** Happy C×2 **
 ●約束と祈りと続く未来

 桜を見に行こう。
 綺麗な桜を。戦の最中では、決して見ることの出来なかった桜を。




「……ひ、ろ?」




 薄ぼんやりとした意識の中、最初に視界に飛び込んできたのは黄金(こがね)のさざ波。
 次いで、新緑のような、青とも緑ともつかない潤んだ眼差し。碧、との表現が正しいか。

「気付きましたか?」

 柔らかな声が耳に届く。そうして、その声と前述の視界に映った全てが結びつき――忍人は又、幻を見ているのかと自嘲した。
「黄泉にまで君の幻を連れてくるとは……俺も、存外女々しいものだ」
「幻?」
 千尋はその言葉に泣きそうになる。忍人はやはり死ぬ気で自分を守ってくれて、それで死を迎えたとしてもこうして笑ってくれるのだ。
  きっと本当に、黄泉に旅立っていたとしてもこうやって、自分の知らないところで彼は満足して、こうして一人で。
「幻じゃないわ」
 手を伸ばしてそっと忍人の頬に触れる。瞬間、忍人が息を飲んだのがわかり、濁っていた彼の瞳に光が戻るのを確かに見て。

「……っ、二ノ姫!?」
「よか……っ」

 還ってきたのだと。分かった途端に勝手に緩んだ頬はけれど、細かく振るえてどうしようもなくなった。
 千尋の柳眉が潜められていくと同時に、透明な雫がみるみる内に碧の湖面からあふれ出す。はたはたと零れ落ちる雫が忍人を濡らしてはいけないと、千尋は両手で顔を覆った。
 忍人は息を飲み千尋へ手を伸ばしかけ、同時に見舞った激しい胸痛に短く呻く。千尋はその声を聞き、涙をぬぐう間もなく忍人の手を抑えた。
「まだ起きたらだめです。お願い、休んでいてください」
「ここは……どこだ」
「王宮です。大丈夫ですから、もう」
「大丈、夫……?」
 千尋の言葉を忍人が繰り返す。千尋は忍人を安心させるべく強く頷き、抑えた手を戻そうとそっと力を入れると、その指先が震えを残しながら自分の手を握り返してきた。
 きらきらと濡れた眼差しが自分を見ていると感じながら忍人は微笑む。ああ、そうか。


「君は……無事に即位したのだな」


  心の底からほっとしたような声。長い間眠っていたせいで擦れてはいたけれど、芯のある忍人の声。







「どう、して」




 聞いたら、たまらなくなった。


「千尋?」





 違う。この想いを言の葉にのせてはいけない。
 自分はもう、自分の存在の重みを知ってしまった。そのために誰が傷つき、誰の命が失われようと、自分だけはこの国の為に在り続けなければいけないという重みを。
 ぎりぎりのところで言葉を堪える。正確には、想いを。

 耐え切れず大きく吐いた息に、嗚咽が混じる。つながれた指先の感覚がわからなくなるほどの、激情。
 どうして、なんて問うたところで答えなど聞かなくてもわかる。それが、自分の王としての存在価値。
 だけどどうしたって大事な人には死んで欲しくない。笑っていて欲しい。そのためにずっとずっと、自分も皆も頑張ってきて、やっとここまできて。










(だけどその先にあなたがいないというなら、「わたし」はどうしたらいいと言うの――?)









「うっ……、ひっ、うえっ」


 この国の未来の為にがんばった。

 欲しかった未来は、平和な日々。誰もが好きな人と一緒にいられて、不条理に命を奪われない、笑って暮らせる国。



 だから、責めることは絶対に出来ない。




「ごめ、なさい……ごめんなさい……っ」





 だけど自分は。






(忍人さんがいないなら、何が「幸せ」なのかなんてわからないよ)









 皆が、彼が求める「王」になんてなれない。
 声を殺して泣きじゃくる千尋に、忍人は何も出来ず手を握っているしかできなかった。
 この身体が自由に動くならば、今すぐにでも彼女を抱きしめて、この腕の中で存分に泣かせてあげたいと思う。しかし、それが叶わない。

 臣下としての役割は果たせたという自負はある。だが、愛する女性を前にした男としての自分はどうか。
 王である彼女も、愛すべき女性としての彼女も自分にとってはかけがえのない存在。出来れば、共に笑っていて欲しいのに。


「王よ……御無事で何よりでした。そして、即位の儀、心よりお祝い申し上げます。このような無様な姿を御目に入れてしまう御無礼をお許しください」


 少し長い口上を述べただけであがる息に歯噛みしながら、忍人は続ける。


「ここからは……臣下ではなく、俺自身として君に伝えることを許してくれ」


 急に変わった口調に戸惑い、千尋が濡れたままの眼差しを揺らす。ああ、そんなにも目を腫らして。

「心配をかけてしまったな。すまない」
「忍人さ……」
「悪いが、身体が動かない。君から、こちらに来てはもらえないだろうか」


 こちら、とはどこか。迷う前に、どこにそんな力が残っていたのかと思う強さで繋いでいた手が引っ張られる。
 全身の体重を忍人にのせてしまうことだけはぎりぎりで回避し、けれど一瞬で離された手が今度は自分の肩に回る。鼻先には、薬の匂いと――多分、忍人自身の匂い。




「やっと――君に触れることが出来た」




 視界一面の黄金。彩っていた青い花の代わりに、王の証となる金冠。
 忍人は眼差しを閉じ、腕に閉じ込めた少女のぬくもりを確かめた。あの時最後に見た、幻の彼女に告げた言葉を、本当に告げることが出来る。

「王を守ったことを、俺は後悔していない。けれど、君を泣かせてしまったことは、悔やんでも悔やみきれない。おかしいだろう? 君は君で、この橿原の王だというのに、俺にとってはただの――愛しいと思う一人の女性でもあるんだ」

 それだけを吐き出した忍人の唇から、熱を含んだ息が漏れる。告げられた言葉の意味に動揺する前に、吐息と共に零れていきそうな彼の命が怖くて千尋は身体を起こす。意外にもするりと外れた彼の腕が、そのまま彼の灯火を現しているようで泣きたい。
 言葉にならず、千尋はただふるふると首を左右に振る。言葉にならない想いを汲み取り、忍人が薄く笑う。



「誰もが笑って暮らせる国……俺は、その国の成り立ちを、許されるならずっと君の隣で見ていたい」



 告げることが叶わないと思った願い。俺はどれだけのものを君からもらうのだろうか。

 一国の臣下として、自国の和平を。戴くに値する王としての素質を、資質を。
 そして、一人の男として。共に歩んで生きたいと思う安らぎを。愛しさを。




 ――――祈りを。






「忍人、さん」
 言葉を区切り、呼吸を整える。止めたいと願った涙はその願いを聞かずにこぼれ続ける。
 けれど唇をかみ締めて告げる。震えていた千尋の眼差しが、一瞬のうちに凛、と定まった。
「この国の王として、我が身を省みず果たしてくれた忠臣に、心からの礼を述べます。ありがとう」

 それから。

「わたし、は」
 意識を王から千尋に切り替えた瞬間、一度止まったはずの涙が再び溢れ出す。もっとちゃんと彼の顔を見たいのに、これじゃあちっとも見ることが出来ない。
 手の甲でぬぐってもぬぐってもあふれ出る涙は止まることを知らず、まるで壊れた蛇口のよう。


「もうずっと、忍人さんと一緒にいたいって思ってた。笑顔を絶やさずに隣にいて欲しいのは、忍人さんだけです。だから……」


 嗚咽に紛れて声が途切れる。息が、苦しい。


(だからもう。お願いだから)


 堪えきれず、忍人の手を取って額に押し付けるのが先か、彼が手を伸ばしたのが先か。







「置いていかないで下さい――」








 一緒に見たいのは、一面の桜。
 青い空に浮かぶ薄いピンク。それから、花が散って新たな芽吹きを始めた木々の緑。
 目を細めずにはいられない程の陽の光を浴びた波間に浮かぶ白い飛沫。真っ赤な紅葉。かさかさと音を立てる枯葉。
 それから、ぬくもりを求めずにはいられない凍った空気を感じながら、空から降る真っ白な結晶。

 数え切れないほどのそれと、日々と、願いを重ねて。約束をして、果たして、新たな約束をして。
 そうして毎日、「これから」に続く日々を二人で。この豊葦原の地で、自分たちが取り戻した国で。一緒に。


「千尋……」
「もうやだ……もう、あんな思いさせないで。わたしの命を守って、わたしの幸せを奪わないで」


 生きて欲しい。


「先に逝くならちゃんと、わたしの腕の中で死んでください。じゃなきゃ、許さないから」
 一気に捲くし立てる千尋に忍人が目を見開く。もともと、感情に任せた言動が多い彼女ではあったが、今の言葉はそれだけに留まらない。
 それほどまでに、望まれたこの命。


「君は、怖いな」


 苦笑しながら、重ねた手を移動させて千尋の涙をぬぐう。温かな雫が自分の手を伝うのを、これが生きていることなのだと実感しながら。


「……酷い事を言うようだが、恐らく俺の命は長くはない。破魂刀を使うことを止めても、過去の代償を支払わなければならないだろう」


 びくりと千尋の肩が跳ねる。だが、彼女の首は縦にも横にも振られることはない。それはきっと、彼女もわかっていたことだから。

「だが、あそこで果てると思っていた己の命が永らえた以上、残りの命を全て君の為に捧げると誓おう」
「そんなの、だめだわ。それじゃ今までと何もかわらないもの。忍人さんはいつだって、わたしの為に命をかけてくれてた」
「君は存外鈍いな」

 忍人の言葉の意味がわからず、首をかしげる。さらりと流れた髪が、彼女の涙で濡れた手の甲に一筋貼りついた。



「今までの俺は、王の為に。そしてこれからの俺は、千尋――君の為に」



 詭弁でしかないとわかっている。個としての千尋も王も一つのもので、命をかけることには変わりない。
 けれど、王という存在の為に千尋を守るのではなく、愛しい女性を守る結果が王を守ると言うこと。結果は同じでも、その過程は全く違う。
 それが、忍人の覚悟。


「ずるい」


 千尋も、そんなことはわかっていた。だけど、忍人の眼差しが優しくて、なのに譲らない意思を灯していて。
 だからだまされたふりをするしかない。「千尋」の為に生きてくれるのだと。例え、限られた命であっても。


「……ずるいよ、忍人さん」
「回復したら、存分な非難を受けよう。とりあえず今は、泣き止んでくれないか」




 ――俺はまだ、君の笑顔を見ていない。


 そう言われて。





「忍人さんが元気になったら、めいっぱい文句言います。約束ですよ?」
「ああ、覚悟しておこう」
「あと、元気になったら一緒に桜を見に行きましょう」



 それも、約束でしょう?

 言われた台詞に、忍人が笑う。







「ああ――約束だ」








 そして、千尋も。










Fin
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Commente:


忍人さんルートのEDを見た後に、ノーマルEDでの補完をみたのですが、やっぱりどうしてもどうしても、あの一緒に日々を過ごして想いを形作っていった二人で幸せになって欲しいという願いが止まらず、このお話を作るに至りました。
原作を捻じ曲げるのはどうなのか、というのもありますが、こればっかりはお許し頂ければとおもいます。だってあまりにも悲しすぎる。
私の中では、幻だと思って意識を手放した忍人さんが、その直後に発見されてなんとか一命を取り留めてくれたと思いたいです。
それくらい夢を見させて欲しい……(号泣)。


20080624up



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