千鶴が何故、と思っていることには気が付いていた。
けれど、気付かないふりをするのは自分の得意分野だ。だから、そのまま放っておいた。
千鶴を抱いたのは、唯の一度。血の繋がっている肉親と繋がっていない肉親をそれぞれ1人ずつを失った、同時に全ての縁を彼女が失うことになった夜から、日が1度沈んで昇り、もう一度沈んだ日の夜の一度だけ。
それから半月程が経った今日まで、二人の交わりは無い。
あの日から千鶴が幼い頃に住んでいたという鬼の里で暮らし始めた沖田と千鶴は、未だ日が昇る頃に眠り、日が沈む頃に起きるという生活を送っていた。
死ぬ間際に綱道が残した言葉通り、陸奥の水は二人の体内に巡っていた変若水の毒を徐々にだが確実に薄めてくれているようだが、半月ほどの時間では元通りの生活を送れるまでに回復はしない。それでも、以前のように発作に襲われることが無いだけ良かったと笑いあった。
――少しずつでも、良くなるといいですね。
千鶴のその言葉に同意すると共に、ちくりとした痛みが沖田の胸に刺した。
「あと1刻ほどで日が昇るかな。そろそろ寝ようか」
いつものように沖田がそう声をかけ、千鶴がそうですねと頷く。1日のうちに最も冷え込む時間に寝床に入る二人は、互いのぬくもりを求めるように寄り添っ て眠りに付く。最初こそ微妙な距離をとっていた千鶴も、最近では沖田が無理に抱き込まずとも彼の腕に身体を預けるようになった。その変化がとても愛しい。
「寒くない?」
「平気です。沖田さんは?」
「君が温かいからね」
沖田さんの方が温かいですよ、と、小さな笑い声が胸元で響いた。そしてその後、静けさが広がる。
もう寝たか、と思った頃に自分の名を呼ばれて沖田が暗闇の中目を瞬かせる。千鶴を見れば、彼女は相変わらず頭を自分の胸に預けたまま動いた様子は無かった。
「……眠れないの?」
返された言葉は小さすぎて聞き取れなかった。耳を寄せながらもう一度言ってと問うと、緊張のせいか幾分硬い声が耳朶をうった。
「ものたりなかった、ですか?」
言われた言葉の意味がわからず、不本意にも固まってしまった。その対応が不味かったらしいと気が付いた時には、千鶴の声が震え始めていた。
沈黙を応、と捉えたらしい千鶴はごめんなさいと謝罪を告げてくる。ちょっと待って、と珍しく慌てた沖田が思わず身を起こして布団をはいでしまう形にな り、むき出しになった千鶴の肩を見て慌てて元に戻す。けれど一度逃げてしまった温度は戻らず、震えた千鶴の身体を動揺しながらも抱きしめた。
「ごめん」
「いえ、謝るのは私の方です」
「いや、だからそっちじゃなくて、いや、そっちもだけど」
まさかそんな風に思いつめられるとは夢にも思わず、『違うからね』とだけとりあえず告げる。けれどすっかりそうだと思い込んでしまった千鶴の心には中々届かないらしく、昼間と違い解かれた髪が左右に揺れた。
「後悔されてるのかな、とも思ったんですけど……そうじゃないっていうのは、なんとなくわかって」
「当たり前でしょ。何馬鹿な事言ってるの」
怒ったように言えば、何故か千鶴は嬉しそうに笑って『ごめんなさい』と言う。それからまた少し黙って、だから考えられるとすれば『そう』なのだと恥ずかしそうに申し訳なさそうに続けた。
初めての夜、千鶴は初めての経験に流されるままだった。必死に叫ぶことだけは堪え、沖田を受け入れることだけが与えられた使命だとでも言うように痛みと与えられる刺激に耐えていた。
千鶴の方はともかく、沖田からすれば物足りないなどと言うことはない。ようやく心だけでなく身体までも手に入れられた至福は例えようもないもので、ただ、その幸福と反するように千鶴の苦しそうな表情に胸が痛んだ。
だから、少し待とうと思ったのだ。
もう少し二人でいることに慣れて、体温が溶ける感覚に慣れて。
それからでもいいかなと思えるほどには、千鶴が大切だったから。
「……だって君、泣くでしょう」
涙の出る理由は様々だとわかりつつも、痛みや恐怖によるものが無かったとは思えない。それを自分に対する愛情だけで堪える千鶴に甘えられるほど、沖田自身愛することにも愛されることにも慣れていなかった。
そろり、と視線をあげた千鶴に微笑んでみせる。きっと自分は困ったような笑顔になっているに違いない。
布団からあたたかな空気が出て行かぬよう気をつけながら、そっと黒髪を撫でる。
「急ぎすぎたかな、って。急ぐことはないと思ったんだよ。別に君が物足りなかったとか、そんな理由じゃない」
「ほん、とうですか……?」
「でもそんな顔でそんな事言われると、覚悟が揺らぐけどね」
途端、かっと赤くなる頬が又そそる。暗闇でも分かるほどの反応は、すでに開花した花とは思えぬほど。
急ぐことは無い。そう思ったのは本当。
変若水がゆっくりと薄れてもとの自分たちに戻っていくように、少しずつ二人でいることに慣れて、愛し合うことに彼女が慣れるようにゆっくりと。
自分の思いを反芻し、同時に相反する感情が首をもたげるのを千鶴に気付かれないようやり過ごす。けれど千鶴は、そんな沖田の表情を見逃さなかった。
視線でどうしたのかと問うてくる彼女に、微苦笑しか返せない。いつから自分はこんなにも、己の気持ちを隠すことが下手になったのだろう。
「君が怖がらなくなるまで、待とうと思ったのは本当なんだ。本当は、急ぎたいけれど」
だって僕は君が好きだから。
「……残された時間で、沢山君を抱きたい」
言うはずのなかった言葉が、ほろりと零れた。
千鶴の髪を撫でていた手は、まるで螺子の壊れたからくり人形のようにただその所作だけを繰り返す。止まってしまえば役目は終わりだとばかりに。
「たとえこの先何十年と生きられたとしたって、満足するなんてないけど。それでも後悔しないくらいには千鶴を抱きたいよ」
初めて覚えた感情と、心からほしいと思った相手との褥での熱。漸く互いのしがらみから解放された真っ白な虚無と、残されたただただ相手を『愛しい』と思う気持ちに任せて身体を重ねたあの夜。生まれた感動に、本気で組み敷いた少女を壊してしまうかと思った。
抱いても足りず、泣かせても足りずにもっと、と求めてしまう。
そんな自分が恐ろしいと思った。人を斬り殺しても目的の為にと割り切れてしまう自分よりも、ずっと。
力尽きた千鶴が沖田よりも一足先に眠りについたあと、ひたすらに沖田は考えた。どうすれば千鶴を幸せにしてやることが出来るのか。
残された時間で。いや、その先も。自分がいなくなってから先もどうしたら彼女が幸せでいてくれるだろう。
関わりが強ければ強いほど、失った時の衝撃は大きい。ならば離れるか? ――できるわけがない。
あたたかな思い出は先を生きる力になるとも言うけれど、それは事実なのか自分の希望的観測なのか、冷静になど判断できない。
考えて悩んで。わかるまで、彼女を傷付けてしまうことだけは避けようと決めた。千鶴が慣れるまでという気持ちも本当だが、慣れる前に傷つけてしまうことの方が怖かった。
「そんなの……私だって、同じですよ?」
「勢いだけで返事しないの。もう忘れたの?」
何を、などと続けずとも理解した千鶴は口ごもる。思い出した映像と感覚に体温があがったのが沖田に伝わり、その如実さに沖田が笑う。
「ああ、忘れてはいないんだ」
「忘れられるわけないじゃないですか……意地悪です沖田さん」
「安心した。そんなにもの足りなかったかなって心配になっちゃったよ」
「!!」
千鶴の言葉をからかうように返すと、零れ落ちそうなほど見開かれた目がその一瞬の先に鋭いものになったが、そんな仕草すら可愛いといったらさすがに拗ねるだろう。口の端にだけ笑みを残したまま、冗談だよと千鶴の額に唇を寄せた。
「思う存分君を抱く。それもいいと思う。そうしたい、と……思うよ」
千鶴に告げているようで、その実それは独り言に近い。わかったのか、千鶴は言葉を挟まなかった。
「けれど同時に、どうしても僕はその先を考える。おかしなくらいに君を抱いて、もし僕たちの子どもが君の中に生まれて――そうしたらその先僕は、君はどうするんだろうって」
沖田の腕の中で千鶴の肩がはねる。その顔に浮かんだ表情を、一言で表せる言葉を沖田は知らなかった。
「僕は君が好きだ。君が望むことならなんだってしてあげる。だってそれはそのまま、僕が望むことだから。だけどそれが僕にはわからない……情けないけどね」
「そんなの、そんなの当たり前です。だって沖田さんは私じゃないんですから。私だって、沖田さんが望むことをして差し上げたいですけれど、言って下さらな かったら分からないことなんて沢山あります。そうやって、一人で悩んでらしたことだって同じです。私が悩んでたことだって、同じじゃないんですか? だか らさっき、驚かれたじゃないですか」
独り言の世界に割り込んできた千鶴は、その世界そのものを壊すかのように強く言い募る。暗闇の中でさえ、漆黒の瞳が際立って浮かぶほど強い眼差しを自分に向けて。
「赤ちゃんが出来たら出来たでいいじゃないですか。だって、目的がそうじゃなくても、沖田さんが私を愛してくださった結果でしょう?」
「千鶴」
「私が、沖田さんに愛して頂いた形としてそれが宿ったのなら、私、たとえ一人になったって、ちゃんと育て……っ」
「千鶴」
語尾は言葉にならず、顔をうずめた沖田の着物に涙と共に吸い込まれていった。
「そんな理由で抱いてくださらないなら、そんなのはいやです」
「千鶴、聞いて」
撫でていた手のひらで、いやいやをする千鶴の頭を押さえつけるように抱きこむ。冷えていた肩が、激情の為か熱く湿っているのが痛々しい。
「僕の命は変若水が繋いでいる。その変若水は、寿命を糧に人外の力を与えてくれる――それは、千鶴も知っているだろう?」
変若水に関し、千鶴が受けた一度目の衝撃は如何に変若水と言えど死病までは治せないということ。そして二度目の衝撃が、あの日薫から告げられたその代償。
その先など考えないようにしていたのだ、無意識に。手のひらで足りるほどしか残っていないだろう幸福が、けれどあとどれほど残っているか確認するのが怖くて。手のひらを握り締めることで視界から隠してしまった。
それを沖田は今開こうとしている。固く固く握り締めた自分の手を、そっと、けれど確実に解いていっている。
「変若水を飲まず、あのまま病床での命が三年だったとするよね。それを変若水が凝縮して、普通の人間として動けるようになって、一年か二年」
「沖田、さん……」
「その身体で羅刹としての力を使って、少なめに見繕って寿命半年分引いたら残りは一年半から、半年」
「沖田さん!」
「いいから聞いて。そして今、この土地のおかげで多少寿命が延びたとしても僕に残された時間は――わかるだろう?」
残酷なまでの冷静さで己の寿命を計算する沖田に、千鶴はただただ首を振ることしか出来ない。涙でぬれた頬に髪が張り付いているのがわかる。自分は今、どんなみっともない顔をしているのだろうか。
沖田の双眸はとても穏やかだった。だからこそ、千鶴は胸が苦しい。
「あきらめないでください」
諦めているのではなく、受け止めているのだとわかっていてもそう言わずには居られなかった。
「だって、元気になったおかげで、動けるおかげで本当は食べることも出来なかった食事だって取れるようになったんですし、よく眠ることだって」
「うん」
「だから、本当の寿命よりもっと長くいき、生きられるようになってます」
「うん、そうだといいよね」
何で泣くのだろう、自分は。
先に死に逝くのは目の前の人で、置いていかれるのは自分で、どっちも同じだけ辛くてだけど本当はそうしてしまう彼の方が辛いのに、どうして自分ばっかり泣いてしまうのだろう。
彼を困らせるようなことなど、これっぽっちもしたくないのに。
「あきらめないでください」
それは誰に向けて言った言葉なのだろう。
「私がもう嫌って言うくらい、絶対そんなの言わないですけど、それでも言うくらい沢山抱いて、後悔なんてする暇ないくらい一緒に」
「千鶴、落ち着いて。僕は諦めてなんかいない。僕は君と生きる」
最早言葉にならない嗚咽を漏らす千鶴を抱きしめ、沖田は言い聞かせるように低く囁く。
「だけど現実から目を逸らしたくはないんだ。夢に逃げた瞬間、君と生きる今ですらおぼろげになる。そんなのは、僕は嫌だ」
それこそ自分も同じだと、千鶴がぎゅうと沖田の着物の襟を掴む。
「だから覚えておいて千鶴」
いつの日か、僕は君をおいていってしまうけれど。
「僕は君を愛してる。今までも、今も、これからもずっと」
覚えておいて。どうか、どうか。
こんなにも、自分でも困ってしまうほどに君を想った僕がいたこと。
初めて覚えた心残りが、君を一人残していってしまうことだということ。仕方ないよね、の言葉では片付けられない感情が全部君に向かっていること。
「君を愛してるよ、千鶴」
君の泣き顔が世界で一番大嫌いなのに、僕のための涙は嬉しいなんていったら困るよね。
泣いてほしくなんかないのに、泣いてくれるのが嬉しいなんて矛盾していて、だけどきっとこういうのが愛なんだろう。
(知らなかったんだ)
君が教えてくれたこと。僕が伝えたいこと。勘違いや思い込みも含めて通い合う全部が愛しくて困る。
出来ればずっとずっと、ずっとこうしていたいけれどそれは無理だってわかっているから余計に困っちゃうよね。
「私だって、愛してます」
「僕のほうが愛してるよ」
「私の方です」
「僕だってば。大体、君が一つでも僕に勝てたことある?」
「他はともかく、こればっかりは負けません」
子どものような言い合いをして、気がつけばむきになって睨み合う。吹き出したのはどちらが先だったか――けれど、その一瞬先に泣き崩れたのは千鶴だった。悲鳴か、嗚咽か、呼吸なのかわからない音。この世界で一番悲しい色をまとう音が千鶴の喉から漏れた。
「ねえ、泣かないでよ」
「無理、です……っ」
「今からそんなんじゃ、僕安心出来ないじゃない」
「しないでください。ずっと傍にいてください」
――本当に我侭だよね君って。
――だって、私の願いならなんでもかなえてくれるって仰ったじゃないですか。
「んーでもこればっかりは神様の範疇だしねえ」
真っ赤な目で恨めしそうに自分を見る千鶴に、沖田は苦笑するしかない。だってそうじゃない。こればっかりは僕を責められても困っちゃうなあ。
「だからさ、僕が出来る君の願い事を教えてよ」
僕の二本の腕で、足で、二つの瞳と耳と君の名を呼べる唇で。
「君のためにしてあげられることを教えて」
本当に君だけにしかこんなこと言わないんだよ、と、証明するように声量までもが極限に抑えられた囁きとなって千鶴の耳に届く。
どうしたらそんなに出てくるのかと不思議に思うくらいぽろぽろと温い水を流したままで、千鶴は泣きすぎて掠れた声で願いを口にする。それを聞いた沖田は、困った子だなあと苦笑した。
「僕の願い事を君が言ってどうするの。僕が聞いているのは、君が望むことだよ」
返事は、見つめ返された眼差し。そこからはもう、温い水は出てきていなかった。
額をぶつける。少し強めにしたそれは、ごちんと結構な音を立てた。
「昔っから生意気だよね千鶴は」
「おかげさまでずいぶんしぶとくなりました」
「あはは、それおもしろい」
「沖田さん!」
虐め癖はちっとも直っていない。だけどこんな時くらい、真面目に聞いてくれたっていいのにと千鶴は唇を尖らせる。すると尖らせた唇を包むようにぱくりと食べられた。
絶句してそうさせた相手を見れば、本当に困ったという表情で、どこか泣きそうな顔をしていて。
「――――っ!」
次の瞬間には、呼吸ごと奪うような口付けが与えられた。
酸素を得るために必死に隙間から呼吸をする千鶴の、腰帯を解ききる前に強引に引き抜こうとする沖田の所作に千鶴の腰が浮く。
痛い、と思う前に反対の手で襟が緩められ、あっと思った瞬間には冷たい手のひらが千鶴の片方の丸みを握りつぶしていた。
冷たさのせいか、刺激のせいか急激に硬さを増す乳房の先を感じ取ると、沖田の唇が三日月を模る。そのまま感触を楽しむように平を広げて擦り付けるように動かし、千鶴の喉が上向いたのを確認して歯を立てすぎぬようにかぶり付くと、堪えていたらしい声があがった。
「もっと出しなよ」
我慢することはない。聞くものは自分だけだ。
それが嫌なのだと首を振る千鶴に、そんな余裕があるのかと沖田の行為が激しさを増す。きつく指の間で挟まれた乳房の先の刺激に耐え切れず千鶴が細く長い声があげると、沖田は満足げに微笑んだ。
「強い? じゃあ、こっちの方がいいかな」
「おき……な、に」
首にうずめていた顔を上げ、今度は豊かすぎない双丘に顔をうずめる。びくりと跳ね上がる千鶴の身体を自分の体重で押さえ、ざらりとした舌で舐め上げると 絶句の後に短い声が断続的にあがる。乳房の先を咥内に含んで甘噛みをしたり、舌で転がしたり。そのたびにびくつく身体が興奮をさらに高めるから止まらな い。
感情は羞恥を覚えるが身体の反応は如実に現れる。無意識だろうが、切なそうによじられる細腰や互いに擦り寄せ合っている白い太腿がそれを何より物語って いた。たった一度とはいえ、男を受け入れた身体は初めての時とは明らかに違う。指先で秘所の様子を伺えば、粘度の少ない湿り気が滴り始めていた。
「抱くよ」
質問でも確認でもない宣言。千鶴が頷く前に、沖田の指が千鶴の体内に滑り込む。
「ア――ッ!?」
ひんやりとした指が熱を帯びた体内に入り込む感覚に、千鶴の背筋を痺れが走っていく。衝撃を殺すために無意識にあげた声は、上げ切る前にさらに与えられた刺激に強引に奪われる。奪われたかと思えば続く刺激がさらに声を生み、その繰り返しで感覚がおかしくなっていく。
「あっ、あっ、……うっ」
怖い。自分はどうなってしまうのだろう。
この感覚に身を任せたら、どうなってしまうのだろう。
そう考える間にも、響く水音と与えられる感覚に脳内は白くなっていく。しがみついた沖田の肩だけが、現実と千鶴を繋ぐ全てだった。
「怖い? やめたい? でも、もうやめてなんかあげないよ」
願ったのは君だと、まるで断罪するように告げる沖田の声は恐ろしく甘美に響いた。何を否定したかったのかわからないままにただ頭を左右に振り、千鶴は強く唇をかみ締めた。
受け入れたことがあるとは言え唯の一度。しかもその一度から、半月の時間が経ってしまっては与えられる痛みも大差ないように思えた。けれど初めての時よりは自分を抱く沖田の表情をそれだと捉えることが出来たのがささやかな救いで。
千鶴、千鶴、と。
名を呼ばれるたびに切なさが募る。自分の知っている一番甘い声で囁かれるたった三文字の言葉が、愛の言葉よりよほど自分を愛しいと教えてくれるから涙が出てくる。
「総司さん、総司……さんっ」
だから自分の想いも伝わればいい。身体よりも心で。心よりも身体で。伝えきれない本当の気持ちをそれぞれで補い合って、漏れることなく伝わればいい。
無意識に千鶴が立てた爪が、沖田の肩に食い込む。短く整えられているとは言え、込められた力の分だけ与えられる痛みが、思わず笑えるほどに心地よくて沖田の口元に笑みが浮かんだ。
自分にこんな趣味があったかな、と冗談のような本気のようなことを思いながら自分を傷つける娘を見れば、普段の姿からは想像も出来ぬほどに乱れて声を上げている。それでも、白い肌だけではなくその姿自体がどこか清浄なものに見えるのはどうしてだろう。
消えてしまう身ならば、何も残さないほうがいいのかもしれないと思う一方で、絶対に自分を忘れないよう彼女に自分を焼き付けて逝きたいと願う自分がいた。
いっそのこと連れて行ってしまおうか、と冗談のように思ったこともあったが、それは決して出来ないとわかっている。そう、昔彼女に対して殺すよと告げていたように。
もう少しだけ浅い愛ならそれも出来たかもしれない。
もしかしたら、逆にもっと深い愛ならそれが出来たのだろうか。
だけど自分はこの気持ちしか知らない。その気持ち全てで願うのは、ただ千鶴が幸せでいてくれること。
(ああどうしよう、なきそうだ)
本来繋がった部分でしか快楽を得られないはずの男の身体は、けれど全身で悦びを感じている。自分の身が女のそれだとしたら、こんな感じなのかもしれないと沖田は思う。
どうしようもない快感が繋がった箇所から内臓を通って下腹と腰に痺れを伝えてくるから、それを殺すために、更に得るために抜き差しを繰り返す。受けている千鶴はもう果てているかもしれないが、それすらもわからなかった。
一瞬前まで自分の体内にあったものを千鶴の中に放ち、沖田が果てた頃にはすっかり空が白んでいた。
子どもが欲しいと千鶴は言った。
沖田がいなくなった先に、思い出だけではなく確かに沖田がいたのだという証明が欲しいと。
二人の証が欲しいんですと、そう彼女は言った。
(そんなの僕に拒めるはずないじゃない)
彼女ならきっと良い母になるだろう。
優しいだけではなく、決して手折ることの出来ない芯を持っている千鶴。
泣き虫だけれど、歩くことを決して諦めない千鶴。
(だからどうか歩いていって)
例え願い叶わず、たったひとりになってしまってもどうか。
どうか。
眦に残っている雫を唇で吸い取ると、ち、と音が鳴った。するとそうされた娘が小さく震えて目蓋を持ち上げる。奥から覗いた瞳が沖田を捉え、その姿を認めるとかろうじてそうだと分かるほどに微笑み、再び目蓋を閉じて眠りに戻っていく。
その姿がとても穏やかで――見守っていた沖田の双眸から、涙が零れた。
千鶴の寝息を聞きながら、すでに白んだ空から差し込む障子越しの光を受けながら沖田は静かに泣いた。
これじゃ千鶴のこと笑えないな、と、壊れてしまったとしか思えない自分の涙腺を笑いながら、眠りが訪れるまでひとりでぬるみずを零し続けた。
Fin
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Comment:
野原さんへの差し上げもの小話。
どうにも乙女な沖田が好きみたいです。
千鶴と生きると決めたときに色々な覚悟も決めているかもしれませんが、
書き手が女(一応女です)なせいか、逆にこう、自分が男だったらどう考えるかなとか
その場合総司だったらどう思うかなとか、色々考えたらこうなりました。
残すものが先を生きる力になればいいけれど、足枷にしかならないなら残したくない
だろうし、でもそれを決めるのは総司でも千鶴でもなくて二人で決めることで、
だけどそれって確かめるのに凄く勇気がいるよなあとか。
野原さんが先にお話で書かれてましたが、ひとりになった千鶴が「生きて」行く為に
必要なら別の人と恋をしてもいいよと言うかもしれない。
でも同時に凄く嫌だと思う。
そんな矛盾が「ひと」で「愛情」なんじゃないかというのがテーマでした。
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