** Happy C×2 **
 ●罪と罰


 視界が朱に染まった。
 かと思えば、次の瞬間には一切の光が消え、代わりに灼熱の痛みが眼底を襲う。


「……ひ、こっ」


 続けて呼ぼうとしたもう一人の名は音にならなかった。のたうつほどの痛みが脳天まで突き上げ、だが逆にその痛みが柊の意識を辛うじて繋ぎとめていた。
 目だけではなく頭蓋の右半分が痛みを訴えるのを手のひらで押さえつけ、残った半分の光で視界の先に横たわる友の姿を必死で追う。駄目だ、このままでは本当に既定伝承の通りになってしまう。
 それをさせぬ為に、来たというのに――!

 

「羽張彦!」

 場にそぐわぬ澄んだ声が友の名を呼ぶ。美しい射干玉の髪が千々に乱れ、吹きすさぶ風に煽られながら羽張彦に駆け寄る姿を見た。
 中つ国の一の姫と、同門の仲間。国の未来を憂い、己の未来を切り開く為に神に立ち向かう道を選んだ友たち。
 羽張彦の半身を抱き起こしながら、一ノ姫が肩越しに柊を見る。彼女の腕の中で、男も同じく柊を見た。
 そしてその右目が失われている事に気付き、二人共が絶句する。

「柊!」

 羽張彦が重い身体を引きずるように起こし、それを置いて姫が柊に駆け寄る。癒しの術を発動させようとしたその手を、血に染まり一層深い色になった手袋越しの手で制した。

「意味がないことに、巫力を使ってはなりません……この目はもう、光を失ってしまった」
「何を言うの!? そんなこと分からない――」
「知っているのですよ、私は」

 諦めの響きではない。ただ、淡々と事実のみを語る柊の声に姫の唇がそれ以上の言葉を紡げずに固まる。そんなやりとりをしている間にも風は強さを増し、姫が張った結界が徐々にその効力を失っているのが分かる。

 

(そう、知っていた)

 

 こうなることを。
 神に抗い、刃を、矢を向けたとて、敵わぬ事を。

 

 

(違う、認めない!)

 

 

 それを自分が認めてはいけない。
 すでに痛みを感じぬ唇を強くかみ締め、柊が立ち上がる。先に体制を整えていた友がこちらに向けている視線に、歪まずにはいられない笑顔で答えながら、柊は結界越しに黒き龍神を見た。


『愚かなる人の子よ……未来を織る瞳を持ち、なおも神に歯向かうか』


 

 

 

 自分は知っている。この先の未来を。
 織っていたのに。


 

 

 

 

 

 

「柊!」

 

 羽張彦が自分の名を呼び、柊がはっと我に帰る。一ノ姫が立ち上がり、去り際に柊へ癒しの術をかけると柊の名を呼んだ男の元へと歩き出した。

「だめ、だ……だめです、姫、行ってはいけない――!」
「柊」

 最早動くことも敵わない身体を心底呪いながら、柊は縋る様に親友の恋人でもあり自らが掲げる王の息女を呼ぶ。
 一ノ姫は柔らかく微笑むと、柊の周りに更に強固な結界を施した。

「何を……」
「羽張彦も私も知っていたわ。それでも――どこまで足掻けるのか、無力な人の子でも運命は切り開けるのだと試してみたかったのよ」

 遠ざかる、細い足。

 

「巻き込んでごめんなさい。止めてくれた貴方を、結局一番辛い目に合わせてしまった私達を許してくれるかしら」
「お前は悪くない。これは俺の我侭だ――悪いな、柊」

 

 結界に叩きつけた拳から、鮮血が舞い散る。助かると知っていた自分の命は、落とすものにより守られたものだなどと、そんなことまでは書かれていなかった――!

「羽張彦、姫!」

 

 

 羽張彦の腕が伸び、一ノ姫が身を預ける。想いを通わせた二人が、この豊葦原の地で生きていけぬなどと、誰が決めた。


 寄り添った二人が、黒き神の放つ光を逆光に背負い柊を振り返る。

 

 

 

 

 

 

 血と光で霞み、良く見えなかった二人の表情はそれでも確かに。


 

 

 笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あの子を、お願い」
「一ノ姫は俺に任せとけ――っつっても、まあこんなことになっちまったけどな」

 

 

 

 だからお前は、と。

 

「二ノ姫を頼んだ。俺たちのせいで全てをあの方に押し付けることになってしまった。詫びても、詫びきれるものじゃないが……頼む。お前にしか、頼めない」


 

 

 瞬間、激しい衝撃が一帯を揺らした。結界が綻び、苛烈な瘴気が蝕み始める。終わりが近い事を、嫌が応にも突きつける宣告。

 

 

 織っている。この先を、自分は。

 けれどまだ知らない。だから、変えられると思った。


 

 

 

 

 

 

(これが、愚かだと嘲笑い給うのか――!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬にして開放された結界から、羽張彦の渾身の一閃が閃き。
 うねりを挙げた黒龍の身に一矢を報いる。そしてその瞬間を、一ノ姫は見逃さなかった。


 それは事実か。記憶の物語か。


「あ、ああ……あああ」


 自分の記憶が分からない。現実が、これほどに不確かで確約されたものだったなどと、人の子である自分に分かる筈がない。

 

 

 

「あああああああ!!」

 

 

 

 ただ、紡がれた事実として。
 封印された黒き神と。
 横たわる、二人の友が。


 自分が生きる時代の伝承として、既定されたものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既定伝承が変えられぬものならば。


「せいぜい……利用させて頂く。私と、我が君の為に」


 愚かだと嘲笑った人の子が、神(あなた)より定められた運命を如何に転がせるかを見ているがいい。

 

『あの子を、お願い』
 託された願い。


『二ノ姫を頼んだ』
 手渡された未来。

 

「あなた方は本当にずるい人達だ……遺言など、残された方にとっては足枷にしかならないと言うのに」

 天鳥船の堅庭で竹簡を片手に人知れず呟く。誰も居なくとも、どんなに晴れた空の下でも、罪の証でもある右目の眼帯は、決して外される事はない。

「柊!」

 振り返らずとも分かる少女の声に、けれどその姿を見たいばかりに柊は振り返る。
 空から降り注ぐ太陽の光を浴びて、金色の髪が更にその輝きを増す。けれど本当にまぶしいのは、その身の内にある魂の輝き。

「これはこれは我が君。私をお探しでしたか? お呼び頂ければどこへなりとも駆け付けましょうに」
「ううん。私が勝手に探してたんだもの。珍しいね、柊が堅庭にいるなんて」

 いつもは書庫にいるのに、と、千尋が笑う。柊は千尋が座るスペースを空けるために身をずらし、それを察した千尋が素直に柊の隣に腰を降ろした。
 吹き抜けていく風が心地よい。

「ね、いつも何を読んでいるの?」

 柊が持っている竹簡は、中つ国の言葉ではない文字で書かれている為千尋には読むことが出来ない。問えば、柊はいつもの笑みを浮かべると手元へ視線を移した。


「紡がれてきた、そして紡がれるであろう物語、ですよ」


 柊の言葉はいつも謎掛けのようだと千尋は思う。感情がそのままに表情に出ているのを見て柊は小さく笑い、姉である一ノ姫とは異なる色彩を纏う姫を見つめる。

「御安心下さい。全ては我が君の良き様に運命は紡がれていきます」

 一瞬、柊の眼差しが細められ、宿る光が剣呑なものになったのを千尋は見逃さなかった。

「あなたは中つ国の王となるべく定められた貴き御方。どのように運命が流転しようとも、それだけは違えられる事のない約定。白き龍に選ばれた神子様だからこそ、です」
「私は龍の声なんて……」

 聞こえない、と、続くはずの言葉は柊の笑みによって奪われた。
 この人は何を秘めているのだろう。軽口にも似た口調は巧みに何かを隠している。いや、隠してはいない。事実のみを口にしているのだろうが、口調にいつも誤魔化されてしまうのだ。

 だから、気をつけないといけない。気付かずに、気付かされずに告げられた本当の事を。


「あなたは私が命を賭してお守りいたします。私の全ては、貴方の為に」
「そんなの、いらない」

 

 見逃しては駄目なのだ。

 

「命なんて賭けて欲しくない。柊、間違えないで。私の為に皆がいるんじゃない。皆の為に私がいるんだわ」
「姫……」

 左目が見開かれる。それだけをただじっとみて、逸らさなかった。

 

(あの、小さかった姫がこんなにも立派になられた)

 

 二人に託された小さな姫が、国を背負い、民草の為に細い四肢で全てを受け止めている。
 如何に定められた運命であろうと、そこに生きる人間の痛みや悲しみは本物であるというのに、この姫を見ていると錯覚しそうになる。あまりに迷い無く進むものだから、痛みなどないのではないのか、と。

 そして錯覚してしまう。その眼差しの強さに。
 物語は全て、この姫自身が今紡いでいるのではないかと。




「姫が民の為に生きられるならば、私くらい姫の為に生きてもよろしいでしょう?」


 事実、自分の命は二ノ姫が中つ国を奪還した後、間もなく消えうせる。
 それもまた、約束された物語。
 笑みを浮かべ、小さな王を見つめる。千尋は暫し逡巡し、戸惑いながらもはっきりとした口調で告げた。

 

 

「生きてくれるなら、いいわ」

 

 

 それは何よりも残酷な言葉で。

 けれど千尋がそれを知るはずもなく、願いとして、又許されるならば王としての命でもあった。
 告げられた柊は胸を突き抜ける痛みに頬をゆがめ、しかしすぐにいつもの笑みを浮かべる。残念ながら、完全には笑うことは出来なかったけれど。


「全力を尽くしましょう」


 織っているからこそ、約束は出来ない。
 未だ知らぬ事でも、織っているから。そしてその未来は確実に紡がれることも、自分はわかってしまった。
 大きすぎる代償と共に。


 

 

 

(これが、罰だというならばふさわしい)


 

 

 

 戴く王としてだけでなく、二人より託された姫としてだけでなく。
 自らが愛してしまった女性の行く末を見届けられない絶望が、あの二人を死なせてしまい、自分だけが生き残ったことに対する罰だというならば甘んじて受けよう。


 

 

(せめて貴方を恋しく思わなければ、このような甘い痛みを覚えることはなかったでしょうに)

 

 

 

「頑張ろうね」

 

 

 無邪気に笑う姫。どうか、どうか私の死が彼女に優しく伝わるものであればいい。
 もしくは、それすら伝わらぬほど遠くへと姿を消すことが一番良いのだろう。そうして人知れず消えた自分を、薄情だと恨んでくれればいい。貴方の笑顔が曇るくらいならば、恨まれるほうが余程。

 

 

 

「仰せのままに我が君」


 

 

 

 

 

 

fin
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Comment:


どうにもこうにも柊さんへのじれじれが止まらずに吐き出してみました。
そして書いていると気付く様々な矛盾。やっぱり追加ディスク欲しいなあ。

 

20080715up




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