** Happy C×2 **
 ● 共に、どこまでも

「遮那王! 行くよ!」
 高原に高らかな声が響く。その声に答える様に厩舎から葦毛の馬が飛び出て来ると、声の主へと軽やかに駆け寄って来る。
 笑顔で出迎えた主人の傍まで来ると、馬は利口にも顔を摺り寄せる。そして満足すると頭を垂れて、主が背に乗りやすいように鬣を差し出した。
 馬の主は嬉しそうにその背を二度ほど撫でると、鬣を掴み、鞍も付けていない裸馬にそのまま飛び乗った。
「望美! あなた又そんな恰好で……!」
「ちょっとこの辺りを散歩してくるだけだから!」
 遮那王の鳴き声に住居の幌から出てきた朔が、案の定の光景に無駄とは分かっていても嗜める声を出す。が、やはり予想通りの返答に最早何も言えず、怪我だけはしないでね、と、親友を送り出した。
「彼女は変わりませんね」
「ええ、本当に。もう少し淑やかになってもらいたいものだけれど」
 背後からの聞こえ慣れた声にそう答え、けれど言うだけ無駄なのよね、と、朔はほう、と息をつく。
 心底そう思うが半分、けれどそれでは彼女らしくないと思うのが半分と言ったところか。
 弁慶はそんな朔を見て微笑む。龍神の神子たちは実に仲睦まじく、見ていて微笑ましいことこの上ない。
 遮那王の足は速い。かつて戦場ではそのままになびかせていた髪を二つに結わった望美の姿があっと言う間に小さくなっていく。その姿を目を細めて追いながら、弁慶は吹き出すように笑った。
「しかし『遮那王』とは……望美さんも又、随分な名をつけたものだ」
「あら、弁慶殿は楽しんでらしたじゃない。まあ、怖いもの知らずというか何というか……仮にも鎌倉殿の弟御の幼名を付けるだなんて」
「丁度喧嘩をしていた時期でしたか。名付けたのは」
「ええ。最初はあの仔が望美の言うことを聞かなくて。その可愛げのない態度に『九郎さんそっくり』って言ったのがきっかけだったと思うわ」
 そして九郎二号などとありえない名前をつけようとした望美に譲が慌て、それは馬にも九郎にもさすがに失礼だと、教えたのが九郎の幼名でもある遮那王という名だった。
 仔馬と呼ぶには些か大きい身体ではあったが、普段九郎や将臣が乗っている馬らに比べれば小さいからという理由も相成り、それがそのまま望美の馬の名になった。
 無論、あとで知った九郎は絶句し、敦盛は目を丸くした。笑ったのは弁慶で、そういえば九郎の小さい頃に似てますねと余計な一言まで加えたものだから、その場は大層賑やかなものになったのだ。
「この地はとても壮大ですからね。馬で駆けたくなるのも必然でしょう」
「そうね。それに、やっと穏やかな日々を手に入れられたのだし……ああ、そういえば今日の見回りは九郎殿だったかしら」
「望美さんが出かけるのであれば、そうでしょうね」
 そうでなくとも事実を知ってはいるが、弁慶はあえてそのような物言いをする。
 鎌倉との戦いを終えたとは言え、九郎を主とする一行に安住の地はなかった。そうと分かってはいても、九郎と別れて新たな人生を歩むという考えを持つものもいなかった。
 結果、ヒノエの助言で海を渡り、たどり着いたのがこの地。
 実に長い間船に揺られ、どれ程の距離を渡ったのかも忘れかけた頃にたどり着いたこの場所で、自分たちは生活を始めた。
 何もない土地で始めた暮らしは決して楽ではなかったけれども、ここには大地があり、木々が茂り、風が吹いて海が凪いでいる。
 それだけで、十分だった。
 暮らしていくだけの知識は弁慶が持っていたし、生み出す知恵は全員が持っていた。特に譲のそれは目を見張るものがあり、自分が思いも付かない方法で様々なものを生み出した。
 それに刺激された皆が、譲の知識を基本として応用し、更に改良を重ねる。手先の器用な朔や敦盛がそれを助け、力仕事は九郎や将臣にリズヴァーン、それに望美が請け負った。
 そこに望美が入るのがなにやらおかしな配置であると思わなくもなかったけれども。
「さて。じゃあ僕たちは九郎たちが帰るまでに、夕餉の支度でもしましょうか」
「そうね。じきにリズ先生たちが材料を仕入れてきて下さるでしょうし。私、水を汲んで来るわね」
「お願いします」
 にこやかに朔を送り出し、弁慶は再び望美が去った方角を見やる。
ああ、今日も。
「……綺麗ですね」
 白い光が温かみを帯び、地平線へと近づく様はいつ見ても。
 眩しさに目を細め、そのままそっと目を閉じる。
 瞼にあたる温かさが沁み、知らず、弁慶の口元が緩んだ。

 鬣を掴み、遮那王に任せるまま草原を駆ける。不思議と、目的地の分からない目的地に行きたい場合には、遮那王の進むがままに走らせると辿り付く事が多い。
 犬の嗅覚は鋭いと聞いたことがあるけれど、馬のそれはどうなのだろうかと考えながら走っていると、やがて見慣れた栗毛の馬の姿が遠くに見えた。
「遮那王! あそこに行って!」
 弾む息のままそう命じれば、遮那王は何も言わずに歩を進める。やがて自分らの気配を感じたのか、九郎の愛馬の鼻先がこちらを向いたのがわかった。
「? どうかしたのか?」
 愛馬の気配が変わったのを察し、九郎がそう問いかける。無論答えが返って来る訳はないのだが、彼女が見つめる先を見れば、かつての自分と同じ名を持つ馬がこちらに駆けてくるのがわかった。
「九郎さーん!」
「馬鹿、馬に乗りながら喋るな! 舌を噛むぞ!」
 無邪気に笑いながら自分の名を呼び、且つ片手を振り上げる望美に九郎は気が気ではない。自分たちほどではないが、望美が馬に乗りなれていると知っていても肝が冷える。
 遮那王が足の速い馬だと分かっているが、それにしても速すぎではないか。望美の腕以上の速度に思え、九郎ははらはらしながらこちらに到着するのを待つ。主人想いの遮那王が望美を落馬させるなどとは思っていないが、それとこれとは別なのだ。
 やがて遮那王が速度を落とし、九郎の前で嘶きをあげる。まるで威嚇するように前足を高々と上げ大地に下ろす様は、やはりどう見ても自分への牽制だろう。
「九郎さ……わわっ!」
「望美っ!?」
 遮那王が前足を下ろしきるよりも、望美の気が緩んだほうが先だった。
 がくりと体重が前のめりになり、望美の身体が揺らぐ。必死に鬣を掴んでいたが、それ以上掴むと遮那王が痛がるとでも思ったのか、望美の指が鬣から外れた。
 寸でのところで九郎が腕を伸ばし、望美の身体を遮那王から受け取る。無理な体勢だったため、支えきれずに倒れこみながら衝撃を殺すのが精一杯だった。
 大地に背中から抱きとめられながら、九郎は望美を自分自身で抱きとめる。結果、二人分の衝撃を大地から返され一瞬息が詰まったが、受身を取れずに望美が落馬するよりはましだろう。
「――つぅ」
「九郎さん!」
 がばりと望美が跳ね起き、潰してしまう形になった九郎を振り返る。
 九郎は顔をしかめながら半身を起こし、恨めしげに望美を睨んだ。
「お前……馬は降りるまで気を抜くな」
「ごめんなさい! 九郎さんが見えたからつい」
「つい、じゃない。それで大怪我でもしたらどうするんだ。大体馬に乗る時は鞍をつけろと」
「だって遮那王が嫌がるんだもの」
「馬の我侭なんか聞くな! 何で遮那王の我侭を聞いて俺の言いつけは聞かないんだお前は」
「ヒンッ!」
 九郎が声を荒げたところで、遮那王が大地を蹴り横槍を入れる。九郎が自分の主である望美を叱っているのが気に入らないのか、気が高ぶったように歯をかしかしと音を立てて鳴らしている。
「遮那王。大丈夫だよ」
「コイツは全く……お前の馬らしいな」
「違うよ。名前の通りなだけだよねー」
「どういう意味だ、それは」
 鼻筋を撫でながら望美はクスクスと笑う。腑に落ちない顔で九郎が愚痴を零し、乱れた前髪をかきあげた。
「ところでいつまで乗っかっているつもりだ。いい加減重いんだが」
「! ごめんなさい、……って、女の子に向かって『重い』はないでしょう!?」
 九郎さんてほんっとにデリカシーがない。
 怒りと羞恥で頬を染めながら望美が九郎の上から退く。でりかしーとは何だろうと思ったが、今の言い方からすると欠けてはならぬものらしい。
「お前は優しいのにねー」
 立ち上がり、首に腕を回して望美は遮那王にそう話しかける。遮那王は嬉しいのか、鼻先を望美の背に押し当て、すりすりと心地良さそうに甘えていた。
「おい、あんまり甘やかすなよ」
「いいんだもん。遮那王大好き」
 無邪気に笑う望美の横で、九郎が赤面する。今は確かに望美の馬の名前だが、それは元々自分のもので。
 こんなことで動揺したとあっては後々笑われるに違いない。九郎はふいと横を向き、風上に頬を当てる。望美が気づく前に、どうか。
「九郎さん?」
 だがその願いは叶わなかった。黙り込んだ九郎の気配を察し、望美が振り返る。そしてその顔がこちらを向いていないとわかると、とてとてと回り込んで九郎の正面に腰を落とした。
「馬鹿! 見るな!」
「見るな、って……え?」
 これ以上ない程に赤い顔をした九郎が、怒ったように視線を逸らしている。何が何だか分からない。
「九郎さんどうしたんですか? 具合でも」
「お前のせいだろう! お前が……っ」
「私?」
「その馬の名を呼んで、……とか言うから」
「馬の名って……え、あ!」
 ようやく九郎の発言の意味がわかり、今度は望美が絶句する。そしてそれを見て再び九郎の赤みが増し、互いに無言のまましゅるしゅると地面を向いた。
 きっとこんなに頬が赤くて熱いのは、もうじき沈む太陽のせいもあるに違いない。望美はばくばくと聞こえる自分の心音を煩く思いながら、元来の負けん気で憎まれ口を叩いた。
「し、遮那王は遮那王で九郎さんじゃないもん」
「わかっている」
「わかってるならなんで照れるんですか。こ、こっちが恥ずかしくなるじゃないですか」
「そうは言ってもそれが俺の名だったことは事実だろう」
「そ、そうですけど」
「大体、俺には言わないくせに馬にばかり好きだとか言うな」
「そんなの九郎さんだって言わないじゃないですか!」
「男がそう何度も好きだの何だの言えるわけないだろう!」
「弁慶さんやヒノエくんなら言ってくれます!」
「あいつらと一緒にするな! あいつらは少しおかしいんだ!」
「それは否定しませんけど! それにしても、九郎さんは言ってくれなさすぎです」
 私だってたまには言って欲しいもの、と、口にしてから望美は自分の発言に驚く。
 目を丸くして九郎を見れば、自分と同じように目を丸くした九郎が居た。望美は慌てて手をぶんぶん振りながら「今のなし」と否定したが、九郎は黙って望美を見つめる。
「言って欲しいのか?」
 そういう聞き方はずるいと思う。
 今後は望美がふい、と顔を逸らす。地面に腰を下ろさなければ良かった。そうしたら、顔だけじゃなくて身体ごと逃げ出せたのに。
「好きだ」
「――――っ」
 告げられた甘さとは真逆の眼差しで、望美が九郎を睨みつける。ずるい。こういうところは、本当にずるい。
 多分、本人は無意識なのだろうけれど、九郎の発言の内容とタイミングは、弁慶らのそれとは違う甘さがある。
 たった一言で胸が一杯になり、言葉が出てこない。返せるだけの甘い言葉もなければ照れ隠しの憎まれ口すら。
 睨みつけても九郎は引かない。表情も変えず、真摯な眼差しを望美に向けてただただ見つめている。そして望美がそれに耐え切れずに俯き、やがてどうにもならなくなって額をこてりと九郎の胸に預けた。
「俺はお前が好きだ」
「もう、いい」
「良くない。いいから、聞け」
「もういいですってば」
「望美」
 陽が落ちていく。陽気さが静けさに変わり、さわさわと風に吹かれる草が帰りを急かし始める。
 まるで海のようだ。どこまでも広がる草原は、風に吹かれて細波のような音をたて、波紋を遠くへと伝えて行く。その中にぽつりと佇んでいるから、余計にこの心は落ち着かないのかもしれない。
「……好きだ」
 ささやきが、すぐ目の前から聞こえた。
 知らず目を閉じてしまうのは、これも本能なのかなと頭の片隅でぼんやりと考えながら、望美は落とされるであろう口付けを待つ。
 しかし互いの唇が触れる寸前、遮那王が激しく嘶きをあげ九郎の肩に噛み付いた。
「…………!!」
「遮那王!」
 望美の叱責に、遮那王はすぐその口を離す。噛まれた九郎はと言えば、無言で痛みに耐えながら噛まれた肩を押さえていた。
「九郎さん大丈夫ですか!? 遮那王! なんでこんなことするの!」
 肩を押さえる九郎の手に自分の手を添えながら、望美がき、っと遮那王を睨みつけ声を荒げる。
 叱られた遮那王は僅かしょげた様にも見えたが、何かを言いたげに口の中で声を上げ、ぶるぶると頭を上下に振って落ち着かない。
「反省しないならご飯抜きだよ?」
 望美の叱責には容赦がない。遮那王はがりがりと前足で地面を削り、やがて望美の機嫌を取るかのように鼻先を摺り寄せてきたが、望美は片手でそれを払う。
「遮那王」
 ヒン、と返事のように返って来た声は実に情けないものだった。
 間に入ったのは九郎で、立ち上がると遮那王の眉間を撫でる。
「自分の主人に俺が手を出したのが気に入らないのだろう。全く、嫉妬心だけは一人前だな」
 撫でられた遮那王は、いやいやをする様に首を振り、九郎の手から逃れる。そのあからさまな態度に、怒りを通り越して呆れるしかない。
「もー、遮那王ってば」
「まあいいさ。ここでは戦もないだろうが、万が一もあるからな。コイツ位の方が安心してお前を任せられる」
「仲良くして欲しいのになあ」
「お前と何かする時は、コイツのいない所でないと無理だな」
「そうですね。って、何する気なんですかっ!」
「ばっ、馬鹿! 他意はない、深読みするな!」
「又馬鹿って言った! 九郎さんの言い方が悪いんでしょう!?」
「それはだなあ!」
「ブヒンッ」
「…………」
 自分たちの言い合いも定型化されつつあるが、今後は遮那王の突っ込みもそれに加わるのではないかと、二人同時に脳裏によぎりがくりとうな垂れる。
 どちらからともなく帰るか、と言い出し、それぞれの馬の横に立つ。
「本当、やきもちやきだなあ遮那王は」
 自分が乗りやすいよう、再び頭を垂れる遮那王の首を撫でながら望美は苦笑する。
「まあ、同じ九郎さんだから仕方ないよね」
「俺がいつやきもちなど……っ」
「大好きだから、仲良くしてくださいね」
 それはどちらの『九郎』に向けて言われた言葉か。
「のぞ……」
「さ、帰りましょうか! 家まで競争しましょう」
 言うが早いか、望美は遮那王の鬣を掴みその背に飛び乗る。首を下げてくれているとは言え、鞍のない馬にやすやすと飛び乗る様は男の九郎すら感嘆する。
 連れてきた自分たちの馬とは違い、望美のそれはこちらの馬だ。比較して幾分小柄とは言え、望美の扱いの上手さは折り紙付きだろう。
 九郎は舌鼓で愛馬の注意を引き、手綱に手をかけると鐙を踏んでその背に乗る。
 九郎が完全に姿勢を整えたのを確認すると、望美は悪戯っぽい笑みを浮かべる。先ほどの、競争しようと言葉はどうやら本気らしい。
「手加減はしないからな」
「勿論!」
 合図など無くとも、二人が馬にそれを伝えたのは同時だった。
 栗毛の馬と葦毛の馬が、軽やかな音を立てながら草原を駆け抜ける。風になびく九郎の髪もまるで鬣のように流れ、地平線に消えようとする最後の光を受けて眩しく輝いている。
 どこまでも二人、駆けて行けそうな気がして。
 温かなオレンジに包まれた中を、ただただ走り抜けて行った。










Fin




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Comment:

28日のオンリー時にペーパーとして配ったもの。
あーなんだかこっぱずかしい(笑)


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