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●プリズム |
「それ、似てるよね」
「え?」
「困ったときに手を頭にやる癖。将臣君と」
言われて初めて気付いたというように、譲は眼鏡の奥の目を瞬く。そう望美に言われても実感がなく、さてどうしたものかと一度おろした腕を再び頭の後ろにやったところで望美に噴き出され、目の淵を赤く染めた。
「譲君は右腕で将臣君は左腕って違いはあるけど、困ったときにそうするのって同じなんだよ。知らなかった?」
「癖なんて、自分ではわからないものですから……」
くすくすと笑い続ける望美にバツの悪いものを覚えながら、なんとか平静さをを取り戻そうと譲はずれてもいない眼鏡のツルを押し上げる。
「将臣君、元気かなあ」
「あの人なら心配いりませんよ。昔から要領のいい人でしたから、どこだろうと上手くやっているはずです」
「そうかなあ」
「大丈夫ですよ、先輩」
「うん。そうだといいな」
言って笑う望美の気持ちを、表情そのままに受け止めたりはしない。長い髪を耳元で押さえるようにして笑った望美を、それこそ本心とは違う気持ちを口にした時の彼女の癖だとは譲は言わない。
そう、彼女は心配しているのだ。幼馴染みのもう一人を。他でもない、自分の兄を。
譲自身が気付かなかった癖を望美が気付いていたように、ずっと共に育った彼女は兄である将臣がどんなタイプの人間かを熟知している。そしてそれは先ほど譲が言ったものと同じである筈なのだが。
「私一人だったら、どうなってたろ」
「怖いことを言わないで下さい。想像しただけで心配でたまりませんよ」
「もう! 将臣君は心配ないのに、私だとそんなに頼りない?」
「そういう意味じゃありません。けれど……そうですね。先輩は意外に落ち着きが無いから」
「かわいくなーい」
ぷう、と頬を膨らませる様は年齢よりずっと幼く見えて譲は笑う。そう、こうしていると譲自身よりも年下に見えるくらいなのだが、望美はそうは思わないらしい。何かにつけては譲を守ろうとするし、リードしようともする。
実際、かわいくない、という言葉は普段は可愛いもの、もしくは可愛くあるものに対して使う言葉だと思う。そこまでの意識は望美にはないだろうが、譲にしてみれば無意識だったとしても、それはそれで辛いものがある。
そんな譲とは相反し、望美は実に無邪気に感情を表す。ひと時膨れた後、散歩がてら覗いた店先でおいしそうな飴を見つけ、けろりと表情を一変させた。
「譲君、飴だって!」
「ああ、水あめですね」
壺に入った水あめを見つけ駆け寄る望美は、すでにその味を頭の中で再現しているらしい。この時代の飴は菓子としてではなくあくまでも甘味料、つまり調味料としての位置づけだが、望美にしてみればどちらでも構わないのだろう。
「あ、でもうちらの水あめより大分やわらかそうだね」
「食べたいですか?」
「うーん。でもこんなに柔らかいと割り箸につけてって訳にもいかないし」
言いながら残念そうに店先から離れる。譲は店の主人に軽く会釈をし、半歩先を行った望美を追いかけた。
「薄めて煮詰めなおしてみれば固形になるかもしれませんね。それか、甘葛を採ってくるか」
「アマヅラ?」
「ああ、山奥に生えている蔦の一種ですよ。甘い樹液が出るので」
「へええええ! 譲君詳しい!!」
心底感心して望美が言うものだから、譲は照れたように再び眼鏡のつるを押し上げる。
すでに望美は、譲がいつか飴を作ってくれるであろうと期待してそれを又顔に出している。思わず噴出しそうになりながら、そもそも自分が料理に興味を持ち始めたのは、と、譲は古い記憶を辿る。
『ゆずるくん、おいしい!』
まだ、随分と幼い頃だったように思う。
母に無理やり手伝わされ、作ったプリンを望美がおいしそうに食べてくれたあの日から始まったのだ。元々何かを作る作業は好きだった。特に料理は分量さえ正しければそうそう酷いものは出来上がらない。基本を押さえ、あとは頭の中で過去食べたことのある味を、同じように味わったことのある材料や調味料で組み立てて再現すればいい。言ってみればパズルのようなものだ。
将臣や望美に言わせると、その「構築」作業が難しいのだと口を揃えるが、それは二人が大雑把だからだと思ってはいても口には出さない。
そういうところは兄も望美も良く似ていて。
似ているからこそ喧嘩をすることもあったが、大抵は翌日に持ち越さないものだった。
だが自分にはその匙加減が分からない。兄である将臣と喧嘩めいたことをすることはあったが、弟という立場から誰に言われるでもなく自然と一歩引いていた。そして望美とはそもそも喧嘩にもならない。それは自分がつい望美の言うとおりにしてやりたいと思うのと同時に、望美の方も譲を守るもの――弟のように――という位置づけにおいているからだろうと思う。
「譲君、あれ可愛い!」
一歩後を歩く譲を振り返り、望美が新しく見つけた興味の対象を指差す。譲は望美にそうとは気付かれぬよう苦笑し、相槌を打った。
「譲君って、感覚が近いから嬉しい」
「え、そうですか?」
「うん。これが将臣君だったら絶対『女ってわかんねぇなあ』って馬鹿にするんだよ」
わざとらしいほどに眉根の皺を強調させて、望美が将臣のマネをする。まあ、兄さんならそういうでしょうねと同意すると、でしょう!? と望美が息巻いた。
「結構昔から2対1だったよね」
「ああ、そういえばそうかも知れませんね。元々あの人は協調性の無い人ですし」
「まあ、それが将臣君らしいって言えばそうなんだけど」
「俺に対していつも怒ってましたからね。『お前は望美に甘い』っ、て……」
兄の言葉をそのまま引用しただけだったのだが、久しぶりに口にした想い人の名前は予想以上に譲を動揺させた。もう数年口にしていなかった彼女の名前。先輩、と呼ぶことであえて一線を引いたことをきっと彼女も将臣も気付いてはいない。もうその頃には、そうでもしないとすぐにでも関係を壊してしまいそうだったから。
「譲君?」
「いえ……何でもありません」
頬が熱い。望美は何が起こったのかまるでわからず、きゅるりと瞳を瞬かせるがそのまま気付いてなど欲しくない。気付かれたら終わりだ、とも思う。
行きましょうか、と、ポジションを変わり譲が望美の一歩前に歩を進めたところでふいに袖に緊張が走った。つん、と引っ張られた先には細い指。
「まただ」
「先輩?」
「癖。困った時の」
尖った唇から紡ぎだされた言葉と共に向けられた視線は、自分の後頭部を見ていて。
どうやら自分は又無意識だったらしい。上げた腕を不自然な仕草で――それでも精一杯自然に振舞ったつもりだったが――下ろすと、譲は苦笑した。
「大したことじゃありませんよ。けど、困ったな。これじゃあ先輩の前じゃ腕を縛っておかないと大変なことになりそうだ」
「もう、すぐちゃかす」
「はは。でも、本当に大したことじゃありませんから。すみません、気を使わせてしまって」
それ以上の質問を、柔らかな笑顔で拒絶する。
まさか、あなたの名前を呼んでしまったから動揺したんですなどと言えようはずもない。
ぎりぎり触れるか触れないかのところで望美の指を外し、譲は先を歩く。これ以上この話題を続けるつもりはないという無言の意思表示を、けれど望美は許したりしなかった。
「ねえ、譲君。譲君は優しいし、いつも私を助けてくれるけど、ちゃんと私が悪いことした時には叱ってね?」
「どうしたんですか、突然」
「だって、譲君いつもどこか線を引いてるから」
え、と、思わず漏らしてしまったのは予想以上にそういった望美の顔が寂しげだったからで。
望美は大きな瞳を半分ほどに伏せ、やや尖らせた唇に恐らくずっと抱えていたのであろう思いを乗せた。
「小さい頃はずっと一緒で、分からないことなんてなかったのに。将臣君はマイペースに自分の世界作っちゃうし、譲君は急に敬語で先輩、なんて呼ぶようになるし……結構寂しかったんだよ?」
「春日先輩……」
「前は名前で呼んでくれたたのに、そうやって苗字呼びになるし」
「それ、は」
もう子どもじゃないんですから、節度を保つためですよ、と、何度使ったか分からない言い訳を再び口にする。実際、『節度を保つため』というのはある意味真実なのだ。そうやって距離を置いて、今の関係を保たなければいつ暴走するかわからない。望美は決して自分のものではないのに、束縛してしまいたくなる。
本来ならプラスに働くべき幼馴染みという立場すら、その暴走を加速させるものでしかなく、だからこそ自分は必要以上に他人の距離に身を置いたのだ。
傷つけたくなど、なかったから。
「あのね、でも、お互い小さい頃から、それこそ記憶がないようなときからずっと一緒だったから」
そんな譲の悩みなど、望美は気付くことすらなく実に明るく言葉を続ける。
「今更、嫌いあうことなんてありえないじゃない?」
現に喧嘩したって仲直りするし、遠慮のない喧嘩だって、信頼しているからこそできるもので。
そう告げる望美の目は譲に対する信頼で満ちている。それが迷いなければないほど、この胸は罪悪感で痛むというのに。
(あなたは、本当の俺を知らないから)
醜いほどに一人へ向かう想いを。想いが凝って、執着にすら変わっている愚かな自分を。
言うつもりはない。この想いは、死ぬまで自分ひとりで抱えていくつもりだ。望美が自分を特別な存在としてみてくれることがありえないなら、せめて少しはなれた距離で見守ること――それが自分にとっての幸福だと。
「どうでしょうね」
油断すれば、いまこの瞬間にでも望美を攫い、誰の目にも届かぬところに閉じ込めてしまいたい気持ちでいる自分を知ったら、確実に望美は自分を見限るだろう。それとも、自身が知る「譲」を信じ、説得しようとでもするだろうか。
小さく呟いた言葉は望美の耳に届き、望美は足を止めかけてけれどそのまま歩きながら、同じくらいのボリュームで呟いた。
「私は譲君の知らない譲君だって、知ってるよ」
笑みさえ滲んだ声でそれだけを言うと、軽やかに背で髪を遊ばせて前を向く。
譲がその言葉の真意を問うよりも先に、望美は駆け出した。
譲自身が何を恐れていても。嫌悪していても。
彼が見限っている彼自身に潜んでいる一番の光を、彼が気付かなかった癖と同じように自分は知っているから。
「先輩、待ってください!」
駆け出した望美を追い、足を速めた譲を望美が笑顔で振り返る。
そして想いが通うのは、そう遠くない未来。
Fin
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Comment:
自分を知らないから笑えると思っている譲と、譲が思っている以上に譲という人物を
のぞったんは知ってるんだよ、というのが書きたかったのです。
十六夜でも、結局譲は景時さんに弓を引けなかったわけで。自分が思うほど、譲は
盲目な人間じゃないと思う。
のです。
20081219
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