※平助死にネタにつき、閲覧に御注意下さい。
本当に本当に、自分が成したかったのは何だったのだろうか。
「……ハッ、……ぁ、ハアッ」
零れるものは荒い呼吸と、咳。そしてその咳に混ざる、胃の腑か肺か、はたまた別の場所からか分からぬ赤いもの。
とうに身体を地面に預け、剣撃や銃の喧騒を遠いものに感じながら、平助は開くのも億劫になった重い瞼をよろよろと持ち上げる。羅刹となり、昼夜が逆転してからというもの、もっぱらの活動は自分にとっての活動時間――つまり夜だ――となっていたが、戦が激しさを増すにつれ、そんなことは問うていられず、昼夜関わらずの出撃となっていた。
最早腹に大きく開いた穴は塞がる兆しを見せず、更には見つめた先にある煌々とした太陽までもがこの身を焼き尽くそうとしている。身体の中も外も痛ぇなあ、と、どこか他人事のように胸中でぼやきながら、ああでも、痛いと思えるうちはましなのかと、思い直して笑った。
刀を握ろう、と思ったのはいつからだっただろう。否、思うよりも先に、この右手にそれはあったような気がする。
津藩藤堂家の御落胤として生をうけ、けれどそれすら曖昧なままで今日までこの世にあった。証はただ、この腰にあった上総介兼重のみ。今思えば、それで十分だった気がする。けれど、それすらも今はない。
当たり前のようにあるはずの、自らが生まれた証が曖昧で。無意識に覚えた怯えを消してしまいたくて、すりかえるようにこの日の本の行く末を憂いた気がする。日の本の在り様を確固たるものにすることで、自分の居場所も同じようになるような気がして。だからきっと、「理由」を問われては迷い、揺れたのだ。
通っていた水戸の道場の思想に感化されなかったかと言えば、嘘になる。けれど、攘夷だ何だと声高に叫ぶ前に、本当に自分が求めたものは。
「……笑っちまう、よなあ」
あまりの情けなさに口に出して失笑すれば、同時に激しく咳き込む羽目になる。ひとしきりそうして呼吸もままならぬ時間を過ごし、赤く汚れた口元ではあと大きく息をつけば、何故か目の前の空が滲んだ気がした。
最早緩慢にしか用を成さぬ右腕を持ち上げ、懐にあったものを取り出す。取り出された白い布は、あっという間に右手の血泥をその身に移していったが、それを咎めるものは誰もいない。
意図せず震える手で包みを解けば、中から出てきたのは桜を模った簪。もう、いつ買ったのもかも思い出せぬほど遠い記憶となりつつあるそれは、それでも忘れえぬ少女の為に自らが選び、買ったものだった。
小さな小さな少女だったように思う。歳の頃はそう変わらぬはずだが、生まれ持っての容姿が幼げだったせいもあり、出会った時から守ってやらねばならぬと、知らず思うようになっていた。
無論、自らが属する新選組という組織にとって、害になるようであれば殺すしかない。けれど不思議と、自分はこの少女が決してそのような存在にならぬとどこかでわかっていた。思っていたのではない、わかっていたのだ。
それを土方や原田あたりが知れば「甘い」と一刀に両断されるだろうが、この感覚はきっと己にしか分からぬものであろう。
彼女の、笑う顔が好きだった。それが見たくて、気がつけばいつでも彼女の部屋に向かっていたような気がする。
外にでれば甘い菓子を土産に買い、軟禁状態にある彼女に今日あった出来事を話して聞かせ。少しでもその頬が柔らかく緩めば嬉しくて。
平助君、と、自分を呼ぶ声が好きだった。
弱いくせに、覚悟を秘めた眼差しがとても――好きだった。
汚れた指でとりあげたそれを、くるりと回す。しゃらり。音を立ててゆれた飾りが日の光を反射して、苛立ちの対象でしかないはずのその光が、酷く綺麗に見えた。
(見たかったなあ)
これを差した、彼女の姿を。
髪を高く結い上げ、袴姿の彼女ではなく、相応に着飾った女としての彼女を。
そういえば、いつか振袖を着て見せてくれ、などと強請ったこともあったなと思い出す。結局、あの願いは果たされずに終わってしまったけれど。
大切だった。守りたかった。今ではもう、全て過去形でしか口に出来ないのがたまらなく悔しい。
彼女はどうしているだろうか。笑っていられているだろうか。生きて、いてくれているだろうか。
しゃらり、しゃらり。飾りがゆれる。
手渡す機会など幾らでもあったのに、どうしてか、どうしても渡せなかった。
しゃらり。しゃら。
(『ありがとう、平助君』)
彼女ならきっとそう言って、とびきりの笑顔で笑ってくれただろうに。
(ああ、そっか)
光が滲む。
好きだったのだ。自分は。
彼女の、笑顔や声や眼差しだけでなく、彼女自身がとても。とても。
(ばっかだなあ)
守りたかったのは、一番、大事にしたかったのは。
「……んと、バッカだよ……なあ」
渡せなかった簪は、告げられなかった自分の想い。
気付く事すら出来ず、こんな最果ての地まで抱えてもってきてしまった。
簪は平助の血で汚れ、最早会えたとて渡すことも叶わぬであろう。だが、それでいい。
もう、それでいい。
さらさらと身体の端から感覚が消え行く。簪を捧げ持っていた指が崩れ風と同化し、支えを失ったそれがぽとりと己の胸に落ちた。
最後に覚えたのは、その小さな衝撃で。
瞼を閉じるが先か、光が失われたが先か。
後に残ったのはただ、ぼろぼろにすりきれた衣服と、二度と音を立てることのない、場にそぐわぬ春花の簪だけであった。
了
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Comment:
平助ルート以外のどこかで。
それでも平助は、ずっとずっと千鶴のことを大切で大好きだったんだろうな。
20100118up
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