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● 地平の果て |
馬鹿、なんてお前の頭を撫でてやりながら。
その手が震えていなかったかどうかなんて、多分俺の方がずっと気になってたんだ。
地平の果て
6月。梅雨時期で雨も多いって言うのに、俺たちの学校はこのタイミングで体育祭をやる。
幸い、雨にも降られずに予定通り決行されたそれは、紅白両チームとも拮抗した戦況になっていた。
校庭のトラックを囲むように、教室から運び出された椅子がクラスごとに並べられる。だが、それは学年ごとではなく紅白のチームごとに大枠が決められており、まるでグラウンドという河を挟んで決戦でもしているように見える。
今年は、奇数のクラスが紅で偶数のクラスが白。
学年通して二つに分けられたチームで、総力戦だ。
やや白組有利の状態で折り返された午後。短い休憩時間で昼飯を食いながら、さて、午後の競技はなんだったかとプログラムを覗く。すると背後からクラスメイトが手元を覗き込んできて、忌々しげに舌打ちをした。
「大体さ、白組の方が二年のクラス多いじゃん」
「そうだったか?」
「そうだよ。俺らと一年は6クラスだけど、二年だけ7クラスあるだろ」
「ああ、そういえばそうだな。けど種目に出る人数は決まってんだし、変わんねえって」
言いながら配られた牛乳を飲み終えてパックを握りつぶす。
急激に圧縮された空気は、中に僅か残っていた牛乳と共に弾けるように外へと飛び出してプログラムを覗き込んでいたヤツの顔にかかった。
お約束のようなクレームを同じく約束のような謝罪でかわし、反対側にいる望美のクラスをちらりと思う。あいつと譲は、学年は違うが同じ2組だ。
「有川、春日と離れたな」
「まあ、日頃ケンカばっかしてるし、勝負つけるのには丁度いいかもな」
んだよそれ、と、ノロケと受け取ったのかそいつの右手が飛んでくる。
俺はさっきと同じようにたやすくそれをかわし、笑った。
俺が、紅組で。望美と譲が白組。
何かの符号のようなそれ。
「そういや、紅白戦って源平合戦に由来してるんだよな」
俺の心中を察したかのような発言に、構える隙も無く身体が固まる。
幸いそいつはそれを、自分の知識への驚愕だと受け取ったらしく、得意げに笑いながら続けた。
「壇ノ浦でさ、平家が紅の旗で源氏が白の旗をそれぞれ掲げて戦ったろ? あれが由来なんだってさ。だから運動会も紅白、年末の歌合戦も紅白。辞書なんかで紅白戦って引くと、源平合戦って出てくるらしいぜ」
記憶に鮮明に残っている、あの、海を覆うように散らばった海面の紅旗。
あの赤は、もともとの色か、それともその数よりも多く沈んでいったヤツらの血を吸い上げたものか。
「有川? おい、顔色悪いぜ」
「いや……何でもねえ。それよりお前、何の競技に出るんだ?」
こちらの世界に戻って来て半年。向こうで過ごした四年間とのギャップを埋めようと必死だった時期が終わり、ふと気が緩んだのかもしれない。
俺はふいに浮かんだ記憶を無理やり奥に押し込めて、笑う。そしてトイレと誤魔化してその場を去り、人気の無い校舎の裏へと足を運んだ。
6月になり、大分気温が上がったとはいえ、日影はまだまだひんやりとした空気に包まれている。アスファルトで出来た校舎は余計に冷え冷えとしており、そこに背中を預けるとTシャツ越しに熱を奪われ、心地いい。向こうの壁とは違い、表面は磨かれていて背中を痛めることもない。
そのまま壁沿いにずるずると座り込み、前髪をかき上げる。伸ばしっぱなしではない、短くなったそれ。
何をいちいち、俺は比較しているのか。
「あ、いた」
聞きなれた声が聞こえ、顔をあげる。逆光を受ける幼馴染兼恋人の顔は、暗くてよく見えない。
「よう」
「なんでこんなところにいるの? 探しちゃったよ」
「悪ぃ悪ぃ。ちょっとな、涼んでた」
「そっか」
俺の隣まで歩いてくると、同じように座る。そして黙ったまま、俺の肩に頭を乗せてきた。
「なんだよ。どうかしたのか?」
望美がこうやって甘えるのは珍しい。幼馴染から恋人同士になったって、変わったことといえば当たり前のように手をつなぐようになったくらいで。
まして学校では何も変わらない。むしろ、恋人同士になったという安心感からか、以前より互いを探しあうことが無くなったくらいだ。
体育祭でもまとめずにいる髪が、さらさらと流れて俺の膝に毛先が触れる。それがくすぐったくて、肩の上の 望美の頭がずれないように気をつけながら手を動かし、手の中にその髪をおさめた。
「分かれちゃったね、チーム」
「あ? 何だよ今更。んなの、決まった時点で話したじゃねえか」
「うん……そうなんだけど」
俺の手の動きに気付いたのか。望美が顔をあげ、髪をまとめて反対の肩へと流す。
それから覗き込むように俺の顔を見ると、さっきまで自分の髪があった俺の手を握り締めてそこに視線を移す。
眉根を寄せて、望美の言葉を待つ。けれどいくら待っても、それは発せられることはなかった。
「望美?」
地面に完全に座り込んだわけではなく、折りたたんだ足に体重をかけているから段々と足も痺れてくる。こいつはどうなんだろうと思いながら、名前を呼んで反応を見る。すると、俺の手を握る望美の手に、きゅ、と力が入ったのが分かった。
「同じチームが、良かったなあ」
それだけを言って。
それ以外、言わずに。
「馬鹿」
ジャージが汚れるのを諦めて、俺は地面に腰を下ろし足を伸ばす。そして望美の肩を引き寄せてバランスを崩し、自分の片腿の上に座らせた。
「1日、だけだろ?」
「……うん」
こんなところ、知ってる奴らに見られたら色々言われるんだろうとも思ったが、仕方ない。今はきっと、互いのメンテナンスが必要で。
肩を引き寄せた腕を上にずらし、髪に触れる。そのまま指を潜らせて頭を撫でる。そして撫で下ろした首のところにかけてあった白いハチマキを解いて軽く握り締めた。
「こんなもんで、動揺してんなよ。お前らしくもねえ」
「だって出来すぎなんだもん。私と譲くんが同じチームで、白組なんて」
「歴史に疎いお前でも、知ってたのか」
「そりゃあ、あれだけ目の前で色が分かれてて、こっちでも同じ光景が広がったら調べるよ。将臣くん、馬鹿にしすぎ」
「ははっ、悪ぃ悪ぃ。違う世界とは言え、元祖紅白戦をやってきたんだもんな」
言いながら、勝手に震えだそうとした腕を諌めるように、望美を引き寄せる腕に力をこめる。
もう、終わったことなのに。終われたというのに。
この身体が何もなかった頃に戻れても、記憶はそうはいかない。想いだって同じだ。
ただそこにあるものが時々溢れるのか、それともずっと引きずっているのかはわからないけれど。
剣を握れば、大切なものを守れると思っていたあの頃。がむしゃらに腕を磨けば、もう二度と大切なものを手放さなくてすむと思って。
そうして気付けば守るものが増え、本当に守りたかったものを手放した。意地を責任感にすり替え、残った腕も剣を握る道具に変えた。
剣を掴んだ手で、大切なものを掴みなおせた手で、望美の頭をただ撫でる。馬鹿、なんていいながら、この震えにコイツが気付かなければいいと、ただそれだけを思って。
「お前がそんなに辛いなら、ばっくれるか? 別に俺は構わねえぜ、こんなイベントの1つや2つ」
互いに、背負うものなど何もない。代わるものなどいくらでもいる試合だ。
言外の台詞を察した望美が顔を上げる。どこか、怒ったような顔で。
「迷惑かけるでしょ。駄目だよ、そんなの」
「お前が泣くほうがよっぽど駄目だっつーの」
「泣いてなんかないよ!」
「嘘付け」
「もう! 将臣くんの馬鹿!」
言いながら俺の手から自分の組色のハチマキを奪い取ると、立ち上がりながら再び首にかけて胸元でゆるく縛る。
そして、来た時と同じように逆光を背に受けながら胸を逸らして俺に宣戦布告をする。負けないからね、と。
俺は、最終的にはやっぱり自身の足で立つコイツに感服しながら、別の理由で笑っているように見せかけて唇を緩める。
追いかけるように立ち上がって、ケツについた泥を乱暴に叩きながら俺も言い返す。こっちでは勝つぜ、と。
「ああ、でも」
流れていた音楽の質が変わる。同時に、午後のプログラム開始のアナウンス。急がないと、と、俺に手招きをする望美に追いつき、同じ速度で歩きながら大事なことを付け足した。
「俺はもう、お前以外を背負うつもりはねぇから。それだけは覚えておけよ」
大切なものを掴んだこの手を、開くつもりはもう無い。
ゆとりがあるとしても、それは全てコイツの為に使ってやりたい。あの時掴み損ねた何かと、意地を通したことで傷つけてしまった代償と、これからの約束の為に。
「……もう」
背負わなくていいから、並んで歩いてよ。
どこか怒ったような言葉は、かすかに震えていて。
そういえばコイツはこういうヤツだったと、今更の感想に自分でも笑う。そうして、試合後の約束を取り付けながら、俺たちは一斉に駆け出した。
Fin
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Comment:
最初は普通に体育祭で敵同士話だったのですが、書いてる最中にふと紅白の由来ってなんだ?と
調べたらあらまあという感じで。
最近の高校事情だと、1学年何クラスくらいなんだろうか……。
珍しく何回も書き直した話。テーマがあるだけに難しかったらしいです。
20060607up
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