** Happy C×2 **
 ● 花穂の冠

 一面の、薄(すすき)野原。
 ふわふわで、柔らかそうに見えるのに、その実触るとちくちくする花穂は、幼かった望美の頬や手の甲を良く傷つけた。


「もう、そんな季節か……」


 高い空を見上げる。何処までも透き通って果てしなく続く空。
 よく、空はどの世界でも繋がっているというけれど、自分が見上げているこの空は決して、あの空には繋がっていない。
 無意識に頬を撫でる。その痕跡など、もうどこにもないというのに。

 さわり。さわり。

 吹きすさぶ風。揺れる花穂。
 駆け回った幼い自分。一緒に遊んだ幼馴染。夕暮れに赤く染まる頃、迎えに来てくれた母親。
 小さい手で、それでも母の手の全部を掴みたくてぎゅう、と力を入れた。今思うと幼い力など高が知れているのに、いたいいたいと困ったように笑っていた母。仕舞いには両手で母の手を掴み、足取りがおぼつかなくて転びそうになったこともあった。


「……ぁさ……」


 戦いの合間にふと、時間が出来ると考えてしまう。戦場にいる時はただ生きるか死ぬかしかなく、ほかのことなど考える余裕などないのに。
 久しぶりに声にした呼びかけは、思いのほか空虚なものだった。すかすかした感じがして、変なの、と呟いて。


 それでも、涙が出た。


 会いたくないわけがなくて、帰りたくて。
 どうしているのだろうと思う気持ちは、心配なのか思慕なのか。


「おかーさん」





 返る声は、ここにはない。






 望美の足は大地を蹴る。ばさばさと侵入者を叩きつける黄朽葉色の腕をかい潜り、瞬きすらせずに。衝撃に耐え切れず飛び散った花穂が花吹雪の様に舞い、望美の髪に降る。握り締めた甲や指の背に赤い筋が幾本も描かれ、それは膝も同様だった。

「……っ!」

 枯れ始めた草が絡み合ったものに足を取られ、前のめりに豪快に転ぶ。先ほどまで望美の敵だったそれは、柔らかく望美の身体を受け止めてくれる腕となった。
 倒れこんだ瞬間、どこかに絡まってしまったらしい髪の数本がぷつ、と切れる音がした。痛いと思った感覚は、そのせいかあちこちに走った切り傷のせいかそれとも。


「、ううう〜〜……」


 迎えにきて。
 早く迎えにきて。




 もう、日が暮れてしまうのに――――



 鼻先に届く藁に似た匂いは、昼間の太陽をさんさんと浴びた陽だまりの匂い。深まる秋の気配に捕らわれ乾燥したそれは、望美の呼吸で湿り気を帯び、一層濃く香って望美の胸を締め付ける。
 滲んだままの視界から逃げるように、望美は瞳を閉じる。

 と。






「神子!?」


 ざ、と、薄を掻き分ける音と共に地面を踏む音が、大地を通じて直接望美の身体に届く。
 それで、ああ、自分は知らぬ間に寝ていたのだと気付き、良く事態が飲み込めぬままのろのろと顔を上げれば、もう暮れかけた橙の空を背に、慌てた敦盛の顔があった。


「あー……あつもりさ」
「どうかしたのか!? どこか怪我でも……」


 望美の姿を見つけるや否や地面に膝をついて反応を伺う。何を慌てているのだろうと不思議に思いながら上半身を起こす。その肩を支えようとして伸ばされた敦盛の腕は、目的を達することなく持ち主の下に帰る。

「いてて。あ、あれっ!? どうして、あれっ?」
「み、神子?」

 どうやら望美自身も何故ここで倒れていたのか自体を把握していないらしいが、緊急の事態では無さそうだ。敦盛はそう判断し、ふう、と息をつく。
 おかしいな、寝たつもりないのに、という呟きに驚愕しつつ、敦盛はあることに気付き眼差しを細めた。

「、……泣いていたのか?」

 睫の先に、透明な雫。
 もう殆ど乾いていたけれど、望美の睫を艶やかに束ねていたそれを敦盛は見逃さなかった。驚いたのは望美の方で、ぱしぱしと瞬きをし、名残が目の縁に撥ねたことでその事実を認めた。

「え、と」

 誤魔化そうとして、言葉を探して。
 けれど、ほかの誰を騙せても、この目の前の人だけは騙せないと感じ、望美は観念したように俯くとちらりと敦盛を見た。


「皆には、言わないで下さいね」
「神子が望むなら。しかし、その……理由を聞かせてはもらえないだろうか。神子がこうして悲しんでいたのを知っていて、それを知らぬふりは、私には出来ない」
「敦盛さん……」
「すまない、言い辛い事ならば言わなくて構わないが……」


 もし、自分のようなものにでも、話す事で楽になるのなら、と。
 優しい優しい人物は、まるで悪いことをしているように恐縮して望美にそう語りかける。
 まっすぐな言葉なのに、敦盛の言葉はいつも柔らかい。けれど、逆に柔らかな物腰なのに、誰よりも強い意志を感じることもある。そのアンバランスさがいつも不思議で――心地よくて。

 擦り傷に秋風が沁みる。自業自得とは言え、屋敷に戻れば皆に怒られ、風呂に入れば泣きたいほどに痛むだろう。昔から不思議に思っていたのだが、どうして大した傷でもないのに擦り傷や切り傷というものは恐ろしい程に痛むのか。
 スカートの裾に気をつけながら、望美が膝を抱える。そして膝にことりと顎を乗せて、敦盛に視線を向けた。



「ここは、私が遊んでいた場所にとても良く似てるんです」



 追いかけっこに、かくれんぼ。
 時折薄を抜いては振り回し、将臣と痛くない剣術ごっこもした。
 日が暮れるまで遊んで遊んで、幼い身体は疲れることを知らずに永遠と思える1日を、毎日繰り返して。

 永遠が終わるのは、いつだって自分と幼馴染の母親たちが迎えにくるその時。


「『もう遅いから帰るわよ』って。だけどそんなんじゃ私も譲君も、将臣君だって帰ろうとしないから、いつだって『ご飯、パパに食べられちゃうわよ?』って、そう言われて慌てて帰ってた」


 あ、パパって父親のことなんですけどね、と、照れたように笑う頬が朱に染まる。
 それから、どこを見るとなく空を見上げ、まるで独り言のように語り続ける。


「お母さんの手があったかくて。私の手、遊びまわっていっつも冷え切ってた。挙句、泥だらけだったりして。それでもぎゅうって握ってくれて、家まで一緒に、帰っ……、て」
「……神子」

 膝を抱えていた腕に顔を押し付け、首を振る。そうして新たに浮かんだ涙を強引に拭うと、望美は笑った。


「真っ白な光の中で、遊んで、オレンジの光の中、帰ってた。毎日毎日繰り返して、帰るよって、おかえりって、言ってくれて」


 当たり前の日々に、繰り返される言葉。
 数えようと思っても数え切れないほど繰り返されてきたそのやりとりは、決して永遠なんかじゃなかったのに。
 本当は、それでも永遠だと信じて過ごしていけたはずだったのに。

 拭いきれぬほどにあふれ出した涙を拭くことを諦め、望美は口元まで膝を抱える腕に埋めると零れた涙を袖で受け止める。そんな望美を守るように広がった長い髪が、時折風に揺られていた。




「『帰ろう』って、迎えにきてくれるような、勘違いしちゃったみたい」





 この空はあの空ではないのに。
 オレンジに染まるこの空は、母親には見えようもないのに。







 ここには、母はいない。将臣だっていない。
 共にいる譲は、けれど自分と同じ境遇だ。
 普段は前だけを向いて、後ろを振り返ることなどなかったのに、どうも秋の気配は厄介だ。挙句、思い出の風景と似た景色があったのがいけない。
 自分も存外に弱いものだと苦笑しつつ、収まり始めた涙を手の平で拭いきった。
 敦盛は、望美の告白をただただ聞いていて。
 普段見せることの無い弱みをさらけ出した彼女は、普段八葉として感じている『守らなければ』と言ったものとは別の庇護欲をそそる。神子として在る彼女の、恐らく素の部分。ただの春日望美として生きてきた、自分が知ることは決してなかっただろう心に触れ、不意に愛しさがこみ上げる。
 勿論それを、伝えようとはしなかったけれど。


「神子」
「あ、大丈夫ですよ? 話したらすっきりしました。ありがとう、敦盛さん」
「いや、礼には及ばない。私が頼んで話してもらったのだから」

 藤色の髪を揺らしながら否定する少年に、望美が微笑む。日の匂いを纏った香りが、涼やかな秋の夜のものへと変化していく。正確な時間はわからないが、そろそろ帰らないと皆が心配するだろう。
 望美がそう言うと、望美の予想よりも早く既に心配されていたらしい。それで、手の空いていた敦盛が探しに行くと言ってくれたらしく、今に至ったとの事。

「うわ、ごめんなさい敦盛さん」

 敦盛は微笑んで首を振る。
 そしてついていた膝を地面から戻すと、なにやら躊躇したように微笑みを強張らせた。

「敦盛さん?」

 どうしたのだろうと名を呼んだ望美に、敦盛が口を開く。



「帰ろう」



 行こう、ではなく。戻ろう、でもなく。
 戒めから、手を差し出すことは出来なかったけれど。

「皆が待ってる。その、譲殿も神子の好物を作ってくれているらしいし」

 彼女の求めている代わりにはならないのはわかっていた。けれど、少なくとも今この世界で、彼女の帰る場所はあそこだから。


「……帰ろう?」
「……はい」


 立ち上がり様に、敦盛の手を望美のそれが掴んだ。冷え切ったその手にはいくつもの擦り傷。赤く滲んだものは、すっかり乾いてただの線になっていた。


「神子……」
「迎えにきてくれたのなら、ちゃんと、連れてってください」


 困ったような声に、半ばやけくそな甘え方をして。

 さて、なんと返すかと待機した敦盛からの返答は、戸惑ったように握り返された手の力が全てだった。


















Fin







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Comment:

単に片瀬が家に帰りたいだけかもしれません。
親離れしようよ自分(家族大好きっこ)。




20060616




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