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●羽二重相愛 |
二人で暮らし始めて、ようやく三月が経った。
今ではもう、昼間に動くのも苦ではない。というか、動かないと別の意味で死んでしまうので動かずにはいられない。
だってここには、食べ物も何もないのだ。山を少し降りたところにある里で必要なものを手に入れない限り、生活そのものが成り立たなくなってしまう。
なのに。
「総司さん」
目の前の男は、今日も家を出ようとしない。
千鶴はすっかり困ってしまって途方にくれる。所謂良き夫良き伴侶をこの男に求めているつもりはこれっぽっちもないのだが、それにしてもこれは困る。
「総司さんが行かないなら、私1人で行きますよ?」
「駄目」
「……じゃあ、一緒に来てください」
「それも駄目」
じゃあどうしろと言うのか。
まるで子どものような駄々をこねる、身体ばかりは大きな男を睨んだところで、ちっとも堪えた風ではない。
「だって総司さん1人だと、何を買っていいのかもわからないでしょう?」
「何とかなるよ」
「なりません。この間の事、もう忘れたんですか?」
過去の失敗を何度もほじくり返したくはないが、こればっかりは仕方ない。千鶴はつい最近起こった総司の失敗を突きつけて話を進める。
「この間も総司さんがそう言ったからお使いをお願いしたのに、全然違うものばかり買ってらしたじゃないですか」
あの時も総司は千鶴が麓に買い物に出ることを嫌がり、結局総司1人が買い物に行くことになったのだが帰ってきた彼の手には千鶴が頼んだものとはかけ離れた品の数々が抱えられていた。
何故こうなったのか、と問うても「だってこれがいいよって教えてくれたから」だの、「色が綺麗だったから」だの、しかも使う額が額とあってはもう二度と1人で行かせる気にはなれない。
総司は流石にバツの悪そうな顔をしたが、すぐにふい、と顔を逸らして「今度は平気」の一点張りだ。だが、こればかりは折れるつもりはない。
「お散歩がてらに、行きませんか?」
お使いが主ではないのだと目的を変えて総司を誘う。
「最近ゆっくり二人で出かけたことなんてないですし……遠出ではないですけど、たまには二人で外の景色を見てみたいです」
総司の瞳が、ちらりと千鶴を見る。まるで、手なずけようとしている人間を品定めする猫のように。
「駄目、ですか?」
伺うように傾けられた頭のせいで、黒髪がさらりと細い肩を撫でる。本人は無意識だろうが、そんな仕草の一つ一つがいちいち可愛いのだ、この妻は。
「……僕から離れないって約束する?」
「当たり前じゃないですか」
「人前で手を繋いでも嫌がらない?」
「え? はい」
返事をした千鶴に疑うような視線を向け、総司が暫く黙り込む。ええと、なんだろうかこの、買い物に行くとは思えない質問の数々は。
迂闊なことを口にして機嫌を損ねられては厄介だと、千鶴はただただ総司の判断を待つ。やがてその口から大仰なため息が漏れ、苦笑と共に「応」の返事が告げられた。
「仕方ないから乗ってあげるよ。でも今回次第で、次はどうなるかわからないからね」
「……なんでたかが買い物なのにそうなるんですか」
困った人だと千鶴こそがため息をつけば、これだからと総司のため息が更に大きくなって返される。
「いいから行くよ。とっとと行ってとっとと帰ってこよう」
結局質問には答えてもらえないままだったが、総司の気が変わっては困ると千鶴は大人しく従った。本当に、この人の気まぐれには振り回されてばかりだと、胸中でだけ苦笑しながら。
「それを二つお願いします」
採れたばかりだという旬の野菜を指差し、千鶴が笑顔で品と銭とを交換する。
この辺りでは銭の他に所謂物々交換も主流らしいが、交換するものが何もない千鶴たちは金子での交換となる。言い値を払って受け取る千鶴に、総司はもっと値切ればいいと思うのだがどうやら値切ってよいものと駄目なものがあるらしく、口には出さずに後をついていた。
「……総司さん」
「なに?」
千鶴が自分の名を呼んだ理由には気付いていたが、あえて知らぬふりで返事をすると千鶴の視線が下におりる。繋がっている、自分と彼女の手に、だ。
「そろそろ荷物が増えてきたので、手を空けて頂けると嬉しいんですけど」
「駄目」
一分の間もなくきっぱりと言い捨てると、千鶴の眉根がへにょ、と寄った。けれど駄目なものは駄目だと総司はつんと顔を逸らす。
「別に迷子になんてなりませんから。子どもじゃないんですし」
「駄目だったら駄目。約束したよね? 僕から離れないこと、手を繋ぐこと」
「しましたけど……でも、繋いだままだとこれ以上お買い物が出来ません」
「いいよしなくて」
「総司さん……」
いつにも増して我侭な総司に千鶴が心底困り果てる。滅多に買い物に来られない以上、買える時に買っておかないと本当に困るのだ。ましてや今回のように、買い物に行こうとするたびに総司を説得するのも大変で。
千鶴は心を鬼にして総司を睨む。睨まれたほうは、後ろめたい気持ちがあるだけその眼差しを正面から受けることが出来ない。
無論総司には総司なりの理由があってこうしている訳だが、買い物に来ている以上その目的が最優先されるべきだということも分かっている。だからこそ、千鶴の責めるような眼差しが痛い。
「あんまり我侭言ってると、怒りますよ?」
「……もう怒ってるじゃない」
「大体、何が気に入らないんですか。食べ物がないと飢えて死んじゃうんですよ? 日常に使うものだって、なかったらすごーーく不便なんですから。総司さんは家の事しないからわからないかもしれないですけど」
さりげなく含められた日頃の行いに対する非難めいた物言いに総司が折れた。自らほどいた手で千鶴が反対の手に持っていた荷物を全て受け取ると、千鶴の機嫌を伺うようにじいと見つめる。千鶴は滅多に怒らないが、一度怒ると怖い。そして結構長引く。それを知っているからこそ、総司は己のしたいことを一旦胸の奥に仕舞いこむと言葉ではなく行動で妥協したことを示した。
だって、謝りたくはなかったから。この行動が、完全に間違っているとは思っていないから。
千鶴はそんな総司を見、困ったように笑みを零した。
「すぐに済ませますから」
「うん」
まるで大きな子どもだと千鶴は笑う。きっと千鶴がそう思っているんだろうなと総司も気付いたが、子どもはどっちだとは口に出さない。出したところで伝わらないのは分かっているので。
ふいに着物の裾をひっぱられて総司が立ち止まる。何かわらわらした気配があるな、とは思っていたが、特に問題はないと思って放っておいたのだが物理的にちょっかいを出されては別だとそれを見やると、小さな子どもが数人、二人を囲むようにして見上げていた。
「……なに」
「どこからきたの?」
このあたりの人間とは違う、華やかな気配を持つ大人が気になったのか子ども達の目は興味に満ち溢れている。総司と千鶴が身に纏っているものは山での暮らしにふさわしい質素かつ利便性に富んだもので、そういう意味ではこの里人らと大差ないのだが、子ども達が気になったのは表に見えるそれではないらしい。
これだから子どもは、と総司は苦笑しながら腰を曲げて少しだけ目線を近くする。
「お山のもっと上の方だよ」
「うそだあ」
「嘘じゃないよ。寒くて大変なんだ、可哀想だと思わない?」
総司がおどけて言えば、子ども達は何がおもしろいのかと思うほどに奇声を上げて笑い始める。こんなふうに子ども達と遊ぶ彼をみるのはいつ振りだろうと千鶴は目を細くする。
「ねえ、あそぼう?」
「遊んであげるよ」
子どものうち、中心と思われる少年と妹らしき二人が総司の裾を掴んでひっぱる。両手がふさがっている総司は大袈裟によろめいて慌てたふりをしながら、どうしたものかと苦笑していた。
「ごめんね、おにいちゃん今日はお使いなんだ」
「お使い? そんなにおっきいのにかよ」
「うん。奥さんと一緒にね」
おおおお奥さん! と、これには傍で聞いていた千鶴が一番に反応する。そうか、そうだった。自分と総司は夫婦で、総司が自分を他に紹介するならばそういう表現になるのかとぐるんぐるんと脳内を回転させて落ち着こうとするものの上手く行かない。
「おねーちゃん真っ赤」
「あははそうだね、おもしろいね」
「総司さん!」
すげーと感心して自分を指差す子どもの傍らで、総司がおもしろそうにけらけらと笑うものだから酷い。悔し紛れにぎ、と睨みつけると、少年の妹と思しき少女が「おねえちゃんこわい」などと追い討ちをかけ、この場に自分の味方は誰もいないのかとちょっとばかり泣きたくなった。
総司のように特段子どもに好かれる気質ではないが、嫌われる覚えもないのにこの状態はちょっと悲しい。
「おにいちゃんはおねえちゃんに敵わないんだ。だからごめんね?」
「えー!」
「おとこなのにだらしねえの」
「あはははそうだよ、僕だらしないんだ。でもねえ、この子はそんな僕でもいいって言ってくれる貴重な子なんだよ? そんな子離せるわけないでしょう」
言いながら、子ども達に向けていた視線をちらりと千鶴に向ける。たった一瞬で、浮かんでいる色まで変わるのだから本当に性質が悪い。
「子ども相手に何言ってるんですか、もう」
油断していたところに色めいた視線を投げかけられたものだから、見返すことも出来なくてふいと視線を逸らす。逸らした先には小さな子どもが自分と総司を交互に見つめていて、諦めきれないといった気持ちがにじみ出ていた。
「総司さん、ここで待っていてください。私、向こうでお味噌とお米を頂いたら戻ってきますから」
「は?」
「皆、おにいちゃんが遊んでくれるって。良かったね」
千鶴が腰を折りまげ、近くにいた子どもの顔を覗き込んでそういうと、その子から笑顔が周囲に波及していく。
「やった! 何して遊ぶ?」
「オレが先だよ!」
「お兄ちゃんは総司おにいちゃんって言うの。仲良くしてあげてね」
「え、ちょっと!」
にこにこと子ども達に笑顔を向ける千鶴に総司が声を上げると、そんな総司の気持ちなどお構い無しで千鶴は良いことをしたとばかりに満足げな顔だ。
「久しぶりに子どもたちと遊ぶのも良いでしょう? 私、行ってきますね」
「だから、1人になるなって――」
「おにいちゃんこっちこっち!」
「おねえちゃんだっておとななんだからだいじょうぶだよ。お使いくらい1人で出来るよ」
「うん、おねえちゃん1人でも大丈夫だよ」
ねー、の大合唱だ。先ほどまでは千鶴1人がアウェイだったが、今では真逆に総司がその立場になっている。
じゃあ、の言葉を最後に千鶴が足取りも軽く去っていく。両手のふさがった総司はその肩を掴むことも出来ず、着物の裾は縫い付けられたように子どもたちに握られている。
呆然とする総司を他所に、千鶴は目的を達するべく別の軒下を覗いて回る。
自分達で少しくらいは何かを育ててみたいけれど、農業の経験のない自分達では上手く行くかもわからない。傍に教えてくれる人もおらず、こればっかりは手探りだ。
出来るだけこういった里に足しげく通い、伝手を作っておきたいと千鶴は思うのだが、総司はどうやら反対の考えのようで。
出来るだけ人に交わらずひっそりと。今までの事を思えばわからないでもないが、けれど、と、考えれば考えるほど何が一番良いのかが難しい。
「あんた、重いけど一人で持てるかい?」
味噌と米という重量級の買い物をしたのだが、主人が千鶴の細腕を見て不安そうな顔を寄越す。技はないが体力だけはあるので千鶴は大丈夫ですと笑顔を返してそれを受け取ったが、持てなくはないもののやはり重い。
「ほら、よろけとるがな」
「だ、大丈夫です」
「自分が手伝おう」
ふいに横から太い腕が伸び、千鶴が抱えていたものをひょいと攫っていく。見ると、自分より少し歳の頃が上の青年が人の良さそうな笑顔を浮かべながら荷物を肩に担ぎ上げていた。
「あ、大丈夫です! 自分で持てますから」
「いーっていーって。そんな細っこい腕じゃ見てるこっちがしんどいわ」
主人の息子だと名乗った青年は、日焼けした体躯に似合うからりとした言葉を口にする。すみません、と千鶴が礼を言えば、気にするなとからから笑った。
「ここらじゃ見かけん顔だけど、どっから来なすった」
「もっと上の方からです」
「はあ。上。ここより上に人が住むようなとこなんてあるもんかね」
「おかげでちょっと大変です」
千鶴の答えが面白かったのか、青年が声をあげて笑う。そんな彼につられるように千鶴も笑い、ぽつぽつと世間話を繰り返す。
綺麗な娘だなと青年は思った。姿形もそうだが、話し方や笑い方に現れる心根に惹かれるものがある。このまま荷物を渡してしまえば終わりとなるこの出会いがなんとも寂しく思え、ふと浮かんだ提案に声を弾ませてそれを告げた。
「なああんた。上の暮らしが大変だったら、こっちに下りて来たらどうだ」
「え?」
「何もわざわざ大変な思いまでして上で暮らすことはないだろ。今は良いが、寒くなったら大変だ。そうなる前にとっとと下りてきたほうが良い」
面倒なら自分が見るとまで言いだした男に、流石に千鶴が目を白黒させる。親切で言ってくれているのはわかるが、会ったばかりの人間の面倒を見てくれるとまで言われてしまうと、疑問の方が先に立つ。
新選組と言い今回と言い、自分は行く先々で何かに拾われる運命なのだろうか。
「いえ、大丈夫です。幸い、1人ではないので」
「1人じゃないって言ったって、ご両親の面倒だって大変だろう」
男の脳内では、千鶴は両親と暮らしているらしい。あれ、とは思ったが、訂正する間もなく会話は進んでいく。
男の方は千鶴の戸惑いを遠慮と捉えて益々なんとかしなければという責任感に燃える。しかも言ってしまえば一目惚れに近い感情を覚えたのだ。その気持ちが更に言動を後押しする。
「あんたさえよければ――、あんた、名前は何て言うんだ」
「あ、千鶴です」
「千鶴さんか、良い名前だな」
ありがとうございます、などと条件反射で返してしまいながら、いやいやちょっと待ってと自分につっこみを入れる。なんだかこう、思いも寄らない方向に話が転がって行っている気がするのは気のせいだろうか。
いきなり男の足が止まる。何事かと思って千鶴も立ち止まれば、男は空いていた片手で千鶴の肩を掴んだ。
「千鶴さん、いきなりだがその――」
「はい、そこまで」
掴まれた、と思った感覚はあっという間に自分の肩から消えていく。掴まれたと思っただけで、実際はそんなことなかったんじゃないかと思うほどの出来事だ。
聞きなれた声と、乾いた音が耳に届く。鞘で腕を弾かれた男は一瞬何が起こったのかわからず、けれどわかる前に鞘は総司の腰へと戻る。何が起こったのか――は、起こした本人にしか理解されていない。
千鶴の肩に触れたはずの自分の手が、じんじんとした痛みと共に弾かれた。その程度の認識しか持てない男は眼をぎょろりと動かしてから新たに現れた人物を見る。その背後には、何故か大勢の子どもたちがいた。
「あのさ、千鶴千鶴って慣れ慣れしく呼ばないでくれないかな。僕のなんだけど」
心底嫌そうな声音で苦々しく吐き捨て、先ほど男の手が触れた千鶴の肩をぱしぱしと叩く。何故か必要以上に力強いそれは、千鶴に悲鳴を上げさせるに十分だった。
「痛い! 総司さん痛いです何するんですか!」
「当たり前でしょ痛いようにしてるんだから」
「なんでですか」
「君が約束破るからでしょう。挙句やっぱりというかなんというかこんな事態になってるし」
本当嫌になるよね、と、そこで初めて総司は男を見る。
「何。まだいたの」
「ちょ、総司さん、失礼ですよ」
荷物を持ってくださったんですから、と千鶴が慌てて口添えをすると益々総司の眼差しが険悪なものになる。
「あのさ、君に言ったって仕方ないかもしれないけど、意味もなく親切にしてくれる人間なんて早々居やしないんだから学びなよ少しは」
「そんなことありません! 現にこの方だって、ただ重い荷物を持った私を見かねて親切にしてくださっただけです」
「なんで親切ついでに君の肩を掴む必要がある訳? なんで名前を何度も呼ぶ必要があるの」
要するに千鶴の名前を他の男が呼んだことが相当気に入らないのだ、と、総司の背後に居た子ども達だけが冷静に把握する。その子どもらの手には、総司に預けられた品々が分担されて抱えられている。
これ以上千鶴に言っても無駄だと悟ったのか、総司が男の方に歩み寄ると肩に担いでいた荷物を受け取ろうと手を伸ばす。男の方は事情を飲み込めないまでも、目の前の男が自分に敵意を抱いていることだけはわかる。しかも、自分では気付かなかった下心を明確に指摘し、確かにあった親切心すら否定する勢いだ。
せめてもの腹いせとばかりに、優男にこれほどのものが持ててたまるか、せいぜいよろけるくらいしてみせろと勢い付けて荷物を渡してやったのだが、男の目論見は外れ、総司は軽々とそれを受け取って肩に担いだ。
「どうもありがとう。じゃあこれで」
文字面を読みました、と言わんばかりの平坦な声に男がかっとなる。が、声を荒げるよりも先に優男と評した男の眼差しがすうと細められた。
「人のものに手を出しちゃいけませんって教えられなかった? 今度彼女に手出したら――殺すよ?」
周囲の空気までをも細く鋭く圧縮させるような声音と眼差しに、男は声どころか呼吸までも失った。温かみを思わせる柔らかな色合いの瞳が、これ以上無いほど冷たく自分を捕らえている。捕食者の、それだ。
総司の宣告は千鶴には届かない。彼女に聞こえたのは、前半の礼の部分だけ。
凍りついた男を、最早用はないとばかりに一瞥すると方向を変え、元来た道を歩き出す。行くよ、と短く告げられた千鶴はおろおろと総司と男とを交互に見、やがて親切な男に深々と一礼すると小走りで総司の後を追いかけた。
「総司さん、ちょっと、待ってください」
子ども達を蹴飛ばさぬように気をつけながら千鶴が総司の隣に追いつく。わざとらしく千鶴の方の肩に荷物を担ぎなおした総司に、なんて子どもっぽい事をするのだろうと思いつつも負けずに反対側に回り込んだ。
「総司さんてば」
あんな言い方はないです、と、この期に及んで向こうの肩を持つ千鶴に総司の苛立ちは増すばかり。再び荷物を千鶴の方に担ぎなおすと無視を決め込む。
「もう、総司――」
「あのね、おねえちゃん」
千鶴をこわい、と評した子どもが着物の袖をついついと引っ張る。小さな女の子は、けれどしっかりと女の目で千鶴にこう告げた。
「おにいちゃん、やきもちなのよ」
予想外の人物から予想外の言葉を告げられ、千鶴は言葉を失う。そんな千鶴をたしなめる様な表情すら浮かべて、少女は言葉を続けた。
「おねえちゃんは『おひとよし』だからしんぱいだって。あとね、かわいいからしんぱいなんだって」
「こら、何余計な事言ってるの」
「よけいなことじゃないよ」
柔らかな頬を膨らませて、まるで自分のことのように少女は怒る。それを見た兄らしき少年も、口添えをするように総司を見た。
「よゆうがない男ってのも、だらしないぞ」
先ほども男なのにだらしがない、と言った少年がまたも総司をそう評するのを聞いて、千鶴がたまらず噴き出す。総司は苦虫を噛み潰したような顔でその言葉を聞き、観念したとばかりに荷物を反対へ担ぎなおした。
「すきどうしなのに、ケンカしちゃだめだよ」
「ね」
言うと、兄妹だとばかり思っていた二人は手を繋いでにこりと微笑みあう。どうやら、小さいながらも好き同士らしい。
「はいはい。僕が悪かったよ」
荷物ありがとう、と、子ども達に任せていたそれを受け取る。又来てね、今度も遊ぼうねの言葉を残して子どもたちは足早に駆けて行く。暮れていく空に急かされるように。
「あのさ」
それを最後まで見送ってから二人は家路を辿りだし、間もなく総司が口を開く。
「別にやきもちじゃないから」
何を言うかと思えば、総司はふつりと言い切るようにそれだけを口にする。否定するのもおかしいので、千鶴は「はい」と答えた。
「だって君が好きなのは僕だし。やきもちなんて焼くはずないよね」
それから暫くして、またいきなり総司がそれだけを言う。そしてやっぱり否定するのもおかしいから、千鶴はこくりと頷いて歩く。
無言のまま再び歩き続け、今度は突如総司の足が止まる。思わず一歩先に行ってしまいそうになった千鶴が慌てて自分も歩くことをやめ、何があったのかと総司を見れば、拗ねたような、困ったような顔をしていた。
「焼くはずもその必要もないと思うんだけど……やっぱりそうなのかな」
「えと……何が、でしょうか」
前後のなさに千鶴が置いてけぼりを食らう。総司はずっと道中考えていたことだが、千鶴からしてみればぶつ切りの会話だ。
「僕はただ、君があぶなっかしいからあんまり外に出したくないし他の男に変な目で見られるのも嫌だしってただそれだけの理由のつもりだったんだけど、それってつまり全部焼きもちなのかな」
あの子が言うように、と、真剣に考える総司に千鶴が絶句する。
性質が悪い。これは本当に性質が悪い。
変に好きだの愛してるだの言われるよりもよっぽどもぞもぞする。居たたまれない。というか、そんなことを本人に聞くだろうか普通。そして私は何て答えればいいの。
「ねえ、どう思う?」
「しっ、知りません!」
これはわざと? いつもと同じ、罠? 自分をからかって遊んでいるだけ?
いつもなら全力で否定したい総司の意地悪を、むしろ今は全力で肯定したい。
「困ったなあ。あの子が言うには、余裕の無い男はだらしがないっていうし」
「あの、総司さん、あの」
「僕、自分で思ってる以上に君の事が好きなのかもね」
「総司さん!」
耐え切れず、言葉を遮って千鶴が総司に頭を下げた。ごめんなさいごめんなさい。私が悪かったですもう一人で出歩いたりもしませんし、必要以上に人を疑うことはしたくないですけど、でもちょっとは気をつけるようにしますだからもう勘弁して下さい。
「だから……苛めないで下さい」
「苛めてるつもりは、ないけど」
これには総司のほうが驚いた。どうも己の心が掴みきれずに思ったことを吐露していただけなのだが、されたほうは違う意味で受け取ったらしい。
「あのさ、僕、千鶴が好きだよ」
「……はい」
「結構凄く好きだって自覚はあるんだけど、どうやらそれでも足りないらしいんだよね。どうしよう」
「……どうしましょう」
最早返す言葉が見つからない。居たたまれない。本当に居たたまれない。
だが言っている方もからかっている訳ではなく本心だった。時に、人から言われる評価が自分の中にすとんと降りてこずに不思議に思った経験はあったが、ここまで行動と感情が一致しないのも珍しい。正しくは、認識しているつもりだったのに、更に上を行くらしいという事実が驚きだ。
淡々と自己分析している間にも、千鶴のあちこちが赤く染まっていく。ああ、なんて可愛い。
「あのさ」
「は、はい」
「出来ることなら一旦荷物を降ろして君の事抱きしめてみようかなとか思うんだけど、それだけじゃ止まらなそうだからやめとくよ。場所が場所だし」
僕はいいけど君が嫌だよねと付け足された呟きは右から左だ。止まらないって何ですか場所が場所ってどういう意味ですかっていうかここが仮に違う場所だったらどうだったって言うんですか――考えようとして、止めた。
「じゃあ、そういう訳だから急いで家に帰ろうか」
家路を急ぐことには賛成だが、「じゃあ」と「そういう訳」という言葉がひっかかって頷けない。頷いたら最後な気がする。そして千鶴の直感は正しい。
頷けないでいた千鶴を、総司はやっと日頃の彼らしい笑顔で見下ろした。まるで、手の届かない高いところから人を見下ろす、気まぐれな猫のような瞳で。
「こういうところは察しがいいのにね」
「総司さんの、馬鹿っ!」
叫んでみても、猫は尻尾をぱたりと振るだけだ。三日月の浮かんだ口元を憎々しげに睨みつつ、それでもこの猫には一生敵わないのだと千鶴は諦めてその背を追った。
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Comment:
わたし、ばかじゃないの(真顔)。
(という自覚はあるらしいです)(事実!)
こんなネタをTextで20kもひっぱる自分が可哀想ですが
焼きもち沖田と無自覚沖田かわいいよね! という主張。
20090311up
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