** Happy C×2 **
 ● わがままと真実の狭間

 ずっと、それは物心ついた頃から抱いていた気持ちで。
 同時に、叶うことなんてないと当たり前のように思っていた。
 何故、と聞かれても明確な答えなんてないけれど、気付けば傍に兄さんがいて、長男という事を抜きにしてもとにかくマイペースな人だったというのが大きな要因だった気はする。何かを選ぶ時もまず兄さんが選んで、残った方を俺が取る。何かを分ける時は等分なんてことはまず有りないし、誰かが俺たち兄弟に何かを聞く時も、兄さんが上だという理由以上に、当たり前の様に兄さんに聞いていたりした。
 そういう、些細なことが積み重なって、俺も別にそれに対して拗ねるほど子どもでもなく、だからと言って全て納得できるほど大人でもなくて、ただなんとなく、それを当たり前のこととして受け止めざるを得なかった。
 兄さんに言わせれば、俺の方がよっぽど器用で要領が言いって言うけれど、作り上げた要領なんて生まれ持ってのものには適わないんだという言葉は悔しいから言わずに飲み込んだ。
 そんな、生まれたときから傍にいた兄さんと同じく、生まれたときから傍にいた存在が先輩だった。
 祖母に言われた、「望美ちゃんを守ってあげてね」という言葉は何か特別なもののように聞こえたことを覚えている。それこそ、同じように両親から言われていた「望美ちゃんは女の子だから、あなたたちが守ってあげるのよ」と言ったものとは違う、特別な何か。






「先輩? 何か怒ってませんか」


 学校の、帰り道。
 学年が違い、部活をしている俺と先輩は中々一緒には帰れない。それに加え、学年のあがった俺たちは部の中心となり、先輩は受験に向けて忙しくなる。そんな、すれ違いも多くなっていた。
 今日は全学年中間テストで学校は半日で終わりだ。部活も当然休みで(隠れてやってるヤツもいるけど)、俺と先輩は待ち合わせて帰っている。休み以外にこうやって道を歩くのは何日ぶりだろうと数えかけて……やめた。

「別に、怒ってなんかいないよ」
「先輩……何年先輩と一緒にいると思ってるんですか」

 隠したって無駄ですよ、と続けると、あからさまに先輩の頬が膨れる。そんな仕草さえ可愛らしいなと思うけれど、ここでそれを顔に出そうものならもっと機嫌が悪くなるに決まってるから、俺は平静を装ってそのまま歩き続けた。

 鎌倉とはいえ、海から若干離れているこの通学路にも潮の香りは届く。今日のように風の穏やかな日でもそれは同じで、たまにべたつく時もあるけれど特段それを嫌だとは思わない。当たり前のように日常に溶け込んだそれは、俺と先輩が過ごしてきた日々のように昔からここに有り続けたから。

「譲君てさ」
「はい」
「もてるんだね」
「……はい?」

 予想だにしていなかった問いかけに、間の抜けた返答を返して赤面する。するとそれを自分がした質問の内容のせいだと勘違いした先輩はますます頬を膨らませ、気持ち足の速度を速めた。

「ち、ちょっと待って下さい春日先輩」

 先輩が早めた分と、不覚にも足を止めてしまったせいで生まれた距離を小走りに縮め、隣に並ぶ。元々先輩に合わせて緩めていた速度を普段のものに近づけてペースを合わせながら頭の中を整理しようとしたけれど、学校から離れた距離の分も俺の思考は進まなかった。

「誰が、そんな」
「ごてーねーに譲君の同級生やら後輩やらが教えてくれたよ? 『有川くんは人気者なんです』って」
「……」
「このあいだも告白されてたって」
「それは……まあ」
「ほんとなんだ」
「ちゃんと断りましたよ!?」
「それも聞いた」

 じゃあなんで、と、我ながら情けない声で問いかける。実際、なんで先輩が怒ってるのかが俺には全くわからなかった。こんな時、兄さんならはっきり理由を言えとか、言うまで放っておくかだと思うけれど、俺はそのどちらも先輩に対して出来なくて、ただ情けなく問いかけるしか出来なかった。

 交差点まで数メートルのところで、信号が点滅し赤に変わる。俺たちの前を行っていた生徒たちは駆け足で信号を渡り、俺と先輩だけがこちら側に取り残された。車道の信号もやがて黄色から赤に変わり、交代に青になったラインから車が結構なスピードで目の前を横切っていくから、俺は思わず先輩の前に腕を出して、一歩彼女を後退させた。

「ありがとう……」
「いいえ」

 意識しなければ幾らでも出来るのに、と、勝手に照れて誤魔化すように眼鏡を押し上げる。変に生まれてしまった沈黙が気恥ずかしくて、咳払いをしたら余計に恥ずかしくなった。何をやっているんだろう、俺。

「……しょ?」
「え?」

 先輩の声は走り抜ける車の音でかき消され、かろうじて耳に届いた語尾だけが何かを言ったのだと教えてくれる。俺は彼女の方に向き直り続きを促すと、先輩は俺とは違って前を向いたまま再び口を開いた。

「『好きな人がいる』って、断ったんでしょ?」

 先輩の言葉に思い出すのは、ほんの二日前に言われた言葉に対する返事。
 こんな自分を好きになってくれた相手に、返した言葉が先輩が口にしたものと同じだった。
 自分に当てはめるのはおこがましいとは分かっているけれど、想いが伝わらない辛さももどかしさも知っているから、それを告げるのはとても辛かったけれど。


『好きな人が、いるから』


 ごめんと。想いを返すことは出来ないと。
 そう告げた相手は、俺を責めもせずに微笑んで、ありがとうとまで言って去って行った。
 その時の胸の痛みはまだ残っていて、だけどそれをどうして先輩がという思いもあった。俺はやっぱり先輩が大切で、他に代えられるはずもなく好きだから、そう、断ったのに。

「先輩?」

 呼びかけに、先輩の唇が動く。動きかけて閉じられたそれに軽く歯が立てられて、もう一度呼ぼうと思った瞬間、それは得られた。



「どうして、『彼女がいるから』じゃないの?」



 そこで初めて先輩は俺を見る。身長が俺よりも低い分、見上げるように。

「どうしてそんな、片想いみたいに言うの」
「せんぱ……」
「譲君、いつもそうだよね。確かめるみたいに、聞くよね」


「ちゃんと、『好きだよ』って言ってるのに」


 信号が青に変わる。出遅れた俺たちの横を後から追いついた生徒たちが追い抜いていく。
 睨むように俺を見上げていた先輩も、するりと俺の脇を通り過ぎると白とグレーの横縞の上を歩いて向こう側へと進んでいく。俺は若干虚を突かれ、先輩がすっかり横断歩道を渡りきった頃に慌てて後を追いかけた。


「先輩!」







『好きだよって、言ってるのに』








 いつも3人一緒で。だけど俺だけ学年が違って。
 年齢も、態度も、口調も対等な二人と違って、当たり前のようにそれが普通だと――諦めていて。

 先輩に、兄さんでも他の誰でもない、俺が好きなんだと言われてからもどこかでそれは残ったままだったのかもしれない。だって先輩はまだ知らないから。俺がどれだけ先輩のことを好きで、あの時言った台詞だって冗談じゃなくて本当の本気なんだってことを、きっとわかってないから――それが本当だって分かったら、離れていくんじゃないか……って。



(思って)



「先輩! 待ってください」



 肩を掴むことも出来ず、さっきそうしたように先輩の隣まで追いついて並ぶ。先輩はもう俺を見ることはなく、ただまっすぐだけを向いて――怒っていた。

「先輩、誤解しないでください。俺は別に先輩の気持ちを疑ってるわけじゃ……」
「じゃあなんであんな言い方するの?」
「それは」
「……」

 俺があからさまに困ったのを見て、先輩が仁王立ちになる。くるりと俺に向き直った瞬間長い髪が宙で円を描く。

 言いよどんだ俺に先輩はふうとため息をつくと、怒っていた表情を和らげて困ったそれへと変化させた。

「譲君が心配性なのなんて知ってるよ。将臣君が好き勝手してた分、周りに気を使ってくれて苦労してたろうなって思うし」
「せ、先輩?」
「良く分からないけど、変に弱気なのだって知ってる」
「あの、話が」
「だけど、ずーっと一緒にいた私が、好きーって言ってるのにどうして信じてくれないかな」


 凛と。昔からこの眼差しだけは変わらない、伝えたいことをまっすぐに伝えようとする意思の篭った光に俺の言葉が奪われる。足を止めた俺たちの横を、数人の生徒らが通り過ぎて行って、中には顔見知りもいたけれど普通じゃない空気を察したのか、ちらりと視線をよこしただけで何も言わずに去っていった。

 俺は空気を切り替えるためにも、同時に自分の気持ちを整理するためにも重くないため息をつく。そしてふ、と口元を意図的に緩めてから話し始めた。

「別に、信じてないわけじゃないです」
「じゃあ、なあに?」
「……不安なだけですよ、俺が勝手に」

 先輩は益々分からないといったように眉根を寄せて唇をすぼめる。それにつられると空気が重くなるから、俺は努めてたいしたことない風を装って、軽い口調で続けた。

「先輩の気に障ったなら、すみません」

 望んだものを手にいれる幸せに慣れてなくて。
 それが、なによりも欲しいと望んだものなら尚更で。同時に、絶対に手に入ることはないと思っていたから、俺はきっと、この先もずっとこの幸せに慣れることはないんだろう。現に、今だってこの幸せは恐怖ですらあるのだから。
 先輩は少し黙ると、どうしたものかと首をかしげる。どうやら納得いってないらしいが、俺は会話を打ち切る為にもゆっくりと足を動かし始めた。そして1メートルもしないところで再び止まる羽目になる。先輩が、動かないから。

「先輩?」
「ちゃんと、話そうよ。うやむやにしたらまた同じ事で気まずくなっちゃう。そんなの、いやだ」

 先輩の目をみて、諦める。こうと決めたらそれを覆す理由がないと梃子でも動かない人だ。そんなことは知るを通り越して理解しているから、俺は無意識にため息をつきながら先輩へと歩み寄った。
 先輩は俺が近づくと共に首の角度を上にあげ、きちんと視線を合わせる。幼い頃は見上げていたその視線が、自分より下になったのはいつ頃からだっただろうか。ふいにそんな、懐かしい感情に襲われながら眼鏡に隔てられた空間で目を細める。

 小さな頃から、もう、記憶なんてない頃からずっと想っていて。
 自分でもおかしいんじゃないかと思うほど、その熱は冷めることを知らない。
 あの世界とは違う、こんなにも平和な自分の世界で。それでもずっと何かに追われているかのように、怯えているかのようにこの人だけを求める自分は、端から見れはさぞかし奇怪に映るだろう。そんなことは、自分だってわかっている。



「あなたは知らないんです。俺が、どれほど強欲な人間かを」



 先輩の表情は変わらない。俺は言葉の無力さを感じながら、逸らさずにその眼差しを受け止める。そうすることで、大げさなんかじゃなくて本当に自分がどれほど醜い人間なのかをわかってもらいたくて。
 幸せに不慣れなくせに、受け止めてもらえる安堵感だけはどこかにあって、それが先輩を傷つけてしまう言い訳にならないように。ちゃんと先輩にも、俺の怖さを理解して自衛してもらえるように。


「何が不安なの。譲君が仮に強欲だったとして、それでわたしとの関係に何が不安なの?」
「あの時の言葉は脅しじゃない。俺は本気で、いつだって先輩を他の奴らから遠ざけたいと思っているし許されるなら閉じ込めておきたいほどなんです。だけど、そんなことは先輩も望まないでしょう? 俺だって、そうだ」
「……私を傷付けるのが怖いの? 傷付けてしまう譲君自身が怖いの?」
「先ぱ……」
「わからないよ。なんでそこに私がいないの? 譲君が私を傷付けたって、私が傷付くかなんてわからないじゃない。何で怖がるの。だから信じてないって言ってるんだよ」

 一気に捲くし立てるように告げられた言葉に、俺の言葉が奪われる。
 先輩は俺が気圧されているのを察したのか、ここぞとばかりに身体ごと一歩踏み込んで睨みつけてくる。本当に怒っている時の顔。



「譲君を馬鹿にしないで。譲君は絶対に私を傷付けたりなんかしない」



 どうして、そう言いきれるのかと。
 問い返そうとして気付く。これが、俺が好きになった人なんだと。



『望美は、お前が思うほど弱い女じゃねえよ』



 あんなにも腹立たしく思った兄の言葉が不意によみがえる。悔しいけど、どうやら兄さんの方が正解らしい。

(けど)








 この強さは、自分のためだと自惚れてもいいのかもしれない――









「後悔しても知りませんよ?」
「させないでしょ?」
「……本当にあなたには敵わないな」

 自然と零れる笑みに、先輩の表情も和らぐ。そう、たまにはいいのかもしれない。

「ゆ、ずるくん――っ!?」

 往来で抱きしめられて動揺する先輩の声がひっくり返る。普段なら絶対にしない行動に驚いているのだろうけれど、少しは自分の責任を自覚してもらわないと。

「ちょ、あの、みみみんな見て、見てるっ」
「そうみたいですね」
「そうみたい、って――」

 絶句して暴れるのを止めた先輩を更に抱きしめる。ぼそりと聞こえた非難の声には聞こえないフリをして。
 だって。




「……だまされた」









 そう呟いた表情は、傷付いた顔なんかじゃなかったから。




















Fin


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Comment:

書き始めたのが実は06年1月20日だったという恐ろしさ。
1 年 越し!!!
途中からどんどん黒い譲さんが出てきて困り果てて止まっておりました。
寝かしている間にちょっと落ち着いたっぽかったので書き上げたらこんな感じに。

たまには譲くんも幸せでいいと思います(たまには?)。


20070207up




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