰ったも同然というような言葉は貰ったがそれをそのまま受け取り未来を楽観するほどヒノエは愚かでも溺れてもいなかった。
望美の気持ちではなく、『答え』を聞くのは望美が神子としての役目を終えた時――。
「もう、ヒノエくんはわたしをからかってばかりいる」
「心外だね、オレはいつでも本気だぜ?」
「どーせよその姫君にも同じこと言ってるんでしょ」
「その耳飾を贈った時と、同じ台詞を言わせたいのかい?ま、姫君が望むなら何度でも言うけど」
――オレがいつも傍にいて欲しいと思うのは、おまえだけだ
囁かれた耳が熱い。
望美は何かを言おうとして失敗し、ぽたりと前髪から零れた雫をぬぐう。
「海水が目に入ると、やっぱり痛いね――」
「馬鹿、当たり前だろ。後で真水で洗ってやる。ま、慣れだけどな」
赤くなった目をこする。
温かな水が、ひりついた眦を優しく潤すのを感じながらヒノエを見上げて望美は笑った。
「わたしも、慣れるのかな」
「慣れてもらわなきゃ困るかな。姫君の性格じゃ、ずっと屋敷の中にはいてくれそうにないしね」
「人をじゃじゃ馬みたいに言わないで」
「ははっ、褒めてるんだぜ?このオレの奥方になるんだ、並の姫君じゃ勤まらないね」
「褒め言葉になってない!……っくしゅんっ!!」
「ほら、急ぐぞ望美。弁慶たちも待ちくたびれてるはずだ」
別にどう思われようと構わないが、あいつに何か言われるのはおもしろくないとヒノエは零し、望美の肩においていた手を腰へと移動して望美の重みを支えるように走り出す。一瞬足がもつれそうになりながらもバランスを取り戻し、望美もヒノエと共に走り出す。スニーカーの中に入ったままの水が、ぐしゅりと音を立てた。
Fin
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Comments:
敵対する水軍の名前をすっかり忘れておりました。
助けてくれたのはやっぱりまにょしまさんでした。多謝。
ちなみに片瀬の周りはヒノエに死亡ルートがあるのを知らないメンバーがほとんどでしたよ。とあるパラメーターが低いと死んでしまうのですが、どれだけ片瀬がキャラ育成が下手かが垣間見れた瞬間(そこか?)。
でもおかげでこのシーンを見逃さずに済んだので良しとします。理由が分からなくてヒノったんを3回も焼死させました が(吐血)。
助けてくれたのはやっぱりお友達でした。
ありがとうつんたんたん。深謝。
*Back*
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