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●花の色 |
その噂は、『それ』が流行り始めてから間もなく千鶴の耳に届くことになった。
「……男色、ですか」
「ああ。別に好きにしろって話なんだが、何故だか大っぴらに流行り始めたとなっちゃあちと面倒でな」
珍しく土方が自分の部屋を訪れたと思ったら、話すのも苛立たしいとばかりにがりがりと頭をかきむしる。折角綺麗に結っているのに乱れやしないだろうかと場にそぐわぬ心配をしながら、千鶴は黙って続きを待った。
「とにかく女だろうが男だろうが、色事は風紀が乱れるんだよ。色街に繰り出すとなりゃ、門限が縛りになるからな、それ程問題にはならねえが、屯所内で男色が流行ると止めるもんが何もねえ」
「……ですね」
千鶴の同意を得、土方が大きな息を吐いた。外の女でないという利点は、貢ぎに走った挙句金子を持ち出したり金策に走ったりということがないという一点だけだ。屯所内でこういったものが流行ると、色に溺れたものが通常の任務にまで支障を来たす馬鹿に成り下がる。それだけでなく、見目の問題や立場、力の強弱で衆道に興味がないものが若衆として扱われるという無体が広がっていくのだ。
そういった嗜好があるものや、抵抗がないものが任務に影響を出さずにやる分には好きにしろという考えが土方にはある。だが、そうでないのなら話は別だ。
苦々しい土方の表情を見、自分が怒られているわけでないと分かりつつも千鶴は肩身が狭くなるのを感じる。土方さん、相当困ってるというか、怒ってる? 眉間の皺が、いつもよりも深く刻まれている。あれ、元に戻るのかなあ。
「そこで、おまえだよ千鶴」
「へ? あ、はい?」
思わず間抜けな返事をしてしまい、真っ赤になって慌てて返事をしなおす。当事者のあまりの緊張感のなさに土方は一気に脱力し、とうとう額を押さえた。
「頼むからしっかりしてくれ……これ以上俺は問題を起こしたくはねえんだよ」
「す、すみません……でも、あの、私に何かお役に立てることがあるんですか?」
「逆だ逆。気をつけろって話だよ馬鹿」
全く話の通じてないらしい千鶴は目をぱちくりさせている。役に立ってどうするよ、と土方は更にうな垂れ、ああこりゃ直接言うしかねえか、と、脱力した身体を起こしたその時、襖の向こうから噴出す声が聞こえた。
「……総司てめえ、笑い事じゃねえんだよ」
「すいません。土方さんが珍しい心配したなと思ったら、相手には全然通じてないんですもん」
おかしくて、と、文字通り笑いながら沖田が姿を現す。その横には三番隊組長の姿もあった。
「二人揃って立ち聞きとは趣味が良くねえな」
「ご報告をちょっとね。どうやら関係のありそうな話ですし」
土方の眉が上がる。沖田は相変わらず笑みを口元に残したまま、眼差しの光だけを改めた。
「『無理矢理念此にされた』と腹を切った隊士が出ました」
「何番だ」
「五番組です。尾形組長が念者を探し出そうと躍起になっている」
「だーから嫌だったんだよ……ったく」
代わりに答えた斎藤からの報告を聞き、土方が吐き捨てる。
男として、衆道に興味がないにも関わらず一方的に関係を強要され身を汚されたとあっては、切りたい腹など幾つあっても足りないだろう。例えではなく本当に痛み出した額を押さえ、続きはおまえが言えとばかりに総司を睨んだ。
「別にいいですけど……言葉選ぶの苦手だから千鶴ちゃんには刺激が強すぎるんじゃないかなあ」
「斎藤さん! 斎藤さんから聞きたいですぜひ!」
冗談とは思えない沖田の言葉に千鶴が斎藤に縋る。沖田の場合、事実を誤魔化すことなく告げるどころか殊更大袈裟に説明して自分を脅かすに違いない。そう思って斎藤に縋ったのだが、当然沖田としては面白くなく、且つ、斎藤としても出来れば無垢な少女に説明したい内容でもないので思わず無言になるのは仕方がない。
「ほら、斎藤君も困ってるみたいだし?」
にこりと笑った沖田に千鶴は無意識にぶるぶると頭を振るが、そんな自分すら沖田は実に楽しそうに見つめる。嫌です沖田さん、なんでですか。なんでそんなに楽しそうなんですか。
沖田はほてほてと歩いてくると、千鶴の横に腰を落とす。そして胸の前で腕を組むと、千鶴を覗き込むように首を傾げた。千鶴は当然身構える。
「あの、沖田さん、近いです」
「お話するときは、ちゃんと相手の目を見ないとね」
「十分見えます。斎藤さんとの距離位でも満足です」
「あはは、遠慮しないでいいんだよ?」
遠慮じゃないですむしろ逆の意味で遠慮させてください、という心の声は届かない。正しくは、聞こえているが届かせていないといった態だ。
「男色は知ってるよね? いくら子どもの君でも」
後半は余計だ、と思いながらも千鶴は頷く。
「男女の営みは?」
「……っ! そ、れは、それなりには」
「総司。遊んでんじゃねえ」
つうか、女の口からンなこと言わせてんじゃねえよと睨みつけると、堪えてないくせに堪えたふりをした沖田が反省したそぶりを見せた。
「仕方ないなあ。じゃあ端的に言うけど、君は今、男として通ってるよね」
「? はい」
「で、今問題になってるのは?」
答えを言ったも同然なのだが、男装しているとは言え女性の意識が抜けない千鶴にしてみれば、男色やら衆道やらが自分からは遠い世界の話だ。
明らかに問題が自分自身に直結していない千鶴の表情を見て、男三人が嘆息する。
「これは、土方さんが心配するのも無理はない。正解ですよ」
「うれしかねえよ」
沖田と土方のやりとりが自分がらみということは分かるため身の置き場のない千鶴に斎藤が一歩歩み寄る。
「本来こういった行為は互いの同意が前提となるが、ここは気の荒い連中が多い。そういった場合、若衆として扱われる人間は、所謂弱者だ」
「あの……わかしゅう、って何でしょう」
まさかそこを聞かれるとは思っていなかった斎藤が一瞬押し黙る。
「……行為において受手の人間だ」
努めて冷静にいったつもりだが、千鶴の反応につられそうになる。千鶴の赤面は言葉の内容のせいであり、決して自分のせいではないというのに、妙な罪悪感が生まれるのはどうしてか。
「す、すみません! あの、お話続けてください」
咳払いをし、斎藤が続けた。
「つまり……弱者というのは隊の中で序列の低いもの、力の弱いもの、見目の良いもの」
「だからさ、君はその全部を兼ね備えているわけ。わかる?」
語尾を沖田が攫い、千鶴はようやく事の重大さに気付いて目を丸くした。それと同時にどうしようもない悪寒が身体を襲い、思わず膝の上で両手を握り締める。
「一応君は、幹部のお気に入りっぽく見られてるし、土方さんの小姓として見てる隊士も少なくない。よっぽどの馬鹿でない限り手を出さないと思うけど、こればっかりは君が自分自身で気をつけておいてくれないとどうしようもないからさ」
「は……い」
「馬鹿ならともかく、それなりの人物が自信を持って君を襲う可能性がないとも限らない。そうしたらもう君だけの問題じゃなくなる――ですよね? 土方副長」
わざとらしく役職で自分を呼んだ沖田に土方は舌打ちだけを返す。つまり、そういうことだ。
「可能な限り、事情を知る幹部以外との接触は避けろ。いいな?」
最早頷くしかない。元々、ここで暮らすようになってまだ半年と少し。屯所内ですら自由に歩かせてはもらっていないというのにこの念押しとなれば、自分はもう部屋で大人しくしている以外にないだろう。
しょんぼりとうな垂れた理由は、何よりも『そういう対象』として見られることへの嫌悪が強いのだろう。年頃の娘ならば当たり前だと三人の男はそれぞれに同情を寄越す。
「ま、そういう訳だ。おい総司、斎藤。この問題が落ち着くまではいつも以上に気をつけてやれ」
「御意」
「大丈夫だよ、千鶴ちゃん。君が誰かのお嫁さんになるまではお兄さん達が守ってあげるから」
子ども扱いされている、とも思うけれど、今はむしろ子どもでいたいと思う。そういう対象で見られるくらいなら、ぞのほうがずっといい。
沖田さん、今日は優しいなと千鶴がほっとしかけたその時。
「女性としてはちょっと丸みが足りないけど、若衆としてはむしろそそる身体付きだもんねえ」
「ふえ……っ」
「総司! ガキ脅して楽しんでんじゃねえ!」
本気で怯えた千鶴の肩を、斎藤がそっと支える。見れば、深い色の眼差しが安心させるように真っ直ぐ自分を見ていたから、今度は違う意味で泣きたくなった。
「あはは。安心してよ、僕はそっちの趣味ないし。一君はどうだか知らないけど」
「――――っ!?」
思わず反射的に身を固くしてしまったのは仕方ない。そして確かめるような目で斎藤を見てしまったのも仕方ないと思う。仕方ない……よね?
「総司……貴様の戯事に俺を巻き込むな」
じい、と自分を見つめる千鶴の視線に怯えを見つけ、斎藤が嘆息する。そして精一杯千鶴を安心させようとして口にした言葉が
「俺は子どもと男には興味がない」
だったのだが、何のフォローにもなっていないという認識は、本人以外が一致するところであった。
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Comment:
新選組で衆道が流行ったのは有名な話なので、もっと話を広げたいなーという
野望はあったのですが、何分流行ったのが1864年ということでまだそれ程仲良くないし…と
こんな感じで。
ゲームの沖田さんはもうちょっと優しい人だとは思うのですが、S気質を発揮してくれたほうが
話が転がるのでついつい。
20090306up
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