** Happy C×2 **
 ●罰の対価


「アーシュ、アシュってば。ねえ、アシュヴィン」

  起きてよ、と、肩をゆすったところで揺すられた当人がおきる気配がない。
 千尋はどうしたものかと首をかしげ、思案する。しかし、これ以上起床が遅れてしまっては今日の予定が狂ってしまう。
 千尋は先ほどよりも揺する力を強め、起きて、と夫であるこの国の皇へ告げる。すると、実に緩慢な動作で緋色の眼差しが開かれた。

「もう、どうしてこう寝起きが悪いの」

 やっと開かれた眼差しにほっとして呟けば、いきなり二の腕を掴まれて寝台へと引きずり込まれる。すっかり油断していた千尋は体重の全てをアシュヴィンにかけてしまう勢いで倒れこんだ。

「ちょっ、アシュヴィン! 寝ぼけてるの?」

 乱れた胸元に顔をうずめる形になり、千尋の頬がか、っと染まる。とっさに身体を起こそうと思ったが、いつの間にか背中に回されていた腕がそれを許さない。


「我が后が眠らせてくれないものでね……おかげですっかり寝不足だ」


 からかうように喉が鳴るのが聞こえ、千尋は全力で半身を起こす。赤く染まった顔を見たいとでも思ったのか、先ほどあんなにも強固だった腕がするりと離れて腕へと移動した。

「何言ってるの! あなたの方がよっぽど……っ」

 反射的に言い返そうとして、続く言葉に羞恥が先に立ちかろうじて飲み込む。そんな自分の反応さえ楽しんでいる目の前の人物をにらんだところで、これっぽっちも堪えている様子はない。

「俺の方が、なんだ?」
「……、知らないっ!」
「クッ、夜明けと共に熱も去る、か。まあいい、又宵を待てばいいだけの事か」
「って言うか今朝だから! もう、変なこと言ってないでさっさと起きてよ、リブが困るでしょう?」
「勝手に困らせておけばいい。それに」

 ぎし、と寝台が鳴った。アシュヴィンが半身を起こし、千尋をわずか数センチ下から覗き込む。

 

「お前は俺の事だけ気にしていろ」

 

 それだけを言い捨てると、絶句する千尋を残し寝台から完全に起き上がる。与えられた眼差しの強さと、吐息すら触れた言葉の内容に、千尋の方が動けない。

 だから、もう、なんでこのひとは。

 ばくばくと暴れる胸の内側は、中々熱が冷めない。婚姻を結ぼうと、何度褥を共にしようと、ふいにアシュヴィンが口にする言葉一つで息が止まりそうになる。

 

(わたしの気持ちなんて、わからないくせに)

 

 考える、とは言ってくれた。それはきっと、この先違えられることのない約束。
 けれどきっと、千尋がどれほどアシュヴィンを想っているかなどはわからない。千尋の考えと想いは、同じで、違う。

 そのくせ、アシュヴィンはいとも容易く千尋の心を翻弄する。じくりと、痛みと伴うほどの熱を自分に与える。

 

「千尋?」

 

 動けないでいた千尋を不審に思い、アシュヴィンが名を呼ぶ。ほら、さっきの行動がどれだけわたしを翻弄しているかなんて、これっぽっちもわかってないじゃない。

 

 

 ――悔しい。

 

 

 だから、絶対そんなところ見せてなんかやらないんだから。

 

 寝台に腕をついて立ち上がる。何でもない風を装ってアシュヴィンの方へ歩み寄り、最早挨拶と同じくらい当たり前になったそれを行う為に指を伸ばした。
 すでに椅子に座り、千尋が背後に立つのを待っていたアシュヴィンは彼女の耳朶が赤いのを見て口元を緩める。これ以上からかおうものなら、本気でへそを曲げられてしまう。それはさすがに避けなければならない。

 千尋の細い指が、見た目以上に柔らかいアシュヴィンの髪を器用に編んでいく。くるくるとした上部の髪とは違い、伸ばした部分は意外にまっすぐだ。
 編むことで現れる襟足を見るのが好き。ここを、自分に任せてくれるという事実がたまらなく嬉しくて。
 何も話してくれず、挙句疑われていたあの頃が嘘のようだ。身内にすら命を狙われてきた彼が、こんな無防備な姿を自分に預けていてくれる。嬉しくない訳がない。

「お前の髪も長ければ、俺が梳いてやるのにな」
「アシュヴィンが?」

 意外な事を言い出す。千尋が驚きを声に乗せれば、なんだその意外そうな声はと返ってきた。

 

「ああ、でもそうね。風早も男の人だったのに指先は器用だったわ」

 

 小さな頃から、自分の髪を梳くのも飾るのも風早の役目だった。長さもあることから、風早はいつも自分の髪を器用に可愛らしく結い上げてくれていた。おかげで、千尋自身の腕もあがったのだ。
 5年の間過ごした向こうの世界では、女性ならばともかく男性が髪を結う姿など想像も出来ないが、こちらの世界ならばあながちおかしなことでもないかもしれない。ならば、アシュヴィンだとて例外ではないだろう。
 実際、自分がこの役目を請けるまでは、彼自身が自分の髪を編んでいたのだから。

 

「はい、終わったわよ。……アシュヴィン?」

 

 会話が途切れた目の前の人物の名を呼ぶ。どうしたのかと肩越しに顔を覗いてみれば、いきなり後頭部を掴まれて唇を奪われた。

 挙句。

 

「……痛っ」

 

 かり、と。

 

 






「なんで噛むの!!」

 

 色気のない口付けに非難の声をあげると、千尋の下唇を軽くとは言え噛んだ男が半眼で睨む。まるで、当然の罰だとでも言うように。

 


「俺のことだけ考えていろ、と、言ったそばから他の男の名など出すからだろう」


 

 甘んじて受けろ、と、傲慢なまでに言い切ると椅子から立ち上がる。そして傍らに置いてあったマントを肩にかけ、早く来いと視線だけを肩越しに投げかけてくる。
  呆然と口元を覆った千尋は、空いた距離を埋めるように小走りでアシュヴィンに並ぶ。この我がままで独占欲の強い皇を、どう扱ったものか。

「やきもちやき」
「焼かれているうちが花だと思え」
「っ、風早だよ?」

 言った途端、再び唇を噛まれる。今度は、かなり強めに。
 小さくない悲鳴をあげた千尋がアシュヴィンを睨めば、馬鹿かおまえは、と、何とも憎たらしい言葉が降ってきた。

 

「以降は貸しにしておいてやる。溜まった分は寝所で取り立てるとしよう」

 

 口の端を憎たらしく上げながらそれだけを残し、アシュヴィンは千尋を置いてさっさと歩いていってしまう。


「だから……っ、もう、なんで」

 負けっぱなしなのが、悔しくてたまらない。


 遠慮なく自分を置いて先に行く男の背中をダッシュで追いかけながら、明日髪を編む際には悪戯をしてやろうかと企む。
 そして今晩の自分の運命を思いながら、いつも以上に慎重に言葉を選んで1日を過ごした結果、他の男の名を乗せる事無くその日を終えることが出来たのだが。

 それはそれで不満なのだと、あんまりな言葉を臆面もなく告げてきた夫に、払う必要のない貸しを千尋は一方的に取り立てられる羽目になった。

 

 

 

 

Fin
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アシュ×千尋はべったべたに甘いの希望です。
アシュヴィンの三つ編みは、結婚後は千尋が編む役目がいいですという妄想。


20080705up



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