** Happy C×2 **
 ●あなたが


「皆お疲れ様。明日に備えてゆっくり休んで」

 無事に玄武との契約を果たし、帰路に着いた千尋達は一度楼台に集まった後に解散となった。
 今日は何故か荒魂との遭遇が多かった気がする。嫌だな、まるで禍日神の影響力が日に日に増しているようだと千尋は身震いし、一足先にその場を去った。


「姫」


  楼台から一歩出て、通路を右に曲がったところで聞きなれた声に呼び止められた。振り返らなくても分かる、その人。

「忍人さん」

  どうかしましたか? と、聞いた千尋には答えずに忍人が距離を詰める。薄闇に包まれ始めている時間に、漆黒の色合いに近い色ばかりを纏うその人はけれど、他の何よりもその存在を浮かび上がらせていた。

 綺麗だな、なんて、男の人に思うのはおかしいのかもしれないけれど。


「手を見せてみろ」
「え?」

  まさか、と思うよりも先に忍人が手を伸ばし、千尋の右手を取った。手のひらを上に向けられて引き寄せられた瞬間、熱に似た痛みが千尋を襲う。


「やはり……何故黙っていた」


  返す言葉が見つからず、千尋は唇を噛む。親指の腹部分と、矢を番えたときに相対する人差指の側面の皮が捲れ上がり、血すら滲んでいる。ああ、ばれていないと思ったのに。そう思った気持ちが顔に出たのか、瞬間忍人の眼差しが日頃の2倍も3倍も険しいものになる。

「か、隠していた訳じゃないです。本当に大丈夫ですから」

  ひっこめようとしたところで、忍人の手がそれを許さない。居たたまれなさに忍人の顔を見ることが出来ず、千尋はただ自分の手と、それを掴む忍人の手を見ることしか出来なかった。

「俺の部屋へ来い。手当てをしよう」
「でも」
「それとも、皆に話して大事にでもしたいか?」

  そんな冷たい言い方しなくても。
 む、と黙り込んだ千尋に忍人はため息を着き、繋いだ手をそのままにして自室へと歩き出した。

「君は自分の存在の重みと言うものがわかっていないのか? 俺が何度も諭したところで、少しも理解していないようだな」
「これしきの怪我で、そこまで言われたくないです」
「これしき? そうか、君は弓を扱うものとして、そんな状態の手でも問題なく矢を放つことが出来ると」
「……っ、ちゃんと自分の前の敵は倒したわ!」
「いつもの君なら、あの程度の荒魂の急所を外すわけがない。気付いていないのか? 簡単なミスが帰り道だけで3度もだ」

  幸い布都彦がフォローに入ったから良かったようなものの、と、見に覚えがあることを言われてしまっては黙るより他はない。
 悔しさに唇をかみ締め、千尋は黙りこくる。

「あまり痛むようなら、あとで遠夜に術でもかけてもらうといい」
「……いいです」

  傷の手当をしながら忍人が言えば、頑なな返事が耳に届く。

「良くはないだろう。君は、先ほどの俺の話を聞いていなかったのか?」
「だって、みんな同じだもの」


  戦で怪我をするのは、戦場に出たものならば皆同じ。
 その中でも自分はまだ、安全な位置に置かれているのだ。その上で怪我を負い、尚且つ自然の治癒に任せるしかない他の兵を尻目に安易な治療になど身を任せたくなどない。


「わたしばかり、楽してこの戦いを乗り越えたいだなんて思わない」
「他の兵と君とでは重みがまるで違う」


 その言葉に千尋が眦をつりあげる。この国に帰ってきてからずっと言われてきた言葉。



 中つ国の希望。一筋の光。
 王の為に、国の為に。




「同じだわ! そんな、同じ人間なのに、命に順序があるみたいな言い方しないで下さい!」




  思わず激昂し、口にしていいかどうか精査する前に言葉が先にでた。その剣幕に忍人がほんの一瞬目を丸くし、しかしすぐ次の瞬間には元よりもすう、とそれを細めた。


「感情でものを言う癖を直したほうがいいな君は。王たるもの、言質をとられたら国そのものが危うくなることだってある。そんな愚かな人間を王に戴く民の不幸を考えろ」
「……っ」


 言ってから忍人は気付く。ああ、自分は又言いすぎてしまった。

  本当に伝えたい言葉は別にあるのに、ついきつい言い方をしてしまう。伝えたい気持ちばかりが優先して、言葉選びを間違える。


 すっかり黙り込んでしまった千尋を前に、忍人は表情に出さずに己を責める。違うんだ。俺は、本当は。



「終わったぞ。他に痛むところはないか?」


 無言で首を振る少女に、忍人は無意識に息をつく。そのせいで余計に萎縮した小さな肩を見て、頭をかかえたくなった。
 ほんの少し前までなら、彼女に王としての自覚のみ求めていれば良かった。自分の身を第一に、最優先に。彼女のみに何かあれば、この戦自体方向性を見失ってしまう。

 けれど、それとは違う「何か」が芽生えていることに気付いていた。それが余計に忍人を苛立たせ、自己嫌悪に陥らせる。
 前髪の隙間から、己の王を見る。すっかり俯いてしまった少女の顔は、肩で切りそろえられた髪が隠してしまい、見ることが出来ない。




「……すまない。きつく言いすぎた」




 居た堪れず口にした謝罪の言葉にも千尋は反応を示さない。気持ちも考えずに正論で押し通してきた過去を思うと、自分は正しいはずなのだ。


 正しいはず、と、思ってしまっている時点で、自分は迷っている。
 それだけで切り捨てられない何か。


 忍人の謝罪を聞きながら、千尋は言葉を捜しあぐねていた。忍人の言いたい事はわかる。けれど、それを自分が認めてはいけない気がする。
 上に立つものだから、誰よりも優先されなくてはいけないなどと、思われても自分で思ってはいけない気がするのだ。
 思考と感情を同一にすることが出来ない。自分はただの17の子どもでしかなく、考えることは出来てもその通りに動くことが出来ない。




「……がんばり、ます」




  やっと口に出来たのはその一言で。





「やりたいことはわかってるんです。でも、まだ自分が王としてどうしたらいいのかってところまで気がまわらなくて……どうしたら一番、皆の望む自分になれるのかがわからない」





 忍人が望む自分。豊葦原の王に。

 本当に言いたい事は、千尋にもあって。けれどそれを口にすれば、きっと忍人はさらに自分にがっかりするだろう。




 国の為よりももっと、そのために頑張りたい自分がいること。
 国よりももっと、大切な人がいること。




 忍人に手当てをしてもらった手を胸に押し当てて言葉を堪える。自分がただの女の子であったならきっと口に出来た言葉も、そうであったなら、そこまで大切にしたいと願った相手とこうして共に戦うことは出来なかったというパラドクス。矛盾する気持ちと立場。

「いや……君は十分よくやっている。今のは、俺の言葉が過ぎた。すまない」

  だが、と、忍人の言葉が続く。千尋は顔を上げられずに、その言葉を聞いていた。





「君の身体を、君がそう思うより大切にして欲しいと思う俺の気持ちも汲んでくれ。別に君が王だからというだけの理由では、ない」





 最後の言葉に千尋が顔をあげる。そこに、いつもの彼とは違う、年相応の顔をした青年がいた。
 びっくりしたような眼差しを向ける千尋に、忍人の口元が緩む。ほんのわずか、苦笑ともいえるものだったけれど。

「そうだな……君が自分自身を特別と思う人物なら、俺はこうは思わなかっただろう。矛盾していると笑ってくれてもいい」
「忍人、さん?」
「俺が、君が自らの怪我を隠すような真似をしなくても良いだけの働きをすれば済むことだ」

 すまなかった、と、再度の謝罪をする忍人の手を千尋が掴む。反射的にした行為は、手当てを受けたばかりの手に痛みをもたらし、短い声が唇から漏れた。

「馬鹿か君は! 何を――」
「だめです、忍人さんはそれ以上頑張らないで下さい」

 痛みにかすれた声で、忍人の声に負けずに言い返す。
 何を、と、眉間に皺を寄せた彼を見つめ、千尋は痛みを覚えた手を、再び自らの胸に押し当てた。


「わたしが強くなります。もっと、もっと強くなる。皆に守ってもらわなくても大丈夫なように、忍人さんが、戦場になんて出なくてもいいように」


 言った言葉に、忍人が絶句している。それはそうだろう、自分を守る兵をまとめる任を預かる将に向かって王が言う台詞ではない。

 だけど、王だとか、将だとか。そんなものよりも、千尋としての気持ちが強くなってしまった。
 先ほど王であろうと頑張ろうと思ったばかりだというのに、決意は容易く崩れていく。忍人のたった一言で。


「忍人さんがわたしを大切に思ってくれているように、わたしも、忍人さんに怪我なんてして欲しくない。王としてだけじゃなくて」



 それだけじゃなくて。





(ただ、好きだと思う人だからこそ)





 本当は、どこよりも安全な場所にいてほしい。
 そして自分は、そこで笑うあなたの為に戦えればいい。

 いつか豊葦原を取り返し、中つ国を復興させられたその時に、帰る場所がそこであったならどんなに良いだろう。







 先の言葉はどうしても紡ぐことが出来ず、そこで黙り込む。忍人から眼差しを逸らしたいような、逸らしたくないような、揺れる気持ち。
 負けたのは、忍人のほうだった。
 驚きに見開いていた眼差しを緩め、一度瞼を伏せた。そしてその瞳が再び開かれた時に浮かんでいた光は、怒りや呆れなどではなく――愛おしむそれ。


「全く……君はいつも、俺の想像を軽く超えるな」
「呆れてますか?」
「いや……そうだな、呆れるというよりは、興味深い」


 こんなにも、自分の心を捕らえて話さない。
 興味深いとはどういう意味か、と、複雑な心境を表情に出す千尋に小さく笑い、忍人の手が千尋の頬に伸びる。一筋かかっていた金の髪をそっと耳の後ろへと撫でると、指先が耳朶を通り頬を掠めて戻る。
 意図的なのか偶然か、わからぬそれに、千尋の頬が赤く染まる。

「部屋まで送ろう。もう、今日はゆっくり休んだ方がいい」
「あ、の、もう少しここにいちゃだめですか? ……って、ごめんなさい、忍人さんも休みたいですよね」

 部屋に戻ります、と、こちらの返事を待たずに立ち上がる千尋に忍人が詰まる。自分のことはいい。だが、彼女には明日に備えてゆっくり休んでほしい。


 けれど、もうわずかでも共にいたいと思ってしまう気持ちは、同じで。


 細い腕を掴みそうになる自分のそれを、ぎりぎりで留め忍人も立ち上がる。二人忍人の部屋を後にし、千尋の部屋へと向かいながら交わす言葉は少ない。

「すべてが終わったら、で、どうだろうか」
「え?」
「この戦いが終わったらその時、君が望むだけの時間を共に過ごそう。俺も、君と話したいことは……いや、別に話などしなくてもいいのだが」

 現状許される精一杯の言葉を紡ぐ忍人の耳が赤い。ああ、この人はこんな顔もするんだ。こんなことをこんな表情で、わたしに言ってくれたりもするんだ。

 一緒にいればいるだけ違う顔が見られて気持ちが大きくなる。怖いだけだと思っていた人が、どれだけ優しいかわかる。
 だから自分は、将としてだけのあなただけじゃ満足できなくなる。

 横を向いてしまった忍人に、千尋が笑う。一緒にいたいという気持ちは「今」だけれど、そこまで察しろと言うのも無理な話だし、わがままになってしまう。


 それに、こんな約束だけで何倍も嬉しいから、いい。


「うん。いっぱい、いっぱい話したいです。それから、それ以上に何もしなくても一緒にいたい」
「二ノ姫……」
「その為にも頑張るわ。だからその時は忍人さん」




 ――ちゃんと千尋って呼んで下さいね。


 そう微笑んだ少女を抱きしめずにいられた自分を、褒めたいような責めたいようなやるせなさに、自室に戻った忍人はしばし一人で苦悩する事態となった。

 

 

 

 
Fin
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ツンデレ忍人さんを書いてみたかった。
そしてちょっとだけ、想いが通じ合ってるような二人を書いてみたかったのです。


20080707up



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